「……この野郎…」
 美坂家からの帰り道、北川が私に恨めしそうに言った。
 しつこい奴だ。
 それに、私は野郎じゃない。
「いや面白かったわ本当マジで」
 だが、そんな突っ込み所満載なセリフも気にならないほど私は上機嫌だ。
 自然と気分がハイになる。
 これも全て北川のおかげだ。
「ぜったいにこの借りは返すからな…」
「できるものならやってみな」
 私がこいつに負ける要因はほとんど無いに等しい。
 もちろん、身体能力などの男女差があるものを除いた上でだが。
 さすがに北川もそんな手段に訴える訳が無い。

「…で、北川はなんでスーパーに寄っていこうとしたんだ?」
 そう言えば、急に現れただけでそれまでどうしてたのか全く知らない。
「ああ、歯医者だよ歯医者。都合の良い時間が午前中しかなくてな」
 なるほど、そういうことか。
「親に隠れて夜中にこっそりと酒飲んでそのまま寝るからだ…」
「なんでお前が知ってるんだよ」
「…まじですか」
 適当に言ったのに。
 さっきの孔子云々の話といい、私の第六感はかなり凄いことになってるのかもしれない。
 …いや、考え過ぎだな。
 今回は簡単に行動パターンを読み取られる北川が悪い。

 そして、北川と適当にぶらついていると…
「よう、相沢と北川じゃないか」
 突然声をかけられた。
「…んあ?」
 間抜けな返事をしてしまった。
 振りかえると、何処かで見たことがあるような顔があった。
 って言うか、同じクラスの斉藤じゃないですか。
「あっ、俺は一回家に帰らないとな。診察券置いて来ないといけないから」
「えっ、おい」
 私が何か言う前に北川が去っていった。
 …なんだあいつ。
「歯は大事にしろよー」
 それでも一応、適当に声をかけてやる。
「…やあ、斉藤君じゃないですかー」
「挨拶が遅いぞ。運動部だったら怒られてるところだ」
 その前に、私が運動部だったらどう考えてもシャレにならない事態が生じてるがな。
 そんなことはおくびにも出せないが。
「で、なんでお前らは一緒に歩いてたんだ?」
 怪しいな、とでも言うように斉藤が私に訊く。
「失礼な奴だな。北川が私と釣り合うと思うか?」
「そうだよなー」
「突っ込めよ」
 私のボケを流す奴は女性陣だけだと思ってたのに、なんたる不覚。
 ここにも一人、ぼけっとした奴がいた。しかもまともな人間だと思ってた分、こいつの
場合がいちばんショックを受けた。
「…なんで私の周りにはこんな奴ばっか集まるんだ…」
「類は友を呼ぶって言うし」
 すさまじく失礼なことを言われた。
 こんにゃろう、ボケボケ星人(今決めた)の分際で。

 そのまま適当に歩いていても良かったのだが、斉藤の提案によってどこか休める場所に
行って、落ちついて話すことに。
 場所はよく栞が私や北川を絵のモデルにする時に利用する公園だ。
「なんかさ…、相沢って、変わったよな」
「まるで十年来の知り合いみたいだな」
 間髪入れずに反応ができるのは、私が秋子さんの親類である証ではなかろうか。
 …
 ……
 ………
 …ちょっと考えたら、かなり怖いことだ。
 これ以上、血縁については触れないことにしよう。
「うーむ、なんと言うか、丸くなったと言うか」
「ケンカ売ってる?」
「だから外見上の問題じゃなくて」
 …何が言いたいのかさっぱりわからない。
 私は別に変わったつもりはないし、その前にこいつとは知り合って一ヶ月程度だ。
 変わったも何もわかるはずがない。
「…なんて言うかさ、ちょっとずつ…優しそう…とも違うな、なんて言うんだこれは」
「私に訊くな」
 解る訳ないだろうが。
 私はいたって普通の人間だし、かと言って斉藤と心が通じ合った仲でもない。
「ほら、なんかこう、水瀬さんっぽくなったと言うか…」
「やっぱりケンカ売ってる?」
 こいつはボケボケ星人じゃない。
 ボケボケ星の言語、及び文化を学んだ失礼星人だ。
 私が名雪っぽくなった? どこがだ。
 私は少なくともイチゴ狂いじゃないし、毎朝定刻にきちっと起きている優良生活を送っ
ているつもりだ。
 有り得ない。
 私が『名雪っぽい』という部分が全くもって見当たらない。
 仮に「対極に位置する」と言われても反論する余地が見当たらないくらいに。
「前はちょっとトゲトゲだっただろ? それが無くなったからかな」
「…そうか? 私は別に変わってないつもりだが」
「変わったよ。俺でも解る」
 そんなマジな顔して言うな。こっ恥ずかしい。
 そして二人とも少しの間、無言になる。
 そうしていたのは数分くらいだろうか、


「あの、相沢、俺さ…」

「なに?」
「…いや、なんでも…ない」
 言葉の最後の方は、もうほとんど発声の内に入らないレベルの大きさだった。
 何か言いたいことがあるのだろうか。

「今度、部活で試合あるんだ」
 急に話題を変えられた。
「ん…、ああそうか。用事が無かったら応援にでも行ってやるよ」
「…そっか、頼むな」
 むぅ、話題がちっとも盛り上がらない。
 斉藤ってこんな奴だったっけ?
 たしか名雪や香里は“北川や私ほどではないにしろ明るく楽しい”と評していた気がす
るのだが。
 授業中とか、教師に突っ込みを入れたりとかしてクラスのウケを取っていた。
「なにか、あったのか…?」
 まさか体調が悪いなんてことは無いよな、そう思いつつ。
「いや、特に何も無いけど」
 私の危惧は外れていた。
 危惧なんてものは外れていた方が良いものなのだが。

 さっきから数分、ほとんど会話が進まない。
 そういえば、こうやって斉藤と一対一で話すのは初めてだったな。
 いつもは私がクラスの男子陣の中に溶け込んで話してる感じだったし。
 だからかも。
 
「そういえばさ、試合って場所どこ?」
「あー、言ってなかったか?」

 言ってない。
 私をどこに行かせる気だこいつは。

「えーと、駅二つばっか先になるんだけど…」
「ほうほう」

 だいたいは解った。
 もしもの時のために、名雪&あゆもついでに連れていって解らなくなったら訊いてみよ
う。
 …あゆ?
「あと、試合っていつ?」
「…それも言ってなかったか?」
 だから言ってないって。
 必要な情報を与えなさ過ぎだろ。
 日にちと次第によっては、あゆは連れていけないかもしれない。

「なるほど、来週ね」
 これまた微妙な感じだな。
 できればあゆも連れていきたい所なんだが。
「空いてるか?」
「基本的に暇だからな」
 帰宅部の特権とでも言うべきか。
 
「あのさ、ちょっと今諸事情があるから、もしかしたら私しか行けないかもしれない」
 だが,名雪やらあゆやらが行った方がやる気出るだろう。
「…何かあったのか?」
 私のさっきのセリフをそのまま返すな。
「…うーん、なんて言うか、ちょっと隠し事をしてたんだが…」
 “ちょっと”の割には内容はかなり重大なものだが。
 斉藤はちょっと考えてから、
「俺は下手なこと言えないけど…、そのことで仲がおかしくなってるなら、きちんと話し
合ったらどうだ?」
 たしかに一理ある。
 そして、そうしたいのもやまやまだ。
 だが、その程度のことで話が解決するなら、苦労はしてないだろう。
 あゆも。…私も。
「まぁ、そうだ、な。頃合を見て話してみるか…」
 適当に返事をする。
 でも私がこういう返事をするときは、ほぼ確実に実行に移さない。
 全然ダメだな…、私。

「それと、相沢」
 考え事をしている私の腕が、急に掴まれる。
「…あ?」
 気の抜けた返事をしてから、ちょっとだけ後悔する。
 さっきまで違う、かなり真剣な表情だ。

「俺は…、お前に応援に来てほしいんだ」
 チャラチャラとした応援は望んでない、といったところか。
「期待するなよ。さすがにボケる気は無いからな」
 友人代表として、私では役不足な感も否めないがな。
 でもまぁ、確かに気の知れた友達以外の人間が来て、精神的に変調があっても困るだろ
うしな。
「…そう言う意味じゃないんだけどな」
「何か言ったか?」
 よく聞こえなかった。
「いや、別に…何も」
 変な奴だ。

 それから適当に話していた。
 本当に“適当”と言うのに相応しいような内容で、十分後には内容を綺麗さっぱり忘れ
ているような会話だった。
 学校やら教師への不満、最近見たテレビ、アホな友人を軽くバカにしたり。
「…昼だな」
 公園の時計の針が、両方とも上を向いていた。
 正確には、長い方がやや左に傾いてたりしていた。
「お腹減ったっすぅ」
 多少甘えた声を出しながら、斉藤の袖を掴んで軽く袖ごと腕を揺する。
 別名おねだりポーズ。
 要するに“奢れ”の合図だ。私が使うと似合わないことこの上ない。
「…お前なぁ…」
「んじゃ奢ってくれなくても良いからさ、金貸して」
 対した仕度もせずに家を出たものだから、財布ごと金が無い。
 だからと言って家に帰るのも嫌だ。…あゆがいる。
「いいよ、奢ってやる。ただし、貸し一つな」
 半ば諦めたように斉藤がため息をつきながら言った。
 神はいた、って感じだ。
 飯一つで『神』とまで言うのは短絡的過ぎるが。
 待てよ? 確か名雪の「極悪人だよ」や「イチゴサンデー一つ」も同じような感じだな。
 名雪っぽい要素が、やはり私にもあるというのか。
 私でも解ってなかったそれを、あっさりと見抜くとは…、恐るべし斉藤。
「ありがとうな。まあ、私は少食だから安心しろ」
「その割にはデザート頼んで、「甘いものは別腹」とか言うのも禁止な」
「別に、甘いもの好きじゃないし」
「…珍しいな」
「全ての女が甘いものが好きだと思ったら大間違いだ」
 その前に、私はそのカテゴリから大きく外れてる節もあるような気もするが。

「…金が無い割に、携帯電話は持ってるのな」
「もしもの時に必要だろ?」
 昨日倒れたばっかりなんだし。
 そう言いながら、私は水瀬家の電話番号を押す。
『はい、水瀬です』
 出たのは名雪だった。
「私だ。ちょっと友達と飯にするから昼は要らんって伝えておいてくれないか?」
『…うん、わかったよ』
 何故かちょっと声のトーンが下がったな。
 理由もなんとなく解る。
 私が…、あゆと顔を合わせることを拒んでいるからだ。
「それじゃあな」
 返答も聞かずに電話を切った。
「んじゃ、行くか」
「家に昼が用意してあるなら帰れよ…」
 何やら後でぶつくさ言ってる。
「なんだ。そんなに私と離れたいのか」
 ちょっと寂しげに言う所がポイントだ。
 使う相手によっては…、例えば、舞や天野なら止めないし、香里やらに至ってはノリよ
く「さようなら」モードに入るので相手を選ぶ必要がある。
「いや、そういう訳じゃないんだけどさ…」
 困ってる困ってる。
 幾ら失礼星人と言えども、さすがにボケボケ星の文化に漬かりきった今では、ノリのい
い返し方などできるわけがない。
「じゃあいいじゃん。さっさと行こー」
 どうせ金を出すのは私じゃないしな。
「この野郎…、金を出すのはこっちなんだぞ」
「私、野郎じゃないし」
 本日二度目だ。
 私のペースにはまって勝てると思うな。


「ごちそうさん」
「…本当、実は少食なのな」
 喫茶店から出るとき、斉藤は意外そうな顔をしていた。
 本当に失礼な奴だ。
「でも本当、感謝してる」
「そう思うなら借りを返せよ…」
「じゃ、キスの一つでもしてやろうか?」
「……馬鹿言え」
 なんだ今の間は。
 ちょっと考えたってか。
「変に間を空けんじゃないっつーの」
「ちょっと騙されかけただろ?」
「お前だろ」
 むう、私のペースの中にいながらも抵抗を試みるとは侮れない奴。
「なぁ、俺たちって傍目から見たらどんな風に見えると思う?」
「人間だろ」
 何を当たり前のことを聞いている。
 お前一人ならいざ知らず、私は失礼星人とは一切無縁の普通の人だ。
「違う、そう言うことじゃなくてだな」
「人間の男と女」
 ちょっと詳しくしてみた。
 これ以上にどう表せと言うのだ。
 もっと他に、私の知らないファンタジスタな形容の仕方があるとでも言うのか。
「…お前に聞いた俺が莫迦だったよ…」
 どうやら諦めたようだ。
 …と言うより、ようやく自分のことが莫迦だと理解したとでも言うべきか。


「んじゃ、俺もこれで帰らないとな」
 適当に商店街をだべりながら歩いて一周し終えるころ、急に斉藤が言った。
 携帯電話の時計は、午後四時を過ぎた辺りだった。
「用事か?」
「部活、風邪で休んでることになってるんだ」
 んで、真面目に部活をやってる連中がそろそろ帰ってくるころだ、と。
 要するにサボリ。
 こんな奴が試合に出してもらえるのだから、世の中って不平等だ。
「ま、試合には応援に行ってやるよ」
「おう、任せておけ」
 一人だけ無様な姿を見せないよう祈ってるからな。
 そう言って斉藤は帰っていった。

「…暇だ」
 斉藤と別れると、残ったのは私一人。
 商店街はさっき一緒に回ったばかりだから、これから行っても少しも面白そうじゃない。

 帰るのは嫌だ。
 だからと言って他に行く所も見当たらない。
 美坂姉妹の家は午前中に訪れた。
 北川の家は汚いと本人が言っていた。
 天野の家は場所を知らない。
 じゃあ、三年生コンビは…?
「場所、やっぱり知らないっつーの」
 倒れた私を運んでくれた礼を言いに、と言う口実まで楽に作れるのに。
 …まあ、その場合、きちんとしたお礼の品も持っていかないと行けないけど。
「…帰るか」
 何があったとしても、結局はそこに行きつくのだから。
 早いか、遅いかの違いだ。

「…ただいま」
 私は力なくドアを開ける。
 出迎えてくれたのは秋子さんだ。
「おかえりなさい。気持ちは落ち着きましたか?」
「私はとっくに落ちついてますよ。それより…」
 「あゆは」そこまで言おうとした瞬間、秋子さんは首を小さく横に振った。
 今日一日、ずっと塞ぎ込んでいるらしい。
 部屋から出ない、声をかけられても殆ど反応をしない、それが今日のあゆの行動なのだ
そうだ。
 重症だな…、私が思っていたよりも、ずっとあゆの精神状態は重くなっているようだ。
「私も何度も話しかけたんですけれども…」
「あとで、私が直接話してみます」
 嫌だなんて言ってられない。
 このままじゃ…あゆの方が先に潰れてしまいそうで。