このSSは『Baby's-breath』の続編です。
 前作を読んでいない方は楽しめない個所があるかもしれません。


PEACH
〜一緒に食べようと笑うから〜


「それでそれでっ、どうしたんですかっ?」
 何やらどえらい剣幕で栞が私に詰めかかる。
 いや、そんなに凄まれても、といった感じ。
「こっから先は秘密。トップシークレットだし」
 既に人の恥を晒しているだけのような気がしないでもないと言うか。
 私としては過去の話など全然面白くもないんだが。
 目の前の夢見る乙女には料理における極上のスパイスだったらしい。
 興奮している所で悪いが前の学校での情事など話せるほどあったわけでもないからな。
 私自身としても恥ずかしいし。

「で、本当の要件は何?」
 ドアを空けて部屋に現れたのは香里。
 聞きたくなるのも無理はないか。
 日が暮れるころに急に現れればそれは気になるものだろう。
「ちょっと、相談事があってな。栞、悪いけど」
 そう言って、私は両手を合わせて謝罪を表すポーズを作る。
「むー、二人だけの秘密なんてずるいです」
 少しだけ怒ったような表情を見せたが、無理に話を聞こうとはしなかった。
 たぶん真面目な話だっていうのが伝わったんだろう。

 場所を変えて、香里の部屋。
 なんか綺麗にまとまってて質実剛健…いや違う、女の子にこれは褒め言葉じゃない。
「ごめんなー、急に押しかけたりして」
「あなたが謝ると君が悪いわ」
 失礼な、人がせっかく素直に誠意を示したというのに。
 ちょっとふてくされてベッドの上に座らせてもらった。
「えーっと、だな何て言うか」
 どこから切り出したらいいものか。
 笑い話じゃないだけに余計にきっちりしておきたい。

「ストレートに結果だけ言うと、告られた」
 何事かと思っていた香里の表情が一瞬だけ固まり、その後ため息となって吐き出された。
「何を言うかと思えば」
 そりゃまぁ、確かに他人事ではあるけれども軽く流し過ぎだってば。
「だってさぁっ」
「相手、斉藤君でしょ?」
 バレてるし。
 ちょっと待て、香里は気付いてたっていうのか?
 なんか悔しい。
 北川から香里に伸びていた矢印は簡単に見ることができたというのに。
 以前から、好意を持ってくれてる人間がいるのは知っていた。
 天野からも、その辺の話の片鱗を聞いた。
 でも、
「…マジに言われたのって初めてなんだよぉ……」
 言いながらも顔の温度が上昇していくのが解る。
 私は人のだと知りつつも枕を抱いて目から下をうずめた。
「…くっ」
 何やらじーっと私の顔を見ていた香里が急に表情を歪め、吹き出した。
 いったい何なんだ。
 人が真剣に相談しているというのに。
「まさか押しかけ女房が可愛い顔をするなんて思わないじゃない?」
 …
 ……
 ………
 ひょっとして私かなり恥さらし中なのか?
「まぁこの際、誰だかは言わなくて良いわ。本人の名誉のためにもね」
 名誉って。
 何を言う気ですかあなたは。
「仮にその彼を“S君”としましょう。そのS君をあなたはどう思う?」
 既に斉藤であることは決定ですか。
 間違ってないけど。
「どうって…」
 この状況下で冷静に考えられるかっ。
 …とはさすがに言えない訳で。
 好きか嫌いかの二択で括れば間違いなく好きの部類なんだけど。
「いきなり友達に言われても…って感じ」
 ぐるぐると巡りに巡った末に辿り着いたのが、たったこれだけの結論。
 全く自慢じゃないが、まともに恋愛に漬かったことなんて無いような人間なんだぞ私は。
「それ以上の気持ちが芽生えそうに無いなら、あなたはS君じゃなく“告白されたこと”に参ってるだけね」
 …そうなのかなぁ。
 でも、確かにそういう面もあるわけだし。
 同じようなことばっかり頭に残ってて、そこまで頭が全然回らなかった。
「それにしても、祐宇がね」
 香里が私の方をちらりと見て、もう一度小さく笑う。
 何か悔しい。こっちはかなり真剣だというのに。
 余裕を持って答える辺りが私なんぞと違うなあ、とは思う。
「香里って手馴れてるなー」
 思わず呆けた表情で枕から顔を上げてまじまじと香里を見つめてしまった。
 頼りになるお姉さんって感じだ。
 何せ本当に年上の二人は変わり者だからな。
 便りにならない訳じゃないんだけども。
「手馴れてるって…響きがよくないわね」
 じゃあどう言えと。
 この場合、これ以上ない褒め言葉だと思うのだが。

「とにかく、少しは楽になった。ありがとう」
 相談する相手に香里を選んで正解だったというものである。
 実は消去法だったけどな。
 年下はまずパス、天野なんかは話の聞き手としては優れてそうだけれども、こう言った話に付き合ってくれるかよく解らないからなあ。
 じゃあ年上…、って言っても舞なんかはどう考えても無理だしな。
 佐祐理さんはどうなんだろう、一弥の件を引きずってるから恋愛なんぞ二の次だったろうし。
 秋子さんも年上だが、気恥ずかしいんだよなあ。
 と言うことで同い年連中、名雪やあゆは論外だろう。失礼千万なのは承知の上だが。
 残るのは香里のみ。
 まともな上に優秀な思考回路の持ち主だ。

「って、もしかして今から帰る気?」
「そうだな。長居しちゃったし早く帰らないと」
 既に日は落ちていた。
 寒そうだなー。
 コート着て来て本当によかった。
「ちょっとは身の危険とかを考えない訳?」
「…どうしろと」
 明日は学校なんだぞ。
 鞄やら制服やら一式きっちりと家に置いてあるからどうしようもないんだが。
「大丈夫だろ。まだ七時も回ってないんだし」
 名雪なんぞ毎日こんな時間帯に帰ってきてるぞ。
 暗いというだけで、それが=危険とは結びつかないものだろう、たぶん。
「だいたい私なんぞにゃ眼もくれないだろう」
「真っ当なS君に告白されてるくせに?」
 痛い所を突きおって。
 それを言われるとマジでなにも返せない。


 無事に家へ帰り、いつも通りの時間を過ごして、
「祐一君…、起きてる?」
 部屋で一息ついていると、あゆの声がドアの向こうから聞こえた。
「ああ、入っていいぞ」
 どうせ一人で机とにらめっこしてただけだしな。
 ドアが開かれ、あゆがノートを手に私の方へと歩み寄ってきた。
 また解らない所を聞きに来たな。
 自分で考えた上で、それでも全然解らない時には私の方へ聞きに来るようになっていた。
 確かにまぁ、名雪もあゆも良くも無く悪くも…といった具合の成績だから、この場合の選択は間違っていない。
 私はさすがに香里までとは及ばなくとも、それなりの成績を残しているからである。
「えっと、ちょっと訳が分からなくって」
「英語か?」
「ううん、古典の現代語訳」
 私が英語が得意でないのを知っているあゆがわざわざ訊いてくるほどでも無いか。
 そういえば確か明日の古典はあゆに当たる日だったな。
「私のノート貸そうか?」
 あゆはちょっとだけ迷ったように「うーん」と迷った後、首を横に振った。
「ボクの解らない所だけでいいよ」
「そうか。その方が良いかもな」
 自力に頼ろうとする辺りが好感持てるぞ。
 私は笑いながらわしゃわしゃと乱暴にあゆの髪を撫でた。
「うぐぅ、髪の毛がめちゃくちゃ…」
 これから人に会う訳でもなし、別に構わないと思うんだが。
 その辺の心理が私はどうもズレているらしいが、直す気も全く起こらない。
 …だからズレてるんだろうか?

「ここは“あなたのお出でになるのを待って嘆き悲しみながら、たった一人で寝る夜の明けるまでの間がどんなに長く待ち遠しいものであることか、ご存知ですか”ってな感じだな」
「…そんなに長いの?」
 何やら凹んだ表情を見せるあゆ。
 もともとが和歌の部分で短かったから楽だと思ってたのだろう。
「訳って言うか註釈だからな。和歌っていうのは決まった文字数に深い意味を込めるものだし」
 言いながらも、今解説した和歌について考えてみた。
 私はそこまで誰かを思うことができるだろうか。
 待ち続けて夜が明けるのが待ち遠しい、なんてことは一度も無かった。
 ここに来るまでの私に有るのは常に自分だけであり、私自身を見て欲しいという我侭だけの存在だった。
 ここに来て、いろんな人たちの優しさに触れて。
 周りの人を見て、気にするだけの余裕が少しだけ生まれて。
 それでも今の私に有るのはまだ“私”。
 そんな私でも好きだといってくれる人がいて。
 …そいつも、こんな感じで次に合うときを待ち遠しく思ってたりしていたのだろうか。
「わっかんないなぁ…」
 思わず声に出てしまった。
「えっ、祐一君でも分からないの?」
「ん? ああ…すまん。考え事してた」
 あゆが心配そうに私の目を覗きこんだ。
「祐一君…、変に思いつめたりしちゃ駄目だよ?」
 そう言ってくれるのは非情にありがたいが、こればっかりは私の問題だからな。
 それに、こう言っては悪いがあゆだと役に立ちそうにないしな。

「なあ、あゆあゆ」
「うぐ?」
 シャーペン片手にノートにせかせかと書いていたらしい。
「集中してる所悪いが、一つだけ訊きたい」
「何かな?」

「お前って恋したことある?」

 あゆ、固まる。
 そりゃそうか、急にこんな質問されて反応できる奴はそうそういない。
 私だって無理だ。
「そりゃボクだってっ」
「あるの?」
 間髪入れずに訊いてみた。
 表面温度上昇中。そんな解説が付けられそうなくらいにあゆの顔が高潮していく。
 そしてそんな状態が二分くらい続いた後、あゆはゆっくりと口を開いた。
「…祐一君だよっ」
「は?」
 言ってることの意味が、全くもって理解できなかった。
「だってっ、ボク祐一君のこと男の子だと思ってたしっ」
 おろおろあたふた。
 オーバーな手振りつきで説明するあゆ。
 でも、シャーペンの尖った方を向けてぐるぐる回すのはやめてくれ。怖い。
「…初恋、だったんだよ」
 落ち着いたと思ったらしんみりと一言。
 …私が悪いのか?