「本当にいいんですかい?」
 禁裏の展望から庭園を見下ろしていたのは、クロウとベナウィだった。クロウは今しが
た一息ついたベナウィからサクヤを家臣につけるという話を聞かされたのだった。
 不安がない、といえばそれは即座に否となる。新しく家臣を重用するのであれば、それ
はサクヤに限ったことではない。それでもクロウは、長年仕えてきた若き大将の眼力を信
じていた。
「ええ。その方が彼女の気も紛れるでしょうし」
 サクヤがゲンジマルの孫であるという事実は、諸刃の剣でもある。政の場でその手腕が
無いと断定された場合、彼女は即座に失脚、下手をすれば禁裏から追い出されるかもしれ
ない。
「何より、彼女ならば大丈夫だと私は思います」
 根拠は何もない。大柄な肩を僅かに落としてクロウは苦笑する。ベナウィは最悪の結果
を考えない男ではなかった。慎重に慎重を重ねるような男の言葉とは思えなかった。
「あの聖上のおかげかねぇ」
 しみじみと呟いた独り言は、もちろん新皇の耳に入っていた。

「聖上」
 言葉に顔を向ければ臣下の一人。手には報告書だと思われる紙が数枚。
「また、ですか」
「はい、これら全て同一の集団によるものと思われます」
 うんざりした表情を浮かべ、ベナウィはそれを受け取る。
 近頃、とみに野盗が多く出没するようになった。周りの國々は戦乱の真っ只中である。
さらに皇が交代したばかりのトゥスクルは、未だ安定した国力を持ってはいない。
 結果、敗残者の数に比例して野盗の身に没する者は増えつづけ、國としての力が強いと
は言えないトゥスクルに群がる、ということになるのである。彼等はもとが武士や剣奴で
あるために戦闘技術に優れ、地方に派遣した兵よりも強い、ということもざらである。
 野盗は大きく分けて、群れと集団の二種類いる。群れはただの人間の集まりだが、集団
は統率のとれた集まりだ。都合が悪いことに、今回の場合は後者であった。
「たいしょ、いや聖上、どうしますかい?」
 言葉とは裏腹にクロウの声はどうしたいか、どうすべきかを語っていた。もちろんベナ
ウィ自身もそれに反対をするつもりはない。
「確かに討伐したい所ですが」
 彼らの潜む場所が特定できない。小国とは言えトゥスクルも一つの國。広すぎる狩場で
は、狩る相手を探すだけで一苦労だ。
 策が無い訳ではないが、それを決行するには下手をすれば多大な犠牲を払うことになる。
兵力も統率力も以前と比べて劣ってしまっている現在、それは避けたかった。
「……クロウ、私のウォプタルを」
 ベナウィは静かに言った。

 敵が隠れているのであれば、誘き出せば良い。単純な一手だが効果的な戦法だ。
 護衛の少ない豪族を装えば野盗はきっと現れる。そこを叩くつもりであったが襲われる
役になる人間がいない。
 クロウは軍を指揮する侍大将の立場にある。
 囮にできる人間がいないのであれば……。

「大将、それはいけませんぜ」
 クロウの有無を言わさぬ口調。そのまま巨体を生かして入り口を塞ぐ。勢い余って昔の
呼称で呼んでしまってはいるが、場の二人に全く気にした様子はない。むしろ、伝令を持
ってきた臣下の方が二人の気に圧されていた。
「何がいけないというのですか」
 皇は、民を守るために在るというのに。やや怒気を含んだ視線には、そのような声があ
った。
「何がって、そりゃあ」
 決まっている。國自体が不安定であるこの時期に皇を危険に晒す訳にはいかないからだ。
もしものことがあれば、自分はともかくトゥスクルの武士までもが野盗の仲間入りをして
しまう。今はまだ敗残兵たちの寄せ集めだが、一国ぶんの兵士を抱き込んでしまえばその
兵力は驚異的なものとなる。
 それが解らないベナウィではない、クロウはそう思っていたから答えに戸惑う。
 いや、彼は解っていた。
「あの聖上なら」
 答えを聞くでもなく、ベナウィは口を開いた。
「身を呈してでも民をお救いになろうとなさったはずです」
 あくまでも淡々と、ベナウィは言い続ける。その姿は、自分の身に、力の無さに、歯痒
さを感じているようにクロウには映った。
 確かに今のトゥスクルと、ハクオロの治めていた頃のトゥスクルとは大分違う。囮に使
えるに足る有能かつ信頼の置ける武将は、今は殆どいない。それも、ハクオロが築いたも
のの一つだから。
 これはどこまで行っても平行線になるだけ、クロウはため息をついた。
「……聖上はお疲れだな。おい誰か、御寝所の仕度を!」
「なっ」
 ベナウィは何か言いたげだったが、クロウの言うことに大人しく従う。クロウは立ち上
がるベナウィの耳元で一言、

「ちったぁ俺たちを頼ってくださいや、大将」

 と呟いた。



「頼るもの、ですか」
 部屋で一人、皇は呟いた。寝所は質素な造りであり、寝床に似つかわしく無いような豪
華な飾り物は一切置いていない。前皇ハクオロの頃と、殆どと言って良いほど内装は変え
られていなかった。
 自分の好む環境は偉大なる先王の嗜好とはほぼ変わりは無かったらしい。だからこそ、
それは皮肉なものだと彼は思う。

 どう足掻いても、ハクオロには及ばない。

 これほどまでに不甲斐ない自分を感じたことは数えるほどしかない。最後はケナシコウ
ルペの最期の時、インカラの治世の時だろう。地下牢に幽閉までされた苦い思い出は、と
うの昔に記憶の片隅に追いやられていた。
 自分の力が及ばず、自分の預かり知らぬ所で誰かが傷つく羽目になる。それは自分にと
って恥でしかない。どんな武勲さえも、そんな自らの恥をかき消すには焼け石に水だ。
「……くっ」
 気がつけば、額を汗が濡らしていた。腹心の侍大将の言う通りに疲れているのかもしれ
ない。疲れを自覚した覚えは、全く無かった。むしろ身体を動かしていた方が、まだ気が
晴れる。
「聖上? 起きていらっしゃいますか?」
 扉一枚越しに聞こえる声。それがサクヤの声であることはすぐに解った。
「ええ。どうかしましたか?」
 内なる荒波を全く感じさせないような、冷静な声だった。水神の恩恵をうけた身の者は、
他の人間と比べて感情を隠すのが上手い。
「あの、開けても良いでしょうか?」
「ええ。どうせ休む気もありませんから」
 平時のベナウィの声と違う僅かに含まれた刺々しさにサクヤは一瞬戸惑ったが、気を取
りなおして襖を開ける。
「どうか、なさいましたか?」
 淡々と。
 ベナウィの声、言葉、態度、姿勢、滲み出ているものは全て淡々としていた。
「ええええっと、そのぅ……」
 どこから切り出したら良いのか、それを考えて少し混乱気味になる。ただでさえ人と話
す際に目を合わせるのが苦手だというのに、眼前の皇はまっすぐに自分を見詰めている。
 自分が伝えたいことも伝えられないのかと叱咤し、なんとか自分の精神を内なる神へと
引き摺り下ろす。
「昨日の、お話なんですけれども」
 ベナウィは動かない。彫像なのでは無いかと錯覚してしまうほどに。
 いけない、呑まれるな。そう思って深呼吸。
「あの、ぜひ、ぜひあたしを臣下に加えてくださいっ」
 ベナウィがサクヤの言葉に驚いた様子は無い。むしろサクヤがそう言うであろうことは
予想していたことのようだった。あれだけ悩んだというのに掌の上で踊らされていたかの
ような気がして少し不快ではあったが、決断を下したのはあくまでも自分、と思い直す。
 ベナウィに反意は無かった。もともとサクヤを誘ったのは自分で言い出したことである
し、全く実力が無い人間が皇の付人を務め続けていたとも考え辛い。むしろ喜ばしいこと
だ。
「あの、聖上?」
 サクヤがおずおずと口を開く。余りにも反応らしい反応を見せなかったので不安になっ
たのだろうか、そう思ったがそれは違うということをすぐに知らされた。
「大丈夫ですか? 汗が、びっしょりです」
 額の汗には気付いていた。ただ、言われるまでは全く気にかけてはいなかった。一人に
なると苛立ちを覚えるのはこのところの日課に近かったから。
「大丈夫です」
 果たして知恵熱で多量の発汗をするかと疑問に思うところだが、頭を使った末の結果と
しては似たようなものだろう、と結論付ける。
 サクヤは納得した様子を見せてはいなかった。体調が悪い様子は見られなかったが、ベ
ナウィは表情に出す人間では無い。悪く言ってしまえば無愛想だ。多少の悪調ですら、こ
の男をもってすれば隠し通せるのではないかと思えるくらいに。
「ダメですっ、もし今大丈夫でも着替えないと風邪を引いちゃいますっ」
 サクヤにしては珍しい、有無を言わさぬ口調だった。ベナウィは表情にこそ出さなかっ
たが、先刻の一大決心の発言よりもこちらの方に驚かされた。かつてのクーヤにも、別の
意味で手を焼かされたとベナウィも聞き及んでいる。その時に似たような状況でもあった
のだろう。
「着替えるのは別に構いませんが……」
 ベナウィのもの言いたげな視線に、
「すっ、すすすすすすすすみませんっ!!」
 サクヤは真っ赤になって回れ右。ついでぎこちなく部屋から出ようとした。
「いえ、私は男性ですから見られて困る、と言う訳では無いんですが」
 どこか誤解されている、それを感じ取ったベナウィはせめて誤解を解くことにした。
 彼の身体には幾つもの“傷”がある。それを女性に、それも戦を知らない者に見せても
良いものだろうかと考えたからだ。
 傷の数は、武士にとっては敵を討った数、戦場にて生き残った証、即ち誇りに等しい。
 だが逆に、それだけの命を奪った数でもある。

「あの、クロウさんに聞いたんですけど……」
 サクヤは背を向けたままベナウィに話しかける。
「ここのところ、野盗の数が増えてるって」
「ああ、そのことですか」
 頭を悩ませる問題の一つに急に戻され、げんなりした気分が戻ってくる。
「聖上の策、それを」
「駄目です」
 手伝わせてください、と続こうとする言葉を拒絶。サクヤには理解ができなかった。既
にクロウからは囮に成り得るだけの人材がいない、と聞いている。何も戦に出て戦おうと
言う訳では無い、囮としてでも役立ち、自分たちの場所があることを確立させたかった。
「あなたの言わんとすることは解ります。ですが、戦場にあなたを送る気はありません」
 きっぱりと、ベナウィはそう言い放った。サクヤの境遇は知っているし、考えているこ
とも理解できる。何かできることがあるなら手伝いたいと言う気持ちは汲んでやりたい所
だが、戦を知らない人間を戦に巻き込む訳にはいかない。
「あなたは兵たちに命ずることができますか? ……「殺せ」と」
 冷たい響き。例え命ずることができたとしても、目の前で起こるであろう命の奪い合い
にサクヤが耐えられるという保証など全く無い。
 サクヤは答えなかった。
 答えられるはずが、無かった。