夕食を済ませ、ジルは自室のテーブルで読書をしていてた。
奥のベッドではピリカがすやすやと眠っている。
ジョウイは会議に出ている。
かつての皇王アガレスも、そして兄のルカもいない今、この三人だけがルルノイエの城に住んでいる。
ジルは静かなひとときを過ごしていた。
ふと、どこからかとろけるような深みのある甘い香りが、ジルの鼻を誘った。
「何かしら・・・。夕食はもう済ませたというのに・・・」
不思議に思っているとドアをノックする音がした。
「どうぞ」
ジルがそう答えると若い女官が一人入ってきた。
「失礼いたします。お茶をお持ちしました」
そうしてジルのところまでやってきて、お茶を置いた。
「ありがとう」
ジルは少しお茶の香りを楽しんでから一口飲んだ。
「さっきから甘い香りがするけれど、料理長が新作のお菓子でも作っているの?」
「ああ、これは若い女官達が明日バレンタインデーだからといって、チョコレート菓子を作っているのでございます。うまくできないだの、間違えただの、調理場は大騒ぎですわ」
「まあ、そういうことだったの・・・。あなたは作らないの、パティー?」
「そんな、私は・・・。そ、そういうジル様はお作りになられませんの?」
「え?わ、私は・・・」
私が作ったところで、あの人は喜んでくれるというの・・・?
ジルの頭の中をそんな言葉がよぎった。
そうしてジルが少しうつむき加減になっていると、廊下の方で黄色い声がした。
「やめてよ、エミー!」
「いいじゃない、ちょっとぐらい!」
「あ、ち、ちょっと!」
「きゃあ!」
するとバタンとドアがひらき、まだ少女ほどの女官が二人なだれ込んできた。
「エミーにティナ!」
驚きのあまりパティーは持っていたトレイを落とすところだった。
なだれ込んできた二人は、目の前にジルがいるのに気がつくと慌てて立ち上がった。
「ジ、ジル様!申しわけありません!」
ジルは特に怒りもせず、むしろくすくすと笑って言った。
「どうしたの、一体?」
「明日のためにチョコを作ったのですが、ティナが私の作ったのを見せてくれって聞かなくて・・・」
「だってエミーったら私のこっそり覗いておいて、自分のは見せてくれないんですもの!」
「そんなことないわ!」
「いいえ!」
「二人ともやめなさい!」
二人よりも少し身分の高いパティーが割って入ると、二人ははっとして慌ててまた頭を下げた。
パティーも頭を下げてジルに詫びた。
「申しわけありません、ジル様。あとでよく言っておきますので、どうか・・・」
「ふふっ。もういいわ。年に一度の女の子の日ですもの。少しぐらい騒いだってかまわないわ。楽しみましょうよ」
「ジル様・・・」
ジルの答えに部屋が少し明るくなっていった。
そうしてジルが笑顔を見せていると、ふと誰かが彼女のドレスの裾を引っ張った。
「ピリカ!」
「まあまあ、今の騒ぎで起きてしまったのですね、ピリカ様」
「ごめんね、ピリカ、起こしてしまって。何でもないの。さ、ベッドに戻りましょう」
ジルはそう言ってピリカを奥へ連れて行こうとしたが、ピリカは眠そうに目をこすりながら動こうとはしない。
「明日が・・・どう・・・したの?」
「ああ、明日はバレンタインデーなのよ」
「バタンレインデー?」
「ふふっ。バレンタインデーよ。女の子が大好きな人にチョコレートをあげる日なのよ」
「大好きな人・・・に?」
「ええ、そうよ」
「・・・ピリカも・・・・・・ピリカもジョウイお兄ちゃんにチョコあげたい!」
「ピリカ・・・」
「だって大好きな人にあげるんでしょう?ピリカ、ジョウイお兄ちゃんのこと大好きだもん!」
ジルはピリカに心を動かされていた。
小さいながらも強く握り締める手、そしてまだ幼いながらもゆるぎない眼差し。
重ねてピリカが言った。
「お願い。眠くなんかないから!」
ジルはピリカがどれだけジョウイの事を慕っているかを知っているつもりだった。だからこそ・・・。
「・・・わかったわ。一緒に作りましょう」
「ジル様!本当によろしいのですか!?」
「ええ、もちろんよ。こうしてピリカの世話をするのは私の役目でしょう?」
「でも、ジル様自らとは・・・」
「いいのよ。さあ、調理場へ行って伝えてきてくださいな。ピリカが明日のためにチョコを作りますと。ピリカには私が付き添います。それから、シェフにご指導いただけるよう頼んでおいて」
「は、はい!急ぎ申し立てて参ります!」
そうして、一礼すると女官たちはバタバタと出て行った。
ジルは花のように明るくなったピリカの顔の前にしゃがんだ。
「さあ、素敵なチョコレートを作って、ジョウイお兄ちゃんを喜ばせてあげましょう」
「うん!」
ピリカはうれしくて部屋を走り回っている。
私のことはどうでもいい。
それよりピリカがジョウイにチョコをあげることで、二人が笑みを浮かべられるならそれでいい。
それでいいのだから・・・。
ジルはピリカを見つめながら、そう自分に言い聞かせていた。


「それではシェフ、よろしくご指導お願い致します」
「ふつつかながら、精一杯努めさせていただきます。それでは始めさせていただきたいと思いますが、夜も更けてまいりまして時間もあまりございませんので、簡単で且つおいしいこちらのような物を考えさせていただきました。如何でございましょう?」
「どう?ピリカ?こんな風に出来上がるみたいよ」
「うん。これでいい!ジルお姉ちゃんはどうするの?」
「え?私?私は・・・私は作らないの」
「え!どうして!?だってジルお姉ちゃんもジョウイお兄ちゃんのこと大好きなんでしょう?」
「ピ、ピリカ・・・」
一瞬、ピリカの一言がジルに重くのしかかった。
「・・・・・・ええ、そうよ。私はジョウイお兄ちゃんの事が大好きよ。大好き・・・だけど・・・・・・」
ジルは思いが溢れそうになり、そこまで言って口をつぐんだ。
しかしすぐに我に返り、笑顔を作った。
「さあ、早く作らないと眠くなっちゃうわよ、ピリカ」
そうしてピリカのチョコレート作りは続けられた。


「できた!」
ピリカはチョコがたくさんついた手を振り上げて喜んだ。
目の前にはできたてのチョコチップクッキーが焼きたて独特の香りを漂わせていた。
「よかったわね、ピリカ。あとはラッピングね」
ピリカは小さな手で一生懸命包んでいる。
最後にキュッとピンク色のリボンを結んだ。
「とっても素敵じゃない、ピリカ」
「本当!?ジョウイお兄ちゃん、喜んでくれるかなあ・・・」
「もちろんよ。ピリカがこんなにがんばって作ったんですもの」
ジルがそう言って微笑むと、ピリカもにっこり笑った。
と、そのピリカの笑顔がだんだんと変化し、大きなあくびを一つした。
「疲れたのね。今日はもう休む事にしましょう。パティー、ピリカを部屋へ連れて行ってあげて」
「はい。ピリカ様、一緒にお部屋へ参りましょう」
ピリカはシェフにぺこりと挨拶すると、目をこすりこすり部屋へ戻っていった。
ジルはほっと一安心した。少し一人になりたかったのである。
シェフにお礼を言ったら、ゆっくりとするつもりだった。
「今夜はどうもありがとう。ピリカはとても喜んでいるみたい。それじゃあ私も失礼します。あなたも、今日はゆっくり休んでね」
そうしてジルが調理場を去ろうとした時だった。
「ジル様」
シェフがジルを呼び止めた。
「なに?」
「もしまだお時間をいただけるのなら、あなた様もお作りになられませぬか?」
「シェフ・・・私はいいのですよ。ピリカがあげるのですから・・・」
「だからと言って、あなた様があげてはいけないなどということはありませんでしょう?ささ、こちらにご用意してございますから」
「シェフ、私は本当に・・・・・・」
しかしジルの言う事も聞かずにシェフが準備を始めるので、ジルは仕方なく作ることになった。


そうして、昨日ジルがチョコレートの匂いを感じた時からちょうど一日がたった。
夜空には月が優しく輝いている。
夕食を済ませたジルは、相変わらず自室で読書をしていた。
ピリカは奥のベッドですやすやと眠っている。
ジョウイは会議に出ている。
ジルはピリカと「ジョウイが会議から戻ったらチョコをあげに行く」と約束していた。
それを思うと、ジルは読書に身が入らなかった。ただ目の前で本を開いているだけであった。
ふとピリカを見てみると、ピリカはかわいい寝顔を浮かべて寝ている。
この子があの人にチョコをあげたら、あの人はさぞ喜ぶでしょうに。
けれど私もあの人にチョコをあげる・・・。
するとドアをノックする音がした。
ジルは肩をびくっとさせたが、すぐに冷静になった。
「どうぞ」
ジルがそう答えるとパティーが入ってきた。
「失礼します。ジル様、ジョウイ様は会議を終えられて、先程自室にお戻りになられました」
「そう・・・。では、ピリカを起こして早速参りましょう」
そうしてパティーはピリカを起こしに行った。
ジルはゆっくりと棚の所へ行って、昨日ピリカが作ったチョコを手に取った。
そしてしばらく見つめていた。
そこに、ジョウイとピリカの笑顔がある気がした。
「さあピリカ様。ジル様からチョコを受け取ったら早速参りましょう」
パティーの声がして、ジルははっと我に返った。
ピリカが目の前までとたとたとやってくると、ジルはチョコを渡した。
「早く行こう!行こう!」
ピリカははしゃいでいる。
ジルは自分のチョコを隠すように持つと、部屋を出た。


コンコン
パティーがジョウイの部屋のドアをノックした。
しばらくして、中から声がした。
「どうぞ」
パティーが先導して入り、後からジルとピリカがつづいた。
「失礼します。ジル様とピリカ様にございます」
目の前ではジョウイが書類がたくさんのった大きな机から、ちょうど目を離したところだった。
「ジル・・・」
「ピリカからあなたにプレゼントがありますのよ」
「ピリカが?」
ジルとピリカは目を合わせてふふっと笑うと、ピリカはジョウイのもとへ走り出していった。
「ジョウイお兄ちゃん!はい!」
ジョウイはピリカにチョコを差し出されて戸惑っていた。
「なんだい、一体?」
「いいから、早くあけて!」
ジョウイはそう急かされると、丁寧にラッピングをほどいた。
「これは・・・」
ピリカの手作りクッキーを前に、ジョウイは驚いていた。
「ピリカがジョウイお兄ちゃんのために作ったの!」
「ピリカが・・・」
「そうだよ!だって今日は女の子が大好きな人にチョコをあげる日なんでしょ?ピリカ、ジョウイお兄ちゃんのことだいすきだもん!」
「ピリカ・・・」
思わずジョウイの顔から笑みがこぼれた。
「早く食べてよ!」
「ああ・・・・・・うん!おいしいよ!」
「本当!?よかった〜」
ジョウイとピリカは笑いあっている。
ジョウイは心から喜んでいる・・・ジルにはそう思えた。
私が同じ事をしても、この人はこの笑顔を見せないわ・・・きっと・・・。
「さあ、ピリカ様、そろそろお部屋に戻りましょう」
「えー。もっとジョウイお兄ちゃんと一緒にいたい!」
「しかし昨日遅くまで起きておいでですから、今日は早くお休みになられませんといけませんよ」
「・・・わかった。じゃあ、ジョウイお兄ちゃん、またね」
「ああ、本当にありがとう。今夜はぐっすり寝なさい」
そうしてピリカはパティーにつれられ、部屋へ戻っていった。


パタン・・・
静かに扉が閉まる。
ジルは後ろ手にしていたチョコをぎゅっと握りしめると、ゆっくりとジョウイの前までやってきた。
「ピリカ、昨日の夜がんばったんですのよ。
 眠いみたいだったけれども、どうしてもあなたにあげたいって」
「そうだったのかい。でも、今日がバレンタインだなんてすっかり忘れていたよ。どうも今日は女官も兵士も様子がおかしいとは思っていたけれども・・・。でも、そんなピリカの世話をしてくれてありがとう」
それからジョウイは微笑みながら、すっと左手をジルに差し出した。
ジルは始めどきっとしたが、ジョウイが窓の方へ視線をやるので
ジルは右手をのせ、二人は微笑みあうと、窓の方へゆっくりと歩いていった。
「月が・・・綺麗だね・・・・・・」
窓の外は相変わらず月が美しかった。
「ええ・・・」
ジルは何とかジョウイに答えたが、チョコを持っている左手が激しく揺れていた。
いつ渡そうか、タイミングを逃がしたらどうしよう、と胸の鼓動が早くなっていった。
「思い出すな・・・」
ジョウイがふと言った。
「あの夜も、こうして月を眺めていたっけ・・・。ミューズ市の門で、アレックスさん達に借りた通行証を持って入ろうと思ったんだけど怪しまれて、牢に入れられちゃったんだよなあ・・・。それで夜になって眠れずにアクアと満月を眺めていたっけ・・・アクア・・・・・・」
ジルはじっとジョウイを見つめていたが、急に何かがこみ上げてきた。
そしていつの間にか、目を潤ませていた。
ジョウイははっとそれに気づくと慌ててジルに言った。
「ジ、ジル!?すまない、何か気を悪くするような事を言ったかい?」
「い、いいえ・・・」
ジルは何とか笑顔を保ちつづけようとするが、はらりと涙がこぼれ落ちた。
慌てて右袖で涙を拭くと、ごくりと息を飲み左手を前に持ってきた。
「ジョウイ・・・これ・・・・・・」
うつむきながら、ゆっくりとそれをジョウイに手渡した。
ジルの手の中には、月の光をうけ、柔らかなブルーでラッピングされたチョコレートがあった。
「ジル・・・もしかして君が・・・・・・?」
ジルは顔を赤らめたまま、うなずくのが精一杯だった。
ジョウイはゆっくりとあけると、中からトリュフが顔を出した。
それから一つ取り出し、口に運ぶ。
ジルはジョウイの反応を見ようと、胸を高鳴らせ顔を上げた。
ジョウイの口がゆっくりと動く。
そして、ジョウイの表情がぱあっと明るくなった。
「とてもおいしいよ。ジル、ありがとう。本当にありがとう・・・」
ジョウイはジルに微笑みかけた。
次の瞬間、ジルも微笑みながらとめどなく涙を流した。
「ジ、ジル!?」
「・・・ふふふ・・・ごめんなさい、なんでもないの、なんでも・・・・・・」
この人はやさしい、本当にやさしい人よ。この私にこうして微笑みかけてくれるんですもの。
例えこれをあげたのが私でなくたって、この人はこう微笑んだはずよ、そういう人だもの・・・。
これだけでいい、これだけで・・・・・・そう思わなくちゃいけない・・・・・・。
「ジョウイお兄ちゃんのこと大好きなんでしょう?」
ピリカの言葉がよみがえった。
ええ、大好きよ。けれどもし、私がそれ以上のことを望んでいたとしたら、それはいけないこと・・・?
例え私があの人に利用されていたとしても・・・・・・。
ジルは一通り涙を拭くと、ジョウイに言った。
「喜んでもらえるとは思わなかったわ、こんな、私が作ったものなんか・・・。でも、あなたのその笑顔を見ることができてうれしかった・・・ありがとう・・・・・・。そろそろ部屋へ戻りますね、おやすみなさい、ジョウイ・・・」
そのまま平静を装ってジルは部屋を出ようとした。
「ジル!」
するとジョウイが後ろから呼び止めた。
ジルはぴたっと止まった。体中が震えていた。
「・・・やっぱり、なんでもないよ・・・すまない・・・・君もゆっくり休んでくれ。おやすみ、ジル・・・」
ジョウイがそう言うと、ジルはまた平静を装って部屋を出て行った。


かけるようにして戻ってきたジルは、勢いよくドアを閉めた。
ベッドの方へ視線をやって、ピリカが眠っているのを確認すると、そのまま崩れた。
ピリカ・・・そしてアクア様・・・あなたたちが羨ましい。
あんなふうにあの人に思われるなんて・・・・・・。
好きならそれでいいじゃない。そう自分に言い聞かせてきた。
けれど、やっぱりどこかで、あの人が私のことを思ってくれている証が欲しかった・・・・・・。
しばらくすると、ジルは立ち上がって窓の所までやってきた。
そしてじっと月を眺めた。
月は相変わらず美しかった。
 

まだ女性を主人公にした話を書いていなかったので
今回はジルにして書いてみたのですが
ラ、ラヴストーリー・・・うーむ、難しいです・・・


BACK