鳥綱チドリ目カモメ科の海鳥。東北アジアの特産中形種で全長49センチメートル、樺太(からふと)(サハ リン)、南千島から日本列島、朝鮮半島、中国東北部の沿岸海域の島で繁殖し、北の集団は冬季に南へ移動 する。日本の沿岸や内湾、港湾でもっともよくみられるカモメで、ネコの声に似たミャオミャオの鳴き声が 名の由来である。沿岸の無人島で集団繁殖する。日本では三陸海岸の蕪島(かぶしま)や島根半島の経島 (ふみしま)などの集団繁殖地は天然記念物に指定され、保護されている。(抄録) ウミネコ
「………でしょ?」 香介の目の前でご丁寧に手振りまでして、少女が何やら説明しようとしている。 見た目、年の頃は12歳くらいだろうか。 実年齢を知っているのはこの喫茶店内多分自分だけで、斜め向こうの席でコーヒーを持ち上げるたび意識 的にこちらを―――正しくはこの少女を見やる、中年男性・弘司(仮名・42歳)からすれば、兄弟か従兄弟、 または某国民的アニメのような叔父と姪の関係なのだろう。 誰も、この少女・理緒を含め誰も、香介との仲を恋人と思ったりはしない。 時折それは歯痒いし、苛々することだって無くはないが、だからといってそう思われるとしたら、同時に 香介は彼らの中で変態となってしまうのだから、年頃相応に悩み多き日々を過ごしているわけだ。 「あ?わりぃ、聞いてなかった」 弘司(仮名・42歳)がしぶとくこっちを見ていたせいで、語尾しか聞いていなかった。 アレが悪い、そんなことするたびガン飛ばしてやらなければならないのだから。 コーヒーもケーキも不味い、唯一ココアだけが飲める味だという妙なこの喫茶店にかれこれ40分もコーヒ ーおかわりだけでねばる理由なんて多くは考えつかない。 「もー、こーすけくんのバカっ。さっきから何してんの?」 カップのほうを見もしないで、ココアに載せられた生クリームを沈める。 もう一度ちらっとあっちを見ると、飲み終わったコーヒーカップを置いて新聞の端からちょうどこっちを 向いているところだった。 香介は理緒がティースプーンに付いた生クリームを舐め取ると、顎で斜め向こうのテーブルを指し、皮肉 に笑ってやった。 「弘司(仮名・42歳)がよ、お前のウサギリュック狙ってんぜ?」 香介を恐れて新聞に隠れたまま、何も気付かず背広の袖口で光るでこを拭いている。 当然本当の狙いがリュックでないことぐらいわかっているが、敢えて口に出さないのは無駄な意地のせいだ。 理緒は隣の椅子に置いておいたウサギリュックをバッと抱きしめて、香介の言うテーブルを振り返った。 これまたちょうどこっちを向いたタイミングズバリで、―――理緒がどんな顔をしたのかは知らないが――― 慌てて立ち上がり店を出て行く小太りの背広姿。 「早く言ってよ、大事なリュックなんだからねっっ」 ふーっと息をついた。 弘司(仮名・42歳)に同情する。 思えば『同じ情』をもっていると書いて同情、うまい具合にできたものだ。 「へいへい、で、何だっけ?」 「あ、そうそう、えーっと……うん、そぉだ」 先まで何を喋っていたのか思い出すような仕草をして、理緒は続けた。 こういう何でもない日常で、彼女は同時に二つをこなせない。 知ってはいるが、香介は噴き出しそうになった。 「ウミネコってね、ネコじゃないでしょ?」 「は?」 ウミネコ……あぁ、あれか。 頭の中のコンパクトな百科事典にもとりあえず載っている。 カモメとかの一種で、確かにネコじゃない。 いやしかし、くだらないことを喋りだすだろうことくらい想像はしていたが、全く理緒の意図は掴めない。 というか、あるのか。 「それがどーかしたか?」 突っ込むのも面倒で、理緒に『おいしくない』からと押し付けられた見目明らかに100円、なれど実値380 円のショートケーキにフォークを刺した。 酸っぱい苺が載っていた部分は窪みだけが残って妙に寂しい。 「あたしと同じなんだよ、ウミネコって」 だいぶぬるくなってしまっただろうココアを漸く口元に持っていきながら理緒は言った。 視線が低いのは彼女が小さすぎるせいでもなくて。 潤んだりこそしなかった大きな瞳が、すこしだけ縮んだ。 「…………?」 砂糖の味しかしないクリーム、挟んだフルーツはあきらかにスーパーの缶詰で、スポンジは硬くて滑らか さの欠片も感じない。 聞きしに劣らぬ不味さに驚きながら、香介が理緒を見やると目が合った。 そう言えば、今日の理緒はどこかしらいつもと違う―――気がする。 「ミャオって鳴いちゃうだけなのにね」 心底切なそうな瞳の、上目遣い。 どーしろというのか、というような状況に香介は焦ったが、ハッと気付いた。 「なんだそりゃ」 ここはとりあえず、突っ込むところだと。 「だってね、ネコじゃないんだよ?ウミネコは悪くないのにネコって呼ばれて、可哀想だと思わない?」 まず。 可哀想とか言いながら自分も『ウミネコ』と言ってやるな。 ミャーって鳴くだけって、それが特徴なんだから鳴かなかったらただのカモメだろ。 それに第一真剣に語ることじゃないし、ってゆーかそれ以前にウミネコはウミネコって呼ばれてること知 ってんのか。 突っ込みきれねぇ……。 「で、どこ理緒と同じなんだよ」 香介は突っ込むことを諦めて、二口目、やはりこのケーキは不味い。 理緒のアニミズムが移ったのか、ショートケーキに『不味いと思うんなら食うな』と言われているような 気がした。 「あたしね、幼女じゃないのッッ」 フォークを置く。 理緒を一度見やったが、気持ちは変わらなかった。 ついていけない。 ほんの一瞬だけ、弘司(仮名・42歳)にこの役を代わってやってもいいと思ったくらいだ。 「わけわかんねぇんだけど」 それでも理緒は真剣そのもので、ココアを無駄にぐるぐるかき混ぜながら白熱している。 「ウミネコはミャオって鳴くからネコって呼ばれちゃうんだけどね、あたしは服が子どもっぽいからそーゆ ー風に言われるんだよっ」 亮子が前に言ったことを未だ根に持っているのだろうか。 とにかく香介が思うに、『そーゆー風に』言われるのは服だけのせいではないはずである。 「だからね、今日は大人っぽいカッコしてみたんだ〜vvウミネコだって、鳴かなかったらウミネコってバ レないでしょ?」 にこっと笑うと、理緒は椅子から立って香介に全身が見えるように目の前でクルクルと回った。 なるほど、確かにいつもと違うらしい。 髪が下ろされていて、服装は某英国ブランドの柄に近いベージュのチェックのトップスに同系色のカーデ ィガン、黒のギャザースカートはちょうど膝丈程度で、回るとふんわり軽く浮いた。 ちなみに靴は先が丸くて黄色いトゥシューズ。 「……おい、それでなんでウサギリュックなんだ?」 香介の斜向かいには使い古されたウサギがぐったりと座っている。 明らかにこの服装とは似合わない。 「だって、コレなかったらこーすけくんあたしってわかんないかなぁって思ったから」 ウサギの腕をぐいっとひっぱりいつものように抱きかかえる。 香介の中で罪悪感が募った。 理緒の服の変化などまるで気付きもしなかったし、ウサギリュックの有無はこの喫茶店に入ってから知っ たのだ。 これを言うと理緒に殴られる恐れがあったので言わなかったが。 「お前なぁ………」 香介は一つ溜め息を吐いて、完全に冷めてしまったコーヒーカップに口を付けた。 入れるのが面倒で、ソーサーにはミルクが残ったまま、ティスプーンは使用された形跡も無い。 「ミャオって鳴かなくてもウミネコってわかるやつはわかるし、俺はウサギリュックなくても理緒は理緒っ てわかるっての」 クルクル回るのをやめて、理緒がこっちを向いた。 「だって〜〜〜っっ」 自分の苦いコーヒー、理緒の甘いココア、二つ見比べ、香介の顔に浮かんだのは意地の悪そうな笑み。 香介はもう一口コーヒーを飲むと、周りを見回した。 弘司(仮名・42歳)こそ居ないものの、ノートパソコンでカチャカチャやってるサラリーマンやら喋るこ とに夢中のカップルやらがぽつぽつ座っている。 「そんな大人がいーんだったらよ、」 腕を伸ばし、理緒の首に引っ掛けて自分の間近まで顔を近づけた。 「こ……っ」 「苦いのも慣れねぇとな」 言うが早いか。 小さな唇の感触は思ったより柔らかくて、ヤミ付きになりそうだ。 「こ、こーすけくんのバカっアホっマヌケっっ」 「へいへい、悪ぅござんしたね」 にやっと笑うと、予想通り理緒はぽかぽかと香介を殴りだす。 まだ四分の一くらいコーヒーカップには残っていたけれど、香介は飲まなかった。