『朝ー、朝だよー 朝ご飯食べて学校行くよー』
「…やかましい」
名雪から借りた目覚し時計に一撃をくれてやる。
もちろん、力を加減して。
最初は逆に眠くなると思ってたが意外や意外、この目覚ましでも充分に効果はあった。
目覚めないと困る、という警戒心が余計に強くなる所為かもしれない。
私はベッドから抜け出て、窓のカーテンをざっと開けた。
「…わー」
棒読みに感動してしまった。
雪積ってるし。
「学校とか面倒くさいな…」
だが、実際はそうも言ってられない。
机の上に乗せてあった小箱から銀色のピアスを取り出し、右の耳につける。
朝の一連の動作も慣れたものだな、と思う。
そして私は部屋から出て、階段を下った。
「おはようございます。秋子さん」
既にキッチンに立っている秋子さんに声をかける。
「おはようございます。祐宇さん。相変わらず早いですね」
「そんなことないですよ。秋子さんの方がよっぽど早いじゃないですか」
本当、毎朝のことながら驚かされる。
私たち(名雪除)よりずっと遅くまで起きていて、尚且つ私たち(名雪除)よりも早くに起きるという毎日。
普通の人なら三日で挫折しそうな日課だ。
用意されていたブラックのコーヒーを少し啜って眠気を覚ます。
熱すぎず、冷ましすぎず。私が起きるであろう時間も計算している素晴らしい温度。もちろん、味の方も格別だ。
「…それじゃあ、二人を起こしてきますね」
「ええ、お願いします」
ここまで、毎日同じ日課だ。
さて、今日はどんな手段で起こしてやろうか。
さすがに毎日だともうネタが尽きた感があるが、毎日思いつきなので何とでもなるだろう。
「おーい?」
あゆの部屋のドアをノックしながら声をかけてみる。
朝一番から「うぐぅ」という声が聞けない場合はとにかく起きない。「うぐぅ」は眠りが深いか浅いかをうまく測るための一つの目安だ。
便利だなー。
今日は声が聞こえなかった。こういう時は脅しを含んだ起こし方に限る。
私は部屋に踏み込んで声を大きめにして、
「起きろあゆー、起きないと両耳と唇ににピアス穴開けるぞー」
「…ぴあす?」
意識がちょっと有るみたいだった。私は少し意地悪目に耳元で囁いてみる。
「血が、どばーっと出るから」
「うううううううううぐぅっ!?」
ほらね。効果抜群。
「さて、次は名雪か…」
こいつは厄介だ。
何せ全ての脅しを無効化する特殊能力『だおー』を備えている。
だが、私も日々進化している。名雪ごときに遅れをとるはずが無い。
そんなことをしている間に、目覚まし軍団が動きを始めた。
ジリリリリリリリリリリリリリリリ…
ガラガラガラガラガラガラガラガラ…
あんぎゃー、あんぎゃー、あんぎゃー…
「…なんだ最後の」
思わず突っ込まずにはいられなかった。
たぶん今、名雪の枕元では可愛らしい怪獣が暴れているんだろう。
今までこの音を聞いたことが無いところからすると、新しく買ってきたのだろうか。
…絶対に金の無駄だと思う。本人が怒ると思うから言わないが。
「もう少しなんとかならんものかね…」
溜息をつきながら私は名雪の部屋のドアを開けた。ノックしたとしても、どうせ起きはしないだろうから。
案の定、名雪は寝ていた。
名雪が抱いて寝ているけろぴーを軽く引っ張ってみる。
「…けろぴーは、わたしの…」
ぎゅっと抱きしめる力が強くなった。意識があるんじゃなかろうか。
でもまぁ、その辺は…名雪だし。
「名雪ー、起きろー。起きないと…」
…どうしよう? 考えてなかった。
少しの間の後、
「祐一だめだおー、ちゃんと物事は考えてから言うんだおー」
寝ぼけているのか意識があるのか解らない物言いだな。
どうも名雪は私を“祐一”と呼んでしまうらしい。別に私は呼びやすいように呼んで構わないから何とも言わない。
むしろ、無用に気を遣って欲しくないからその方がいいんだが。
「起きないと唇奪うぞ」
「…祐一が男の子に戻ってくれたらいいおー」
………。
さりげなく凄いこと言われた。
って言うか、戻るも何も私はもともと男じゃないんだが。
「じゃあ、起きたら希望を叶えてやってもいい」
「ほんとっ!?」
起きてるんじゃねえかこんちくしょう。
「祐一極悪人だよ…」
寝言で妄想語りかけた奴に言われたくない。
「…私は自分の性別すら他人に支配されにゃならんのか」
「あら名雪、おはよう」
「名雪さん、おはようございますっ」
「お母さん、あゆちゃん、おはようございます〜」
また糸目だし。
名雪は挨拶をした瞬間テーブルに突っ伏した。
「さっきしゃっきりと起きたろうが」
名雪の頭を掴んで椅子にもたれ掛かるようにする。長い髪が食卓に散らばると邪魔だからだ。
時計は…、うむ。十分に余裕のある時間だ。
毎朝の全力ダッシュはできるだけ避けたい所だ。
食い逃げで鍛えた(私は目撃していないが)あゆと、陸上部で鍛えた名雪について行くのは至難の技だ。加えて、私は心臓がいつ止まるか解らないという洒落にならないハンデを持っている。遅刻間際はまさに命懸けなのだ。
「…おいしい」
ある意味、私の命を握ってる名雪がパンにイチゴのジャムを乗せて呑気に食べていた。
本当、ちょっとは危機感を持って急いでほしいものだ。
「到着だよっ」
「…今日もギリギリかよ…」
文字通り心臓に悪い。
一時間目はなんだったか…。
学校側には私の事情を説明してくれてあるようだから、体育の際には保健室で寝てよう。
他の授業でも寝るけど。
「祐宇さんっ」
下駄箱で私にかかる声。栞だった。
「珍しいな。ここは二年の下駄箱だぞ」
「解ってますよ。お姉ちゃんが忘れ物をしたんで届けてもらおうかと思っただけです」
香里がか。珍しいこともあるものだ。
「別に構わないぞ」
「じゃあ、お願いしますね。これです」
「…リボン?」
しかもごっつピンク。って言うか、ほんとに香里のか?
似合う似合わないは別として、かなり恥ずかしいぞ。
「だって、昨日トランプで負けたペナルティなんですよ」
なるほど。持って行かなかったのは忘れたんじゃなくて、わざとだな。
その前に私からすれば、まず『栞が香里に勝つ』という場面が想像できないが。
下手に情けをかけたらシャレにならない事態が生じた…といったところだろうか。
「おはようかおりん」
「変な名前で呼ばないで」
ツッコミを無視して、私は無言で机の上に可愛らしいピンクのリボンを置いてやる。
「なっ…」
心中察するぞ。香里。
でも面白いからやめない。
結局、律儀にも香里はピンクのリボンを装着して今日一日を過ごした。
北川が爆笑して殴られたのが印象的だった。
私としては思ったより似合ってたと思うんだが。
学校から帰ってリビングでくつろいでいると、あゆが突然私に話しかけてきた。
「祐一君…、どうして祐一君は“祐一”って名乗ったの?」
そうか。二人は真相を知らなかったか。
私としても、余りにも間抜け過ぎる理由だから訊かれるまでは伏せておこうとは思っていたけど。
「秋子さんは覚えてますか?」
「ええ。あの時は名雪が本当に祐宇さんが男の子だって信じちゃって…」
そして、それがついこの間まで引き伸ばされていた訳か。
…よく覚えていないが、たぶん何かのドラマを見ていたんだろう。
どんな武器でも奇抜なトリックでもなく、『偽名の手紙』という簡単な手口で一つの地下組織を潰した探偵の物語だ。
私はそれにひどく憧れた。ということで…
「ということで、俺は実は祐一という名前なんだ」
ついでに一人称も“俺”にしてみた。
「なにが、「ということで」なのかわからないよ〜。しかも祐宇は祐宇だよ〜」
全くだ。これだからガキの世迷い言は恐ろしい。
「…で、私がそれを使い続ける内に名雪も信じてしまったということだ」
なんともくだらない理由だ。
別に相沢家の家訓として『第一子が女だった場合、男として育てる』とか変な決まりがあるわけでもない。
「あと、親父がうざかったのもあるかな」
昔から親バカだったが、七年前から更にひどくなった。
奴としては私が大人しくなるとでも思ったのかもしれないが、私はそれほどヤワな人間ではない。
「祐宇さんのことを思って言ってくれてたんですよ」
秋子さんがちょっと困った顔でフォローのように言った。
困った表情なのは奴の溺愛っぷりを想像したからだろう。
「わかってますって」
ただ表現の仕方が少し異常なだけだ。
だから、私も親父のいうことに幾つか従ったこともある。
「まぁ、おかげで自炊くらいはできるようになりましたし。レパートリー少ないですけど」
親父って言うより、母さん仕込みだが。
「ええっ、祐一君料理できるの!?」
なんだその驚きは。私をなんだと思っている。
そうか、あゆは料理系統のスキルが一切無いんだった。碁石っぽいクッキーは生涯忘れられない味の一つだ。
「一般的なものなら、だけど」
さすがにオレンジ色のジャムを作るとかそういう次元の違ったものはできそうにない。
作り方知っても、たぶんやらない。
「んじゃ、ちょっくら出てきますね」
別に夜の学校に出没する魔物を退治しに行くつもりはない。
ちょっとしたトレーニングだ。
「気をつけてくださいね」
「大丈夫ですよ。どうせ素振りとかそんな程度ですから」
それに、私は身体の障害ごときで運動全てを躊躇うほど莫迦じゃない。
立て掛けてあった木刀を握り、庭に出る。玄関を開けた瞬間、冷たい空気が入りこんできた。
別に護身術とか、そんなことを考えたわけでもない。暇でやってる内に習慣になっただけ。相手がいるわけでもない。学校でなら舞とかいるんだが如何せん実力の差がありすぎる。私はいったい何度完敗したことか。
舞曰く「祐宇は速いけど無駄な動きが多い」だそうだ。完全に我流なんだから当たり前だと思う。
「…でも、絶対にいつかは超えてやる」
くだらない意地だけど、この習慣を支えているのはそれだ。
自分で『くだらない』と解っていると、負けず嫌いは損な性分だと思う。
ぶんっ! ぶんっ! ぶんっ!
無言で素振りを続ける私。
やっぱり何か違うよなぁ…と思う。舞の場合は『ひゅっ!』って綺麗な風切り音なのに。その辺が経験の差というやつなのだろうか。
でも、上達はしてるとは思う。
この間、引ったくりを殴って気絶させたときは自分に拍手したくなった。
「舞も、こんな感じだったのかな…」
毎日のように単純な特訓を続けて、自分が前より強くなったことを知ったときの歓喜。
自分が変わっているかも解らない。暗闇の中とでも言うべき状況下での、自分の変化の発見。
なんと言うか、続けているものがなんであっても上達というものは正直に嬉しいものだ。
…腕が太くなるのは嫌だけど。
素振りが何度目か数えるのも億劫になってきたころに、既に周りがかなり暗いことに気付いた。
「…ふー」
適当に切り上げて、後は夕飯を待つのみ。
ヒートアップした私の身体を、庭の雪と冷気が冷ましていく。
「早く切り上げないと、風邪ひくな…」
途中で脱いだ上着を拾い上げ、私は近くの窓から家の中へと入る。
ちょっと汗かいた。食事まで間があるようならシャワーでも浴びてこようか。
…寒いから嫌だ。ということで却下。
「祐一、おかえりなさいっ」
名雪が出迎えてくれた。
「ああ。どっちかというと逆っぽいけど」
細かいことは気にしないでおこう。
とにかく疲れた。
午後十時。
いつもなら、まだ私の活動が衰えを知らないところだが今日は違った。
自室に戻って、すぐにベッドに倒れこむ。
自分でも理由がよく解らない。
最近からだ。何やら妙に身体の所々に軋みを感じるのは。
この街に来て、幾つもの出会いを経て。再開を経て。そして別れも経て。
ようやく一段落ついたか、と思ったらこれだ。私の身体の緊張していた部分がすっと緩んだのかもしれない。
「…これでも名雪の従姉妹だからなぁ…」
そう思えば、いつもよりも早い時間に眠くなっても不思議じゃない。
ボロボロの身体を酷使した代償。
私はそれを、次の日に知ることになる。