一時間目は体育とのこと。
マット運動とかならできないことも無いんだが、身体を使うとなると、そうはいかないとのこと。
倒れて以降、大人しくしていたが別段よくなった訳でも無い。
大人しくしてて良くなるくらいだったらとっくに全快にしている。
…たぶん。
「みんな、がんばれよっ!」
閉め切っても寒さの抜け切らない体育館の中で、私は親指をたてて激励の言葉をかけてやった。
もちろん、嫌味以外の何にもなってないわけで。
結構ひんしゅくを買ったりしていた。
私が悪いんじゃ無いだろーが。
体育の時間ほど暇なものは無い、と思う。
一般に考えたら、全く有り得ない結論なんだろうけど。
…そう考えると、やっぱり普通じゃないんだなーってことを実感する。
一応、学校には話が通っているらしい。
けれど、友達との間でだけ体育の授業だけ“体調不良”で通して一ヶ月以上休んでる。
どう考えたって、ただの風邪か何かじゃないことなんて明白だ。
「馬鹿か、私は」
「違ったのか」
「っ!?」
独り言に思わず返事をされて、めちゃくちゃ驚いた。
そこにいたのは、久瀬だった。
どうやら、奴のクラスも体育だったようだ。
体育館を半分に割った向こう側では、奴のクラスらしき男子連中がバスケットをやっていた。
「元気なようだが…サボリか?」
「さぁ、ね」
適当にはぐらかしておくことにする。
もともと本当のことを言う気はないが。
「サボリだったら、どうする?」
もちろん、“教師に突き出す”とか帰ってくるんだろうな。
「別に、何も」
少しばかり予想が外れた。
真面目な生徒会っていうイメージはどこへやら、といった感じだ。
「君はそんなことをする人間じゃないだろう?」
「…どうだか」
いくらなんでも買いかぶり過ぎだ。
体育のサボリなんぞ別に珍しくもない。
「お前はどうなんだよ。サボリ魔め」
「失礼な、僕は見学だ」
だが、見たところ怪我をした様子もなければ病気をしているといった感じでもない。
こいつこそサボリじゃないか。
まさか私のような境遇にあるとでも言うのだろうか。
有り得ない話と言い切ることはできないが、可能性はかなり低いものだろう。
「で、何の用だよ」
「用が無ければ話しかけちゃいけないのか?」
「いや、そうじゃないけど」
そんなルールがあったら、私なんぞ会話の八割位が無くなっている。
「久瀬ー、女口説いてる暇があるならサボるなー!」
何やら向こうの方からはやし声が聞こえてきた。
だが、からかわれた当の本人は、
「僕を君らと一緒にするな」
軽く笑って受け流していたりした。
高等テクニックだな、ある意味。
「それじゃ、また今度」
そう言って、久瀬は友達らしき人たちの方へと戻って行った。
内容までは聞き取ることはできなかったが、楽しげに話している。
なんか、いろいろイメージが崩された気分だなー。
「祐一、会長と知り合いなの?」
体育館から戻るとき、名雪が声をかけてきた。
「久瀬のことか? あいつ会長だったのか」
初耳だったが、あれだけ表舞台に立ってれば納得せざるを得ない。
そう言えば名雪は部長という立場にある人間だ。
その辺りから久瀬と面識があるのだろうか。
「うん。ちょっと変わってるけど、いい人だよね」
お前が言うか。
と、少しだけ思ったが、口に出すのは止めておく。
「まあ、今時いないな、ああいうタイプは…」
でも、変わってることは認める所だ。
「ちょっと祐一に似てるかも」
「誰が?」
「久瀬君が」
空耳か?
そう思ったが、名雪の言葉によってその思いは粉砕される。
「ちょっと前の祐一も、あんな感じだったよ」
前に“名雪っぽい”と評されたこともあったな。
そう考えると、私は名雪と久瀬を足して二で割ったような人間なのか。
なんて面白い…じゃなかった恐ろしい組み合わせだ。
「ちょっと前の私、ね」
言い得て妙、と言いたい所だが何が何やらさっぱりだ。
そういえば、佐祐理さんも面識あるんだったな。
今日の昼にでも聞いてみよう。
「ふぇ、久瀬さん、ですか?」
「そう、久瀬さん」
どう形容したらいいか困っている、といった表情を浮かべる佐祐理さん。
そんな私たちが会話を続けている中でも黙々と食べつづけている舞にチョップをくれてやった。
どうだ、チョップはお前の専売特許じゃないんだぞ、そう思っていると、
ぷすっ。
頬を箸でつつかれた。
「何するんだよっ」
「…それはこっちの台詞」
で、いつもの通りである。
佐祐理さんはいつもの通り「あははーっ」な感じ。
数分ほどした後、佐祐理さんは急に可愛らしく手を叩いた。
「本人に会ってみればいいんですよ」
いい思いつき、とでも言うかのように笑顔満面の佐祐理さん。
「えーっと、話が見えないんだが」
「だから、久瀬さんに直接会えばいいんですよ」
「私が?」
「はいっ」
そりゃまあ、それが一番手っ取り早い方法だが。
私が知りたいのは他の人からの客観的意見であって久瀬の人となりを知りたいわけじゃない。
別に久瀬は雲上の人と言うわけでもないのだ。
横目で見ていた弁当のおかずを、舞に先に取られて箸が空振った。
「ということで、放課後に生徒会室に行きましょう」
「はっ?」
何をいきなり言い出すんですかこの人は。
突拍子のないのは前から知っていたことだったが。
「それとも、今日は無理ですか?」
「いや、今日とかじゃなくて」
私が言っても問題ないのか?
いや、それはまだいいとしても、舞はどうするんだ?
舞のほうに目をやると、悟ったようにこくんと頷き、
「大丈夫。待ってる」
何が大丈夫なのかよく解らんが、私たちの用事が済むまで待つつもりらしい。
用事って言うほどたいしたことをするつもりじゃないけど。
「舞はいつも待っててくれるんですよー」
しかも毎日か。
もの好きと言うかなんと言うか…。
でも、それが舞だし。
「でも、どうして急に久瀬さんなんですか?」
「ん? えーと、それはだな」
“どうして”と訊かれて答えられる程の理由でもない。
というか、私自身そこまで気にしていなかった。
「友達だからだ」
苦し紛れに適当なことを言ってみる。
「あははーっ」
でも何故か佐祐理さんは嬉しそうだったり。
「久瀬さんは佐祐理とも祐宇さんとも友達で、こうなったら舞とも友達になるしかありませんねー」
どんな結論だそれは。
思わず突っ込みを入れたくなったが、そこはぐっと我慢する。
というか、久瀬と佐祐理さんは友達だったのか?
舞と久瀬っていうのもまた面白い組み合わせではありそうだが。
そうこうしている内に生徒会室に着いた。
やはり普通の教室なんかとはちょっと造りが違うらしく、入り口は一つのみ。
「今は誰もいないみたいですね」
佐祐理さんが口を開いた。
閉め切っているのにどうしてそんなことが解るんだろうか。
「いつもは廊下からでも聞こえるくらいに賑わってるんですよー」
はあ、いつもは騒がしいくらいなのか。
「よっしゃ、次は部活動の予算についてだ! 用意はいいな、みんな!」
役員の一人(おそらく経理)が勢いのある台詞を吐くと、他の役員が『応!』と応える。
その中でも書記はクールに佇み「お前たちの会議内容は一字一句全て拾い集めてやる」とでも言わんばかりだ。
そして熱く燃える会議、話し合う内容は部の予算。
熱い意見が飛び交い、無駄な予算は全て削減していくシビアな役員たち。
そして、ついに最終的にできあがった書類が久瀬に手渡される。
久瀬は目つきを険しくさせて書類を何度も何度も読みなおす。
回りの連中は、久瀬のその様子を固唾を飲んで見守る…。
そして、久瀬の眼鏡がキラリと光り、ついにその重い口が開かれる!
「却下」
「どんなところだよ、それは…」
ちょっと嫌な想像になった。
「楽しい所ですよーっ」
そりゃまあ、見ている分には確かに楽しい。
私が意味不明の予想図を繰り広げている間に、佐祐理さんは生徒会室へと入っていってしまった。
なんで鍵が開いてるんだ?
「佐祐理さーん、ホントに私も入っ」
と言った所で、佐祐理さんが「静かに」と言うように人差し指を立てて唇に当てる。
「…どうしたんだ?」
今度は小声で訊いてみる。
なんだかんだ言って許可を得る前に、部屋に入ってしまった。
生徒会室、とまで言うからには立派な造りなのかと思ったらそうでもなかった。
内部は特別教室とほぼ同じで普通の机の代わりにいくつか長机が置いてあるとか、そんな感じだ。
佐祐理さんの言う通り、誰もいないようだった。
まだ来ていないだけなのか、それとも既に皆さんお帰りになったのか。
…と思ったら、佐祐理さんともう一人誰かいるようだ。
突っ伏して寝ているから、最初は置物かと思ってしまったじゃないか。
「久瀬さんですよー」
寝てるのは、久瀬だった。
普段着用している眼鏡をきちっと外している所が芸が細かい。
「きっと、お疲れだったんですねー」
佐祐理さんが微笑みながら言う。
働き詰めってやつなんだろうか。
「久瀬さんの成績は知ってますよね」
「あ、うん」
確か学年二位だか三位だったっけ。
一位が香里なのは周知の事実だが、久瀬も密かに良い成績を残してたりもしていた。
「この時期は生徒会にも卒業式のお仕事も沢山あるんですよー」
「ほー、そうなのか」
少々会話が繋がってないが、なんとなく言いたいことは解る。
「それでですねー、確か久瀬さんって一人暮らしなんですよー」
「はっ?」
思わず大きな声が出てしまった。
佐祐理さんがすぐに「しー」と人差し指を立てる。
…馬鹿かこいつは。
生徒会がどれだけハードなものか知らないが、それでもかなり負荷がかかるものには違いない。
それに加えて一人暮らしと来たものである。
権力者の息子、という風には聞いていたが、まさかそういった側面を持っていたとは思わなかった。
確かめる術はないが、こいつも男だし『自立したい』といった願望があったのだろう。
「疲れが来るのも無理ないって訳か…」
「はい。だから寝かせてあげましょう」
それは良いんだが、舞を待たせっ放しだな。
だからと言って久瀬をこのままにしておくのも気が引ける。
もし既に皆帰ってしまったのなら、こいつは一人で放置されるという形になってしまう。
「うーん、…起こそうか?」
「だめですよ。せっかくお休みになってるのに」
どうしろと。
数分待ったが、誰も現れる気配はなかった。
久瀬はずっと眠りつづけている。
「佐祐理さん、先に舞と帰ってくれないか?」
これが最良の方法だと思う。
一度は睨まれていた手前、舞を連れてくるのも気が引ける。
「祐宇さん、何言ってるんですか?」
拒否された。
私の真意を理解して頂けなかったのか。
それとも解った上で言っているのか。
「だって、仕方ないだろ? もし人が来たら出てけば良いだけだし」
「それなら、佐祐理が残れば…」
「佐祐理さんを残して舞と一緒に帰れないよ」
それなら佐祐理さんも同じだろうけれど、大人しく引き下がってくれた。
本当に久瀬に気を遣ってやるなら、佐祐理さんを残すべきだったんだろうか。
「ごめんなー、残ってるのが私で」
返事が返って来ないのを知っていて、小声で声をかけながら隣の椅子に腰掛けた。
生徒会用の椅子ってもっと豪華だと思ってたら、体育館にある来客用の椅子と同じものだった。
…十五分経過。
誰かが来る気配は無い。
今日はもう帰ってしまったのだろうと思った。
佐祐理さんは今の時期は忙しいとか言っていたが、案外そうでもないのかもしれない。
更に三十分経過。
退屈だ。
一度図書室に言って本を借りて来るだけの時間すらあるじゃないか。
それに、この時間ならまだ天野とかもいそうだしな。
…こいつ、ホントに寝てるのか?
そう思いたくなるほどの見事なまでの眠りっぷりである。
これ以上の見事な眠りを見せられる人間を、私は一人しか知らない。
もしかしたら精巧なマネキン人形を身代わりにおいてあるだけかもしれない。
有り得ない話ながらも、私は久瀬の頬を突ついてみた。
ぷに。
よかった、人間だ。
いやそうじゃなくて。
冷たかった。
私はコートを着用している(登下校の際のみに許されている学校規定のものだ)が、こいつは普通に制服だけだからな。
ちょっと迷ったが、コートをかけてやった。
一人暮らしなら風邪ひいちゃ困るだろうが。
そして十五分経過。
合計すると一時間経った。
そろそろ起こしても良いんじゃないか…?
これ以上時間がたつと日が暮れる、っていうか私が寒い。
コートをかけてやったことを少しばかり後悔するが、剥ぎ取るのも嫌だ。
「…?」
ようやく起きた。
目の焦点が定まらないらしかったので、近くに置いてあった眼鏡を渡してやる。
「ああ、どうも」
「よう」
固まった。
ある意味当然だな。
「…なんで君がここにいる…」
いい質問だな。
こういう場合の至極当然の疑問と言うべきか。
「佐祐理さんに連れられて来たら寝てたから待ってた。以上」
「これは君のか?」
かけてやったコートを手に取りながら久瀬が言った。
「ああ。起きたなら返せ。寒い」
言いながら、親切なのかそうじゃないのかよく解らない台詞だと思った。
「…ありがとう」
「どういたしまして」
コートを受け取ると、さっさと袖を通した。
そして、すぐに帰ることにする。
「お前は帰らないのか?」
久瀬は未だ半分寝ているといった感じだ。
数秒の間ぼーっとしてから…
「あ、ああ。帰る」
「お前、逆じゃなかったのか?」
昨日だかにそんなことを聞いたような気がする。
それとも私を送ってくれるとか、そんなことでも考えているんだろうか。
「商店街に寄って行きたいだけだ」
なるほど。
「そうか。一人暮らしって聞いたけど飯とかどうしてるんだ?」
「それは弁当屋とか…」
久瀬の「あとはコンビニ」と続く台詞の途中で私がそれを遮った。
「馬鹿かお前は。自炊の方が出費も抑えられるだろうが」
その辺、わかってるのかねホントに。
久瀬はばつが悪そうに言った。
「料理は苦手なんだ」
ということで商店街についた。
時間帯が時間帯だけに子供連れの主婦の方々の姿もチラホラと見える。
「なんで君まで来てるんだ?」
「生徒会長様がどんなものを食べてるのか拝見」
「やめてくれ。そんなたいしたものなんか食べてない」
びしっ!
思いっきり久瀬にチョップをくれてやった。
「何をする」
「お前、馬鹿だろ。だから拝見するんだよ」
なんで私がここまで…と思いたくなるくらいにこいつは危なっかしい。
頭のいい馬鹿、を地でいった感じである。
もっとも、付き合いが長い訳ではないので今見ている久瀬が久瀬本来の姿なのかは解らないが。
「っ、相沢さん、逃げるよ」
スーパーを出た直後、小声で言ったと思ったら久瀬が急に私の手を引いて走り出した。
って、走ってる!?
…
……
………
「はぁっ、はぁっ、ここまで、来れば…」
久瀬が息を乱した状態で苦しそうに声を出した。
「急に走ったりしてすまない。顔を合わせ辛い人が…」
何、呑気なこと言ってやがるっ…!
そう思ったが、声に出せる余裕は正直なかった。
心臓が、痛い。
「…相沢さん?」
隠さなきゃ…っ。
知られないようにしなきゃ…っ。
空元気を装うには頭を埋める他のものが多すぎる。
吐いた息が、やけに白くて生暖かい。
そして、吸いこむ空気がやけに冷たい。
「…悪い、暫く、休ませて…」
右手は心臓を押さえ、左手は久瀬の肩を掴んで。
私は、それしか言えなかった。