雪が降っていた。
 全てを覆い隠してしまうように、止むことなく降り続いていた。
 視線をどこに向けても、小さな白が次々に降り注ぐ。
 ひとつ、またひとつ。

 そんな真っ只中に、ただ一人佇む俺。
 家の中から眺める分には幻想的といえるかもしれないが、現地はそんなに甘くない。
 地元の人ですら姿を見せないような豪雪の中、駅のベンチにて待機中。
 このままじゃ、俺も埋まるかなー、なんて内容の割に呑気なことを考えていたりもした。
 こうして、どれくらいの時間がたったのだろうか。
 駅の時計に目をやれば、短針はまっすぐ右に向こうとしていた。
 つまりは、もうすぐ三時である。
 待ち合わせの時間は一時だったはずだ。
「遅い」
 この呟きも、もうとっくに数え切れないほどの数に昇っている。
 退屈凌ぎに周りを見ても、二時間も同じ風景ばかりを見ていれば流石に飽きる。
 そしてそれ以上に寒い。
 防寒具を着ているとか、そんなことはお構いなしに雪は浸透してくる。
 このまま放置されていたら、埋まって死ぬのと凍死とどっちが先だろうか。
 そんなことを思ってしまうほどに寒い。
 近くの喫茶店にでも逃げ込みたいが、いつ相手が来るのかわからないだけに下手に動けない。
 ついでに言うと、喫茶店の場所も知らない。

「あ、れ?」
 ふと、人影が見えたような気がした。
 錯覚だろうか、と目をこすってみるが、それらしき影は消えない。
 助かった。
 本気でそう思った。
 勢い良く立ちあがると、バサバサッと音を立てて雪が地面に落ちていった。
 どうやら、気付かない内に俺自身に雪が積もっていたらしい。
 積もった雪などどうでもいい。
 人影はゆっくりと、だが確実にこちらに向かってきている。
 視界がはっきりしないが、こんな場所にわざわざ来るのはあいつしかいないはずだ。
「なゆ――――」

 名前を呼ぼうとして、途中で止めた。
 僅かながらに感じられる違和感。
 近付くにつれ輪郭がはっきりしてきて、その疑惑は確信に変わった。
 ちがう、あいつじゃ、ない。
 現れた人物と待ち人との共通点は一つだけ。
 女の子である、という事だけだ。
 七年ぶりに会う訳だから詳しい容姿は知らないが、目の前の女の子は違う。
 身長はかなり低い、たぶん年下だろう。
 背中の中ほどまでの亜麻色の髪を三つ編みにしている。
 少なくとも、記憶の中の名雪の髪の色とは一致しない。
 染めた、という事も考えられるが、そういうキャラではなかったはずだ。
 そして、次に服装。
 これが決定的におかしいのである。

「……なんで」
 俺が転校する前の学校の制服を着ているのだ。
 もちろん女子のそれであるが、それでも異常な事には変わりない。
 前の学校には、こんなところから通っている生徒なんていたのだろうか。
 一概に無いとは言い切れない。
 何せ障害者にすら普通教育を施していたような、門戸が全開な学校だった。
 遠くから通う……ってのは無理があるとしても、一人暮らしをしているとか考えられ得る。
 動けないでいる俺を尻目に、悠々とその娘が近付いてくる。
 そのまま俺の目の前まで来て、にっこりと笑って。
「こんにちは。相沢祐一さん、ですよね?」
 挨拶した。

 拍子抜けした、というのが最も近い表現だろうか。
 ただ俺が変に警戒していただけ、ということなのかもしれないが。
「あ、ああ。こんにちは」
 だから、ついつられて普通に挨拶を返してしまったりしている。
 こいつはなぜ俺の名前を知っているのだろう。
 ついでに、なぜ前の学校の制服なぞ着ているのだろう。
 そんな事を思いながら、じーっとその姿を眺めていると、
「なんですか?」
 と、笑顔で訊いてきた。
「お前、なんで俺の名前を知ってるんだ」
 すると女の子は「たはー」って感じに笑って、
「あれ? お兄ちゃんからわたしのこと聞いてませんか?」
 なんてことをのたまった。
 そもそも、こいつのことを知らない俺がこいつの兄のことなんて知るはずもない。
 俺がそのことを伝えようとすると、
「だいたいお兄ちゃんは抜けすぎてるんですよねー、未だに朝は一人で起きられないわ、手の込んでる割にバレバレな悪戯をするわで」
 なんか一人トークモードに入ってしまっていた。
 立ち入る隙もない連続音声は、とりあえず五月蝿かった。
 たぶん、俺が話しかけても今は聞いてくれないだろう。
 俺はこの場で、確実にこいつのトークを止めねばならない。
 それならば、やる事はただ一つ。
「そうですか。さようなら」
 三十六系逃げるに敷かず。
 どうせ周りには誰もいないんだし、近所迷惑にはならんだろ。

 すたすたすたすたすたすたすた……がしっ。

 袖を掴まれた。
「なんだ? 逆ナンならお断りだぞ」
「そんなんじゃないですっ、こんな豪雪の中に美少女を一人置いていくですかっ。凍死でもしたらどうするんですっ」
 袖を引っ張って俺を自分に向き直らせると、集中砲火といった具合に言葉を浴びせてくる。
 少なくとも、その勢いなら凍死はしないと思う。
 ついでに、自分に“美”とかつけるな。
「……で、お前は一体誰だよ」
「えっ」
 ぎくりとしたように動きが一瞬止まる。
 そのあと、何故か哀れみを含んだような目つきになり、
「うう、若年性アルツハイマーの人って初めて見ました。はっ、まさか急な転校は療養のためだったり?」
 一人で突っ走って、しかも誤解十割。
 その上、なんか変な脚色が加えられている。
 さっきは不覚を取ったが、今度こそ逃げられそうではある。
 ということで、さっそく実行――。

 すたすたすたすたすたすたすた……がしっ。

 また袖を掴まれた。
「だから何で放って行こうとするんですかっ」
「いや、楽しそうだったし」
 邪魔しちゃ悪いかなー、という配慮に受け取ってもらえれば本望なんだが。
「人の話をちゃんと聞きなさいって言われなかったんですか」
 ぶーぶーと文句をたれる。
 ちなみに子供のころには確かに言われたが、こいつは規格外だと思う。
「名を名乗りもしないような無礼者には無礼で返す主義でな」
「だーかーらー、わたしはみさお! 折原みさおって言ったじゃないですかっ!」
 言ってない。
 むしろこいつの方がボケを疑われてしかるべきだろう。
 ついでにようやく名乗ってくれた訳だが。
「やっぱり誰だ? お前」
 如何せん、その名前に全くもって憶えがない。
 再びボケ論争に話が戻りそうなので、こちらから言葉を続ける事にする。
「俺に妹のいる友人なんかいたか?」
 もしかしたら一人くらいはいたのかもしれないが、会ったことなどない。
 悪友とつるんでバカな真似をやってたせいで、無駄に顔が広かった記憶ならある。
 だから、本当に些細な知り合いなのかもしれない。

 俺が頭に『?』マークを浮かべていると、
「………………」
 みさおは、一瞬言葉を詰まらせたような、複雑そうな表情を見せた。
 まあ、俺の反応が芳しくないために戸惑っているのだろう。
「で、お前はどうしてこんな所にいるんだ」
 話を合わせてやろうにも合わせようがない。
 仕方がないから、話を切り出してやる。
 するとみさおは「よくぞ訊いてくれました」とばかりに瞳を輝かせ、俺の顔を覗きこむ。
 言いたくて仕方がない、といった顔である。
「教えて欲しいですか?」
「いや別に」
 即に切り返してやる。
 がっくり、とややオーバーなリアクション。
「そんな冷たいこと言わないで下さいよー」
「興味がないからな」
 本当は少しは興味ある所だが、こいつのトークに付き合ってると本題に入るまでに小一時間はかかりそうだ。
 たった少しだけ言葉を交わしただけだが、こいつの性質は把握した。
 ちなみに、性格じゃないのがミソだ。
 みさおは再び頬を膨らませてぶーぶー文句をたれている。

「あのー、すみません」
 と、いきなり横から声をかけられた。
 見れば、さらに一人の少女がいた。
 こちらの顔には見覚えがある。
 間違いない、天の助けというべきか。
「ナイスタイミングだ」
 にやりとする俺の言動に二人は『?』マークを浮かべる。
「あ、この人ちょっとおかしいので」
 とか変な弁解するみさおにチョップをくれて撃沈させた。
 べしゃ、という擬音付きで雪の中に倒れこむ。
 うむ、俳優・女優もびっくりな見事なまでの転びっぷりだ。
「さあ行くぞ、名雪っ」
 清々しいまでに爽やかな笑顔で歩き出す。
 一方、迎えの使者である名雪は困惑しっぱなしのようだった。
「え、あれ? 祐一なの? じゃあ、この子は?」
「知らん。たぶんキャッチセールスとかいうヤツだ」
「でも、学校の制服着てるよ」
「バイトか新手の手口なんだろ。早く逃げないと騙されるぞ」
 ちなみにその商法にアルバイトが存在するのか俺は知らない。
 やや速歩きで歩き出す俺に名雪は慌てた様子でついて来る。
 背後の方でなんか聞こえたが気にしない。
 ……なんかダッシュして迫ってくる足音が聞こえてくるが、気にしない。

 だだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだだ……べしゃ。

 あ、転んだ。
 やっぱり気にしておけば良かったかもしれない。
 と思ったが『男に二言はない』に従い、このまま無視……
「大丈夫?」
 ……できなくなったじゃねーか。
 名雪よ、中途半端に優しさをかけてやる必要なんてないんだぞ、つけ上がるから。
「ううう、祐一さんがわたしを捨てて逃げたぁっ」
 げ、なんてことを言うんだこいつは。
 なんか名雪まで変な視線で俺の方を見てるし。
 周りに人がいなくて本当によかった状況ではないか。
「祐一って極悪人だよ」
「待て待て待て待て、こいつの方から付き纏ってきたんだぞっ!」
 名雪を味方につけたらもうヘラヘラ笑ってやがるし!
「……せっかく遠ーい故郷から祐一さんのために来たのに」
「来たのはお前の自由意思だろうがっ」
 頼んだ覚えなんかない。
 その上、こいつの“お兄ちゃん”とやらにも全くもって憶えなどない。
 えーと、なんて言ったか、そう折原だ。
 比較的仲の良かった連中を挙げてみればはっきりするはずだ。
 えーと、長森さんに七瀬、住井にみな……いや沢村。
 変り種でいくと里村なんてのもいたなあ、あの髪の長さは只者じゃなかった。
「って、違うだろ」
 途中から思い出に浸ってしまう所だった。

「祐一、早く行こうよ」
「そうそう。日が暮れちゃいますよっ」
 日なんか出てないだろう。
 ていうかちょっと待てよ。
 なんか一緒に行くことになってるし。
 お前らいつのまに仲良くなってるんだよ。
 だが勝てないのもまた事実、仕方なく二人の後を着いて行く俺。
 そんな時、あることに気がついた。

 天の助けと思ってしまったが、名雪が遅刻なんかしなけりゃこんな状況にならなかったのではないだろうか。