「悪いな、ベッド占領しちゃって」
愛用しているものなのか、枕がやけに柔らかい。
散らかってる部屋とかを想像していたが、寝室は小奇麗に片付いていた。
っていうか、高校生の一人暮らしで使う部屋じゃないだろう、これは。
全部を周った訳じゃないが、家庭が一つ住めるくらいである。
私がいるのは、そんな久瀬の部屋だった。
「そう思うなら、早くどいてくれないか」
「うるさいな……」
とりあえず、痛みは引いた。
乱れた動悸は気になるけれど、こんなのは一月の時はほぼ毎朝のことだった。
久しぶりに走ったりしたせいなのだろうか。
「一つ訊きたいんだけどさ」
「何だ?」
「誰を見たんだ?」
急に顔色を変えて走り出すなんてのは、ただごとじゃない。
「反生徒会、知っているだろう?」
私はこくりと頷いた。
たしか、やけに大きい権力のある生徒会に対する反抗勢力だとか。
それで佐祐理さんを仲間に引き入れたがってたりとか。
「見たのは、その中の中心人物だ」
「ふーん……」
情けない返事しか返せない。
私には関係のない世界なのだから仕方のないことなのだが。
「別に、「やぁ、こんにちは」で通りすぎればいいじゃんか」
こともなげにクラスの冷やかしをかわす術を持っている久瀬なら可能だと思うのだが。
「……あの状態じゃ勘弁願いたくもなるさ」
あの状態?
えーと、隣に私。
んで、夕食用の食材(私が買わせた)を持ってたな。
「もしかして、恥ずかしかったのか?」
久瀬は返事をしなかった。
そしてそのまま、ぷいっと後ろを向いてしまった。
図星かよ。
「くっ、あはっ、あはははははははははははははっ!」
「な、何がおかしいっ!」
だってあの久瀬が。
買物袋持っている所を見られるのが恥ずかしいって。
どんどんイメージが面白い方向に流れていくな、こいつは。
「や、ごめんごめん」
「それだけ元気なら起きられそうだな」
「あ、もう平気。ありがと」
そう言って、私は起き上がって伸びをする。
まるで起床したばっかりみたいだけど、一種の癖のようなものだ。
「……何をしてるんだ?」
ベッドの下を覗いてみたりしていた。
だってほら、男の一人部屋だし。
「エロ本の一冊や二冊あるのかな、と」
「あるかっ!」
怒られた。
久瀬は足早にすたすたと部屋から出ていった。
私は適当に謝りながら後を着いて行く。
リビングも洋風。
割と大きめのテーブルに椅子が三つ、おそらく両親が来る時のためだろう。
ただ、一人暮らしなのに三つの椅子があるっていうのは寂しげに見える。
「携帯使ってもいいか?」
「それは構わないが、電話ならそこにある」
久瀬が指差すが、私は首を振った。
なんとなく気が引ける。
別に長電話しようって訳じゃないんだけど。
別に聞かれて困る会話をするつもりじゃないから、廊下に出る必要もない。
『はい、水瀬です』
出たのは秋子さんだった。
「あ、私ですけど」
『私さんですか?』
「ボケんでいいですって」
『冗談ですよ、祐宇さん』
目の前の久瀬が少し眉をひそめた。
会話のノリが理解できなかったらしい。
「あ、今友達の家にいるんですけれども、夕食もこちらでお世話になりますんで」
「なっ、ちょっと待っ」
「それではー」
ぷちっとな。
久瀬があんぐりと口をあけている。
何を言えば良いのやら解らないって感じだ。
「安心しろ。ただ飯を喰らいに来た訳じゃないからな」
いくらか簡単なものの作り方でも伝授してやるつもりだ。
っつーか、そのつもりで材料を買わせたんだし。
…
……
………
「驚いた?」
「あ、ああ……」
返す言葉もあるまい。
何せ「少なくとも食べられるものを作ってくれ」って言ったくらいだしな。
まだ秋子さんとかには及ばないまでも、水瀬家で二番めだって自信はある。
むろんドベはうぐぅだ。
「いくらかメモ残しておいてやったから、これを活用するように」
慣れれば、アレンジを加えてバリエーションを増やすこともできるだろうしな。
できない、と言ってやらないようじゃいつまでたっても進歩は無いのである。
「あと、わからなくなったら携帯に電話してくれればいいから」
メモの中に、番号も添えておいてやる。
これでこいつの生活にも少しは光が見えてくるだろう。
別に今が真っ暗だと言う訳でも無いが。
「あー、結構な時間だなぁ」
メモについて色々と教えてやったりとかしている内に、時間は刻々と過ぎていた。
この間に香里の所から帰った時よりも、ずっと後である。
要するにいうと、そろそろ九時を回ったりな時間。
立派に夜な時間である。
「じゃ、続きは今度ということで。お暇するわ」
「送ろうか?」
「いや、いいって」
勝手に家に上がりこんでおいて、そこまでしてもらうのは悪い気がする。
「ただいまー」
「祐一、大変だよっ!」
帰ってくるや否や、名雪が大変な表情で出迎えてくれる。
何やら慌てているが、大したことという訳でもあるまい。
この慌てぶりからすると、そうとしか判断できない。
まぁ、こいつは何があってもいつものペースを崩さないような奴だし。
そういう意味では珍しいな、ちょっとからかってみても面白いかもしれない。
「そうか、大変だな」
「うん、そうなんだよっ!」
大変なのはわかるが、そこをどいて欲しい。
靴を脱いで家にあがることすらできないではないか。
「ちょっとした非常事態じゃないか」
「ちょっとしてないよっ、大事だよっ!」
「……で、何が?」
名雪の動きが停止する。
煽られただけだっていうのを理解するのに、少しだけ時間を要した。
「落ち着け、はい深呼吸」
すーはーすーはー。
いちいち必要もないのに両手まで動かして深呼吸をしている。
それを五回くらい繰り返してどうにか落ち着いた後、
「帰った後、祐一の部屋にノートを返してもらおうと思ったんだよ」
「ほうほう、それで?」
名雪は部活があったはずだから、私がいなかったことを知らなくても不思議じゃない。
今の話の流れからするに、非常事態は私の部屋で起きているのか。
「机の上にノートが見えたから……」
そう言って名雪は自分のノートをおずおずと出す。
「それは別にいいんだが」
荒らさなければ勝手に入っていい、一月の初頭にそんなことを言った訳だし。
そこまでは別に不思議なことはないと思うのだが。
「あの……ベッドの下からね」
名雪が口篭もる。
別にヤバいものは持ってないぞ?
「……ごきぶりが」
「何ぃッ!!?」
名雪がびくっとする。
「殺せ今殺せすぐ殺せ! っつーかもう部屋に生物が踏み込めないほどいろんな薬品を投入しろッ!」
「それじゃ祐一が部屋に戻れないよ……」
「知るかそんなことはッ! 一匹見たら三十匹の奴らと同じ部屋なんかに寝られるかッ!! 生き物王国かよ!」
最早何がなんだかわからない。
心拍数もえらく上昇。
「ゆ、祐一? 落ち着いて。ほら深呼吸」
すーはーすーはー。
何か立場が逆になっている。
五回くらい繰り返して何とか落ち着くことができた。
「でね、今お母さんがいろいろ仕掛けてくれてるから」
「そうか、とりあえず一安心だな」
私の部屋になんぞ奴らの餌は無いんだがなぁ。
隣の家とかから来てしまったんだろうか。
あまり考えたくない。
「それじゃ、私は今日安心して寝られるのか?」
「うーん、大丈夫だと思うけど」
水瀬家自体かなり小奇麗な感じだからな。
まさか奴らが出没するなんて思いもしなかった。
寒い所だと出てこないとか聞いたことがあったんだけどなぁ。
それは北海道だけだっけか、詳しくは知らないからな。
「でも、意外」
「そうだな、まさかこの家でも奴らが出てくるとは」
名雪が私の前まで来て、くすっと微笑う。
「そうじゃなくて、祐一がだよ」
「あ?」
「祐一のことだから、「ごきぶりくらい何だー」ってやっちゃえるのかと思った」
どんな人間だそれは。
そう思って私は苦笑した。
「嫌なものは嫌なんだ」