椎田は自分の相方に恐怖した。識のノヅチの能力については聞き及んでいたが、それ
は目にするのと明らかに違う。自分を子供のようにあしらった敵を、不意打ちとはいえ
一撃で除外してしまう程の力は、説明とは明らかに桁が違う。
捕獲専門の能力など大したことはない、そう考えていた自分の方が遥かに格下だ。
「あやや、制服破っちゃったよ」
識は盟のいた地点から布の切れ端を拾い上げる。綺麗に飲み込めたつもりであったが、
不意打ちともなると多少雑になってしまうようだ。
「ん、んー。抵抗、してるみたいだね」
識は神経を物の怪側に集中してノヅチの内側を探る。ふたたび縮んだノヅチが識の腕
に巻きつくと、識は嬉しそうに妖蛇の腹をふにふにと突っついた。彼女にとって諦めな
い姿勢は好まぬ所ではない。復活して再び邪魔に入ってくれたりなどすれば、もう嬉し
くてたまらない。
「コダマならもしや、って思ったけど。やっぱり無理みたい」
ノヅチの腹はあらゆる攻撃を無効化する。識が捕獲のエキスパートとされるのは、そ
の特性に起因していた。識はノヅチの腹を軽く握る。腹と外側はほぼ別空間であるが、
こういった干渉は通じるらしい。
にやり、と笑みを浮かべた後、すぐに手を離す。
「きゅー、ぷちっ。ってのも悪くないけどね」
「おい、殺らねぇのか?」
「人質って便利っ」
物騒な言葉も霞むほど明るく笑ってVサイン。
短い言葉に椎田は納得した表情。
尾行していた気配が完全に途絶えた。
諦めたようには思えない。雑踏の中で見失ったのかとも思うが、買い物時とはいえ平
日の商店街ではそれほど多くの人がいる訳でもなさそうだ。
「ま、いっかぁ」
仲間と接触したのなら厄介だけど。心の中で付け足して問題を完全に放棄した。
最初の判断を継続して、後はなるようになれ。
「どうした?」
「んにゃ、虫が飛んでた気がしただけ」
「あー、あったかくなってきたからねえ」
下手打って絆那や風音を危険に晒すよりも、あとで自分が倍危険な目に遭う方が数の
上でも効率的だ。
情報という面においては、識たちの方が勝っている。玲が掴んでいるのは狙っている
敵の数が二人であると点だけ。しかも、それが正確な数字だという根拠も無い。顔の割
れている椎田を連れていることは自ら正体を吐露しているようなものであるが、自己に
ハンディを課すことを楽しむ識は気にする様子も無い。実際の所、玲の仲間が他にいな
い保障も同じく存在しないのだが、大方の場合ノヅチの奇襲で十分に対処できる。
椎田は頬が弛緩しっ放しの相方に逆らう気はなかった。顔の割れている自分が敵を追
うこと自体にリスクが生じていることは彼も理解している。それでも識の方が同行を強
制しているものだからどうしようもない。しかも捕獲要員の護衛としての組であったは
ずなのに、戦闘力においても下手をすれば識のノヅチには敵わない。
「ねー、もういっそのことあの子に接触しちゃおうか」
隙あらば、と思っていたが玲は隙らしい隙を全く見せない。その上で友人との雑談を
楽しんでもいるようだから、敵ながら大したものだ。
「椎田君が引き付けてくれれば、ターゲットはなんとかするし」
人質を持っている自分こそが本当は玲の相手を受け持つべきであるのだが、短気な彼
では昨日のように絆那に攻撃しかねない。
曲がりなりにも戦闘員である椎田ならば、どんなに実力を小さく見積もっても足止め
にはなるはずだ。
「つーことで、行ってこいこのやろー」
げしっ。
言うが早いが、困惑する椎田を蹴っ飛ばす。
「……?」
引っ込んだと思った気配が再び玲の索敵範囲に現れる。痺れを切らしたのだろうか、
と玲は思考を始める。相手が気が長いのでないならば、これは好機だ。目を自分に向け
させれば、あとは撃破するのみ。
相手の増援の可能性は極めて低い。もし増えているならばたった一人の物の怪憑きを
相手に攻めあぐねるような行動はとらないはずだ。
「ごめん、ちょっと出てくる」
「え? なんで?」
「野暮用だから触れないこと推奨です。俺のは持って帰っておいて」
会計テーブルの上のまだ開けていないハンバーガーの包みを指差し、返事も聞かずに
店を飛び出す。
「行くよ、トビモノ」
小さく名を呼ぶと、丸みを帯びた純白の鎧が右肩の上に浮かび上がる。手足は無く、
頭と思しき部位からは蝋燭のようにゆらゆらと小さな炎が燃えている。
今すべきことは敵の目を引き付けること。
なれば、物の怪を隠す必要はない。
敵に対し自己の存在をアピールし、絆那の存在を頭から抜け落とすことが最優先。
玲は気配の方向へと向かって全速力で駆けた。
「やっぱり動いた。あの子、物の怪の感知はすごいけど」
足音をたてながら、識が絆那たちのいる店へ向かう。
「他はたいしたことないのかもね」
少しだけ落胆した声。
ノヅチは、椎田のもとにある。
「ハハッ、本当に現れやがったかッ」
無人の廃ビルに、椎田はいた。
玲の姿を見つけると、愉快そうに高らかに笑う。
「また君なのか。飽きないね」
せっかく走ってきたというのに、と玲は少々がっかり気味。トビモノの炎も玲の感情
に呼応するようにしぼんでいく。
「いいのかあ? そんなこと言ってる余裕はあるのかあ?」
ニヤニヤと笑いながら椎田が構える。
背後に、二メートルをゆうに超える毛むくじゃらの巨人が現れる。
椎田京の物の怪はヤマワロ、他の物の怪のような特殊な力こそ持ってはいないが、そ
の豪腕から繰り出される怪力こそが唯一にして最大の武器。
「へえ、確かに物の怪のほうは凄そうだ。物の怪だけなら」
「なんだと」
どこか識と似た態度をとる玲に、椎田は怒りを募らせる。
「潰れちまえやッ!」
ゴウッ!
ヤマワロが拳を振るう。
それだけで風が巻き起こる。
(デカいくせに速い。盟が時間懸かったのもこのせいか)
特殊な力を持たないが故の怪力。
最大武器を惜しげもなく晒すが故に、遠慮なしに鉄拳を振るう。
その度に床やら壁やらが抉られる。
無傷で済ませた盟は何気にすごい、と改めて考えてみた。
「トビモノッ!」
浮遊する鎧が炎を纏う。
燃え盛るが故に単純なヤマワロはたじろぎ、動きを鈍らせる。
(奴の仲間の気配は)
ヤマワロの攻撃を避けながら周りの気配を探る。
辿った時には二つあったはずの気配が、一つ消えている。
「まさかッ!」
玲の表情が蒼白になる。
遠距離での発動と操作。
すなわち、この場にはもう一人の敵はいない。
(誘い込んでから、手元に戻したのかッ!)
「お腹減るから、やりたくなかったんだけどな」
玲が不敵に笑う。
トビモノの炎の色が赤から青へと。
青い火炎と化したトビモノから、火の玉が次々に飛び出す。
トビモノの最大攻撃力を誇る切り札――人魂。
「焼けちゃえ」
高温の火球が次々にヤマワロを襲う。
「が、ああああああああああああぁぁぁぁぁぁッ!」
貼り付くことはなかった焼け死ぬ記憶。
それが今まさに違う手段で再現されようとしている。
「ざ……っけるなぁッ!」
椎田の叫びとともにヤマワロが足元を殴る。
床が爆ぜ、人魂が振り払われた。
欠片と埃が玲の視界全てを埋め尽くす。
「はーっ、はーっ……」
十数秒の後、埃が晴れる。
人魂によるダメージを受けたヤマワロと椎田が玲を睨みつけていた。
「許さねえ、許さねえぞ」
小さく、不気味にそれだけを反芻する。
「もう勝負はついたでしょ。仲間に連絡して助けに来てもらいなよ」
「五月蠅ェよ、話すのはオレの方だ」
怒っている割には静かだ。
意外に思いながら椎田のほうに目をやる。
「コダマ憑きは俺の仲間が捕えた。意味は、わかるな?」
玲の表情が一瞬だけ凍る。
「もう少し上手な嘘をつくべきじゃないかな」
「信じるかどうかはお前次第だがな、ハハッ」
言いながら、椎田は人魂の中でも焼け残った制服の切れ端と盟の枝を放る。
切れ端の方はさておき、何度も傍らで見た枝には見覚えがある。
玲は無言でトビモノを消し去った。
「物分りがいいじゃねえか」
火傷だらけの椎田の顔がニヤリ、と歪む。
直後、玲は鉄拳を見舞われた。
「なんだ、ここは」
不意に巨大な口に襲われたと思ったら摩訶不思議な異次元空間。赤黒い壁は鼓動でも
しているかのようにドクンドクンと脈打っている。
「まさか、呑み込まれたんですかー!?」
街中に出没した人間をも一呑みの大ウワバミ。さぞかし外は今パニックになっていた
りするんだろう、とか呑気に考える。だが不思議なことに呑み込まれたのは自分と気絶
してしまった風音のみ。
「まさかこんなデカいのにもうお腹いっぱいなのかっ!」
「半分正解」
「うわおう!」
絆那の一人ツッコミにノヅチの中にいた盟がぼそりと応える。
見知った顔が現れたことに驚きを隠せない。
「付いてろって言ったのにあのバカ……」
絆那の顔を見るや否や盟は大きく溜息。どうやら盟はこの事態を把握しているらしい
と判断し、絆那は下手なことを言わずに盟に従うことにした。
「意外に落ち着いてるんだ」
感心した、とでも言わんばかりな口調。
「いや、どこに驚いていいのか分からないし」
素直な感想を述べてみる。まったく状況がつかめない絆那にとってはパニックに陥る
にもどうしたらいいのかわからない、といった所だった。赤黒い脈動する壁や生暖かい
空気は不快ではあれど、耐えられないほどのものではない。
「この際、隠してもしょうがないから言うけどね。こいつの標的はあんた」
質問は受け付けません、といった口調で残った枝で壁を突っつきながら、絆那の方を
見る。もう持っている中でのあらゆる激痛や苦痛の記憶は粗方貼り付けてしまったので
疲労が激しい。幸い風音の方は気絶しているし、絆那は比較的落ち着いている。あまり
問答などに時間と体力を割きたくなど無かった。
「どういうことだ?」
「これ、見える?」
くいくい、と肩の上を指差す。コダマがポーズをとっていたりしている……のだが。
「なにが?」
絆那には気付いてもらえなかった。
(やっぱり思い出したとかじゃないんだ)
「じゃ、いいよ。眠い。私も寝る」
「は? ちょ、待てよ!」
「だぁいじょーぶ、たぶんあんただけはたすかるからー」
あくび混じりのやたら間延びした声で言った後、宣言どおりに盟は本当に眠ってし
まった。得体の知れない場所であっても眠りに付く、盟の豪胆さに恐れ入るべきだろ
うか。それとも実は自分が思うに比べてたいして危険は無いのだろうか。
「てゆーか、ちょっとは危機感持てよ……」
たぶん、あんただけは助かるから。
ほぼ寝ぼけ状態だったとはいえ、この言葉が引っかかる。喰われた人間は自分を含め
三人。しかもこの大蛇の標的は自分であるらしい。喰われたというのに助かるとはこれ
いかに、という疑問が浮かぶが、それ以上に気になる点はあった。
盟と風音はどうなる。
事態を掴んでいるらしい盟の方は、下手に触れなくても大丈夫なのだろう。だが今の
状況を理解してさえいない風音のほうはどうなるのか。
呑み込まれたという事実に即するのならば。
絆那は背筋が冷たくなるのを感じた。
「させるかぁ!」
赤黒い壁を殴りつける。
弾力に富んだそれは必死の一撃も虚しく弾いた。
素手で駄目なら、と鞄を叩きつけるも結果は変わらず。
一度だけでなく。
「おらっ!」
二度。
「だあっ!」
三度と。
持ちうる全ての打撃手段を壁に。
蛇の内壁を破ろうなどとは思っていない。
内側の異変に反応さえしてくれれば。
「吐けッ! 吐けよぉッ!」
拳を、鞄を次々に叩きつける。
「頼むっ、吐き出してくれぇッ!」
「はぁっ、はぁっ」
繰り返し行った抵抗も無駄に終わる。
立っていることさえも気だるく感じるほどの疲労が全身を襲っていた。
「どうしたら、いいんだよ、こいつは……」
不意に拉致されて、大切な妹の命の保障は全く無い。
夢であるなら覚めて欲しかった。
「そういや、昨日も不思議現象続出の日だったな……」
理解不能な現象が、昨日と今日だけで何度も続いてた。
思考さえも面倒に感じ始めた中、ぼうっと超常現象を思い返す。
「見えるか? 見えるんだろ? なあ!?」
昨日の見知らぬ男が指したもの。
「これ、見える?」
つい少し前の幼馴染の少女が指したもの。
それらは、同じ類のものであったのではないか。
自分には見えない“何か”が自分の周りに蠢いている。
現在自分が捕えられているのも、それに違いない。
根拠は無いが、絆那にはなぜか確信があった。
そして、そういったものを操る人間が、自分を求めている。
何故か、思い当たる結論は一つしかない。
――俺にも力が、ある、のか?
どくん。
どくんどくん。
壁の脈動とは別に、自分の内側から鼓動を感じる。
『物の怪は決して便利な道具なんかじゃない』
知らない、声。
『心に住まう、自分の相棒だ』
誰だ。そう思いながらも、
『だから――』
「心で、呼びかけ、心で――」
解き放つッ!
すべてを弾くノヅチの腹が、振り下ろした腕とともに二つに裂けた。