ちちちちちちちちちちちち……。
 鳥の声。雲は大きく、なだらかに。

 ごりごり。さらさら。
 赤や緑、その他色々な植物を別々にすりつぶしては別々の容器に分け、神妙な顔で粉末状
になったそれを少しずつ混ぜていく。適当な分量を混ぜると、また別の容器に移る。
「これでよしっ」
 それを掌大の小さな袋に詰め、エルルゥは小さく笑った。薬師である彼女に仕事を終える
目安などない。怪我や病はいつ襲ってくるとも限らない。
 ヤマユラは、今日もまた穏やかな日常を迎えていた。



「やはり、解らず仕舞いですか」
 トゥスクルの國師を通じてオンカミヤムカイに調査を依頼したアヴ・カムゥの件は、結局
正体がわからぬまま終わろうとしていた。
 渡された報告を手に、ベナウィは小さく呟く。その声に落胆の色は無く、依頼した調査が
芳しくない結果をもたらすことを予期していたようであった。
 それもそのはず、もともとオンカミヤムカイは大神のことには通じてはいるが、アヴ・カ
ムゥのような例外的な存在は専門外の代物である。ただアヴ・カムゥ自体がその大神からも
たらされたものであるということ位しか、詳細は何もわかっていない。
「どうしますかい」
「……放っておいても問題はないかと思います」
 クロウの問いに、少し考えてベナウィは答える。アヴ・カムゥは絶対数の少ない兵器だ。
トゥスクル侵攻を一度失敗している以上、貴重な戦力をまた使ってくるとは考えにくい。

「それより、気になることがあります。また調査班を出せますか」
 ベナウィは他の臣下に問う。國の蓄えを無駄に磨耗する可能性がある以上、余裕を持って
使節を結成できる必要がある。
「ええ。しかしオンカミヤムカイに使者を出すとなると……」
 そこまで聞き、ベナウィは遮る。
「人員はトゥスクルの漢で十分です。できれば呪に長けた者を入れたい所ですが」
 トゥスクルにも術法を扱う兵はいるが、如何せん数が少ない。鎧を貫く術法はできること
ならば中央の防備に置いておきたい所である。術法はオンカミヤリュー族の専売特許のよう
なもの。かといって現在トゥスクルにいる國師を同行させる訳にもいかない。
 散々の話し合いの末、防備のことは目をつぶることになった。
 罪人が労働源として働いている以上、中央の防備は必須と思われていたが、どういった訳
か罪人たちは思いの外大人しく、むしろ罪を悔い改めるものもかなりの数に上ったというこ
とだ。
 同席していたサクヤは大き目の外套の裾を握る。呪は完全に専門外であるので、ここは話
に加われそうには無い。下手に出しゃばるわけにもいかず、ただ周りの話を聞くに留まる。

「同盟國からの協力要請が来ておりますが」
 調査の話について一段落した所で、また別の報告が入る。
「カルラゥアツゥレイから? ……聞かせてください」
 少しだけ、ベナウィの表情が変わる。皇がベナウィになってからというもの、同盟國との
付き合いは必要以外のことは皆無に等しいほどに無くなっていた。カルラゥアツゥレイの皇
はトゥスクルの前皇と何かしらの繋がりがあったらしいが、今や確かめる術はない。
 ベナウィは詳しい事情を知らないが、カルラゥアツゥレイが建國されるよりも少し前、前
皇と武将らがこぞって消える事件があった。おそらくその時にお節介でもしたであろうのは
想像には難くなかった。
 ベナウィはデリホウライと話をしたことは無い。が、一度だけ彼が謝恩のためにトゥスク
ルを訪れたことがあった。その時の振る舞いから性格の方はおおよそ掴んでいる。自信家の
きらいはあったが、それは戦闘力の高いギリヤギナ族の中でも抜きん出た強さを持っている
事実に裏打ちされたもの。

 その報告を、サクヤは血の凍るような想いで聞いた。カルラゥアツゥレイにもまた、トゥ
スクルに現れたようにアヴ・カムゥが出現したらしい。皇自らが出陣し、討伐に臨んだが敗
北。同族が関わっているかもしれないと思うと、心が痛んだ。

「……これは私たちが赴いた方が良いのかもしれませんね」
 少し考えた間のあと、ベナウィが口を開く。
「何を仰るのです!」
「聖上が國を離れるなど!」
 何人かの臣は異論を唱える。
 ベナウィはクロウを見遣った。
 最初に反対するであろう侍大将は、意外にも口を開かない。
「クロウ、どう思います?」
 クロウも敵の力をよく知っている。だから自分の部隊だけで行くなどとは言わない。
 ニヤリと笑ってクロウは言う。
「御心のままに」
 皇が戦の際に先陣を切ることは珍しいことでは無い。むしろ多くの皇は武を嗜み、國の漢
とともに戦うことが多い。既に滅亡してしまったとはいえ、強大な力を誇った三大國家の皇
は皆、戦の中で戦うものたちであった。
 が、それは戦が自國のためであればの話、他國のために働く皇など属國でもなければあり
えないことだ。
 その場ではクロウだけがベナウィの意図を理解していた。

 その後、
「さっそく準備に回ってきますぜ、大将!」
 厳粛な面はどこへ行ったやら、親指を立てて威勢のいい声でクロウは言う。
「ええ。できるだけ早いうちに出撃します」

 複数名の人員を割き、それらをベナウィの言う調査班に置く。予定していた数より少なく
なったため、危険度は増したが野生の獣風情に敗れるようなトゥスクルの漢ではない。
 クロウは人事は得意ではないが、兵ら一人一人の性格や得意なものを把握していた。それ
が故にベナウィはクロウを信頼していたし、またクロウの元で働く漢たちもクロウを尊敬し
ていた。

「今呼ばれた奴らは遠出の準備をしておけ! これから呼ぶ奴は調査に回ってもらう!
 呼ばれなかった奴らも國を護る大事な仕事を任されたものだと思えッ!」

 兵舎に指示の声が響いた。
 クロウは兵全体に直接伝令を伝えることを好む。本人曰く、その方が仲間という感じがす
るということである。侍大将の他の責務を考えると時間の掛かるやり方であるが、実際クロ
ウの方法は多くの兵に慕われていた。


「おぉ〜」
 クーヤは自室で窓からの光景を眺めていた。多くの漢たちが窓の下の廊下やら外やらを走
っている。足音が大きく聞こえる時にはぴくぴくと長い耳をせわしく動かしているのが、眺
めているサクヤには愛らしく感じられた。サクヤは人の移動が戦いのためだということを知
っているが、露とも知らないクーヤは何の騒ぎかと興味津々。
「クーヤ様、あまり身を乗り出すと危ないですよ」
 サクヤの言葉に、クーヤは耳をぴくぴくと動かして「お〜」と返事らしき言葉を返した。
 クーヤはムックルの一件以来、禁裏の外に興味を抱くようになった。まだトゥスクルの人
間の中には偏見を持っている者もあるため、外に出歩く時は誰かを伴う必要があったが、サ
クヤやクロウなどに暇があるときには一緒に外へ出て行ったりもしていた。

 がたん!

「……あ」
 サクヤは小さく声を上げる。棚の上に置いた刀が、不意に転がって床に落ちたのだった。
 クーヤの目に付きにくいようにと隠されていたそれは、手入れをされなくなって久しい業
物。多少でも剣のことを知っている人間からすれば名刀であったことが窺い知れる一品であ
ったが、二人にとっては武器としての価値を既に失ったものだった。
 ゲンジマルの刀。
 クーヤの明るい瞳は急に淀み、サクヤもぎくりとして動きを止める。
「おじい、ちゃん?」
 たどたどしく、小さく。
「……げんじまる〜」
 クーヤもまた、声を。
 サクヤはクーヤの声にびくりとする。大急ぎで刀を拾い、部屋を出た。

「おじいちゃん……」
 サクヤは刀身をわずかに鞘から出し、とうに痛んだその刃を見つめる。
 刀の持ち手は、既に亡い。
 なればこそ、自分の手にある刃にも最期を迎えさせてやるべきなのかもしれない。
 たった一つの祖父の形見であるそれに。
「カルラゥアツゥレイ……ギリヤギナ……」
 サクヤは無意識にその名を呟く。今でこそ一國を治める強靭な種族であるが、ギリヤギナ
の種族は一度地に落ちぶれた種族。その原因を作ったのが祖父と、自分の手にある刃。
 伝説とまで謳われたゲンジマルは死んだ。ゲンジマルの手として共に戦場を渡った刀も、
また同じように死ぬべきなのかもしれないとサクヤは思う。それが、戦場における「手」の
定めなのだと。
 クーヤに部屋で大人しくしているように告げ、サクヤは歩き出した。



「……では、他の國にはアヴ・カムゥは無いと」
「その通りでございます、ハイ」

 その足で稼いだ豊富な情報までもを売り物にする行商人チキナロから、ベナウィは各地に
残っているアヴ・カムゥの有無についてを尋ねていた。有り難いと見るべきか、はたまた迷
惑と見るべきか、他の國でアヴ・カムゥが現れたこともそれらしき姿や噂すらも存在しない
とのことだった。勿論チキナロが知っていることが完全ではないことは重々承知の上である
が、それでも信頼できる情報屋の目から完全に逃れる人間などそうそういるものではない。

「怪しいと思った地域をさらに詳しく調べることは可能ですか?」
「すると追加としてこれだけ頂くことになります、ハイ」

 チキナロがさらさらと紙に金額を書き、差し出す。
 表情こそ変えなかったが、ベナウィはチキナロが出した金額に内心驚いた。ミキュームの
値段にこそ及ばないものの、大き目の蔵を軽く三つは建造できる金額。チキナロにしてみれ
ば命の懸かった仕事なのだから当然なのかもしれないが、今のトゥスクルにそれだけの余裕
はなかった。

「……では、他のことを頼みます」
「そうですか。まあ、仕方ないですねェ」

 言いながら、チキナロはやや残念そうに紙をくしゃくしゃに丸める。他の人間が見れば、
無茶な値段をふっかけただけで容易に情報収集ができるのではないか、と邪推したくなるで
あろうが、諸國がいかに危険な状況であるかは想像に難くない。加えて、ベナウィはケナシ
コウルペ時代から何度かチキナロとは面識があるので、目の前の男の態度が商売のための手
段に過ぎないことも熟知していた。
 間をおき、ベナウィは切り出す。

「呪に関する知識は?」
「そこいらの漢よりはあるつもりです」
「戦場から逃れるだけの脚は?」
「無ければ、今この場にはいないでしょう。ただ逃げるだけが私の手管ではありません」

 短い問いに、簡略な答えが返される。ベナウィは考える。自分の気がかりの調査を目の前
の男に任せたとして、おそらく十分な働きを見せてはくれるだろう。だが、彼はトゥスクル
だけではなく全國を渡り歩く行商人。金次第ではどんな情報も商品として扱うものだ。その
調査内容が外部に漏れる可能性も、無くは無い。
 アヴ・カムゥの隠されていた山には既に十分な人員を割いている。豊富な知識を持つチキ
ナロの力を借りたいのは山々であるが、姿の見えぬ敵にわざわざ自分たちの動きの知れる可
能性を与えてやる必要はない。

 逃れるだけが、手管ではない。

「……そうかッ」
「どうかなさいましたか?」

 アヴ・カムゥを敵が持っている可能性ばかりを考え、護りにばかり気が回っていた。そこ
に気付き、ベナウィは新たにチキナロに依頼する。

「ディーというオンカミヤリューの男の人間関係、それと――」
「なるほど。では確かに承ります。ハイ」

 敵がアヴ・カムゥを知り、それを利用できるというのであれば十分な手がかりになる。
 防御という行動は決して受動的なものに限ったことではない。



「聖上」
 チキナロが出発した頃、サクヤが入れ違いにベナウィをたずねる。その胸には、ゲンジマ
ルの刀を抱えて。
 ベナウィは人目でそれが何であるか察したが、口には出さなかった。
 す、と大事そうに抱えた刀をベナウィに差し出す。
「この刀を、カルラゥアツゥレイの皇に」
「――よいのですか」
 震えている手を、ベナウィは見抜いていた。
 今でこそ見るに絶えない姿であるものの、それはギリヤギナの長を斬った刃。
 デリホウライにしてみれば父を殺した凶器そのものだ。
 それを渡すということの意味は、サクヤが誰よりも解っている。
「クンネカムンは滅びました。クンネカムン大老、ゲンジマルは――」
 ひく、と小さく喉が震えたのが見て取れた。

「――死にました」

 一息に言って。
 ぽろり、と涙が一筋、頬を伝った。

 瞼を閉じ、ベナウィは本当の価値を発揮することはおろか、鞘から抜かれることすら無く
なった刀を思う。そして、その刀が輝いていた時を回想する。

「たしかに、受け取りました」

 両の手で、しっかりとその刀を握る。
 自分の手から離れたとき、サクヤは少しだけ寂しそうだった。
 そして、クーヤを縛る過去の鎖は全て断ち切れた。