同日、夜。絆那の部屋。
 本日の放課後に起こった事態について、絆那は盟を呼び出した。未確認生物に襲われ
たことについて、また、それを扱う人間の狙いが他の誰でもない絆那であるのは何故か、
ということを問うために。
 携帯電話で呼び出してから十数分、盟は絆那の部屋の窓向こうに顔を出した。寄宿舎
である以上、夜に異性の部屋へ行くことはいい顔をされないし、余計な噂を作ってしま
いかねない。二人とってもそれは望む所ではない。
 盟は少し部屋の中を覗き込む。
「玲は?」
 同室のはずの幼馴染の姿が見えない。
「ちょっと出てってもらった」
 盟は少し腹を立てる。玲のことであるから呼び出しの原因と用件については察しが着
いていることだろう。その上で自分一人に説明役を任せてほくそ笑んでいるのかと思っ
たら、否応にもカチンと来る。
「そか、じゃあいいけど」
 いないものは仕方ない、と盟は窓の淵に手をかけ、身体を持ち上げ、
(――――ッ!)
 乗り出そうとする際、哲司に打たれた脇腹に電流が走る。なんとか部屋への侵入は無
事に済んだが、危うく頭から床に落ちるところだった。
「おい、どうした?」
 まさか、あの蛇にどこかやられたのだろうか。そう思って絆那は盟のそばへ寄る。
「へーき、ただのめまいだから」
 盟は、絆那の肩を借りることを拒んだ。

 盟は空いたままの玲のベッドに腰掛け、絆那と向かい合わせになる。
「どしたの? 座りなよ」
 どちらが部屋の主か解らない台詞を、近くのベッドと机に目をやりながら盟が言う。
 小さく返事をしながら、絆那は自分の椅子を盟の近くへと運ぶ。
「で? 何を聞きたいのかな?」
 脚を組みながら盟が言う。口調そのものに厳しさは無い。彼女には誤魔化すつもりも
嘘を吹き込むつもりも無かった。言いたくはないが仕方はない、他に手段は思い浮かば
ない。それが本音。

「じゃあ、まず一つ。今日の蛇はなんなんだ」

「うん、えーと」
 頬に指を添えながら盟が考える。どこから説明したらよいものか――、と思考を巡ら
せていると、一つの言葉が引っかかった。
「ちょっと待って。なんであれが蛇だと思った?」
 一度だけとはいえ自身に宿る物の怪の力を解放した今ならまだしも、呑み込まれた時
に絆那には物の怪の姿が見えていなかったはず。ノヅチの姿を見ることができなかった
ならば、その姿を“蛇”と認識できるはずがない。ノヅチの姿が一般人に見えるもので
あるという考え方もできるが、そんな物騒な能力者を捕獲に当たらせるはずがない。
「いや、なんか急にデカい蛇がぐわっと」
「じゃ、膨れるまでは見えなかったんだ」
「……そーいえば、そうだな」
 自身の危険を察知した事が原因で一時的に物の怪憑きとしての力が発動したというこ
とだろうか。むしろ、ノヅチの腹の中での覚醒はそれが原因である可能性が高い。盟は
識に少しだけ同情した。彼女からしたら、今回の件は山から下りた野生の熊に猿の捕獲
道具で挑んでしまったようなものだ。

 説明を始めるにあたり、“物の怪”について絆那に知ってもらう必要がある。
「おいで、コダマ」
 百聞は一見に如かず。物の怪の存在を幾ら口で説明するよりも、直接見てもらった方
が解り易いし、説明する側としても楽だ。
 絆那は目を丸くした。
 幼馴染の肩の上に出現した両生類のような一つ目動物。
 それが飼い慣らされているかのように自分に向けて片手(前足?)を挙げていたりする。
 あまつさえベッドの上で飛び跳ねてたりもする。
「な、なんだぁ、これは!?」
「あんたが喰われたのと同じようなの。この子はそんな物騒じゃないけど」
 声が裏返ったりしている絆那に対して、あくまでも冷静な盟。
「落ち着きなさいな。説明を求めたのはそっち」
 発生した異常事態の中で落ち着け、といわれて素直に落ち着ける人間などいるはずが
ない。喰われた時は逆に冷静だったくせに、と盟は思うが、ほぼ空洞だった腹の中と目
の前に実物がズバリ、ではやはり違う。
 冷静さを取り戻したとは言い難いが、絆那は質問を続けることにする。喰われたり不
気味な生物が現れたりとの信じがたい事実の連続で、これ以上驚くことはないだろうと
さえ思えていた。

「私たちはこの子らを物の怪って呼んでるんだけど」

 その姿が異形であること。
 その力に妖怪伝承に似たものがあること。
 人に、取り憑くこと。
 それが、その名を呼ばれるに至った所以。

「俺にも、それがある、と?」
「察しがいいね。あんたのスカウトを強引にやろうとしてたって訳」
 多少なりとも説明を省けるのは、ものぐさな所もある盟にとってもありがたい。哲司
にやられた傷の痛みもあり、なるべくすぐに去りたかった。
「物の怪憑きを集めよう、ってカルト教団じみた奴らがね」
「なんのために?」
「こんなん持ってる人間が、普通に生活できると思う?」
 質問しながら、ごろごろとベッド上を転がるコダマを指差す。コダマの能力を絆那は
知らないが、ノヅチの恐ろしさは解っている。常に凶器を持ち歩いているような人間が
社会で生きていけるかと思うと疑わしい。
「それじゃ、別にそいつら悪くないじゃないか」
 一般の法で捕えきれないような人間に対して集団を作ってくれているのならば、その
方が双方にとって都合がいいはずだ。事実を知った今となっては、どこにそんな化物じ
みた人間がいるのかと考えるだけで不安になってしまいそうだった。
「バリアフリー論者に怒られそうな意見だね。もっともだけど」
「どういうことだ?」
 例えが解り難かったか。絆那が疑問の表情を見ながら盟は少しだけ疲労感を感じる。
傷が痛む中で話し続けているせいか、脇腹がひどく重い。
「例えば、あんたと風音ちゃんが隔離されることになるんだけど」
 十分に回らない頭で噛み砕いて、一息に言い切る。
 全く別の社会を創造し、互いに不干渉となれば盟の言葉通りになる。ただの相互不干
渉ならば、まだ軽いものだ。普通の人間には不可視の力を持つ物の怪憑きが、より大き
な社会の権利を求めたならば。そうはならないまでも、やましい心を持つ者は集団が大
きくなるに連れて多く現れるだろう。
 力という一面において立場が上になる物の怪憑きが集まることで、力を持たない者へ
危険が及ぶ可能性がある。
 事の成り行きと状況によっては、絆那がその尖兵にされる可能性だってあったのだ。
「わかった?」
 無言だったが、絆那の表情が盟にすべてを伝える。

「じゃ、次に移るよ。物の怪についてだけ――ど」
 くらっ、とした感覚が不意に盟の意識を侵食する。コダマを出したままにしておいた
ことが仇となったらしい。コダマがベッドの上から離れようとしないのは、疲れによる
深層心理の表れだろう。
 物の怪は憑いた人間に力と引き換えに多大な消耗をもたらす。
 それを補おうとする本能が、身体に直接影響を与える。盟が人一倍の睡眠時間を必要
とするように。
「お、おい」
 考えるばかりで他に目が行かなかった絆那が、ようやく盟の異変に気付く。顔色は蒼
白と呼べるほどに悪い。右の手は爪が白くなるほどに必死に脇腹を押さえ、全身を細か
く震えさせていた。
「へいきだ……ってば。ちょっと、疲れただけ」
 にや、と笑って見せるが空元気なのが直ぐに解る。
「説明、続けるよ」
「部屋に帰って休めよ。説明は後でいい」
 絆那の強い調子に、盟は首を振って答えた。必要なこと以外は声にも出したくない。

 今回の件で絆那を引き込んだのは自分だから。
 だから、この場で自分の口から教えておきたかった。
 コダマを再び仕舞いこむことで、ようやく少しだけ意識が楽になる。


 聞かずに強制的に部屋に帰してしまえばよかった。
 物の怪のもつ弊害は、目の前の盟を見ればその重さを嫌というほどに理解できる。
「私なんか、まだ軽いほうだけどね」
「なあ、俺もおまえみたいになるのか?」
 震える盟の肩を掴み、その震えを感じ、
「あ、悪い……」
 ぱっと手を離す。
「知らないよ。どんな影響が出るかなんて人それぞれだし」
 言い方に棘が含まれていることに気付き、盟は表情を曇らせる。突然に化物どもの世
界に放り込まれて、不安にならないはずが無い。
 なるべくならば面倒は御免被りたかったが、放っておくのも酷なことであろう。
「あー、いま、眠くなったりは?」
 ふるふると首を横に振る。
「じゃ、お腹減ったりとかは」
 返答は同じ。
「なんていうか、こうムラムラっと来てるとかは」
「なんでやねんっ!」
 思わずツッコミ。
 心身ともにフラフラな盟はチョップとともに大きく揺れる。
「あ、すまん」
 玲との同室で、悲しいことにほぼ条件反射的にツッコミが出るようになってしまって
いた。気心が知れてる仲とはいえ、癖をできるだけ治すようにしよう、と決めた。
「真面目な話なんだけど」
 ため息混じりの抗議。
 本能が物の怪に対応して起こす変化なだけに、人間の三大欲求に基づく影響が現れる
例は少なくない。
「いま俺がそうなってたらおまえピンチだろうが」
「…………別に、それでもいいけど」

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 :
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 話の内容による重さを差し引いても、最高に気まずい間。

「ごめん、さすがに冗談」
「冗談ってのは笑えることが前提だろ」
「次から注意する」
 あはは、と軽く笑う笑顔からは、空元気の影は少しだけ消えていた。
 少しだけほっとした絆那は盟に玲のベッドの毛布をかけてやる。
「遠慮なんかするな。むしろ汚してやれ」
 表情の変化はなかったが、長い付き合いなので戸惑いを感じたことは絆那にもわかる。
「そりゃ私が汚いってか」
 苦笑する盟に対し、謎の生物のお腹の中で寝てた娘が何言ってんだ、と笑い混じりに
絆那が返した。それに関して言えば、まったく返す言葉も無い。
「制服、着替えなかったんだな」
 裾が破れたままのブレザーに、今更ながら気付いた。
 制服のままでいるというならば、まだ納得のできる範囲であるが、それが破れている
ままで放って置いているということに抵抗があった。

「うん、あれと戦ったあと、電話鳴るまで寝て――」

 言い終わる直前、ぽふ。と小さい音を立てて盟がベッドに倒れる。
 物の怪について、最低限のことだけはもう報せた。言うべきことを終えたことと、限
界に到達した体力が無条件に盟の意識を剥奪した。

「相当疲れてたんだね、盟」
「ぬあっ!?」
 驚いている絆那をよそに、いつの間にやら傍にいた玲が盟をきちんと自分のベッドに
寝かせてやる。
 絆那はそれを見ているしかできない。別れた直ぐ後から、今までは数時間にも及ぶ。
それほどに長い時間外で意識を失っていた盟に対して、驚嘆するばかりだった。
 掴んだ細い肩の感触が、手から離れない。
「静かにしなよ。寝かせてあげるくらいならできるだろ?」
 こくこくと頷きながら、「いつからここに」と視線で問いかけるも玲は答えない。
 物の怪について知られてしまったのかと絆那は冷や汗が出る思いだったが、それを安
心させる言葉がすぐに玲の方から放たれた。
「物の怪については、知りたければ俺が教えるよ」
 続く言葉が無ければ、の話だったが。

「もう、絆那が知る必要はないけどね」