サクヤら重臣らの見送りのもと、カルラゥアツゥレイ救援のための部隊は出発する。
 皇ベナウィ自らが救援に向かうという極めて異例なことであったが、一度下った決定は覆
らない。多くの反対を押し切っての出陣は、ようやくベナウィを受け入れつつある民からも
歓迎され難いものであった。
 チキナロとの契約は数ヶ月に及ぶ可能性もある。その間、ベナウィは正体不明の敵や外國
のトゥスクル侵攻はないと読んだ。三大國が全て滅んだ今、トゥスクルは全国でも有数の國
となりつつある。例え皇が不在であっても、迂闊に攻め入る事は容易ではない。戦は頭だけ
で決まるものではないのだから。

「では、行って参ります」
 侍大将時代からの癖であるのか、ベナウィは重臣たちに恭しく一礼をした。クーヤは傍ら
のサクヤの陰に隠れてその様子を見ていた。彼女にとっては軍隊の出発は決して見ていて快
いものではなかったらしい。
 ベナウィは二振りの刀を持っていた。一つは性能を損なわない程度に装飾が施された護身
刀、そしてもう一つ、サクヤとの約束の刀。

「道中、気をつけることですわね」
「ベナウィ皇がいない間の防備は某たちにお任せを」
 見送りの列に参列していたのは、國を出、放浪の旅を続けていたはずのカルラとトウカで
あった。武の道しか知らぬ彼女らは傭兵を生業として路銀を稼いでいた。引く手数多の一騎
当千の傭兵たちをベナウィが緊急で雇うことができたのは、やはり「祖国」トゥスクルやカ
ルラゥアツゥレイの危機が関わっているからであろう。
 二人の言葉に、現侍大将は胸をドンと叩いた。
「任せな。この國が滅ぶようなことにはしねえからよ」
 カルラやトウカ、クロウは言わずとも解っていた。そしてもちろん、ベナウィも。
 トゥスクルは、彼の國だ。
 後を任されたものとして、護る必要がある。
 いつでも、帰って来られるように。


「行ってしまいましたわね……」
 救援部隊の姿が見えなくなった後、カルラは一人呟く。カルラゥアツゥレイ皇の安否を案
じていることを感じ取れたのは、ナ・トゥンクの瓦解を知るトウカだけであった。
 臣下たちは禁裏に戻り、皇に命ぜられたとおりに自らの職に戻っていく。

 先刻から後ろの裾がやけに引っ張られる、とサクヤはそこに目をやる。
「クーヤ様?」
 おそるおそる、といった感じで見慣れぬ傭兵二人を観察するクーヤ。
 トウカなどは彼女を知る者からすれば「またか」と嘆息つきたくなるかわいいものを見る
ときの感じであり、一方のカルラも視線に気付いているのかいないのか、普段と変わらぬ佇
まいであった。
 相手の態度も気遣うことなく、カルラは大股でクーヤに近づく。カルラの行動に、クーヤ
は小さく身を震わせた。サクヤもカルラも知り得ないことであったが、かつてアヴ・カムゥ
越しとはいえクーヤが初陣で斬った者も、カルラと同じギリヤギナの人間であった。その時
の恐怖は思いの外クーヤを蝕み、のしかかっていた。
 カルラは少し屈んで、クーヤと視点を同じくする。一回だけびくりとしたクーヤは、その
後震えるのをやめた。

 まっすぐに自分を見る目は、どこか覚えがあったから。

 意味ありげに一つ微笑み、カルラは背筋を伸ばしてサクヤに問う。
「こうやって話すのは、初めてでしたわね」
「はっ、はいぃ……」
 急に話を振られて、サクヤはしどろもどろになる。
 人づてに聞いた、祖父とカルラには因縁があるという話もちらほらと頭をよぎる。
「今、時間をもらえるかしら?」
 カルラの言葉に、サクヤは少し考える。まさか立ち会うなんて事はないだろうと思うが、
自分にも禁裏の仕事があり、クーヤを見る時間も取らねばならない。
「あの子の事なら心配要りませんわ」
 カルラの指し示す先には、かわいいにゃ〜状態のトウカが。
 クーヤもトウカに害意は無いと見て、少しずつ歩み寄っていった。



「すみません、お待たせしましたぁ……」
 やや急ぎ足にもとカルラの部屋を兼任していた酒蔵へと足を運んだサクヤ。手元の仕事を
区切りのいい所まで、と渋っていたら意外にも時間を食ってしまった。
「構いませんわ。どうせ暇ですもの」
 カルラはにっこりと笑う。空っぽになった樽の数が明らかに増えていた気もしたが、それ
は気にしないことにした。さぁ、と風が吹く。風通しのいい部屋であったのだから当然とい
えば当然だが、普段は酒蔵などに来る機会の少ないサクヤにとっては新鮮に感じられた。

「付き合いなさいな」
 どこから拝借してきたのやら、もう一つの杯をサクヤの方に向ける。
「あの、あたしはまだ仕事が……」
 生真面目な性格にエヴェンクルガ系の教育まで詰めたお堅い性格ハイブリッド。
 ……のはずが。
「あら、私の酒が飲めないと?」
(め、眼が据わってます……)
「あの、い、いただきます……」
 押しにはめっぽう弱かった。
 受けた杯を、仕方なくくいっと煽る。

「あなた、あのゲンジマルの孫でしたわね?」
「はい、そうですよぉ」
 そう弱い酒でなかったとはいえ、たった一杯で顔を真っ赤にするサクヤ。エルルゥも弱い
方であったが、サクヤはそれに輪をかけて酒に弱かったようである。
 他の人間ならば身の心配をする所であるが、カルラが相手であったのではその道徳規範は
当てはまらない。素面である時と同じように接し、話しかける。酒が回ったサクヤは上気し
た自分を感じていた。
 サクヤはできるかぎりカルラをじっと見る。くつろいだ姿勢でまるで水でも飲むかのよう
に樽の中身が無くなっていく。
「……何ですの?」
 サクヤの視線がさすがに気になったのか、カルラも声をかける。
「あ、その、何でもありません、ですっ」
 生来の性格に酒の力も加わり、頭の中がぐるぐる回る。

 言えるはずが無かった。
 明らかにカルラの体積よりも酒の体積の方が大きい、なんてことは。

「あの、カルラさん、一つ訊いてもいいですか」
 意を決したようにサクヤは話しかける。自身の鼓動が、やけに重い。
「どうして私たちが出陣しなかったのか、ですわね」
 横目でサクヤを見ながら、今日だけで何杯目か数え切れぬほどの酒を飲み干した。
 サクヤは何も言わなかった。サクヤが気にかけていることは、カルラが察した通りのこと
であった。
「ベナウィを信用してませんの?」
 ふるふる、とサクヤは首を振る。むしろその実力はよく知るところである。
「でも、あの方は今のこの國の聖上なんです」
「そう……でしたわね」
 ふっ、と笑うようにカルラは言う。
 遥か遠くに位置する棄てた名の國。そこに現れた化物。帰ってくるまでの道のりを含めれ
ば、もしもの可能性は大きく膨らむ。
 祖国を蔑ろにするような判断であったが、それが無碍な事だと思えないのはカルラにとっ
てのトゥスクルの皇は違う者だから。されど、その男は。
 先皇を思慕するが故に國に留まることができなくなった自分。今の皇を受け入れ、トゥス
クルを護るために留まったサクヤ。かの先皇には人を惹きつけるものがあった。過ごした時
間の長さなど関係ない。
 どちらの判断が正しかったのか、などということを自問するつもりはない。自分の道は常
に一つであり、道を選んだら選び直すなどできないのだから。
「私はベナウィを信じてますわ。あれほど頭の堅い男はいませんもの」
 その言葉に、サクヤは悪いと思いながら少し吹き出した。
 そして確かに、と頷く。真に先皇を敬っているのであれば、何が何でもトゥスクルの國を
護ろうとするはずだ。

 ハクオロから、國をたのむと言付かっているのだから。

「いい風が吹いてきましたわね」
 二人が談笑を続けている内に、日は落ちていた。日中に暖められた空気も、風によって冷
やされていく。カルラが選んだ酒蔵の自室は割に高い場所に位置していたので、風が強く感
じられた。
 ひゅううぅ。そんな音に耳を傾け、サクヤは長い耳をぴくぴくさせる。体温調節の役割も
果たすその耳は、面積のわりに聴力はさほど高くはない。そんな耳にも風の音は届くのだか
ら、屈強なるギリヤギナにはさぞかし大轟音に聞こえるのではないか、とカルラを見ながら
思う。
 空気の冷たさで頭は冷静さを取り戻す。と、
「おしごとが、まだっ」
 慌てて立ち上がる、と。
 へにゃり。そんな感じにサクヤは座り込む。
 カルラに二度三度と半ば強制的に酒を勧められていたのが、この時になって一気に回って
きたのだった。
「今日は休んでしまいなさい。せっかくの鬼のいぬ間ですわ」
 カルラの言に甘えたくなってしまうが、やけに強く残った理性が仕事しろと騒ぐ。困った
事に、その理性は心から尊敬している二代目トゥスクル皇の顔をしていた。なんとか頑張っ
て立ち上がるも、やはり頭がくらくらして上手くいかない。ついでに足の踏ん張りも利かな
いものだから、三歩も歩く前にへたりと倒れこんでしまう。
 言わない事じゃない、とカルラは溜息をつく。
 無駄な事だ、と思いながらもカルラはサクヤの行動を眼で追ってみる。同じような事を何
度もやってはいるが、一応廊下の方向へと進んでいる。ただ蝸牛の方が速いのでは、とさえ
思えてしまう速度ではあるが。
 転びそうになるサクヤの体躯が、ひょいと持ち上げられた。
「そんなんじゃ、日も……明けてしまいますわ」
「す、……すみません〜」
 サクヤの状態を考えれば、仕事などできるはずがない。カルラはそれを分かっている。
「あの皇にして……ですわね」
 小さく、そう漏らす。
 黒曜石並みの神経を持ったお堅い聖上に仕えるには、それくらいでないとやっていけない
のかもしれない。
 少なくとも自分は御免だ、そうカルラは思った。



 サクヤの意識が戻ったのは、太陽の位置が真上にある時であった。最初は太陽はいつから
逆に動くようになったのか、などと螺子の緩んだ疑問を抱いてしまったりもしたが、夕べの
ことを思い出してはっとなる。
「お仕事がまだ途中でしたっ」
 がばっ、と胴を起こす。そこであることに気がついた。自分は自室に戻った覚えは無い。
念のため隣りを確認すれば、幸せそうに夢を見ているクーヤがいる。
 カルラが連れて来てくれたのだろうか、と何度か瞬きしながら思う。まだぼうっとした感
が残る状態で起き上がると、枕元に大量の書類が積み上げられてある。一番上の紙に目を通
すと、見慣れない筆跡が目に付く。
「もしかして、カルラさん……」
 嬉しそうにサクヤは呟く。
 カルラが達筆だったことはサクヤには意外だったが、それ以上に嬉しさが勝る。
 確認の意味も込めて一枚目の紙をめくると、

『精進なさい』

 とだけ綴られた紙が挟まっている。
 へたり。
 再びサクヤの足の力が抜けていった。
「ひどいですぅ……」
 三枚目以降はもちろん白紙だった。



 それから、死に物狂いで遅れを取り戻した数日後。
「はッ!」
 中庭で真剣の素振りを続けるトウカの姿が、廊下を歩くサクヤの目に止まった。
 サクヤが近くを通っても、トウカは全く気付かないようである。集中するのはいい事だと
思う反面、そればかりになって周りに気が向かなくなるのもどうか、と思ってしまうのは吹
っ切ったはずの祖父と比べてしまうからだろうか。
「あのー」
 ゆっくりとトウカに近づきながら。
「せいッ!」
 気付かない。
 幾度となく声をかけても、やはり結果は同じ。

 ぶーん。
 そこに羽虫が一匹。トウカの方向へと飛んでいく。
 しぱーん。
 剣が一閃。
 ぽてっ。
 虫が地に落ちた。

「うぅ……」
 極度の集中に愛用の真剣のせいで、下手に近づいたら斬られかねない。それだけにサクヤ
はどうしたものかと思案する。
「えいっ」
 試しにほんの小さな小石を拾って投げてみた。集中しているのなら飛来する小さな石を叩
き落とすはず――が。
 かこーん。
 脳天に見事に命中。
「…………………………」
 だらだらだらだら。
 物凄い勢いで汗が流れ落ちる。
 ぎろり、と視線がサクヤの方へ。なんというか、マズイ。
「……サクヤ殿?」
「……え? あ、はいっ」
 思わずぴんと背筋を伸ばして答えるサクヤ。声からトウカが怒ってないとは思えたが、申
し訳ない気持ちは消えない。
「某の隙を突くとは、さす……」
「あ、あのっ」
 先手必勝。トウカがゲンジマルを尊敬している事はよく知っているので、下手に相手の言
葉を待てばその話も浮上するに違いない。サクヤが話したかったのはそんな事ではなかった。
「クーヤ様を見ててくださってありがとうございますっ」
 そのまま一気にまくし立てた。下手に間をおけば隙を突いた(とトウカは思っている)こと
から口癖の「某とした事が」が始まり、話をする事もままならなくなる。
 最初ぽかんとしていたが、微笑みながらトウカは言う。
「クーヤ殿は楽しい御方でしたよ」
 クーヤといる事が楽しい、と称されたのはクロウに続いて二度目。トゥスクルの人間の温
かみを改めてサクヤは噛み締める。
「あたしの自慢の友達ですから」
 小さく微笑み、サクヤは返した。

 キラリ。
 サクヤと話しているトウカの背後で。
 空に、何かが光った。
「――危ないッ!」
 突き飛ばし、その刹那。

 ヴァチィッ!
 光が身体を貫く。遠隔で放たれた、高度な水の術法。
「あぅッ!」
 サクヤの体躯がのけぞると、トウカは収めていた刀を抜き放つ。
「何者ッ!」
 答えるものは無い。

 ――敵襲? 自分たちを、狙って?
 ……違うッ!
 戦闘はおろか、逃げる手管すら持たぬ自分を殺すなら、術法などを用いる必要は無い。
 今逃げるべきは自分ではない。
「と、トウ、カさん……」
 声は小さく、届かない。
 標的がトウカなら、素振りの練習の時にも殺せる機会は大いにあったはずだ。
 だというのに、自分のいる前でトウカを攻撃した訳――。
「あ、あぁあぁあああぁぁぁッ!」

 動け!
 動け、脚ッ!

 片足のばねを最大限に、サクヤが跳ねた。

 「敵」は。その狙いは。
 あくまでも、トウカ一人。
 そして自分はそれを目撃する――即ち、無力を味わう役。

 どんっ。
 体当たりのようにしてトウカを突き飛ばす。直後。
「か、はぁッ……」
 何かが、肩を砕いた。
「サクヤ殿ッ!」

 サクヤの意識は、闇に溶けた。