現状の改善については一歩前進。
 和らいだおかげか、気分は良いと言えないまでも比較的悪くない。
 が、物事は必ずしもうまくいくものではない、というのは世の中の定説であり、人一人
が頑張ってみた所で覆せない真理である。
 斉藤との関係修復については何も文句をつけることはない。
 むしろ徹底的に嫌われる可能性すらあったことを考えると、これ以上ない成果を挙げ
たといえるものだろう。
 問題はその前に起こった会長さん遭遇事件である。
 基本的に久瀬は悪い奴でないというのが私の意見であり、変に口外したりするような
人間ではないと信じている。
 しかし、その久瀬の私へのイメージが新たに“休みの日であっても愛しの彼を追いか
ける乙女ちっく祐宇ちゃん☆”と上書きされるのは許せない。
 ここは即刻イメージ払拭のために働くべきだ。

「どうする? どこか寄っていくか?」
「いや、帰れよおまえ」
 部活から上がったばかりで身体を冷やすのはよろしくないのではないか。
 運動のことなんぞからっきしだから全く分からないが。
 言うついでに肩を叩こうとしたが、触れていいものかと手を引っ込めた。
「私の用はそれだけだし」
 その手でそのまま包みを指差す。
「じゃ、これだけのためにわざわざ?」
「……まあ、うん」
 意識させるな、恥ずかしい。

 ということで気恥ずかしさもあるので斉藤と別れ、今度は久瀬を見かけた学校へと猛
ダッシュ(徒歩だけど)。
 もし見かけなくても私は久瀬の住んでいる場所を知っている。
 些細な誤解を解くためだけにそこまでするのはいかがなものか、と自分でも思うが、
このまま帰って時間を無駄に使うこともない。
「はぁ」
 足を止めて一息。
 吐き出した息が白い。

 ひとりって、寒いんだよな。

 ついさっき思い知ったことが、もう一度フラッシュバックする。
 私はあいつについて知っていることがある。
 コートの中に携帯電話があることを確かめ、私は少し考えた。



 コン、コン。
 少し遠慮がちなノックの音。
 帰宅したばかりで一息ついた部屋の主は、なんだ、とドアに目をやる。
 執行部員と分担したはずの仕事に不備でもあったのだろうか、それとも新聞や宗教な
どの類だろうか。
 ドア越しに来訪者に声をかけても返事は返ってこない。
 イタズラかとも思ったが、念のためにドアを開けてみる。
「よう」
 部屋の主である久瀬は、その場で固まった。



「で、何の用かな、君は」
 数秒たって冷静さを取り戻したらしい久瀬が眼鏡を光らせる。
「用事ないと来ちゃいけないのか?」
 ふふん、と久瀬っぽく笑いながら。
 最近の付き合いによる観察のおかげで、実に偉そうな笑いができるようになった。
 最早これはある種の才能だろう。
 自分で自分を褒めてあげたい。
「ここは僕の憩いの場なんだが」
「憩いの場に潤いをやろうと言っているのに、何を言うか」
「潤い、ね」
 ふふん、と久瀬が本家偉そうな笑いを見せる。
 久瀬よ、いつまでその偉そうな態度を貫けるか見物だな。
 さすがに私が押しかけた所で久瀬にとっての潤い足りえないことなど重々承知だ。
 さあ、こちらの秘密兵器を見るがいい!
 すっ、と右に一歩分。
「あ、佐祐理もおじゃましていいですか?」
 魔法少女さゆりんだっ!
 びしっ、と心の中で決めてみた直後、久瀬は二度目の硬直を見せる。
 思いの外、リアクションのバリエーションが少なくてちょっと残念だった。
 どうもこいつは不測の事態に対して一時停止の癖があるようだ。
 一方で十分な成果にちょっとだけ溜飲が下がったのは内緒だ。

「なぜ急に……」
 戸惑いながらいそいそと部屋に戻っていく久瀬。
 どうやら部屋の片付けに向かったらしい。
「少し待っていてくれないか」
 部屋の奥の方からガタガタとした音とともにそんな声がする。
 構わず部屋に踏み込もうと少し思ったが、横にいる佐祐理さんのひんしゅくを買うで
あろう行為はやめておこうと思い止まる。
 久瀬の方からしても部屋は綺麗な状態で迎えたいところだろうし。

「そういえば、舞は?」
 佐祐理さんを呼び出した後、一人で現れたことに私は少し驚いた。
 問題は解決したとはいえ、両者の間にはまだ壁といえるものがある。
 こういう場を利用すれば和解のためにも役立つはずだったのだが。
「えーと、今日は用事があるそうです」
 にっこりと答えながらもそれに嘘が含まれていることは用意に察しがつく。
 もしかしたら気を遣わせてしまったのだろうか。
「じゃ、帰りにお土産でも買っていってやろうか」
 埋め合わせになるかは分からないけれど。

 数分ほど待った後、
「寒い中すまない」
 久瀬が戻ってきた。
「そうか、じゃあ帰ろうか佐祐理さん」
「そうですね、おつかれさまでしたー」
 二人揃って回れ右。
「え、あ、二人とも?」
 何故かうろたえる久瀬。
 まったくノリの悪いやつだ。

 そんなこんなで久瀬部屋である。
「相変わらず殺風景な部屋だな」
「放っておいてくれ」
 なぜかちょっと不機嫌そうな久瀬。
 飾り気のない部屋であるが、いったい何をそんなに慌てて片付けていたのだろう。
 実に気になるところであるが、そういった無粋な詮索はすまい。
「はえ? 祐宇さんはこちらに来たことあるんですか?」
「ああ。私はそこのベッドに寝たことすらあるぞ」
 微妙に誤解されかねない実話である。
「はー、深い仲なんですねー」
 何故か感心された。
 たぶんノリで流してくれているんだろうけど、笑顔のせいで逆に解り辛い。
「ご、誤解しないでくれっ」
 何故か割り込む久瀬。
 ノリの悪いやつである。
 しかも突っ込みとしてもいまいちだ。
「それくらい笑って受け流せよ、小さい男だな」
「君が身長からして大きすぎるんだろうがっ!」
 今度はすごいツッコミ来たな。
 と言うより、久瀬がツッコミするってことがちょっと意外だ。
 華麗な受け流しテクニックを駆使するものだと思っていた。

「で、なぜ倉田さんがここに」
 もっともな疑問を口にする久瀬。
「そうだよな。私としては舞も一緒にと思ったんだけど」
「いや、そうじゃくてだな」
 そもそも私についてはノーコメントか。
 祐宇ちゃん悲しいっ。
「佐祐理は祐宇さんに呼ばれたんですよー」
 片やにこにこ。
 久瀬の方はさぞかし困ることであろう。
「ほら、せっかくのバレンタインなんだし」
「ですよねー」
「ねー」
 二人でにっこり。
 この完璧に近い布陣に付け焼刃の突っ込みで対抗できるものなら、是非とも立ち向か
ってきてほしいものだ。
 実際、案の定と言うべきか久瀬は頭を抱えている。

「で、ほらよ」
 ぽいっ、とチョコレートの包みを投げ渡す。
「って、これ本題じゃなかったのかっ」
「ん? そうだが」
 もっと大事に扱え、とつまりそういうことですか。
 別に大したものじゃないから気にも留めなかったが。
「あはは、駄目ですよ祐宇さん」
 苦笑しながら佐祐理さんは久瀬に小箱を手渡しする。
 うむ、これこそ正しい姿であるということだな。
「今年は投げ渡しがマイブームなんだ」
「はぇー、それじゃ仕方ないですねー」
 佐祐理さんも納得されたご様子。
 私の行為は全く問題が無かったということで落ち着いた。

 …
 ……
 ………

 日も傾いた、久瀬の家からの帰り道。
 本当は久瀬に佐祐理さんを送らせてやりたかったのだけど、佐祐理さんの方からお断
りされてしまったので何も言えなかった。
 曰く、私が一人になってしまうから、だそうである。
 そんなことは気にしなくてもいいと思うのだがなあ。

「一つ、訊いてもいいですか?」
 佐祐理さんから、ぽつりと一言。
 彼女にしては珍しい、少し暗めの声で。
「佐祐理は今日、楽しいと思ってしまいました」
 しまいました、という表現が引っかかる。
「――祐宇さんは、どうですか?」
 言葉とともに、くい、とコートの袖を少し引っ張られる。
「私は、楽しかったよ。たぶん、舞もいれば、もっと」
 少なくともそれは嘘じゃないから。
 だから、私はそう言った。
「そうですね……。……もいれば、もっと」
 消え入りそうな声を、聞かなかったことにしたかった。
 けれど耳はそういうことばかり拾ってしまい、また心はそれを流してくれない。
 佐祐理さんがそれを心に残してしまっていることを私は知っている。
 一弥は私の友人でもあったのだから。
「だからこそ、楽しむべきじゃないのかな」

 大切なものを失い、大切なものを遺しているからこそ。
 舞だけじゃなく、他の友達とも心から笑えればいい。

「少なくとも、私はそう思う」
 そう言ったが、振り向くことはできなかった。
「そう、ですね」
 ちょっとだけでも、笑ってくれてると嬉しいのだけど。
 佐祐理さんなら笑ってくれる、そう確信するのは卑怯だろうか。

 少しの間、無言で二人で歩きながら。
「そういえば、気になってたんだけど」
「はい? なんでしょう?」
 ふと、一度だけ疑問に思った些細な疑問について、訊いてみようと思った。
「なんで、私に対しても丁寧語なんだ?」
 佐祐理と舞がお互い特別な存在であることなどは百も承知である。
 もちろんそこの間に割り込もうなどという無粋な気はない。
 おこがましいかもしれないが、私だって舞ほどとはいかないまでも佐祐理さんの親友
であると思う。
 他の連中はともかく三人の中でそういった距離を置くような話し方がなされているの
は、微妙に引っかかるものがあった。
「はえー、そういえば、なんででしょう」
 佐祐理さんの頭上に「?」マーク。
 どうやら、本人でさえも意識していなかったことらしい。
 数分ほどの考え込む仕草の後、
「祐宇さん、最初は男の子だって言ってたからかもです」
「……あー」
 何か少し納得した。
 あの時は、別に騙す気はなかったのだが。
 とほぼ同時に、身の丈近くもある花束を運ぶ小学生の姿が思い出された。
「男だ、なんて言った覚えは無いけどな」
 もしかしたら、本当に覚えてないだけなのかもしれないけれど。
「でも、祐一って言いましたよね?」
 そんな名前の女は普通いない、か。
 それより、当時の私はその偽名を相当気に入ってたんだろうか。
 七年も前のことなどほとんど覚えていないが、そういったことだけは感じ取れた。
「祐宇さん、もう無理はしないでくださいね」
「うん、まあ」
 返事ができないのは、未来の保障などできないからだ。
 佐祐理さんは以前に倒れたことも、私の身体のことも知っている。
 変わらずに接してくれるこの人とは、ずっと友達でいたいと本気で思える。
 この上で私が逆に支えになれることがあればいい、と思うのは思い上がりだろうか。

「久瀬には、悪いことしちゃったかな」
 以前、佐祐理さんを好きだと言った久瀬。
 佐祐理さんが心から楽しむことを拒絶しているのであれば、あいつにとっても今日の
ことは辛いものであっただろう。
 ……考えすぎか、久瀬がそこまで感じ取れるとは思えない。
「そんなこと、ないですよ」
 並んでいた佐祐理さんが一歩前に出て、くるりと回れ右。
 自然と向き合う形になる。
「佐祐理も祐宇さんも楽しかったから、久瀬さんも楽しかったはずです」
 微笑みながら。
「……ああ、そうだな」

 とりあえず、舞への埋め合わせを考えなくては。
 さすがに何度も牛丼などで繋ぐつもりもない。
 佐祐理さんと一緒に、商店街にでも行こうか。