Madien Blusb Rose 
第三話

「ほら…、せっかく来てやったんだから早く目覚めろよ」
 氷が溶けていくように。
 久しぶりにネジを巻かれた玩具のように。
 ゆっくりと、止まっていた時間が終わりを告げる。
「…こういう時は、なんて言ったら良いのかな?」
「お前は起きた時には、普通なんて言う?」 
 少し考えて、それから小さく微笑みながら、小さな声で、
「おはよう、祐一君…」


 春の桜が散る時に、綺麗な花吹雪を見せるように。
 炎が消える時に、ぱあっと明るく輝くように。
 夢も案外、それらと似たようなものかもしれない。
 最後の最後に、一番素晴らしい姿を披露する。
 でも、その瞬間は余りにも短くて。
 瞬きでもしていたら、見逃してしまうほど小さくて。

 だから、その分だけ、綺麗で。


「車椅子の調子はどうだ?」
 俺はあゆの車椅子を押しながら訊いてみた。
「う〜ん、まだまだ不便だけど、少しは慣れてきたかな?」
「その調子で手足の用に使いこなせば、食い逃げも夢じゃないぞ」
「ボク、そんなことしないもんっ」
「なんでだ? 世界初の車椅子食い逃げ犯として注目されるぞ?」
「ちっともうれしくないよっ!」
 全くだ。俺もそう思う。
 ちなみにここは病院。当然、普通なら静かにしてなければならない。
 俺たちはやはり、いくらか白い眼で見られていた。
「お前のせいで俺まで悪者にされてるぞ」
「え? え?」
 周りを見まわすあゆ。
 どうやら、周囲の視線には一切気付いてなかったようだ。
「あ…、あははー」
 必死の佐祐理さん笑いで、俺たちは何とかこの場を離脱した。


「…と、そういう訳なので、ここに隠れさせてもらうぞ」

 ぽかぽかっ!

 速かった。避ける間もなかった。
 しかも俺とあゆにダブルで。
「二人とも悪い」
「だって、祐一君が…」
「………」
「…うぐぅ」
 『舞に睨まれたうぐぅ』という言葉は、今ここに誕生した。
 ちなみに意味は『蛇に睨まれた蛙』と一緒だ。

 夢から目覚めることは、きっと当然のことで。
 あゆは、その当然のことが少しばかり遅くやって来ただけのことだった。

 雪国の冬でも、晴れの日はある。
 窓からは、日光が差し込んでいた。
 俺は窓辺に立ち、ゆっくりと振り返って日光を背に浴びる。
 微弱ながらに暖房が効いているので寒いということは無いが、なんとなくそうしたかった。
 ただ、なんとなく光を浴びたかった。

「舞っ、お見舞に果物貰ったよっ。一緒に食べよ」
 佐祐理さんだ。
 たぶん教室の時と同じで、一度来た所なら病室でも平気で入って来れるのではないだろうか。
 もちろん、そこに舞などの友人がいる場合に限るが。
「よう、これから佐祐理さんの方にも見舞に行こうと思ってたんだ」
「あっ、祐一さんも来てたんですか?」
「見舞にこれ持ってきた」
 そう言って車椅子に手をかける。
「はぇ〜、車椅子ですか?」
「どっちかと言うと、その中身だ」
「あ、あのっ…」
 あゆは、初対面の相手にどうしたら良いか解らないようだ。
 全く、初対面の舞相手に『幸せになってください』とか言ったくせに、その辺り妙に面白い。
 その辺があゆらしいと言えばらしいのだが。
 放っておいても面白そうだが、時間の無駄なので助け舟を出してやることにする。
「そうか、初対面だったな。佐祐理さん、こいつは月宮あゆ。腐れ縁の友人だ」
「うぐぅ、腐れ縁とかじゃなくて、もっと格好良く言ってくれても良いのに…」

 自己紹介は円滑に進んだ。
 助け舟を出さない方が面白かったような気もする。
 慌てふためくなどの、それなりの反応が期待できたのかもしれない。

「祐一君、どうしたの?」
「ほっといてくれ。二択で間違えた選択をした気分なんだ」

 ぽかっ!

「何故、殴る?」
 訳が解らなかった。
「新しい友達だから…、一緒に迎える」
 そう言うことか。
「舞は祐一さんが佐祐理たちの輪から離れちゃうのが寂しかったんだよねーっ」

 ぽかっ!

 今度は佐祐理さんに。
「照れ隠しか?」

 ぽかっ!

 今度は俺に。
 そんなやりとりがしばらく続いた後。
「…うぐぅ」
 あゆは、悲しそうな顔で俺たちのやりとりを眺めていた。

「どうした? …羨ましいか?」
「だって…、祐一君たちはとっても楽しそうなのに、ボクは一人ぼっちで…」
 俺はこの間のように、あゆの頭を乱暴気味に撫でた。
「加わればいいだろ? ちょっとノリを良くしてからかうだけで良いんだ」
「…ボクが入っても、いいの?」
「お前ももう、俺たちの友達だろ?」
「…うんっ!」


 それからすぐに、舞と佐祐理さんは退院したが、あゆは七年間も眠っていた訳だから、当然リハビリ
に時間がかかる。
 それでも、俺たちは、『新しい友達』のために毎日のように見舞に行った。
 その度に嬉しそうに「ありがとう」なんて言われると、正直こっちも嬉しい訳で。
 理由は、それともう一つ。

「よぅ、今日は二人とも日直だってから俺だけだけど、見舞に来てやったぞ」
「あっ、祐一君っ」
 あゆは嬉しそうに俺の方に駆け寄ろうとするが、歩けないので転んでしまう。
 これが面白かったりするからだ。
「…これで六回目か?」
「…うぐぅ」
「いい加減学習しろよ、車椅子で良いからゆっくり来い。俺がお前をよけたことがあったか?」
「あったよ、いっぱい」
 今のは空耳だ。
「空耳じゃないよ〜」
 声に出ていたようだ。それとも、これも空耳か?
「だから空耳じゃないよ〜」

 だいたい、こんな感じだ。
 いくらからかっても反応をするから面白い。
 そう言う部分では、舞と似通った部分もあるのかもしれない。

 時間は矢のように過ぎるなんてよく言うが、実際思い返すと、そんなものなのかもしれない。
 知らないうちに真っ白な雪の姿は消え失せてしまっていて、道は本来の肌を露出させる。
 そういえば、この道はこんな色だった。
 まだ靄がかかっている部分の記憶も、きっとその内に姿をあらわすだろう。

「明日はついに卒業式だってさ」
「へぇ、そうなんだ。おめでたいね」
 ちなみに二人は卒業式の予行演習とかで、今はいない。
 一般生徒である俺たちは、関係無いとかで下校が早くなった。
 二人と一緒に昼を食べられなかったのが、少しばかり不満だった。
「明日は俺が車椅子押して行ってやるから、派手に祝ってやろうな」
 少しの間の後、あゆは首を横に振った。
「ううん…、ボクはいいよ。祐一君はボクの分まで「おめでとう」を言ってきてよ」
「そうか…」
 あゆの真意は解らなかったが、なんとなく無理に連れて行こうとするのは、ためらわれた。


 明日だけは、特別だからね。
 ううん。ボクが割り込んじゃったり、祐一君を少しの間取っちゃったりしたから、そのお詫びかな?


 しまった。
 思いきり寝過ごしてしまった。
 俺は急いで制服にそでを通し、玄関を潜る。
 絶好の卒業式日和だった。
 もっとも、卒業式は雨天決行だが。
 俺は、急いで見知った道をかけていく。
 物語のヒロインへと続く、この青空を見上げて。