雰囲気が違う。
 なんだかよく解らないけれど、いつもとどこか違うのである。
 別に“知らない内に教室に人が増えている”とか怪奇チックなことが起こった訳ではない。
 どうってことのない風景である。
 体調でも崩したのだろうか、ふと思ったが変化をきたした様子はない。
 むしろ好調なくらいである。
「チミ、クビね」
 違う、それは校長だ。
 思わず声に出して言ってみたが、たいした意味はない。

「おいあゆあゆ」
「うぐ?」
 授業終了直後、私はあゆに声をかけた。
 眠そうな目をごしごしと擦るあゆ。
 そして名雪は睡魔に対して無抵抗状態だった模様。
 起こしてやろうか、そう思ったがどうせ次の授業もこいつは寝る。
 放っておいたほうが良いだろう。
 あ、でもノートは後でしまっておいてやろう。
 涎がつくと困る。私が。
「なんか、近い内にイベントってあったっけ?」
「イベント?」
「そう、校内舞踏会みたいなヤツ」
 そうでもなければこの異常な空気を説明できない。
 解ってきたけれど、異常なのは一部の人間のテンションが妙に高いからだ。
「そのイベントって、学校の?」
「もしかしたら違うかも」
 二月の半ば、という中途半端なこの時期、卒業式関係以外に一体何があるというのか。
 転入してからまだ一月半だし、知らないイベントもあるのは事実なんだが。
 舞踏会もその一つだったし。
「あっ、文化部の発表会とかがあったと思うよ」
「ふーん。そうか」
 納得したようなしないような。
 部活に情熱をかける精神など持ち合わせていないから、その辺りは正直よく解らない。
 たしか栞は美術部に所属してるんだっけか。
 今日の放課後あたり本人に確認してみよう。

「次はー、古典なんだおー」
 名雪が突然口を開いた。
 もちろん机に突っ伏したままである。
「実は起きてないか?」
「そんな訳ないでしょ。これが名雪なのよ」
 近くの席の香里がすかさず突っ込み。
 こういうときの親友の台詞ほど説得力のあるものはない、と思った。
「香里は文化部なんだっけ?」
「何で急に……、ああ、例の発表会ね」
 納得された模様。
 とゆーか、私はこの人の部活をホントに知りません。
「秘密」
「はっ?」
「だから、秘密」
 おいおいおいおいっ。
 なんかどこかで聞いたことのある逃げ方だ。
 私が質問する前に質問内容を見抜くとは。
 聞き出すことは不可能、仕方なくそう判断することにした。
 他の人の方が詳しい話を聞けそうだが、残念なことにいちいち部活なんて把握していない。
 運動部でも知っているのは名雪と、斉藤くらいのものだ。
 更に言えば、斉藤とはあれ以来ずっとまともに話をしていない。
 やっぱり、話しづらいしなぁ。

 考えてみれば、生徒会長さんがいらっしゃるじゃないか。
 イベントについての話は、部活動関係の人間よりもずっと詳しいはずだ。
 時計を見れば、休み時間はもうすぐ終わり。
 昼休みにでも会いに行ってみようか。

 …
 ……
 ………

「名雪、昼休みだぞっ」
 四時限目の終了とともに眠り姫の頭を小突く。
 名雪は「うにゅ」とか発音しながらも目覚め、何度か瞬きをする。
「あれ?」
 いつの間にやら終わっていた授業に驚いているようだが、いつものことなので気にしないことにする。
 さて、昼なんだしいつもの場所に向かいますかね。

 既に二人はいつもの場所に鎮座なさっていた。
 鎮座、と言っても片方はにこにこ全開な訳だが。
「よ」
 と、軽く挨拶をする。
 二人もそれに返してくれる。
 舞は視線で、佐祐理さんは笑顔で。
「早いな、二人とも」
 私だって授業終わってすぐに来たのに、既に準備が整っている。
「三年生はほとんど授業はないんですよー」
「ほほう、なるほど…………って、嘘っ!」
「嘘じゃない」
 間髪入れずに舞が答える。
 って違う、反応して欲しいのはそこじゃなくて。
 本来なら自主登校ってことか?
 そんな時までも、わざわざ学校まで来ているというのか。
 物好きな……じゃないよな、どう考えても。
「舞なんて祐宇さんと一緒じゃないと箸もつけてくれないんですよー」
 びしっ。
 すかさず舞のツッコミチョップが入るが、佐祐理さんの笑顔は止まらない。
 既に慣れっこだから気にも留めてなかったけど、中々にシュールだ。
 びしばしあははーな光景、一種のコントの域だな。
 本人たちの前じゃ絶対に言えないけど。
 とか思いつつ一人で箸を進めてたりすると、

 びしぃっ!!!

 特大チョップを頂いた。
 なんつーか、佐祐理さんと私とじゃ明らかに威力の差がある。
「何をする」
「一人で勝手に食べてた」
「お前もやったことあるだろーが」
「…………気のせい」
 なんだ、その無駄に長ったらしい間は。
 自分は棚上げだってかこんちくしょう。
 舞の箸が会話しながらも動いていた私の箸を弾く。
 行儀が悪いとか、そんなことは言ってられない。
 《チキチキお昼ご飯争奪バトル》のスタート合図だった。

 隙を見せれば即座に負け(おかずを取られる)
 後手に回ることなく果敢に(おかずに)攻め入らなければならない。
 相手が栞やあゆならいくらでも勝機はあるが、舞相手ではかなり厳しいものがある。
 おかずの位置、量、相手の一挙手一投足、これら全てに神経を注がねばならない。
 箸が箸を弾く。
 取ったと思っても即座に元の位置に戻した箸で防ぐ。
 ここで大事なのは、絶対に相手の箸を落としてはいけないと言うことだ。
 箸落としは反則となり、そのおかずは全て相手に譲るというのが暗黙のルール。
 箸と箸による闘い。
 ハリウッドとかで派手に演出して欲しいくらいである。

 …
 ……
 ………

「ごちそうさまでした」
「……ごちそうさま」
「はい、お粗末さまでした」
 お昼ご飯は無事に済んだ。
 佐祐理さんは私たちが激闘を繰り広げている中で、自分の食事だけはきっちりと取っている。
 この技術は尊敬に足るものであると思う。
 そんなことで尊敬されたくないだろうけど。
「ひくっ」
 唐突にしゃっくり発生。
 しゃっくりはいつだって唐突だ。
「祐宇さん?」
「あ、すぐ止まると思うからだいじょ、ひくっ」
 しゃっくり相手とはいえ、台詞を妨害されると腹が立つのは何故だろう。
「一人で食べてた罰」
 やかましい、お前はどうなるんじゃ。
 佐祐理さんは心配げだったが、言い包めて私はその場を後にした。

 んでは久瀬の所にでも行ってみますか。
 生徒会室でいいんだっけ?
 もしくは教室でだべりか食事中か。
 近くにある久瀬の教室から回ってみることにした。
「ひくっ」
 なんとかならんかこれ。
 ざっと見渡した所、久瀬はいないようだった。
 ということで、次は生徒会室へ。
「ひっ」
 意図的に短くしてみた。
 遊んでいる場合じゃない、本当に全然止まらない。
 午後の授業の間も止まらなかったらどうしよう、って具合である。
 そうこうしている内に目的地に着いた。
 残念なことに、扉には鍵がかかっていた。
 誰もいないのは昼休みも終わりに近付いているからか。

「ひぅっ」
 教室に入って早々しゃっくり一撃。
 何やら扉付近にいた方々が変な視線を送っていらっしゃる。
 教室に戻っても収まる気配が全く無い。
 本気でヤバいような気もしてきた。
 ここは仕方が無い、最後の手段《美坂チーム緊急召集》を採るしかないか。

「ということで、かなりひぅっ、ヤバい」
 しゃっくり混じりの説明。
 名雪とあゆは心配そうな表情をしているが、腹が立つことに北川なんぞ笑いを堪えている。
 とりあえずパンチを一撃くれてやった。
「はぁ、くだらない」
「感激したか? ひぅっ」
「どこをどう取ったらそうなるのよ」
 リーダーたる香里嬢は呆れていた。
 授業開始まで後五分ちょっと、もう少しで予鈴が鳴るところだ。
 この状況下でどうしたら良いかなんて言われても、選択肢は既に少ない。
 何とかして止めるか、諦めるか、はたまたサボるか。
 サボるのはなんとなく気が引ける。
 かの会長も「君はそんなことをする人間じゃないだろう?」とか言ってたわけだし。
 北川が「思いっきり驚かせば止まるんじゃないか?」と提案したが、なゆあゆが断固拒否してくれた。
 それは過剰反応だろう。
 いくらなんでも、そんなんでショック死するほど柔くない。
 これといった解決案が出ないまま、予鈴どころか授業が始まる時間になってしまった。
 神に祈るしかないっ。


 しゃっくりで授業を止められるとは思わなかった。
 一瞬だけ教室が静まり返ったあと、巻き起こる大爆笑。
 あの恥は一生忘れられないと思う。
 穴があったら入りたい、と本気で思わされた。
 でも、そのおかげで止まったと言うことで、一応よかった、のか?
 いやちがう、そもそもしゃっくりが突然発生したのがいけないんだ。
 しばらく変なアダ名がつきそうで怖い。

 HRは無事に終了。
 生徒会室か美術室か、どっちに行こうか。