「サクヤ殿!」
ぐったりとしたサクヤをトウカは抱きかかえる。
砕かれた肩から伸びるは一本の鉄の矢。
確かめる術こそないが、毒が塗られている可能性もある。
倒れたサクヤを庇いながら、トウカは刀を正眼に構える。
当然のごとく反応は無い。
刹那、トウカめがけて無数の矢が飛来する。
その数、およそ二十。
その体術をもってすれば回避は十分に可能な数。
だが、足元にはサクヤがいる。避けるは不可。
――なれば。
「ハアアアアアアアアアアアッ!!!!!!」
居合いの業に長けた速い彼女の剣。
その速さ、まさに雷。
文字通り矢継ぎ早に次々に迎撃する。
と、攻撃が止んだ。
「さすがはトゥスクルの武将殿」
ぱちぱち、と拍手をしながら現れる、一人の漢。
見慣れぬ風体に、襲撃者がその漢だとトウカは判断する。
殺気こそないが、隙もまた無い。
禁裏に忍び込む程の手練の割に、鍛え上げたというほどの風格は見えない。かといって鈍
った身体という訳でもない、しなやかな体躯。指で梳いてみても引っかかることは無いであ
ろう切り揃えられた清雅の髪。それが纏うは漆黒の衣に、薄緋の羽織。
トウカの緊張が一瞬だけ消え去った。
自分は、この漢を知っている――?
その一瞬、
「はッ!」
漢が目の前に迫り、拳を繰り出していた。
なんとか避けるも、体勢が崩れる。敵はそれを見逃さない。
「くっ、こいつ……」
敵は速い。だが着いていけないほどでもない。
その手の刀で斬ろうと思えば斬れている。
なのに斬れない。それは。
(聖上――)
風体にも、雰囲気にもどこか通じるものを感ずる。
似ているのだ。あの先皇に。
ズゥン……ッ!
「なっ!」
黒の漢は突然の隕石に思わず飛びのく。
「女を訪ねるには、作法がなっていないのではなくて?」
隕石はカルラが投げた岩だった。
「かたじけない」
「……無理もありませんわ」
サクヤを見遣り、次に黒の漢を見てカルラは小さく呟く。攻めにも守りにも全力で徹する
事のできない状況。自然と劣勢に陥る道理となる。通常ならば意地悪じみた叱咤か茶化しが
入る所だが、そんな呑気に構えることもできない。
「ふむ、二対一か。分が悪いな」
構える武将二人を全く気にしない様子で黒の漢は明るく言う。
「それに、そこの娘にも番を狂わされた。今日は厄日か……」
サクヤに視線をやりながら、更には大袈裟に溜息までついてみせる始末。策の一つでもあ
りそうなものだと、誰でも予想が出来るかのような行動。
それでも逃がすものか、そう二人が睨めつけた時、
「戦人でもないものを戦いに巻き込むのは私の流儀ではないのだが……。
まあ、彼女に免じてここは退くとするか」
サクヤに眼をやり、ふっと笑う黒の漢。
不意打ちのような行動を採る割に、言に非道の影は無い。
外見やそれが醸し出す雰囲気と相まって、二人の剣と視線は鋭さを失った。
だが、襲撃したこと、サクヤが傷ついたことは事実。
「逃すと思ってますの?」
カルラが膝を大きく曲げた。
低い視線は自然と敵を睨めつける体勢となり、数歩の間を一瞬で詰められる状態になる。
トウカもまた居合いの姿勢をとる。
傍らの相棒ほどの力強さは無いが、抜刀の疾さは雷。
「確かに、逃げるのは不可能であろうな」
す、と片腕を上げる。
それとほぼ同時、二人は飛び出した。
刃が触れるかと思われたその刹那――。
――まともな手段であればなッ。
ドォンッ!
大地が爆ぜる。
無数の飛礫が舞い、二人の体躯を打ちつける。
「オオオオオオオオオオオオオオオッ!」
誰のものともつかぬ叫び。
熱を帯びた土塊が高々と噴出されていく。
しゅぅぅぅぅぅぅ……。
熱された土の噴出が終わり、薄く煙が上がる。
大地は大きく抉れ、整備され、薄く緑の茂っていた地面は見る影もない。
その中心、爆発の威力をまともに受けてしまった場所にあるのは、二人の倒れた姿だけ。
黒の漢の影は、そこには無い。
「う……、ぁ……?」
小さな呻きとともに、彼女は目を覚ました。
光が生まれた視界は、それでもまだはっきりとした輪郭を見せない。
「よかった、気がついたんですね」
若き薬師の優しい声が聞こえる。その声がエルルゥのものだとすぐに理解した。復興され
たヤマユラから禁裏まで、急いでもそれなりの時間がかかる。その事実が、それだけの時間
気を失っていたのだということを理解させた。
身体を、無理矢理に上体だけ起こす。無論、軋むように痛んだ。エルルゥが嗜めるように
布団の中に戻させる。
「傷そのものは重くないから、すぐに良くなりますよ」
返事をしようとすると、声を出す前に痛みが走る。重くないとしても、それはあくまで命
に別状が無いというだけであり、身体に受けた傷は口で言われたよりも大分酷いものである
らしかった。
からからの咽喉を渡された水で潤す(もちろん、腕は動かなかったのでエルルゥの手を借
りてのことだが)と、ようやく自分の置かれた状況に頭が働く。
「…………ッ!」
真紅の印象が強い。
意識を失ったときの熱さが思い出される。
どくん。生きていることを確かめるように鼓動が強く頭に鳴り響く。
「……ぁ、」
小さく、呻くように。
彼女は、声を出した。
「……さ、く……は?」
隣りに寝かされている戦友の姿は見えた。
だというのに、その場にいたはずのもう一人は。
エルルゥは、眼を伏せて首を振る。
「サクヤさんの姿は、見つかりませんでした……」
ベナウィ皇が帰還したのは、それから二日後のことだった。
カルラ、トウカらが傷を負ったことを知り、ベナウィとクロウは無残に荒れた禁裏の中庭
に立っていた。
「クロウ、帰ってきて早々ですが準備を」
ベナウィが言い終えるよりも先に、クロウは頷いた。サクヤの姿は賊とともに消えてしま
っていたという。爆風に吹き飛ばされたの可能性も考え、捜索を出してもサクヤは結局見つ
からなかった。ならば、賊が連れ去ったと見るべきである。人質にしろ別の目的にしろ、連
れ去られたということは目的がある。即ち、サクヤが命を落とす可能性は低いとベナウィは
判断した。
「大将、奴の居所はわかるんで?」
「……もし、アヴ・カムゥを仕掛けた敵と同一のものならば」
淡々とベナウィは言う。
敵の正体こそは不明のままであるが、いくらかの糸口は拾い上げている。
加えてチキナロから得た情報、それは確証の全く持てない一か八かの賭けでもあったのだ
が、らしくない賭けに出たベナウィに予想通りの結果をもたらした。
が、強大な兵力を持つ敵相手とはいえ大軍を率いて行く訳にはいかない。三大國が滅びた
今、トゥスクルもまた大國の一つとして数えられる。然るに國防にも大きな力が必要となっ
てしまう。
「少数の人員で向かいましょう。頭さえ叩けばアヴ・カムゥは止まります」
「ういっス」
サクヤの身を案じる発言は出ない。心配が無いわけではないが、一人のために國を蔑ろに
すべきでない、との判断だった。
クロウはそれを非難しない。彼は自らが剣をささげた男が何を考えているか、我が事のよ
うに解る漢であるから。ベナウィは奥に秘めた愁色を決して外に出さない漢であるから。ク
ロウが剣に誓いを立てたのは、そのためだ。
対し、そんな判断を下しながらベナウィは自嘲の感に苛まれる。
先皇から護るようにと託され、今や自分の片腕でもある人間を自分の判断で切り捨てよう
とはなんと情けないことかと。
もしサクヤを攫った敵とアヴ・カムゥを繰る敵が別個のものだったなら、サクヤの救出に
は大きな時間を食う羽目になる。場合によっては見捨てる選択肢も採択せねばならないだろ
う。その時、クーヤは。自分は。
皇たる人間にそぐわない、とベナウィは打ちのめされた気分になる。
「……前にも言ったんすけどねえ」
クロウが小さく呟いた事で、ベナウィは我に帰る。
「大将は、もう少し俺たちを頼ってくださいや」
言いながら、照れたような笑いを浮かべる。
ベナウィは緊張を解いた。自責していても何が変わるわけでもない。
「そうですね、頼りにしてますよ」
これから敵の方へと乗り込むことになる。少数での目立たぬよう計らった上での行動とは
いえ、激戦となることは必至である。
外套を羽織りなおし、ベナウィは自室との兼用の執務室へ。
敵は不意打ちを受けたとはいえ、カルラとトウカに重傷を負わせたほどの手練。加えて、
幾重にも貼られた警備の目も完全に欺いている。アヴ・カムゥを駆る手管こそ持ち合わせて
いないと思われるものの、その戦闘力は驚異的なものだ。
自惚れのつもりはないが、自己の戦闘力も相当のものだとベナウィは自負している。しか
し、カルラとトウカの二人がかりを相手にそれだけの結果を残せるかと言えば、それはない
とすぐに打ち消す。そもそもトゥスクルがかつてほこった武将二人を相手に、まともに戦え
る人間が存在するものだろうか。それこそまさに、かの「生きた伝説」でもなければ。
――――。
暗い闇の中で、サクヤは目を覚ました。
肩に激痛が走る。当然ながら砕かれた右の肩は、全く自分の言うことを聞かない。が、痛
みがかえって意識を覚醒させた。
光はまったく存在しない。そのせいで眼を開けても閉じても違いがわからない。
耳を立て、周りの音に注意を払っても空気の流れる音ばかり。自分の置かれた状況が全く
掴めないという不安定な状態。
サクヤは無駄だと解っていても、きょろきょろと辺りを見回す。冷たいごつごつとした感
触は、おそらく牢のそれ。何も見えない、何も聞こえないに等しいこの場。
「だれか……っ、ここ、は……っ」
少し荒げた声を出しただけなのに息切れがする。
「お目覚めかな」
こつ、こつ、こつ……。
乾いた足音とともに、サクヤには聞きなれぬ声がかけられた。誰もいないと思われていた
だけに、サクヤは少しだけ平静を取り戻す。
「は、ぁ……っ」
相手に誰か、と問おうとしても声は出ない。
足音が止まる。
姿は見えないが、相手が笑いを浮かべているであろうことは容易に解る。
「まずは非礼を詫びようか。そなたに危害を加えるつもりは無かったのだが……」
言ってる内容は理解できるが、頭はそれ以上に着いては行かない。
荒い息だけが返事の代わりにサクヤの口から漏れる。
「信じてもらえぬかも知れぬが、戦鼓を聴かぬ者には剣を向けない主義であるのだよ」
先の襲撃でトウカらに言ったことを、もう一度サクヤにも。
あまりにも口調が穏やかなそれであったので、サクヤは少しだけ相手に対する緊張を解き
かけた。が、
「使えぬ者を駒として使うほど愚かでもないのでな」
瞬間、背中が冷やりとしたのは岩壁のせいだけではないだろう。
それ以上に熱い感情がサクヤを動かす。
「あ、なた、は……っ」
「驚いたな。喋れるのか。穴人にしておくには勿体無い」
感心した、と言う風に話す"黒の漢"。
サクヤの感情を解っているのかいないのか、愉快そうな態度を崩さない。
大きく息を吸った瞬間、その体躯がぐいっと引き寄せられた。息苦しさも相まって何が起
きたのか解らなくなる。
久しぶりに瞳に映ったのは、冷たい切れ長の瞳。
どくん、と心臓が跳ねる感覚。
穴人と蔑まれたゆえの危険に敏感な本能が騒ぐ。
体が仮に動いたとしても、逃げられないということも同時に知る。
「そなた、そういえばあの仮面皇の室の一人だったな」
に、と眼が三日月形に歪む。
つつつ。血が通ってないかとさえ思わせる冷たい指が頬を這う。
瞳が、まっしろな虚空を捕らえ――、
次の瞬間、サクヤの唇は塞がれた。
突然に突然が重なったことでサクヤは混乱する。
「……っ」
抵抗をしようと身じろぎするが、左腕と頭を相手は既に抑えている。
サクヤの口に「何か」が進入した。
得体の知れない生物のように蠢くそれは、サクヤの口内を蹂躙する。
舌を、歯を、こねくり回すようにそれは弄んだ。
舌とそれを強引に重ね、交差させ、噛みを誘うかのように踊り、すぐに引っ込める。
そして、幾度もそれはサクヤの口腔を犯す。
抵抗の意思が諦めに変わる頃、
口内のそれが引っ込められ、サクヤはようやく解放される――かに思われた。
その直後、舌の上に流し込まれる液体。
「んッ、んうぅぅッ!?」
募った不快感は絶頂に達し、動かぬはずの喉から大きな呻きが漏れる。
だらりとしていた左腕が再び強張る。
唇の端から垂れる、どちらのものとも付かぬ涎。
頭を押さえつけていた筈の相手の手はサクヤの顎に移り、首を上に向けさせる。
押し込まれた唾液が、サクヤの喉を下っていく。
こくりとサクヤの喉が動くと、"黒の漢"はようやくサクヤを解放した。
繋がっていた唇から、唾液が糸を引く。
「っはぁっ、はぁっ……」
苦しそうに息をするサクヤを、"黒の漢"は愉快そうに眺める。
もちろん彼は、サクヤの頬が濡れていたことにも気付いていた。
「皆聞けッ! 俺たちはこれからトゥスクルを狙う賊を討つッ!」
ごく少数の、集められた精鋭の漢たちの中心でクロウは叫ぶ。
アヴ・カムゥまで操る正体不明の敵を捉えたのだろうか。
ざわつく漢を鎮めるように、ベナウィは自ら前に出た。
「これは護るための戦だ! 義は我らに有る!」
ベナウィは愛用の槍を掲げる。
鈍い輝きが、陽の光に照り返された。
「――――私に続けッ!! 敵は、サハラン島の地に在り!」
トゥスクルを示す姉妹草を象った紋の旗が挙がる。
それとともに、漢たちは吼えた。
「応ッ!」
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