SCENE 1『朝食風景』

 そのあとの会話で最初に挙がった問題。
「祐一のこと、なんて呼べば良いのかな?」
 そんなに悩むことか、それは。
 そう思ったが口には出さないでおくことにした。
「別に、好きなように呼べばいいだろ」
 簡単にそう答える。
「じゃあ、祐宇ちゃんっ」
「却下」
 提案に素早く判定を下す。
 私は“ちゃん”付けされるようなキャラじゃない。

 第二の問題。
「祐宇さん、制服に袖を通してみたらどうですか?」
 これは秋子さんから。
 なんで何事も無くそう言うんですかアナタは。
 あゆなゆコンビもなんか期待してるし。
 なんだ、その輝く瞳は。
「いや、別にいいですよ。秋子さん私のサイズ知ってたんですよね?」
 上手く回避したつもりだった。
「ええ。でも祐宇さんは背が高いですし、一度着てみた方がいいと思いますよ」
「祐一なら似合うよ、きっと」
「ボクも見てみたいな」
 三方向からの攻撃。
 内二人は完全に興味本位丸出し。
 流石にこれを上手く回避する手は考えつかなかった。
 どこんちくしょう。


「祐一君……」
 既に寝る準備万端の私にあゆが声をかけてきた。
「どした?」
 表情が暗い。
 そういえば、こいつはほとんど会話に参加してなかった。
「本当に、ごめんなさいっ」
 なんのことだ? ってな具合だったが割とすぐに思いついた。
「長く尾を引きすぎなんだよ」
 ぽむ、って私はあゆの頭に掌を置く。
 身長差が実に十五センチ以上あるものだから、完全に見下ろす形である。
「被害者が怒ってないって言ってるんだから、気にすることじゃない」
 あれ以降で不満に思ったことがあるとすれば、水泳が全くできなくなったぐらいだ。
 まぁ、これは心臓云々じゃなくて手術痕のためなんだけど。
「そんなに償いたいんなら、一つだけ言うことを聞くこと」
「……なに、かな?」
 泣きそうな声で、あゆは言った。
「泣くの禁止」
 それだけ言って、プラスでこぴん。
 私はあゆの前から立ち去った。
 そのまま部屋に入って、おやすみなさいだ。

 ……のつもりだったんだけど。
 コンコン。
「なに?」
 眠そうな顔をした名雪が顔を出す。
「悪い、時計一つ貸してくれないか?」
 荷物が届いて無いために、私の部屋には時間を知るものが全然無い。
 携帯電話も一応持っているが、ああいったものは使っているうちに若干狂いが生じてくる。
 時刻を合わせるか狂った分を覚えれば良いんだろうけど、その前の正確な時間がわからない。
 腕時計だろうと何でもいい訳なんだが。
「うにゅ、ちょっとまってて」
 昼間より更に間延びした声で、名雪は再び部屋に戻っていく。
「これ、おきにいりのとけいだお」
 なんか更に稚拙な喋りになってるが、気にしないでおこう。
 簡単に礼だけ言ってその場を後にした。
 今度こそおやすみなさいだ。


『朝ー、朝だよー 朝ご飯食べて学校行くよー』

「ん……って、なゆきっ?」
 時計から流れた音声にびっくりして私は飛び起きた。
 すぐに声の発生元が枕もとのそれであることを知り、しばらくぼーっと見詰める。
 そういえば、お気に入りの時計を貸してくれるとか言ってたっけ。
 セットしっぱなしのまま寝ちゃったのか私は。
 んで、停止。あえて手刀で。
 くしゃくしゃの髪の毛を撫でながら、頭が落ちつくまで身辺を見渡す。
 見事なまでに何もない。
 もともと部屋は片付いている方だったが、それに輪をかけた感じだ。
 理由は簡単、私は引っ越してきたばかりで、荷物がまだ届いてないから。
 部屋を出たところで、ピアスを忘れていたことに気が付いた。
 すぐに部屋に戻って、机の上に置きっぱなしのそれを耳に通す。
 とりあえず、これで完璧。

「あら、おはようございます、祐宇さん」
 リビングに降りてきた私にそう言ってくれたのは秋子さん。
 何やらバタバタとした足音が遠くから聞こえてくる。
 おそらく名雪のものだろう、部活がどうとか言ってたし。
「ふぁ、おはようございます」
 あくび混じりに返事を返す。
 昨日も早く寝たつもりだったが、まだ眠気が残っている。
 疲れが残っているのか、それとも逆に寝すぎてしまったためか。
 後者だろうな。電車の中でも眠っていたはずだ。
 一応冬休みの最後の日ってことで、まだまだ眠れる余裕はある。
 それでも、眠る気は全く起きなかった。
「もう少しであゆちゃんも起きてくると思いますけど、どうします?」
 少し考える。
 どうせ予定なんか無いし、これから二度寝しても何ら構わないのだけれど。
 せっかく引っ越したばかりなんだし、あゆと親睦を深めておいた方が良いだろう。
「あ、祐一?」
「よぅ、名雪」
 片手を上げて爽やかぶりをアピール。
「朝はおはようございます、だよ」
 にっこりと笑って名雪は返した。
「ん、ああ。おはよう」
「うん。おはようございます」
 それだけ言うと、また名雪は廊下の奥へと消えていった。
 あいつ、何しに来たんだ?
「あ、秋子さん、私もあゆと一緒に朝食にします」
 名雪の登場のせいで、秋子さんへの返事をすっかり忘れていた。
 秋子さんは返事を待ってくれていた。割りこんだ名雪に何か言うことも無く。
「じゃあ、もう少ししたら準備しますね」
 秋子さんが生活リズムを完璧に把握してるんだろうか。
 それとも、あゆが単純なだけなんだろうか。
 準備ができたころに、丁度あゆは部屋から降りてきた。
 訊いてみた所、名雪よりあゆの方が把握しやすいとのことだった。
 そういうものなのだろうか、逆っぽい気もするんだが。
「あれ? 祐一君も和食なの?」
 片手に茶碗の私に、あゆがそんなことを言う。
「まあな」
 別に思う所があったわけではない。
 二人とも一緒のメニューの方が秋子さんも楽だろうし、あゆに合わせたかったというのもある。
 とりあえずあゆはすっかり復活してくれたようで、満面の笑顔で食事をしている。
「あ」
 と、何かに気が付いたようだ。
「祐一君、卵はいらないの?」
 言いながら、目線は卵と私を行ったり来たり。
「ん、ああ。卵は嫌いなんだ」
 「別に食べれない訳じゃないけど」と付け加える。
 私がそう答えた時、秋子さんの動きが一瞬だけ止まったのが見えた。
 それは、たぶん私の唯一の好き嫌いの理由を知っているから。
 何で知ってるんだろう、って気持ちもあったが、母さんが前もって知らせていたのかもしれない。
「ふーん、卵を食べられない人って初めて見たよ」
 あゆは食事と会話のみに意識が向いていた。
 変に勘ぐられなくて良かった、変にそう思ってる自分がいる。

 その少しあと。
 自分の使った茶碗や皿を自分で洗っていると、秋子さんが声をかけてきた。
「すみません、すっかり忘れていて」
 いきなり謝られても、こっちの方が逆にびっくりである。
 なんのことか、と思ったが、すぐに生卵のことだと理解する。
「いえ、別に」
 視線は洗っている皿のほうに向いている。
 怒ってる、ってとられても不思議のない態度だ。
「食べられないのは私のせいですから」

 がちゃん。
 音をたてて私は洗い終わった食器を積んだ。



 SCENE 2『初登校』

 死ぬかと思った。
 身体がボロボロだ、と医師に言われた私が何故に全力疾走せねばならなかったのか。
 理由は簡単、低血圧シスターズ(主に姉の方)のせいだ。
 明らかに私に非は無かったはずだ。
 名雪が朝っぱらから「だおー」とか、「うにゅ」とか、最低でも九割はのんびりだったせいだ。
 ものすごく腹が立つ。

「祐一君、大丈夫?」
 あゆが心配そうに声をかける。
「ああ、平気。ちょっと疲れただけだから」
 笑顔を貼り付けて、普通に返す。
「予鈴までに間に合って良かったよ」
 名雪が一息つきながら言った。
 誰のせいだと思ってやがる、とツッコミを入れたくなった。
 でも、今は苦しいから無言で。

 ぽかっ。

「痛っ」
 名雪が叩かれた辺りを押さえる。
 なんとなく、私のほうも落ちついてきた。
「誰のせいで遅刻寸前だと思っているんだ?」
 他の生徒の姿がなかったら頭を掴んでシェイクしてやりたいくらいだ。
「名雪さん……だよね?」
 あゆが確認するように私に訊く。
 私は親指をたてて「その通り」というジェスチャーをした。
「ううっ、二人とも極悪人だよ」
 お前の方がよっぽど悪人だ。
 名雪本人には悪意がないだけに、そのツッコミは心にしまっておく。
「朝からずいぶん賑やかね」
 後からの声に私たちは同時に反応する。
 やや茶色を含んだウェーブのかかった髪が目に入る。
 服装は私たちと同じ、即ち同じ学校の生徒さん。
「あっ、香里っ」
 名雪が突如表れた味方(香里というらしい)に飛び付いた。
 まるで私が悪役みたいじゃないか。
「まぁ、だいたい想像できるけど」
 ふっ、と女生徒は小さく笑って、名雪の頭をよしよしと撫でる。
 こりゃあ味方というより飼い主だな。
「……で、この人誰?」
 女生徒が私の方に目線をやりながら名雪に訊いている。
「祐一だよ」
 それが名雪の答え。
 それじゃ誰だか解らんよ。
 自分で自己紹介でもした方がよさげな、そんな雰囲気である。
「だって、従兄弟の男の子って言ってたじゃない」
「ああ、それはな。実は女装癖があるんだ」

 停止。

「ごめんなさい嘘です忘れてください」
 一瞬だけ凍りつかせてしまった。
 初対面の香里どころかなゆあゆシスターズまでも。
 お前ら、昨日は散々生着替えさせて楽しんでたじゃないか。
「あ、あたしは美坂香里、よろしく」
 流石にペースががた崩れしたらしく、ちょっとだけ自己紹介の声が震えていたな。
「相沢祐宇だ。好きなように呼んでくれて構わない」

 …
 ……
 ………

「えー、っと」
 私は教えてもらった道順通りに職員室を目指す。
 何でこう私立の学校っていうのは無意味に広いんだ。
 小さい子なんかだったら、数分でぶーたれてしまうこと請け合いの親切設計である。
 職員室などという場所は解りやすい場所にあって然りだろう。
 さっそく迷ってしまったではないか。
「ありゃ?」
 予鈴すれすれの時間だというのに、男子生徒が一人で歩いていたりしている。
 丁度良い、声をかけて職員室まで案内してもらうことにした。
「ちょっとそこの人、尋ねたいことがあるんだが」
 やや早足の私の呼びかけに、男子生徒(眼鏡装備)は「ん?」といった感じに振りかえる。
「私ゃ転入したばかりなんだが、職員室ってどっちにあるか教えて欲しい」
 すごく手短に、かつ的確に状況を説明した台詞であると思う。
 自分でも惚れ惚れするほどだ。
 ……と、ちょっとだけ悦に浸ってみる。
「ああ、それなら僕も向かう所だから一緒に来るといい」
 何故。
 ふと気が付いたが、窓ガラスが数枚割れてたりしている。
 何やらえらく物騒な場所に足を踏み込んでしまったようだ。
 この人がこんな場所にいるのもこれに関連したことだろうか。
「ガラス割れてる」
「ああ、知っている」
 そりゃ、私より先にここを歩いていた訳だからな。
 気がつかない方がおかしい。

「職員室はそこを曲がった所だよ。それじゃ、僕は教室に行くから」
「あ、うん」
 その男子生徒とはたいした会話をするでもなく、本当に案内だけをしただけって感じだった。
 


 SCENE 3『秘密の場所にて/栞編』

 ざぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ。
 日も暮れかける頃の朱色の空。
 私と栞の目の前にあるのは、年季が入っていそうな巨大な噴水。
「………………」
 私はなにも言えなかった。

『次の誕生日まで生きられない』

 私はそんな衝撃的な事実を聞かされて、ふざけられるような人間じゃない。
 心なしか、魔物との戦いでできた痣が痛み出してきたような気がする。
 黙りこんでいる私の視界に、栞の顔が飛びこんできた。
「もうっ、なに黙りこんでるんですかっ」
「そりゃ黙りたくもなる」
 思わず返してしまった。
 いまの頬を膨らませた表情から一辺、今度はにこっと笑う。
「もうずいぶん前から解りきってることなんです。私はとっくに覚悟はできてます」
「覚、悟?」

 何の? 死ぬ覚悟が。
 どうして? 生きられないから。

「…………んな」
「え? なんですか?」
 ぐいっと栞の手を引いて、噴水の淵までやってくる。
 先ほどまでは気付かなかったが、淵に電灯が灯っていた。
 そして――――
「ぇ」
 声を出す暇も無く、

 ざばぁん!

 栞を、噴水の中へ突き落とした。
 体重が軽いものだから、さほど力を加えなくても、見事に全身が水に漬かった。
 数秒遅れて、慌てた様子で栞が水面から顔を出す。
「なっ、何するんですかっ! 何かあったらどうするんですかっ!」
「死ぬ覚悟はできてるんだろ?」
 自分でもなるべく感情を殺して、冷たく言い放つ。
 栞がびくっ、と怯んだ態度を見せた。
 濡れた服の胸座を掴んで、顔を近づけ、
「だったら、今死んでも同じだろ?」

 私は、腹がたっていた。
 “死”に対して全てを享受するという栞の態度に。
 私も栞とは違うとはいえ、医者からの宣告を受けた身だからなのかもしれない。
 脅えた栞を切り刻むような真似をしたくはなかったが、それよりも、
 服を掴んでいるほうの手も、空いた方の手も、でき得る限りの力でぐっと握り締めて。
「病気だから仕方ないってか? 見苦しい姿を晒してまで生きたくないってか?」
 理由は解らないけど、私のほうが泣きたくなってきた。
 滲んだ視界の中で、ただ栞を睨みつけていた。
「どうして、生きる覚悟を決められない……っ!」

 それができないやつだって、いたのに。