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Zircon
不意に声をかけられ、振り返る。男が立っていた。何処かで、見た事がある・・・。 その男は、訊いてきた。 「今、暇かな?」 「ええ・・・。まあ、とりあえずは」 不審に思いながらも、頷く。すると、男はにこりと笑った。『華のような笑顔』、とでも形容すれば良いだろうか。人好きのする笑顔だと感じた。 「良かった。・・あ、ねえ、行きたい所があるんだけど、少し付き合ってくれないかな。その・・・勿論、君さえ良ければ、なんだけど」 「・・・行きたい所?」 怪訝に訊き返す。何故私を誘うのかが解らなかったから。 そして、同時に思い出した。男の名を。 ロキ。邪神と呼ばれる、天界随一のプレイボーイ。 「あぁ。ちょっと、独りじゃ行き辛い所でね。綺麗なのは結構なんだけど、なにぶんカップルが多くて――あ、ちょっと―――!」 言葉さえ残さずに、私はその場を立ち去った。 ・・・・それからだ。全てはそれから。 何故か、ロキに目が行く。何をしていても。そして、その度に、出所の知れない苛立ちに胸を痛める。 笑うロキ。・・・傍に居る、沢山のニンフ。美しい光景には違い無いが・・・・・、苛立ちは消える事も無く、静かに私を侵していった。
―――いつから・・だっただろう・・・? ロキを疎ましく感じ始めたのは、いつからだっただろう? 愛と豊穣の女神、このフレイヤが、心乱すロキを憎み始めたのは、いつからだったか・・・。 己が醜い嫉妬と憎悪の塊にまで堕ちたと自覚した、その時だったか? 愛など、この身には残っていないと気付いた時? 己の視線が、射抜くようにニンフ達を見るようになってから・・・? 其れがロキの所為だと結論付けるのは、如何にも自分勝手な事だ。でも、切羽詰った私には関係無かった。
―――ロキが憎い―――
「・・・・・・・・・ロキ」 「やあ、フレイヤ。どうしたんだい、こんな時間に?」 「アンタに・・・話があるのよ」 「・・・何かな」 ロキは気付いていた様だった。私の意図する事に。 でも、何も言わなかった。静かに私を迎え入れ、そして。
―――ダンッ・・・・。
私が、彼を壁に抑えつけ首を圧迫しても、抵抗らしい抵抗もしなかった。 私には、それが不思議でならなかった。 「・・・何故逃げないの・・?」 「――さてね・・・何故だろう」 「・・・・ロキ。私はアンタが憎い・・・アンタの所為で・・・私はこんなにも醜い生き物に成り下がってしまった・・・・」 我ながら滑稽だった。責任の全てを他人におしつけ、私は何がしたいのだろう? 「・・・フレイヤ・・・愛とはそんな物だよ・・・、怯えなくて良い―――」 気管が常より細くなった所為だろう。途切れ途切れに、ロキは言ってきた。 「君は醜くなんか無い・・・汚れてさえいない。君は純粋だよ。・・・だからこんな事さえ出来る・・・・」 そして、微笑った。まぎれもなく、それは笑顔だった。 「君は美しい・・・フレイヤ・・・・・」 「止めて・・・」 「誰よりも・・純粋な君を惑わせて・・・・。僕は・・・・・・」 「――――止めなさい!!!」 ドンッ―――――
何が起きたのか、瞬間何も解らなくなって。 只、ロキが、部屋に置かれた彫刻と折り重なるようにして赫く染まる事だけを認識して、私は。 私は悲鳴をあげた。
「ァアアアアアアアアアアアアアアーーーーーーーーーー!!!!!!!!!」
初めて、温かい水が頬を伝った。
「アアアアアアァアアアアアアアアアアアア―――――――ッ――――――!」
その水も、この悲鳴も。 止まるという行為自体を忘れたように、止まる事は無かった。
ロキ。・・・『 』
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