「あれ、が、絆那君の――」
 河童を引っ込めた哲司が、ノヅチの頭に注視する。

 舞う影と鋭利な黒光りが慣性に従ってノヅチの頭を両断した。
 解体されていくように真紅の巨体が消滅していく。

「ウチのボスがやーたら熱心にスカウトを勧める訳だ」
 哲司は苦笑しながら、着地する影を見詰めた。
 手に握られた全てを断ち切る妖刀。まさに全ての物の怪にとっての天敵たる物の怪。
 絆那が完全に覚醒してしまった以上、容易く連れ帰ることは困難なものになる。

 絆那は呆然と、消え逝くノヅチと手の中の刀を見比べていた。
 一心に力に呼びかけ、その導くがままに任せ、気付けば膨れ上がったノヅチをたった
の一撃のもとに倒してしまっている。
 姿こそ、ただの一振りの刀。
 引き出された力の、その小ささと大きさのギャップに頭が着いて行かない。

「ハガネの、物の怪」
 哲司の腕の中の盟が、ぼそりと呟いた。
 その声は、直ぐ傍の兄の耳にも届かない。
(目覚めちゃった、んだ)
 遠ざけてしまいたかったのに。
 心の声は、なお誰にも届かない。

「盟の、お兄さん」
「なにかな?」
 絆那は哲司までほんの数歩の距離にまで迫っていた。哲司は平静を保ち、できるだけ
疲労を隠しながら絆那の言葉に応える。表情から単純でない感情が向けられていること
を哲司は悟った。
「悪いけど、今回は帰ってくれ」
 黒い刃が、哲司に向けられた。
 使い手である絆那本人はともかく、ハガネの方は宿主に危害を為した敵の排除に積極
的であるらしい。鋭い姿が、空腹を訴えるかのように闇夜に煌いた。
「覚醒したてで、俺に敵うとでも?」
「ああ。何せ」

 十以上もの火の玉が、哲司を囲む。

「二対一、だからね」
 その背後に控えているのは、ノヅチの腹に収まっていた玲。
 除け者にされていたトビモノが、怒りを訴えるように燃え盛った。


 ――反則だろこりゃ。
 表に出さずに、哲司は唾を吐く。
 絆那の急成長や識の暴走などの予定外が重なり続け、その挙句が現状の危機。二度も
全身全霊の一撃を放った後に加えて、あまりにも哲司の側に傾いた状況だ。
「フェアじゃないとは思わないかい?」
「あんたに言われたくないね」
 厳しい玲の言葉に、ごもっとも、と頷く。先に二対一の状況を作り出して絆那を追い
詰めたのは、他でもない自分らの方であった。正々堂々を語るには信用がなさすぎる。

「今のうちに帰ってくれ。そうしてくれれば、俺も玲も追わない」
 す、と構えながらの言葉。
 言ってることと行動が違う、と哲司は思ったが、それを口には出さなかった。
 握り締めた絆那の手は白い。優勢に立っているはずなのに、絆那の汗は異常なまでに
噴き出していた。
 彼は今、戦っている。他でもない、自分の物の怪と。
 具現化の間の過剰な闘争心。それがハガネが憑依者に与える影響。ほんの数秒の観察
であったが、哲司はそれを感じ取った。

「仕方、ないな」
 諦めたような口調で哲司は言う。
 ここで時間を稼ぐこともできるが、絆那が物の怪に負けてしまえば厄介なことになる。
 二度も人の手を離れた純粋な物の怪を相手にするつもりは無い。
「そろそろ人が集まってくる。身を隠しておけ」
 それだけ言って、哲司は姿を消した。
 抱きかかえていた盟をそこに残したまま。

 “ノヅチを止める”という約束を果たせなかった以上、盟を攫っていくつもりは彼に
は無かった。

 :

 翌日。
 近所で起きた謎の大量破壊についての話題がそこかしこで溢れていた。大量の破壊と
負傷者に加え、死者も出たとのことである。不発弾が実は埋まっていたとか、局地的な
大地震だとかの噂が飛び交っていた。
 寄宿舎の親しい友人などは、絆那や玲がその時間に外出したことを知っている。そう
いった人間への対応には、言葉に詰まる絆那に代わって玲が買って出て誤魔化した。姿
を目撃されたりもしたが、当事者たちがパニックに陥っていたための幻だとして処理さ
れたと絆那は聞いた。人為的な事件だとは誰も思うはずがない。ありがたくも黒い手帳
を所持した国家権力に長い間拘束されるようなこともなかった。

 自分を狙っていた敵が、人を傷つけた。
 その上、人を殺した。
 呆然として実感はあまり湧かなかった。
 あるのはいくらでも付き纏う重い感覚ばかり。

 どうしようもない気分の悪さから、絆那は早退することに決めた。
 付き添いという形で玲が絆那に着いて行く。
「なあ、玲」
「あまり重く受け止めるのは良くないよ」
 話しかけられた玲は、絆那に短く言う。
 言いたかったことを先に見透かした上での回答に、今更ながら絆那は恐れ入る。
「今回は俺のミス。絆那が気にすることは何も無い」
 さらっと言い切った玲を、絆那は素直に強いと思った。平然そうに言ってのけたが、
玲はノヅチの起こした破壊を最も重く受け止めている。付き合いが長いからこそ、その
内側を感じ取ることができた。
「……さんきゅ」
 歩き続ける玲の背中に向かって小さく一言。
 素直に言うのも悔しいから、小さく。
 言う通りに楽になることもできないから、本当に小さく。


 気分の悪さは本物だった。一睡もできなかった昨晩のことが祟ったためか、部屋に戻
るとすぐに眠りに落ちてしまう。夢は、見なかった。
 気がつけば、およそ四時間もの時間が経過している。
 絆那は部屋を見回すが、誰の姿もない。安心して眠ってしまっていたのは、玲が付いて
いてくれるものかと思っていたからなのに。
(寝る時まで友達に依存するようじゃ駄目だよなぁ)
 起きたばかりの割にはっきりしている意識で考える。これまでに辛い目に遭った時は
風音や玲たちが傍にいたが、今度のことばかりは頼ってしまう訳にはいかないと絆那は
思う。
 自分を狙った敵が、関係のない人間に加害を加えてしまった。
 これだけは、決して誰かには伝えられない。
 今は、誰にもまともに会えそうになかった。特に、風音には。
 寝不足が解消されると、一層そのことを重く感じる。

「あ、起きてる」
 ガチャリとドアを開けて、盟が部屋に入ってくる。反射的に、絆那は寝そべったまま
ドアと反対の方向を向いた。
「何だよ、慰めにでも来たのか」
 誰とも顔を合わせたくない。一人でいたい。
 そんな思いを抱いているために、語調は刺々しいものになる。壁を向いたまま、絆那
は表情を固くした。言ってからしまったと思ったが、覆水は盆に返らない。
「慰めて欲しいんだ?」
「別に」
 思わず出てしまった言葉を無かったことにするように、ぶっきらぼうに絆那が言う。
 別の話題を探すべく頭を巡らせるが、物の怪のことばかりが脳裏に浮かぶ。ふと、昨
夜の哲司の言葉が思い出された。

 ――君がこちらに来れば、盟が楯突く理由もなくなるだろ?

 玲の言葉と、哲司の言葉に違和感を感じる。玲は物の怪憑きの資質のある者を護るた
めに戦っている、と言っていた。この二人の言葉に嘘がないという前提の上でだが、な
んら問題はないはずだ。
 なのに、なぜズレを感じるのか。
 玲と盟の間に喰い違いがあるのだろうか、と考えるが思い浮かばない。
「どしたの? ぼーっとしてる? それとも無視?」
 不意にかけられた言葉に、びくっとした。

 ――火の粉を払うのは俺たちの役目。

 火の粉とは、襲い掛かってくる物の怪憑きたちのこと。ならば、火の粉を被るのは。
 絆那自身の抱えている重くて暗いものに、それが結びつく。
「なあ、一つ訊いていいか?」
「別にいいよ。なに?」
 絆那は小さく息を吸った。少しだけ、訊くことに躊躇いがある。
「おまえは、何のために戦ってきたんだ?」
「私? 玲から聞いたんじゃないの?」
「あいつが言ったんだ、俺が向こうに付けば、お前があいつの所に戻れるって」
 自信のない絆那の声で、会話が止まった。絆那としては「そんなことは無い」の一言
を期待していたが、その言葉は聞けそうに無い。
 妙な沈黙を、絆那は自分に分かりやすい回答を考えているためのものだと思った。

 ほぼ一、二分の後、
「どうしても聞きたい?」
 やっと口を開いた盟の言葉は、回答の回避を請うものだった。背を向けているために
絆那からは盟の表情を読み取ることができない。声の調子こそ平坦なままであるが、そ
れが演技でないと言い切ることは絆那にはできなかった。

「話しにくいことなのか?」
 質問の仕方を変えて試みた。自分の意地悪さが少し嫌な気もしたが、絆那はどうして
も疑問への回答を聞きたかった。
「話しにくいって言うか、色々と面倒って言うか」
 面倒、とはどういうことなのか。玲のように奥の真意を見透かすことが苦手な絆那に
は、言葉の意味を額面以上に読み取ることはできない。閊えることもない口ぶりだけで
察するならば、重大なことだという訳でもない。だとすれば、尚更盟が口ごもる理由が
分からない。

「言えないって訳じゃないなら、聞きたい」
 絆那の本音は、幼馴染の親友が隠し事をしていることが嫌だというだけ。玲と盟が物
の怪という共通の秘密を持っていたことが、彼には悔しかった。彼自身が言ったように
秘密を根掘り葉掘り知るつもりは毛頭ない。本人にも自覚の無いことであったが、最早
子供が拗ねているのと大差ない状態。
「わかった、言うからこっち向いてよ」
「嫌だ」
「それじゃ私も嫌」
 間髪入れずに素早く冷淡な答え。
「何だよそれ」
「あはは、膨れてる」
 肩越しにぷにぷにと絆那の頬を突く。普段玲にやられている分の鬱憤をここで晴らし
ているかのような行為に、少しだけ絆那はムカッとした。
 ただでさえ秘密を持たれていたのに、さらに子ども扱いされたことが気に入らない。

 不意に突いていた盟の腕を掴む。
 突然のことに盟は反応できない。
 停止の隙を突いて、腕を引く。
 そのまま、その小さい体躯をベッドに押さえつけた。

 結果として出来上がる押し倒したかのような体勢。
 シーツ上に無造作に散らばるシャギーの入った赤毛。
 眼が合い、慌てて絆那は手を離した。
「えと、その、ごめ――」
「やっとこっち向いた」
 しどろもどろの絆那に対して、盟は柔らかい微笑を浮かべる。
 す、と解放された方の掌を絆那の顔に添えた。
 細い指が絆那に冷やりとした感触を与える。

「絆那が思ってる通り、私は“絆那のために”戦ってる。玲とは、たぶん違う」
 そのままの体勢で、盟は淡々と言う。
「絆那が兄さんに付いたなら、全力で奪い返す。兄さんになんか渡してあげない」
 笑顔を崩さないまま、口調も優しいままで。
 それでも、盟の瞳の奥は黒く輝いていた。
「これで、満足かな?」
 絆那は動かない、動くことができない。笑顔越しの真っ直ぐな瞳が自分の間抜け面を
捉えていることを、瞳を見て知る。それを見て表情だけは固めるが、盟の体躯に覆い被
さってしまいそうな体勢だけは維持したまま。

 特に、下心あってのことではない。
 仲間はずれだという錯覚が、独りよがりの思い違いだったことに気付いた。
 自分を情けないと思い、深い思い遣りを持った親友に感謝。
 それゆえに、動けなかった。

「今だけなら、泣いてもぎゅーってしたげるよ?」
「泣いても、ってなんで……」
 ようやく盟の上から動こうとした絆那に、盟が穏やかに言った。
 疑問を浮かべた直ぐ後、絆那は少しだけ笑った。
「せっかくだけど遠慮しとく。もう、大丈夫だから」

 支えてくれる人がいる。
 それが解っただけで、絆那は強くなれた気がした。
 もっと強くなりたい。
 支えてくれる親友のように。
 誰かを護れるように。




 “絆那の盟ちゃん押し倒し画像”が、玲のデジカメに収められていたのは別の話。


<第一章 コダマ 了>