誤算だった。
 カレンダーを確認していなかった私が悪いのだが。
「十四日って日曜日かよ!」
 とりあえずベッドの上で一人ツッコミ。
 そんなことをした所で状況が改善される訳などないのだが。
 色々考えた結果として今回の行動を決心したというのに、いきなり挫かれた。

 もしかしたら体育系の部だから休みの日も練習しているのかもしれない。
 確実にそうだと言える自信はないが、可能性はある。
 名雪が陸上部の部長だし、その繋がりで何か知っているだろうか。
 そう思った直後、名雪に頼るのはよろしくないと気付いた。
 名雪はたまに勘が鋭い。
 親友の香里経由で斉藤の方の気持ちについては気付いている可能性があるし、その上
日付が日付なだけに妙な誤解をされかねない。
 あーだこーだと考えていると一つの案が浮かぶ。
 本命って訳でもないのだからその日に拘らなくてもいいじゃないか。
 何やら本末転倒と言いたくなるようなものであるが、日付はただの後押しに過ぎない
ものであるし、愛の告白をするわけでもない。
 それも、ありかもしれない。
 今の気分の悪さが抜けていれば、そんなこともきっとできると思えた。
 一方で、気分はしばらく晴れないのも解っているようで嫌だったが。



 二月十四日。
 日曜日ということもあり、一週間の疲労を癒すためか大爆睡をしてしまった。
 気がつけば、すでに「おはよう」よりも「こんにちは」と言う方が正しい時間帯。
 ほんの数日とはいえ、あまり慣れていない分野に頭を使ってしまったのが悪かったの
だろうか。
 何やらほんの一ヵ月半ほどのこちらの生活で、それまでの生活リズムが完全粉砕され
てしまったようである。
 たぶん主な原因はここの家族要員によるものが多大なものであるだろう。
 気分の悪さはほとんど解消されている。
 少しばかり昔の夢を見たのが原因だったようだ。

「あ、祐一君、おはよう」
 私が部屋から出ると、タイミングよくあゆと鉢合わせした。
 おはようと言える時間帯としては怪しいものがあるので、「おう」と短く返す。
 とりあえず目を覚ますためにも洗顔が先決だった。

「そういえば、名雪や秋子さんは?」
 姿が見当たらなかったので、とりあえず訊いてみる。
「名雪さんは部活だよ。秋子さんは急にお仕事が入ったって」
「ふーん」
 日曜日だというのに仕事とは大変だな。
 名雪の方は運動部だから仕方がないともいえるけど。
「あ、あと香里さんから電話があったよ。今日はバスケ部の練習があるって」
 余計なことを。
 あとで必ずかおりんに「うぐぅ」と言わせて見せることを決心した。

 あゆの方はと言えば「なんだろうね」と頭上に「?」マークを浮かべている。
 こいつは斉藤の部活について知らないんだっけ。
 接点がほとんど無いとなると、部活についての把握などそんなものなんだろうか。
 私の方も(今のクラスについては短い付き合いなので)前の学校のクラスについて思い
返してみると、特に親しくない人間のことはよく思い出せなかった。
「了解。香里にはあとで私の方から電話しておく」
 あゆの返事を聞くよりも早く、私は着替えのために自室へと戻った。

 着慣れた明るいグレーのセーターにジーンズ。
 部屋着としてはこれで十分。
 最近めっきり何も通さなくなったピアス穴が寂しい気がした。

 こんこん。
 何やら小さいノックの音。
「祐一君、入ってもいいかな?」
 続いてあゆの声が聞こえる。
 ノックの音が遠慮がちだった割に、声の調子は明るい。
「なんだ、別に構わないぞ」
 壁にかけてあるコートにあのチョコレートを入れてから、私はそう言った。
 きぃぃぃぃぃ……。
 小さくドアが開く音だけがする。
「祐一君って、バスケ部に好きな人がいるのかな?」
 藪から棒に、そんなことを言われた。
「あゆの期待しているものとは多少異なるけどな」
 好きか嫌いかの二元論で答えるならば、好きだと言える。
 前にもこんな判断を下したが、いくら色々考えてもこの気持ちに全く変化はない。
 それはつまり悪くなったという訳でなければ、一方でやっぱり好きだということにも
ならなかった、ということだ。
「そうなんだ」
 残念、とでも言うかのようなあゆのリアクション。
 あゆ、お前もか。
 人の悩み事で楽しまれているというのは、なんとも癪に障る。
「お前の方はどうなんだ。なんか栞と買い物楽しんでたじゃないか」
 ちょこっとだけ反撃に出てみる。
 うぐぅに渡すあてがあるのか甚だ疑問であるところだし。
「ボクは、部活があるもん」
 義理のチョコレートくらいは用意してるよ、と回避された。
 おのれ、うぐぅのくせに成長しおって。
 何やら遅れをとってしまっていたようで、今回ばかりはうぐぅの音も出なかった。
 いつもの調子ならば、こんな失態は絶対にありえないのに。

 他の誰もいないのだから、わざわざ私の部屋で話し合う必要も無い。
 部屋を移してリビングでコーヒーを啜ることにした。
「ねえ、祐一君」
「んー?」
「栞ちゃんから、祐一君の昔の恋愛談を聞いたんだけど」
 飲み込もうとしたときだったので、思いっきり咽かけた。
 あの青春真っ盛り娘め、余計なことを。
 いや、ほかのことを考えよう考えようとしていた私の方に非があったか。
「でも前、祐一君は言ったよね」
 誰かを恋焦がれる気持ちなんてわからない、と。
 はて、とここ最近の記憶をフルスピードで掘り起こしてみた。
 言ったかもしれない。
 おぼろげながらに、そんなことを言った覚えがある。
 あゆに勉強を教えるという状況だったために油断してしまっていた。
 加えてついこの間、好かれるのは慣れてないとまで言ってしまっている。
 ほぼ全ての情報を持っているあゆからすれば、訳がわからないだろう。
「言わなきゃ、だめか?」
「言いたくないってことかな?」
「ああ。ちょっとばかりトラウマに触れるというか」
 でも一切嘘はついていないぞ、とだけ付け加える。
 言い終わってからマグカップをまた口に運ぶ。
 カップの中のコーヒーは自分で淹れた分、暖かかった。

 一息ついた所で部屋で一晩充電したままの携帯電話を持ってくる。
 どうでもいいが、なんで私の周りの人間は携帯不所持者が多いんだか……。
 別段電波が届かないほどの田舎というわけでもないのだが、なぜか少ない。
 舞や天野なんかは納得する所だし、定期的な通院が生活サイクルの中に組み込まれて
いる栞なんかも頷けるが。
 ブツブツと文句を言いながらメモリに入った美坂家の番号に電話をかける。
 少しのコールの後、応対に聞き慣れた声。
「もしもしー、私私ー」
「そんな将来流行りそうな詐欺は結構よ」
 何故か根拠は全くないのに鋭いと感じてしまった。
「ようやく起きたのね」
「あ、ああ。おはよう」
 言葉を数秒失っていた所に、香里からの言葉が入る。
「で、もう彼にはけじめをつけたのかしら?」
「いや、これからだが」
 なにしろ、練習していることは分かったがその時間が分からん。
 午前の内に練習を切り上げているのであれば、すでに終わっている可能性すらある。
 もっとも、この寒い二月に練習を午前だけやるなんてのは馬鹿だろうと思うが。
 この辺は体育に縁がない私には分からない所でもあるが。
「そう、たぶん今日は午後練習よ。間にちょっと休憩が入るわね」
 詳しいな、おい。
 我が従姉妹は本人もさることながら、近しい人間にも謎が多いと改めて感じた。
 それから、香里による今日の学校での部活についての予定レクチャー。
 はっきり言って、他の部活の予定など全くいらないのだが。
「そういうことだから、まだのんびりしてても大丈夫じゃない?」
「ん、ありがとうな。今度イチゴサンデーでも奢ってやろう」
「遠慮しとくわ」
 好意をばっさり切り捨てられた。
 たぶん結果を物凄い楽しみにしているからだろう。
 どいつもこいつもこんちくしょうめ。

 …
 ……
 ………

 そろそろだろうか。
 テレビをぼうっと見てたり、あゆと話していたりすると結構時間をつぶせた。
 外の寒さを考えるとソファの柔らかさからは離れたくないが、ずっと座って時間を浪
費している訳にもいかない。
 ちょっとだけ冷たいコートに袖を通し、ポケットの中を確認して。
「んじゃ、行って来ます」
「うん、いってらっしゃい」
 私は学校へと向かった。

 お昼時ならまだしも、暖かさのピークを過ぎた時間帯ともなると寒さが際立つ。
 厚いはずのコートを貫通してくるかのような寒気が辛い。
 バナナを凶器にできそうな勢い、とまではいかないまでも、寒さに弱い人間にとって
は脅威と称することができる。
 最近は一人で街中を歩く機会が少なくなっていたことに、こんなことで気付かされた。
 そうか、さむいんだ。一人って。
 はー、と吐いた息はすこしの間だけ白く漂って消えた。

 学校までの道のりを一人で歩いたのは、自分の身体のことを名雪たちに告白した時以
来のことだったか。
 あの時に比べれば、今は全然辛くない。

 学校に着いたのはそれからすぐ後。
 整備されたグラウンドでは名雪たち陸上部の姿があった。
 声をかけようかと思ったが、私の目的を遂行できない。
 名雪たちの邪魔する気もない。
 遠目に見ながら体育館の方へと足を運ぶ。
「お疲れっした!」
 入り口付近で急に内側から大きい声が響いたのでびくっとする。
 と同時に、少し冷静になる。
 周りに他の部員がいる中でこんな行動をとったのでは誤解を受けるであろうことは想
像に難くない。
 平日であれば暇つぶしという誤魔化しが効くものの、休日の一つの部活しか練習して
いないような状況下で発見されたら問答無用もいいところだ。
 そそくさと隠れられる場所まで後退。

 どうやら片付け作業などは当番制なのか、一年がやるかといった具合らしい。
 窓から覗いてみると、天野の教室で見たことのある顔が床にモップをかけていた。
 出入り口にだけ注意すれば、目的の人物はすぐに見つかった。
 厄介なことに友人らしき人と一緒に、であるが。
 これが愛の告白なら、と思う。
 多少強引にでも突っ込んでしまう方がいいのかもしれないが、生憎とその逆であるだ
けに出て行き辛い。
 尾行するような真似もしたくない。

「何をしているんだ、君は」
 びくり。
 ぎぎぎ……、と錆びた玩具のようにゆっくりと振り向く
「なんだ、久瀬か」
 ほっとした直後、
「なんでお前がここに?」
「それは僕の方が訊きたい。今日は日曜だ」
「えー……、乙女の秘密?」
 言ってから、しまったと思ったがアフターカーニバル。
 ぽかん、とした後に何故か納得したという表情。
 絶対に誤解されている。
「安心したまえ、僕は口は堅いほうだ」
 その言葉は信じたいが目が微妙に笑っているのに腹が立つ。
 ちらちらと斉藤の方に目をやってたりしているが、それは久瀬の視点からすれば逆効
果にしかなっていないだろう。

 心のどこかで冷静さを保って慌てる自分を傍観していた。
 つまり、それは斉藤に対して全力投球の態度を示せていないということ。
 自分とそれに気付いてしまった不運に腹を立てながら、私は久瀬に口外するなと釘を
刺しそこを後にした。

 普段は滅多にやらないような小走りで斉藤の後を追う。
 私はあいつのことを何も知らない。
 真っ直ぐ家に帰るのか、それともコンビニにでも寄って買い食いでもしていくのか。
 まさか部活動のすぐあとにバイトをしているとかは無いだろうが、無いとは言い切れ
ない。

 息が切れる。
 運動不足が祟っていたのだろうか。
 でも、まだ動ける。
 動悸は身体に響くけど、それで歩みを止めたくない。
「……あ」
 見つけた。
 運よく、友達らしき人物と別れるところであるらしい。
 曲がり角のところで、斉藤と友人が少し雑談をしているようだった。
 私は二人の死角にあたるであろう電柱の影に身を隠す。

「だいぶ調子戻ったみたいだな」
「失恋なんかいつまでも引きずってられないからな」
「もしやもう次の恋か?」
「俺はもうバスケに生きるって決めたんだよ」

 立ち聞きは良くない、と思った。
 聞いてしまったものはもうどうしようもない。
 避けるようになった私に対して、不満でも漏らすのかと思った。
 でも、話題の中にそういった言葉は全く現れない。
 あいつはすごい、もう立ち直ってる。
 気まずいと感じてたのは私の方だけで、相手もそうなんだと思い込んでしまっていた。
 私が言うべきは元通りに戻りたいというだけじゃない。
 それだけでは足りない、ちゃんと、向かい合って謝るべきだったんだ。

「それじゃあな」
「おう」

 どうやらひと段落付いたらしい。
 ちら、と様子を窺えば、片方の影は消えていた。
「気付いて、たのか?」
「俺の方からはモロだって」
 苦笑する斉藤の声が耳に届く。
 妙な所で気を遣わせてしまってさえいたらしい。

「その、なんていうか、ごめん。立ち聞きもあるけど、それよりも」
「いいって。そりゃ困るのも解る」
 ざくざく。
 道端の雪を爪先で掘る。
 足は冷気に浸されて冷たくなっているので、靴の中に水分が染み込んでも気にしない。
 雪国だからか靴はやたら防水に優れている。
 そのためか、足が直接濡れてしまう事はなかった。
 少しずつ掘り続けた足元の雪から、アスファルトが顔をのぞかせる。

 ぽいっ。
 小さいチョコレートの包みを、振り向かず斉藤に投げつける。
 雪に落ちたらしい音はしない。
「義理、だけどな」
「解ってるって」
「変な誤解するなよ。本命ってのも、ないんだからな」
 言いながら、どんどん語調は弱くなっていく。
 頭の中の考えていたことは土壇場で総員退避してしまっていた。

「あのっ」
 思い切って回れ右。
 それでも顔を真っ直ぐ見ることはできないから、下を向いたまま。
「もう一回、友達になって、くれるか……?」
 すごく虫のいい頼みごと。
 冷え切った先ほどまでと比べると、顔が物凄く熱い。
 これが愛の告白なら。
 ただのそれだったならば、どんなに楽になることだろうか。

 返事は無い。
 拒絶された、ということなのだろうか。
 途端に背中の方が冷たくなる。
「斉、藤?」
 なんだか久々にあわせた顔はぽけーっとした表情だった。
 それから、少し間を空けて。

「ごめん。見惚れてた」

「………………は?」
 思いがけない返答に、今度は身体中の力が抜け落ちた。
 凄い脱力感。
「ふふっ」
 そのすぐ後、笑いが込み上げてきた。
「あははははははははははははははははははっ!」
 困惑したような顔の斉藤を前に、私は街中だというのに大笑い。
 何故だかわからないけど、すごく可笑しかった。

 香里はここまで見越していたのだろうか。
 掌の上は決して快くはなかったが、今回ばかりはそうでもない。
 笑いながら、後でもう一回だけ礼を言っておこう、そう思った。