窓から入る光が眩しくて目が覚めた。
 昨日は色々とあって、カーテンを閉めることさえも忘れていた。
 気が重い。
 目は覚めているけれど、起きる気が微塵も起きない。
 今日が日曜日だったのは、ある意味嬉しい誤算であった。名雪やあゆと顔を合わせずに
済むかもしれないから。

 昨日、事実を全て語った直後に私は逃げた。
 卑怯だと自分でもわかっていた。
 それでも、溝ができたという事実を受け止めるだけの強さは私には無い。
「散々いろんな人を騙して、嘘をついて…この結果がこれか」
 虚しい響きだった。
 天井に向かって話しかけるその姿も、惨めだった。
 自分でもそうと解っていながらも、止めることができなかった。

 私は、弱い。


「…おはようございます」
 ずっと部屋に篭もっているわけにもいかないので、私は下へと降りた。
 秋子さんは既に起きていて、朝食の仕度をしていた。
「あら、おはようございます。祐宇さん」
 いつも通りの笑顔。
 秋子さんだけは最初から全てを知っていたからか、変わらずに接してくれている。
 救われる思い、と言うのは正にこのことだ。
「あゆは…、まだ、起きてないんですか?」
 その前に、あゆの性格からして眠れたかどうかの方が心配だが。
 私はあゆを恨んでいる訳では無いのだから、気にされることの方がよっぽど気になって
しまう。最も「気にするな」でさらっとその言葉を鵜呑みにできる人間はそうそういないが。
「ええ…。昨日も、ずっと泣きそうな顔をしてたんですよ…」
 伏目がちな顔をして秋子さんが言った。
 自分を責めずにはいられない。だけど私はそれを望んでいない。そこまであゆは解って
いるはずだ。
 せめて大泣きしたくても、私の部屋にまで声が及ぶかもしれない。
「あいつは優しすぎるんですよ…」
 すると、秋子さんは少しだけ笑顔に戻って、言った。
「祐宇さんも、ですよ」
 そんなこと、ない。


「…ちょっと、外に出てきますね」
 そう言って、私はリビングのソファから立ちあがった。
 一箇所にずっと留まっていても気が滅入っていくだけだ。
 商店街にでも出て、適当にぶらついていれば幾らか気が晴れるかもしれない。そんなこ
とを考えて。
「気をつけてくださいね。倒れたばかりなんですから」
 止められるかと思ったが、そんな心配は杞憂に終わった。
 秋子さんは自分で歩き回れると判断した私を信じてくれた。
 時計は十時を過ぎた辺り。そろそろ商店街の店の多くも開くころだろう。

 私は基本的にあまり身だしなみに気を使わない。
 髪を梳かしたりはするが、アクセサリーの類は全くと言って良いほど身につけない。
 右耳のピアスを除いて。
「…そういえば、昨日はずしたっけかな…」
 右の耳に手をやる。確かに銀のピアスはついていない。
 昨日運ばれた際に誰か――おそらく秋子さん――が、はずしてくれたのだろう。礼を言
った方がいいかと思い、部屋にかけてあるコートを羽織って再びリビングへと戻った。

「祐宇さんのピアスなら、倉田さんが…」
「そうですか、ありがとうございます」
 となると、私を運んでくれたのも、あの二人か。
 これは今度きちんとお礼をしないといけないな。


 玄関を空けると、冷たい空気が通っていく。
 いきなり出るのが嫌になった。
「我慢我慢…ってところだな…」
 心地としてはあまり良いものではないが、居心地の悪い空気を味わうよりはマシだろう。
 商店街に出れば、見知った顔にでも会って少しは気分が良くなるかもしれない。
 少なくとも、寒さを我慢している間は嫌な気持ちを抱けずにいられた。


「ありゃ、あれは…」
 美坂姉妹が並んで歩いていた。
 方向的に何か買い物にでも行こうとしている感じだ。
 暇だから尾行することにした。

 二人が向かう先は…何のことはない、ただのスーパーだった。
 面白くも何ともない。本当にただの買い物だった。
 声をかけてみることにする。
「しおりん&かおりーん」
 二人とも全く同時に脚を止め…、
「変な名前で呼ばないで」
「変な名前で呼ばないでくださいっ」
 全く同時に発音した。
 仲の良い姉妹だからこその息の合った連携とでも言うべきか。私と名雪の凸凹従姉妹コ
ンビでは絶対にマネのできない芸当だ。
 思わず私は拍手してしまった。

「ちょうどいいです。祐宇さんも一緒に来てください」
 何がちょうどいいのか解らないが、どうせ暇なので着いて行くことにする。
 たぶん断っても香里によって連行されるだろうし。『逃げたら殺す』的なオーラ出てた
もん。
 スーパーに入って二人が真っ先に向かった先には何故か山積アイス。
「…これ買いに来たのか?」
 カートに乗っているのはダンボール詰のバニラアイス二箱。
 大方、『お一人様一つ限り』というお徳品なのだろう。…あれ? つまり…私の頭数も
足して三人分。箱アイスがもう一箱買える。「ちょうどいい」とはそういうことか。
「なるほど、私に栞のための糧になれと言っていたのか」
「そういうことよ」
「えぅ〜、二人とも酷いこと言ってます〜」
 栞がちょっと拗ねた声で言った。ニュアンス的には間違ってないと思うのだが。
 ちなみに、その話し方は微妙に他の人間と被ってるから止めた方がいいぞ。

 …なぜに私がカートを押す役目まで押し付けられているんだ。
 理不尽過ぎる。
「ちょっとは運動しないと、人間ダメになるわよ」
 笑いながら言いおってこんちくしょう。
 私は昨日倒れたんだぞ。
 …ってあれ?
「香里も栞も聞いてないのか?」
「何がですか?」
「いや、聞いてないなら聞いてないでいい」
 二人とも不服そうだったが、無視だ、無視。
 まぁ、仮に私の身体のことを知ったとしても、この二人は変わらなそうだが。
 なんたって一度は死にかけた栞と、その姉の香里だからな。
 適当に私は話を誤魔化してついでの買い物に付き合う。
 どうせ、家にいたってすることなんてない。

 いや…、家に、居たくない。というのが本音。


「ところでさぁ、香里」
 菓子を選んでいる栞を眺めている香里に、唐突に話しかけてみた。
「何よ」
「北川とはどうなの?」
「なっ……」
 なっ?
 「なんでそこに北川君が出てくるのよ」か?
 なんとまぁ、解りやすい態度をとってくれるのかこの人は。
 この態度の原因である北川にも見せてやりたいくらいだ。
「見ててわかりやすいんだよ。二人とも。歯痒くなるくらいに、な」
 さらに先手を打って追い討ちをかける。
「な…何が、よ」
 しらを切るつもりか。
 そっちがそんなつもりなら、こっちも箱が三つも乗ったカート押しの任務を押しつけら
れた恨みを晴らしてやる。
「香里なら可愛いから万事OKだって。さっさと告白してしまえ」
「別に、北川君は…」
「そうか。香里はなんとも思ってないと。じゃあ私が狙っても問題はない訳だと」
「それは駄目っ」
「なぜに?」
 赤くなる香里。
 ううむ。新鮮味溢れてこれはこれで…。
 って違う。ちょっとカマかけただけだったのに、予想以上に面白かった。
 今度北川とゆっくり話す機会があったら、香里をどう思ってるか訊いてみても面白いか
もしれない。訊くまでもないことだが。
「まぁ、北川を狙うのは冗談だけど」
「…本当、あなたって人は…」
 ため息つかれた。

「なんの話をしてるんですか?」
 いきなり栞が話に割って入ってきたので、ちょっとびっくりした。
「いや、偉大なる孔子とその弟子たちの話をな」
 適当に誤魔化すことにする。
 話の内容を教えようものなら、私は香里に殺されなねない。ただでさえ死にかかってい
るというのに。
「…ごまかしてませんか?」
「全然そんなことはない。次のテスト範囲なんだ」
「お姉ちゃん、本当?」
 こいつ、信じてないな。
 当然のことだが。
「ええ。確かに次の古典の範囲は論語よ」
 マジですかっ。
 適当に言ったのに。
 自分の第六感が恐ろしい。
 香里が話を合わせたという可能性はゼロだ。さすがにそう言う部分には突っ込んでくれ
る人だからな。
「…でも、祐宇の言うことももっともね。当たって砕けてみるのも…悪くないか」
「砕けないって。…北川だぞ?」
「ふふっ…」
 なんて言うか、ナチュラルな笑顔だった。
 ふざけて返した私も思わず笑顔になってしまうような、そんな笑顔。
 そんな私たちの間で、栞の頭には『?』マークが浮かんでいた。

 何故か三個の箱の内、二個を私が持つ羽目になった。
 香里曰く「トレーニングしてるから、それくらい大丈夫でしょ?」とのことだ。
 ここで下手に「一人一箱でいいだろ」とか言ったものだからさあ大変。
 妙なオーラ背負った香里さんが「栞がそんなことできると思う?」とか言って迫ってきた。
だいたい、それを言うなら私も倒れたっつーのに。
 「っつーか、アンタ一人で軽々OKじゃん」とか言いたかったが、さすがにそれは無理だっ
た。
 北川よ、お前が憧れている女はこんなヤツだぞ…。


「おう、美坂に相沢じゃないか。何やってるんだ?」
 天の助け(北川)登場。
「ちょうどいい所に来た。お前も…」
「アイス買って下さいっ」
 違う。
 私は無言で栞を押しのけて、
「運ぶの手伝え。私の分…、いや、香里の分を持ってやってくれないか?」
 運ぶのが多い私の分は変わらないわけだが。
 それくらいは別に構わないだろう。それに…。
「二個くらいまでなら俺が持ってやるって」
 北川さん、ナイスっす!
 さすがは私の見込んだ男。そして現かおりんの彼氏候補生第一号。
「でも、できればもう一個持ってほしかったなー」
「本音が声に出てるわよ」
 突っ込まれた。
「せめて手伝え」
 どうせ本音が外に出てるなら、隠さずにストレートに言ってみる。
「か弱い女の子二人に重労働をさせる気?」
 私はどうなんだ。
 健康の度合いから考えたら、間違いなく私より香里の方が適任だと思う。
 さすがにそれは思っていても絶対口には出さないけれど。


 美坂家の前までアイスの箱を運んで、玄関前に箱を置く。
「寒い中ありがとう。上がって。お茶でも出すわ」
「いや、別に私は…」
「俺もちょっと…」
 うーむ、香里の誘いを受けて栞の子守りでもしてれば良かったかな…。そうすれば半強
制的に一対一状態。
 だが、北川にとっては千載一遇のチャンスであると供に虎穴でもある訳だからな。
 加えて今日は休日。大黒柱の親父様がいても何ら不思議はない。
 …面白そうじゃないか。
「いや、やっぱり世話になろう。北川、上がろう」
「…えっ!? おい! 引っ張るなぁっ!」
 情けない奴だ。
 仕方ない。ちょっとだけ安心させてやるか。
 香里や栞に聞こえないくらいの小声でそっと北川に耳打ちする。
「安心しろ。いざとなったら私が逃げ道を用意してやるから」
「…そうか? じゃあ、信じるからな…」
 そんな期待されても、何も考えてないがな。
 私は面白そうだったから来ただけだし。

「じゃあ、座って待っててください」
 栞に連れられてリビングに通される。
 そう言えば、名雪にだいたいの場所を聞いたことはあったけれども、中に入ったことは
なかったな…。
 小奇麗な感じ。と言うのが第一印象。
 やはり女性の方が比率的に多い家というのは、こんな感じになるのだろうか。
 ただ私の実家が特殊だったに違いない。別に私が部屋中を散らかしていた訳じゃないが。
「ああ、適当に座らせてもらう」
 私の右腕の袖が、軽く引っ張られた。北川だ。
「俺ってこういう場所は初めてなんだよ…」
「安心しろ。私も美坂家に足を踏み入れたのは今日が初めてだから」
「お前って奴ぁぁぁぁ…」
 北川が萎縮する気持ちも解らんでもない。
 おそらく、こいつの家、もしくは部屋は散らかっている。散らかっているものはこの際
どうでもいいとして。
 そして、そんな奴が今までに女の家に入ったことがあるはずがない。
 そんな中、生活が逆とも言える綺麗な異性の家にご案内。
しかも香里の家ときたものだ。
 これまでの人生で類を見ないレベルのパニックに陥っていること間違い無し。
「どうやら親父さんは………いないみたいだな」
 ぼそっと意味ありげに間を取って言ってみる。
 北川が何やらびくっと動いて、そして空気の抜けた風船のように…しなびた。
 視覚だけでも十分に面白さを取れる奴だ。
「お前ほどの芸人はそうそうお目にかかれるものじゃないな」
「…それ、誉めてるのか?」
 失礼な。今のが褒め言葉じゃないなら何なんだ。

「それにしても、相沢はよく平気でいられるな」
「…それは嫌味のつもりか?」
 こいつ、私のことをなんだと思ってやがる。
「いや、そうじゃなくてさ。なんか生活観が全く違う環境に来ると落ち着かなくないか?」
 全然「そうじゃなく」ないぞ。十分に嫌味だ。
「…あのな、別に私はお前と違って部屋を散らかしたまま放っておけるほど、なんて言う
か…神経太くないんだ」
「何っ!?」
 誰かこいつを一発殴る権利を私に与えてくれ。
 別に『花も恥じらうような乙女』とか言ってる訳じゃないだろうが。
 それとも何か。私がそんなに図太い人間に見えるってか。
「…世の中って不思議だねぇ」
「お前の頭の方が不思議だ」
 酷い言い様だ。

「お待たせ」
「おう、餓死するかと思ったぞ」
 紅茶じゃ空腹は満たされないと思うけど。
 ふと思ったことを香里に訊いてみることにする。
「ところでさぁ…、ご両親の方は?」
「さぁ…、買い物にでも行ったんじゃないかしら?」
 北川から音を立てて空気が抜けていった。
 極度の緊張状態に陥ってる人間って、本当に面白いと思う。
 まぁ、これで親父様がいたらもっと面白いことになってただろうけれど。
「…あの、祐宇さんか北川さん?」
 いつのまにか部屋から出ていた栞が再びリビングに戻ってきた。
 その手にあるのは緑色の表紙のスケッチブック。大方、絵のモデルになってくれといっ
たところか。
「モデルか? いいぞ。私がなってやる」
 これで奴らは強制的に一対一。
「本当ですか?」
「ああ、ただし三十分くらいまでな」
 栞はなんか言いたそうだったが、この際それは無視する。
 それ以上時間をかけたら北川が間がもたなくなって帰ってしまうかもしれないではない
か。
 私が面白い場面を見るためにも、あまり長い時間を割かれたくないというのが本音だ。

「あまりぶーたれるな栞、もしかしたら面白いものが見れるかもしれないぞ?」
 二人に聞こえないように、栞にこっそりと耳打ちする。
 栞は少し考えたようだったが、今の状況、この場所にいる面子を見渡して理解したよう
だった。
「祐宇さんも、けっこう悪ですね」
「そう言うなって」
 こうなったからには、栞も共犯だろう。
 
 リビングを出る際に首だけ振り向いて香里にウインクしてみる。
 ちょっとの間を空けた後、睨まれた。どうやら私の思惑を察したらしい。
 とりあえず、健闘を祈るぞ。