血を流さずとも野盗を一掃できるかもしれない。
サクヤがそんな提案をベナウィに告げたのは、しばらく経ってからのことだった。
「犠牲を出さずとも奴らを倒せる、と言うのですか?」
ベナウィはサクヤに訊き返す。サクヤはやや自身なさげに、それでもしっかりと頷いた。
「はい。ですが、多少準備に時間と費用、労力がかかります」
ベナウィは考える。頻繁に出没する野盗は対策を待ってはくれない。費用は蓄えで賄いき
れるし、労力は同盟国からの援助でなんとかできる。だが、時間はどうにもならない。かと
いって、他の手立てが浮かぶ訳でも無い。
「確実に打撃を与えられる、という確証はありますか?」
「……確実、とは言えません。ですが上手くいけば双方の血を流すことなく全てを終えられ
ます」
ベナウィはサクヤの策に興味を持った。何せ数多き野盗の軍団を、傷付けることなく制圧
する事ができるというのだから。
「どういった策か、お聞かせ願えますか?」
「はい。それは――」
それから、サクヤの指示通りに“砦”が建設される事となった。
山の中にして、地理条件はほぼ完璧。生い茂る樹が壁の役割をし、精鋭の弓衆でも足を止
めねば狙って矢を射るのは難しい。敵を発見する事が出来れば先手を打つことが可能であり、
万が一不利な状況に追いこまれても抜け道を先もって造ってあるため逃亡も容易い。
ただ、一つだけ問題点があった。砦の建てられた土地は風が流れない特殊な地形。いくら
か深く、暗い場所にある。弓衆の腕を持ってすれば外への攻撃を仕掛けることが可能な場所
であったが、不便なことには変わりない。不満の声も多く挙がったが、サクヤは無理を言っ
てベナウィになるべく立ち会ってもらってそれらを抑えた。
――ここに、堅固な砦を建てるのです。
自らトゥスクル領の地図を細かく調べ上げ、尚且つ数少ない自分に対して好意的な臣下
の力を借りて見つけた、ただ一つの地形。
ベナウィを始めとする何人かは、風向きが砦には向かないことにすぐに気付いた。それを
指摘され、同時にあからさまな嘲笑の念がサクヤに向けられる。が、サクヤは怯まない。
深呼吸を一つし、ベナウィをきっと睨めつけるように視線を伸ばす。
――できるだけ、ここへの物資の運搬は秘密裏に、けれど見つかるようにしてください。
何を言っているのかわからない、といくつかの視線がサクヤを射抜く。
これまで、野盗に襲われた使節のうち、撃退できたものも幾つか存在する。中には何度
も襲われているが、その度追い返すくらいのものもあった。
そのおかげで敵に優れた指導者がないと推測ができる。つまりは、統率がほとんど無い
に等しいと代弁しているようなものだ。
とはいえ広大とはいえないまでも狭くはない国土の中では逃げ場所は吐いて捨てるほど
存在する。戦の真っ只中にあるトゥスクルは領地の外にも注意が幾分か渡り、野盗を捕ら
えることが難しい状態。網を張って捕らえるにしても、餌が無い。
相手は獣よりもやや賢しい。つまり、獣とは違う。
ならば、彼らの好む餌を創ればいい。
甘かった。
全てがただその一言に尽きたような、そんな気がサクヤの内を支配する。
「ころ、す……」
言いながら、本当に簡単な言葉だと思う。ほんとうに。自分がそれをする訳ではないと何
度も言い聞かせるが、同時に自分がそれをさせるのだ、という思いが生まれる。
「さくぅ」
膝からの声にびくりと反応し、縮こまっていた背をぴんと伸ばす。目をやれば、自分の膝
を枕にクーヤが眠りに入ろうとしている。瓶を日にかざして光の変化に目をころころさせて
いた姫君は、日が落ちるとすぐにおねむの時間に入ってしまったようだ。
いつもより早い時間だが無理もないか、とクーヤの髪を撫でながら思う。滅多に町に出な
いような生活を送っていた中で、昼間から夕刻までずっとはしゃいでいたらしいのだから。
そう思いながら、念のために戸が閉まった状態であることの確認も忘れない。
「あ」
サクヤは小さく声を上げる。クーヤが眠ってしまったから、その手にあった瓶がころころ
と床を転がっている。すぐに拾おうと思ったが、クーヤが服の裾を握ってしまっていて迂闊
に動くことさえもできない。
「クーヤ様ぁ……」
苦笑しながら力のない声を上げて懇願するも、夢の中の姫君に届くはずもない。仕方なく
手を解いて寝所の支度をしてからと思っても、クーヤは裾を掴んだ手を絶対に放そうとはし
てくれない。
自分の腕力では歳の近いクーヤを持ち上げることなどできっこない。よしんば可能だとし
てそれを運ぶには片足にしか力が入らないのでまともに運べない。
と。
「……?」
ふわり、と甘い香りが鼻腔をつつく。町に出たというクーヤが菓子でも持っていたのだろ
うかと思い、少し指で探るもそういったものは見当たらない。サクヤが匂いの元を探してい
ると、不意に虚脱感が肩にのしかかる。クーヤの姿が、二つにも三つにも増える。
「な、に……?」
視界の端に、紅色の硝子細工が見えた。
戸を完全に閉めておいたことが災いしていたようであった。
密閉された空間の中に微々たる量の紅皇バチの蜜の香りが漏れ、やがて充満する。
精神に歯止めが聞かないクーヤと、精神的にまいっているサクヤには十分な量だった。
くたりとした肩は頑として上がらない。というより、体中の力が抜けている。せめて膝上
のクーヤの負担にはならないよう前に状態を倒さぬように気遣うのが精一杯。
「ふ……ぅっ」
からだじゅうが熱い。そして冷たい。呼吸にさえも乱れが生じる。
舌を噛んででも正常な精神を保とうと思っても、肝心の歯に力が入らない。
外は静寂であるはずなのに、鼓動が大きく耳を打つ。
髪を撫でていた左手は既に動かない。指先が、クーヤの長い耳を伝って床に垂れる。
「くーや、さま……」
全神経を集中してクーヤに目をやれば、汗で額に張り付いた前髪と、寝苦しそうな表情が
見えた。
「……くッ」
鼬の最後っ屁、とばかりに腕を乱暴に動かす。
ごとり。
運良く戸が外れる。
そのまま、ぱたん、と見た目に反して小さい音を立てて戸が倒れた。
新鮮な空気が、ゆっくりと流れ込んでくる。
「は、ぁっ」
気怠さの中で、サクヤは大きく深呼吸した。
皇自らが建設を指揮した砦は程なく完成を迎える。未だ少し不自由を抱えた足を引きず
り、サクヤもまたその完成を見届けた。
本来ならば感慨もひとしお、という所かもしれない。ベナウィとサクヤの元に完成を告げ
に来た兵は嬉しそうにそれを報告したが、二人とも表情を崩さない。
「さて、行きますか」
言葉だけで促すベナウィに短い返事をし、サクヤもまた立ち上がる。
砦の建設に着手し、完成まで順調に事は進んだ。
もう、あともどりは出来ない。
「……怒ってますか?」
おずおずと、サクヤはベナウィに切り出す。
「何のことです?」
「今回の、砦の建設について……」
戦の指揮を執ることとは訳が違うが、それでも一度反対された戦絡みのことだ。
サクヤが申し訳なさそうにしているのを見て取ったベナウィは、僅かに表情を崩した。
「私が一任したのです。気にすることはありません」
「――はい」
サクヤは、表情を引き締める。長い耳が、ぴんとまっすぐになった。
数週間後、砦が攻め落とされたという報告がベナウィの耳に入る。
建設を手伝ったという兵の声とは裏腹に、ベナウィは眉一つ動かさない。兵が訝しげな表
情を向けると、ベナウィは少し笑った。思ったよりも早く敵が行動をしてくれるのは、正直
ありがたい話だ。
「何を笑っているのです、聖上!」
語調を荒げるも、目の前の皇は態度を変えない。
す、ともう一度だけ読み上げようと兵は一つ息を吸う。
「砦は落とされた、されど死者は無し、違いますか?」
報告を遮り、ベナウィは予想される戦果を問うてみた。ベナウィの言ったことが正しかった
のか、兵は不思議そうな顔で返事をして部屋から出て行った。
ベナウィはサクヤの姿を探す。報告は誰かを遣ってやれば良いのだが、今回だけは自分で
言っておきたかった。サクヤのいそうな場所を探してみようと、少し足を止めて考える。
脚のことも考えて部屋に行ってみたりもしたがもぬけの殻である。
と、
「そうか、私は……」
全く、清々しいほどに何処も思い浮かばない。
自分は、サクヤのことを何一つ知らなかったのだと気付く。
侍大将であった時には持ち合わせていた、部下を思い遣る余裕すらもなかった。
ここにきてようやく、「疲れ」を自覚したような気分になる。
そういえば、あの前皇もそれなりに休みをとっていたような記憶がある。娘やら周りの人
間やら、家族団欒のために割いていた時間だと思っていたが、自分のためにもなっていたと
今になってようやく知る。
(まだまだ、敵いそうにありませんね……)
心の中で小さく苦笑。今はまだ、絶対に表には出してはいけない表情であるから。
禁裏の入り口脇にある小さな庭園。程好く手入れされた観賞用の樹が並び、まるで上質の
衣でも重ねたようなふわりと萌えた草が足元に広がる。
かつては巨大なムティカパが一頭で占領していた場所であるが、今ではめっきりクーヤが
独占しているお気に入りの場所であった。
「さく〜」
草の上に腰を下ろしたサクヤに、走り回りながらクーヤが元気よく手を振る。
見てますよ、とサクヤも小さく手を振ってみた。
「探しましたよ。まさかこんな所とは」
肩に置かれた大きな掌に、思わず小さな悲鳴を上げる。逆にやってきたばかりのベナウィ
が驚いた。予期せぬ訪問者の顔を見、少しの間のあと、
「すっ、すみません!」
現れてから驚かれ、それから勝手に謝られ、どうしていいのか分からなくなった。
なんとか妙な空気を流し、ベナウィはサクヤの言う通りに物事が運んだことを伝える。
予想通りにそんなことは後で報せてくれればいいとサクヤは言ったが、ひとつ、新皇には
自分で伝えておきたいことがあった。
「せめて礼だけは自分の口で言わせてください」
「お礼、ですか?」
何のことだか分からない、といった風にきょとんとするサクヤ。なぜか少しおかしくて笑
みが零れそうになるが、それは視線だけに留める。
「ええ。あなたのおかげで色々と反省する所も見つかりました」
クロウに言われたことが、今になってようやく解った。
あの聖上に一人で張り合っても、敵うはずなんか無かった。
何せ、相手は文字通りの神様なのだ。
「これからも、よろしくお願いします」
会うなり失礼をしたのに深々と礼儀正しいお辞儀をされ、今度はサクヤが混乱した。
峠の下、谷間のような地形で周りは木々。
砦にしては簡素ではあるが、いくらかの禁裏の蓄えを仕舞い込んだそこに野盗が目を付け
ないはずがなかった。警備が少ないことも辺鄙な場所まで誰かが攻めてくるはずが無いと思
っていたものだと判断したらしい。
「さて、頃合だろうな」
木々に潜むはクロウ率いる侍衆。道らしい道も無い狭い空間に、巨大な樽が運び込まれて
いた。
敵の頭らしい風体の男が一人、何人かの手下を引き連れ攻め落としたばかりの砦へと入っ
ていく。思慮が足りねえ、とクロウでも思える行動だったが、その行動に裏があるとも思え
ない。
クロウは腕を挙げ、大きく息を吸う。
「――ぶち撒けろッ!」
高らかな指示とともに、巨大な樽が傾く。
隙間だらけの簡略な(と言うよりは、粗悪な)天井に、どろりとした黄金色が降り注ぐ。
紅皇バチの、蜜だった。
クロウは焦らず、いくらか待つ。砦からの逃亡者は見当たらない。
「よし、……捕らえろッ!」
サクヤと会った後、すぐさまベナウィはクロウの元へと駆けつけた。本来ならば侍大将で
あるクロウに全て任せる所であったが、兵を労う意味でも、また自分の感情でも当の地へ赴
かねば気が収まらなかった。
野盗の一人、おそらく頭であろうと思われる男がベナウィの姿を見ると高らかに笑う。
「おい、見ろよ! 本当に来やがったぜ!」
余裕なのか虚勢なのか、はたまた狂っているのかは判断できないが、同じく縛られている
彼の部下らしき野盗もまた、薄ら笑いを浮かべている。
「いったい何のことを――――――」
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……ッ!
ズゥゥゥン……ッ!
何か、巨大なものが動く音。
弾かれたように、ベナウィとクロウは音の方向を見る。
「あれ、は」
小山ほどの大きさに、ムティカパ一頭ほどもある肩幅。
それが纏う、漆黒の甲冑。
文字通り「一騎当千」の化け物。
ベナウィとクロウ、前皇時代からの兵らは戦慄する。
シャクコポルが神より遣わされた兵器、アヴ・カムゥ。
今、それが目覚め、咆哮した。