Madien Blusb Rose
第二話
| 乱れた呼吸が整わないまま、俺は家の玄関を潜った。 バタンと力なくドアの閉じる音が聞こえたのか、名雪が出迎えに現れた。 「祐一、おかえりなさいっ」 「ああ…ただいま」 相変わらずな名雪に、俺は少しだけ安堵を覚えた。 そうだ。俺一人で焦ってたって、何も始まりはしない。そう思うと、少しだけ落ち着けた。 「名雪、ありがとな」 「え?」 名雪の頭に浮かぶ『?』マークは放っておいて、俺はリビングの方へと向かった。 秋子さんなら、何か知っているかもしれない。 初めてあゆに会った時に、奇妙な反応を見せたことは、まだ覚えていた。 『そんなはずないものね…』といったこと、それはどういうことなのか。 きっと何か知っている。俺には確信があった。 「秋子さん、一つだけ質問しても良いですか?」 「あら、何ですか?」 どこから切り出すべきか解らないが、躊躇することはできなかった。 「…あゆのこと、なんですけれども…」 表情が少し厳しいものになった。 俺は、俺のしようとしていることは、正しいことなのだろうか。 「俺…今日、病院に友達の見舞に行って、そこで…」 俺は知っていること、全てを話した。 「…そう、ですか。やっぱり…」 「秋子さん、前に「そんなはずない」って言いましたよね。それってどういう意味なんですか。それに今 「やっぱり」って」 あゆが眠りについたのは、ある大きな木から落ちたから。 その大きな木は、危険だからと切られてしまったこと。 そしてそれは、七年も前だったこと。 既に、目覚めは絶望的だと言われていたこと――――。 「それじゃ、俺たちが会ったあゆは…」 「きっと、よほど祐一さんのことが好きだったんでしょうね、あゆちゃん…」 「…最後に会った時、あいつ、「もう会えないかもしれない」って言って…。その時は、なんのことだか 分からなくて…」 俺が言っていることは、言い訳だろうか? なんで気付けてやれなかったんだ。あいつは最後の最後に、俺に会いに来てくれたって言うのに…。 「祐一さん」 黙ってうつむいている俺に、秋子さんが声をかけた。 「諦めてませんか?」 短いが、重い言葉だった。 「俺は…、まだ俺は、間に合うと思いますか?」 顔を上げた俺に、秋子さんはいつもの笑顔を見せて言った。 「もちろん。あゆちゃんは、まだ生きているんでしょう?」 「…そう、ですね」 握り締めた手は、熱を帯びていて、熱かった。 さっきまで寒いと思ってたのに。 でも、その熱さが、何故か少しだけ心地よくて。 そのはずなのに、何処かやるせなくて。 …俺は、踵を返して再び玄関の方へと向かった。 「祐一っ」 名雪が、俺に声をかけた。 「なんだ?」 「また…、魔物のところに行くの?」 「違うな、今度は…」 一呼吸おいてから、決意するように。 「天使のところに、行くんだ」 雪が降っていた。 魔物騒動の時にはお目にかかることの無い光景だったが、何しろここは雪国で、今は二月だ。別に不 自然な所は何も無い。 俺の決意を阻むように、冷たくて、白い掌たちが俺の肩を掴んで連れ戻そうとする。 それでも、俺は脚を止めることはしなかった。むしろ速度を上げて、走り出したりもしていた。 もしかしたら、会うことすら、もう出来ないかもしれない。それでも俺は、 「たいやきの一袋くらい、買って行ってやるべきかな」 そんな呑気なことを考えたりしていた。 「風邪、ひいちゃうよ」 走っている俺に、不意に背後から声がかかった。 俺より、かなり年下の少女。 「どっちかと言うと、おまえの方が寒そうだけどな」 「そうかな?」 少女は、俺の後を着いて来ていた。速度を緩めているつもりは無いのに、大したものだと少しばかり 驚いた。 「この寒空の下で半袖じゃ、見てる方が寒いぞ」 「前に会ったときも、あたしはこの服着てたよ」 そうだったか? 前に会った時は、それどころじゃなく大変なことになっていたから、服装について なんて、よく覚えていない。 覚えているのは、少しの間だけ振り向いて、肩越しに少女の顔を見る。 「まだ、着けてくれてるんだな、それ」 「うん。うさぎさん、好きだから」 靄がかかって、さらに引っ張り出すのが困難な、夕闇の奥の記憶。 それでも、何故か自然に『大きな木』のある場所を思い出せた。秋子さんの言葉のおかげだろうか? 目指すはそこへ。遅かろうがなんだろうが構わない。 「さむい…?」 「…まあな」 そろそろ、長いセリフを吐くほどの余裕も無くなってきた。 森を抜けて、俺はあの場所に辿り着くことができた。 「はぁ、はぁ、…ここ、だよな」 走ってきたせいか、寒さは消えていた。 「それで、どうするの?」 「待つ」 もし、あゆに少しでも俺を想ってくれる心が残されているのなら。 「きっと、来るからな」 待つのと、夜は慣れっこだ。 「あたしもいていい? ゆういちと、いっしょに」 「…大丈夫なのか?」 「舞の、おねがいだから」 「…勝手にしろ」 雪は走っているうちに止んだが、それでも寒いものは寒かった。 目の前にある切り株は、それでも若木よりは一回りも二回りも大きかった。 俺はその切り株の上に腰を下ろした。湿っていたが、雪の降っている中を走っていたのだから関係無 い。 こんなに待ったのは、この街に来た時以来だろうか。 身体を動かして暖まった身体も、再び熱を失いつつあった。 「寒い」 「…ねこさん」 退屈してるのか、まいは急にそんな事を言い出した。 「だから、ねこさん」 俺はようやく理解できた。 「…そうだな、小熊ってありか?」 「…マントヒヒさん」 どうやら異議は無いらしかった。 しばらく、しりとりを続けた。 負けつづけないためにも、いくらか新しく覚えてきたものもある。今までに無いくらいしりとりは長 続きした。 「ヤマアラシ」 「シャモアさん」 「…なんでそんなマイナーなやつ知ってるんだ」 「学校の動物図鑑で見たの。それよりゆういち、「あ」だよ」 「アシカ」と言いかけて、俺は口をつぐんだ。 知っている影が、近くに見える。 立ち上がって手を伸ばせば、捕まえられる。 「悪いな、まい。舞の所に戻って、伝えてくれないか。俺はもう大丈夫だから」 「うんっ」 まいの姿が、少しづつ薄れていった。 「…あゆ」 「祐一君、どうして…」 見かねて姿をあらわしたのか、それとも…。 「三つ目の願い、まだ聞いてないからな」 一番奥までは思い出せていないけれど、確実に覚えていることの一つだ。 「…駄目だよっ。祐一君にはもう大切な人がいるんだよっ。ボクなんかより、よっぽど素敵な…」 「その割には、会いに来てくれたじゃないか」 「でもっ、でもっ…」 最も辛い選択だったのだ。 俺を想っていて、でも俺は別の人を想っていて。 自分に残されていた奇跡は残り少なくて。 だから、せめて。 大好きな人には、その大好きな人と幸せになってほしくて。 「馬鹿な子供だよ。お前は…」 「…ボク、子供じゃないもんっ」 絞り出した声が震えていた。 きっと、俺も同じだと思う。 「同じだよ、「もう会えない」なんて言っておいて、そのくせ「会いたい」って…」 「…だって、祐一君に、どうしても…」 「どうしても、会いたかったんだもんっ!」 あゆが駆け寄ってきて、俺に飛びついてきた。 でも俺は、避けることはしなかった。 小柄な少女は、見た目通りに間違いなく軽くて。 それでも、温もりがあって。 「お前、逃げてるだろ。舞に敵わないと思って」 温もりを感じながら、俺は口を開いた。 「チャレンジャーだろ? たいやきを奪うみたいに、俺も奪って見せろ」 「ぅぐ、どっちも大好きだけど、…祐一君は違うもん」 「違うなら尚更だ。さっさと眼を覚まして、帰って来い」 励ますように、あゆの頭を少し乱暴気味に撫でながら言った。 「…それに、お前を嫌いになる訳じゃないんだからな」 「…うん」 「お前はまだ息もしてる。チャンスなんていくらでもあるぞ?」 「…うん」 少しずつ薄れていく姿を、ここに繋ぎ止めておくことは、できないから。 だから、帰って来るように。 すぐに帰って来られるように。 「……祐一君」 「なんだ?」 「…ありがとう。それと…」 あゆは俺から離れると、薄れていく奇跡の中、その中で、 「またねっ!」 最高の笑顔を見せた。 ふと足元に目をやると、小さな足跡があった。 確かにあいつは、ここにいたんだ。 |