二月も半ばに差し掛かるこの時期、放課後の時間帯ともなれば自然と日も傾いている。
 赤々とした、されど弱々しい日差しを受け、私たちはいつもの商店街へと赴いていた。
「なんで私まで……」
 ぼそりと、小さくひとこと。
 まあまあ、とあゆになだめられるが、それがなおいっそう悲しい。

 気乗りがしないというのが正直な所。
 朝の気分の悪さはだいぶ解消されたが、それでも普段とは比べるべくも無い。
 付き合いなのだから放って置いて帰るべきか。
 それとも、付き合いだからこそ同伴するべきか。
 二択は理不尽だ、頭の中で運命とやらに吐き捨てる。

「上機嫌だな」
 歩調を調節して香里の隣につき、そんなことを言ってみる。
「な、何を言ってるのよ」
「栞がだよ」
 何故かうろたえる香里に一言。
 北川との友情をつついてみると、反応が何気に面白かった。
 どうやら香里の方は満更でもないらしい。
 香里の方も私の意図を分かっているらしく、それらしきことを言うとさっと身構える。
 もっとも、それは逆効果にしかなりえないのだが。
「え、ええ、そうね」
「渡す相手もいないくせになー」
 るんるん気分で前を歩いていた栞がぴたりと止まる。
 そのまま片足でくるり、180度回転。
 何やら栞にできる精一杯の睨みが私に向けられている。
 せっかくの形相だが全く怖くない。

「どーせ私はもてもての祐宇さんとは違いますよっ」
 すたすたと距離をつめながら。
「どーせ童顔で幼児体型で極度の甘党で来年も一年生ですっ」
 そこまで言ってないし思ってもない。
 一部、自覚があったのかと驚きさえもあった。
 さりげなくあゆもちょっと驚いてたりする。失礼な奴だ。
「落ち着け、自虐ネタが過ぎるぞ。特に留年の辺り」
「見ててください! あと五、六年もすれば私もお姉ちゃんみたいに!」
 お前とお前の姉は一つしか違わない。見た目はともかく。
 そう突っ込もうと思ったが、私の横の麗しき女王様が氷刃のごとき冷徹な視線を送っ
ていたので放っておいた。
 その視線でぴたりと停止する永遠の一年生。
 帰ってからの栞への措置が楽しみだと思ったことは内緒にしておこう。
「うぐぅ、なんか祐一君こわいこと考えてるよ……」
 失敬な、私ゃサディストか。

「で、落ち着いたなら言うが私にも相手はいないぞ」
「え、だって祐宇さんはさいと」
 そこまで言ってから、しまった、という顔をする栞。
 香里の方に目をやるが、しれっとしたまま表情の変化は見られない。つまり。
「盗み聞きはよくないゾ?」
 私にできる精一杯の笑顔と可愛い声で言いながら、小さい頭をがっしりと掴む。
 もちろん掴んだ指には思い切り力をこめて。
 俗に言うアイアンクローの体勢だ。
「い、痛たたた、痛いですっ」
 当たり前だ、そうじゃなきゃおしおきにならんだろう。
 横の香里の方も呆れたと言わんばかりにため息をついていた。
 飽きるまでしばらくその体勢が続いた後、
「あいつは振った」
 それだけ言って、ぱっと手を放した。
「えっ、どうしてですか!?」
 私の方も割と脈のありそうな様子だったこともあったので疑問はもっともだが、どう
してもこうしても無いと思う。
 私の方がその気じゃなかった。
 ただそれだけのこと。
「好かれるのは、慣れてないからかな」
 目を逸らしながら。

「でも、一年生の間でも有名ですよ」
 そのことはもう、天野から聞いている。
 私が直接言われた訳でなく伝聞でのことなので実感が無いし、天野からそいつらを聞
き出して一人一人振っていくというのも気持ちのいいことじゃない。
 好かれることに関して悪い気はしないとも思ってはいるが。
 栞の言葉にどう答えていいものか分からず、てきとうに相槌を打った。



「ということでチョコレート購入なのですよっ」
 目当ての店に着いたら、栞のテンションが跳ね上がった。
 バレンタインなる行事に思い入れがあるわけでもなく、むしろ気分の悪さから帰りた
いという気持ちが強い今、私の方はテンションガタ落ちだ。
 こいつは人生謳歌しとるなぁ、としみじみ思ってみたりする。
 文字通りの奇跡の生還ゆえのものだろうか。
 病気の再発の可能性だってあるだろうに、栞は絶対に笑顔を絶やさない。
 完全とはいかないまでも、今の健康体をもっていることがいかに大事なことであるか
を知っていて、またそれを失うことへの恐れをおくびにも出さない。
 私とは違う。
 だめだ、気分が悪い時は考えがネガティブになりがちだ。
 ちょっと反省。

「祐一君?」
 あゆがじっと私の顔を覗き込む。
 同じ制服を着ている同い年だというのに、この身長差。
 そう思ったら、何故か笑いがこみ上げた。
「何でいきなり笑うのさっ」
 私が吹き出すと、あゆがぷーと膨れて怒る。
「いや、なんでもない。たいしたやつだよ、おまえは」
「え?」
 頭上に「?」を浮かべたままのあゆの頭をなでながら。
 本当に、こいつはすごい。
 本人に自覚が無いから、余計にそう思う。

「祐宇」
 店の隅でぼうっとしていたら、腕を不意に掴まれた。
 華奢に見える手の割にしっかりとした握力。
 香里の手だった。
 顔の方にに目をやれば、真剣な表情と視線。
「なんだ、北川の趣味なら知らんぞ」
「あなたのことよ」
「朝にも言ったが私に同性愛の気はないぞ」
「ふざけないで」
 言葉とともに、腕を掴む手に力が込められる。
 私がその部位を見ながら眉をしかめると、香里は少し力を緩めた。
 何のつもりなんだ、いったい。
「あたしはあなたには感謝してる、だから、正直に話して」
「何を、だよ」
「あなたが何を隠しているのか」

 目を逸らしたくなる。
 けれど、それすらできなくて。
 亜麻色の槍がまるで心を貫いてしまうようで。

 隠していること、とやらが私が身体に抱えた爆弾の事を指しているのか。
 それとも、斉藤を振ったことについてなのか。

「誰だって、隠したいことはあるだろ……!」
 空いている方の手で、香里の肩を掴む。
 香里は身をよじったが、避けさせなどさせなかった。
「今、お前が訊いてる意味もわからないし、満足する答えを出せないかもしれない」
 自分でも、すごい勝手な行動だとは思った。
 感情的になるなんてらしくない。
 だから、答えない。答えられないから。
 やっぱり、来るんじゃなかった。
 一行に晴れそうに無い気分で、そんなことを思った。
 少しの間を置いた末に、
「わかった、もう訊かない」
 香里は私の手を放す。
 その後、私も香里から手を放した。
 力を込めていた手が、まだとくとくと。

「ちょっと、待って」
 鼓動を感じる掌を見つめながら、栞とあゆの方へ行こうとする香里を呼び止める。
 情けない声だったので、早くも少し後悔した。
「何かしら?」
「私は、どうしたらいいのかな」
 目線を上に向ける。
 店内を照らすライトが眩しい。
「あたしに答えられると思う?」
「…………ごめん、そうだった」

 香里は知らない。
 私が何を抱えているのか、何を不快に思っているのか。
 香里は知っている。
 事情を知らないまま軽々しく手を差し伸べることを、私が良しとしないことを。
 聡明なる親友の言葉は、きついながらも嬉しかった。


 栞とあゆがチョコレートを見ることにやたら集中していてくれたのも、この際ありが
たいことだった。
 清掃が終わったばかりらしいトイレに駆け込み、不安定になった自分を落ち着ける。
 鏡を見ると、目が少し赤かった。
 軽く顔を洗い、手持ちのハンカチで拭う。
 こういう時は化粧品に興味の無いタチでよかった、と思えた。
 逆にこういう時に目の周りを隠せないデメリットもある訳だけど。

「で、祐宇さんはどっちがいいと思います?」
「は?」
 トイレから出てきて開口一番、栞がチョコを片手にそんなことを訊いてきた。
「こっちのほうがいいよねー、祐一君」
 その傍らにはあゆ。
 こちらもやや大きめのチョコレートを手に。
 いきなり質問され、何がなんだか分からない。
「もう、ちゃんと決めてくださいよー!」
 私としては「ちゃんと説明してくださいよー!」といいたい所だ。
 昂っている二人に説明を求めても満足な説明をくれるとは限らない。
 状況と台詞から判断するに、栞とあゆの持つチョコレートのうち、どちらがセンス溢
れる一品であるか、ということなのだろう。
 値札を見ればほぼ同じ程度。
 実に店に対して失礼な二択を迫られているようだった。
 だから二択は理不尽だというのに。


「やっぱり天は我に味方するのですよー!」
 帰り道、栞はガッツポーズで豪語。
 一方でしょんぼり気味のあゆ。
 私も香里も呆れ気味に選んだのが、たまたま栞の選んだチョコレートだったというだ
けの話であるのだが。
 それよりも、『天=私&かおりん』という極端に狭い世界の方が気になる。
 確かに二人とも栞の視点では見上げなきゃならないんだろうけど。
「そう気を落とすな」
 ぽん、とあゆの肩に手をやる。
 四分の一の確率で負ける訳だから、別になんともおかしくない結果だ。
 審査側も真面目に考えてなかったし。
「お前の選んだのも、何気に……うーんと、そうそう、粋だったぞ」
 いい褒め言葉が思いつかなかった。
 そこの辺りのボロのせいで全然フォローになっていない。
 しかもよりによって粋ときたものだ。
「うん、ありがとう」
 が、あゆは笑ってくれた。

「そういえば、祐宇」
 行きの時とは反対に、私に歩調を合わせて香里が横につく。
「あなた、チョコレート買ってなかった?」
 少し笑いながら「渡す人はいない、とか言ってたくせに」と付け加える。
 やはり見られていたか。
 自分用と嘘をついても良かったが、香里には正直に言っても良かった。
「んー、まあ、友達相手にな」
 三つほど買い、全部同じ種類、既製品の小さいものである。
 いかにも「義理ですよ」と宣言せんばかりの貧相な安物である。
 女の子同士でのトレード用というものは甘党でない私の場合は無い。
 青春真っ盛りの栞などからすればノリが悪いとか言われてしまいそうだが、こればか
りは仕方ないのだ。
「友達、ねえ」
 香里が少しいたずらっぽく笑う。
 凛としていることの方が多い彼女にしては、それは珍しい表情だった。
「なんだよ、それ」

 言いながらも、一つを斉藤にあげるということを、香里に見抜かれていることは分か
っていた。
 斉藤の胸で泣いて以来、会うことすら気まずく感じていたのも事実。
 いい加減、このままそんな思いをしたままではいたくない。
 わがままを言えるなら、あいつとは元通りの友達の関係に戻りたい。
 その辺りのことをはっきりと伝えるためにも、このイベントの利用価値はあった。
 少し香里の掌の上な感覚もあったが、この際そういったことは気にしないでおこう。

「まあ、嫌われることはないだろうから好きにしたら?」
 何気に酷い意見だろう、それ。
 渡す相手に対して一切温情は必要ないってことですか。
 ほんのちょっと前にあゆにサディスト扱いされたが、眼前の女王様に比べればまさに
月とスッポンである。
 北川は想いが成就しても絶対苦労しそうだなあ。
 本当は香里なりに気を遣ったってことなんだろうけれど。
「そうだな、ちょっと楽になった」

 もしかしたら、余計にあいつを傷つけることになるかもしれない。
 けど、私はあいつを振ったんだ。
 そういうことを気にしていては、余計に苦しくなるから。
 他の誰でもない、この私が。
「たまに、自分勝手さに泣きたくなるよ」
 楽しそうに話している栞とあゆの二人を見ながら、そううそぶく。
「いいんじゃない? 勝手言えるのは若者の特権よ」
「なんか、おばさんっぽいな。それ」

 言ったすぐ後、おもいっきり拳骨をくらった。