「……だから若者は怖ェって言ったんだ」
 哲司がぼやきながら、掌にふーっと息を吹きかけた。
 傍らには哲司に憑いた河童の姿。その張り手で降り注いだ炎を弾いたのだが、河童の
鰭のついた掌もじゅうじゅうと蒸気を上らせていた。本来ならば水の中に生息する物の
怪であるだけに、炎を弾く防御はほぼ専門外。それだけに掌の火傷は激しかった。

 攻撃が止み、余裕が出てきた所で哲司は奈留がいた場所に視線を戻す。奈留の実力や
土蜘蛛の力を疑うつもりも無いが、河童のような高速でもなければ人魂の回避は難しい。
 眼を凝らした後、哲司は苦笑した。家一軒ほどもある紫紺の恐竜の背骨を思わせる巨
大な身体がいやでも視界に入ってくる。土中から全身を現した土蜘蛛が降り注いだ人魂
から奈留を護っていた。
 一つ一つが巨木のごとき八本の脚は、その背骨を思わせる部分に繋がっている。
 蜘蛛、という名よりも、その姿はさらに禍々しい。
(ホント、若者っておっかねェな)
 哲司は自分を棚に上げて、そんなことを思ってみた。
「冬樹、トビモノ憑きを追え」
「あん?」
 起伏の無い声で言われるまで気付かなかったが、玲の姿が無い。自分さえも攻撃対象
とする死なばもろともの大技のように見せて、しっかりと自身は逃げ果せている辺りが
小賢しい。
 哲司は玲のような気配を探る術は不得手であるが、手負いである現状ならば追うこと
は難しくない。承諾の返答をして、哲司は駆け出した。

 ひとり公園に残された奈留は周りを見、そっと双眸を閉ざす。
 地面は土蜘蛛によってひび割れ、抉られた状態。子供向けの小さな遊具は割れた地面
のせいで傾いている上に、高熱の炎の雨によってところどころ溶けかけていた。一般人
からも視認できるトビモノの攻撃を誰かに目撃されていたとすれば、面倒なことになる
かもしれない。一刻も早くその場を離れる必要があった。
 彼女は手袋を外し、火傷の具合を見る。行動の前にまずは冷却の必要があるようだ。
 公園の隅の水道がまだ正常に機能するかは分からないが。

 

「く……ッ」
 戦闘が郊外で行われたのが幸いし、近辺の雑木林へと玲は駆け込んだ。土蜘蛛との戦
闘によって平衡を保つのに多少時間がかかったが、命が懸かっている中でへたってなど
いられない。
 気配を探りながらの逃亡。傷のせいで行動は遅くなるが、索敵に優れた玲は相手のお
およその位置を知ることができる。逃亡においては、玲の方が格段にアドバンテージを
誇っていた。
 決死の人魂であったが、その効果は思いの外小さい。
 攻撃の当初、逃げるつもりは無かった。敵前逃亡を試みたのは、土蜘蛛の異常な耐久
力と河童の防御が玲の想像以上のものだったため。全てを見届けた訳ではなかったが、
結果は予想するまでも無い。多少の傷を負わせるので精一杯といった所であろう。検討
外れの場所であるが、哲司が悠々と探している点からも明らかだ。
「カッコ、悪い、ね」
 友には護るなどと大見得を切っておいて、実際はこの程度。
 逃げに向いた自分の能力が、ちょっとだけ情けない。
 切れ切れに小さく言って、自分で苦笑。

 逃げる分には容易い。玲は二つとも気配を捕捉している。耐久力こそ桁違いであると
はいえ、トビモノの切り札である人魂が直撃した土蜘蛛はしばらく動けない。感じ取れ
た行動からすれば、哲司の探知能力はそう高くは無い。
(デジカメ、置いて着てよかったな)
 現在の状況整理で余裕ができたついでに、ちょっとだけ現実逃避。部屋を出る少し前、
偶然にも風音と遭ったのが幸運だった。所持したまま戦闘に入っていたら、実に懐にも
厳しい結果になっていただろう。
(そういやアレ、見てないといいけど)
 “アレ”とは数日前の盟ちゃん押し倒し画像のこと。見られたところで風音の方は兄
貴と違ってブラコンの気は無いのでショックを受けることは無いだろうが、そんな画像
を収めている玲の方は立派に出歯亀の烙印を押されてしまう。平時の言動から印象が決
して良くないであろうことは想像できるが、犯罪者の域にまで転げ落ちるのは勘弁願い
たい。

 息を整えながら近くの樹に寄りかかる。哲司の気配が遠ざかっていくのを感じ、捜索
を諦めたのだろうかと考えるが、自分のことばかりも考えていられない。彼らの目的は
絆那の“ハガネ”を味方につけることなのだから。
「ハガネ、か」
 口に出して、絆那が物の怪憑きとなってしまっていることを再確認する。他のどんな
物の怪とも異なり、自己では動くことひとつできない代わりに絶対の攻撃力を誇る。
 ハガネ憑きは、自らの身で物の怪に立ち向かわねばならない。
(絶対にごめんだな、それは)
 ついさっきまで相対していた土蜘蛛や河童に憑かれた二人を思い出しながら。
 百鬼夜行が絆那に何を期待しているのかは知らないし、知りたくもないが、土蜘蛛や
ノヅチのような巨大な物の怪相手であっても身一つで戦うハガネ憑きの恐怖だけは想像
できる。
 彼が戦うことを避けねばならないのは、だからこそだ。

 すべきことは、河童を土蜘蛛の元へ戻らせないこと。
 哲司を倒すことが無理だとしても、陽動に出て気を引かせるくらいはできる。

 土蜘蛛はトビモノで抑えられなくとも、コダマなら別だ。
 盟を利用するような考え方となってしまうが、仕方ないと割り切った。
「行くよ、トビモノ」
 やられっ放しでは気が済まない、ひびだらけの甲冑が炎を上げた。

 

 人通りの少ない裏通り。哲司は玲を捜して神経を張り巡らせていた。
 傷を負った状況で人目についたら目立ってしまう。
 速やかに逃げるならば、なるべく人気の少ない場所を選ぶだろうと哲司は読んでいた。
 ――刹那、

 炎が哲司に飛び掛る。
 河童がそれを張り手で弾いた。

「トビモノかッ」
 哲司は辺りを見渡す。
 人魂は玲の思う通りに動く。
 精密に狙うならば、その位置を知らねばならないはず。
 どこか近くに潜んで位置情報を把握しているのかと勘繰ったが、玲の姿も気配さえも
周囲には存在しない。

 哲司には、決定的に欠落している情報があった。
 トビモノの射程距離は、河童のそれに比べて圧倒的に勝っている。
 攻守を反転させた時、逃げながら攻撃できるトビモノは近接戦闘を主とする河童にと
って最悪の相手である。

 矢継ぎ早に炎が哲司に向かって飛来する。
「ちぃッ!」
 舌打ちしながら、哲司は河童を突撃させた。

(かかったッ!)
 玲は雑木林から哲司のいる裏通りへと脚を向ける。
 多少の休憩時間であったが、物の怪憑きの治癒能力には十分な時間だった。
 トビモノの射程は数十メートル以上に及ぶが、哲司のいる辺りは射程圏外に近い。逃
げられてしまえば哲司を引き付けることができなくなる。
(問題は、まだあるけど)
 土蜘蛛憑きの方の情報が不足している。数分程度の間、玲への攻撃がないことから場
所を感知していないものだと判断したが、元の場所に近づいて大丈夫かは不明なところ
である。
 土蜘蛛憑きの方に集中を移しながら、トビモノは炎をまた飛ばした。
 戦闘が行われた公園にはいない。
 ならばどこに、と近辺を探るも物の怪の気配は感じられない。

「見つけた」
 不意に浴びせられた冷たい言葉に、玲は眼前の奈留に気付いた。
 と同時に足元を割って土蜘蛛がその禍々しい姿を見せる。

 陽動にかかったのは玲の方。
 哲司に玲の注意を向けさせ、その間に傷を癒した奈留が玲に向かう。

 蜘蛛の顎が、玲の直ぐ目の前に迫る。
「どこがスカウトなんだか」
 冷や汗を隠して笑いながら、玲は哲司に向けたトビモノの炎を消し去った。土蜘蛛を
相手にする以上、哲司を攻撃する余裕はない。

「一応、訊く。百鬼夜行に来る気はないか」
 突然の勧誘の言葉に、玲の方は動きを止める。玲はてっきり絆那の方を狙ってきたも
のと考えていただけに、奈留の言葉は想像すらしていないものだった。
「何を言い出す」
「神楽玲、お前の感知能力は脅威であるとともに魅力でもある」
 物の怪憑きの位置を幅広く、しかも精密に把握できることは物の怪憑きを集める百鬼
夜行にとっては是非とも味方に付けたいものである。
 玲は納得した。数十メートル以上にも及ぶ物の怪の感知能力は玲の特有の能力。近接
戦闘は苦手だが射程の長いトビモノが憑いたのは、物の怪憑きとなった不運の中で唯一
の救いだった。
「痛い目見させてからスカウトとは、結構常識ハズレだね」
「仕掛けてきたのはそちらだ」
「邪魔をするなって言ったくせに」
「お前が勝手に身構えた」
 生真面目な奈留の性格と、その割に詭弁にしか思えない台詞に玲は溜息をついた。
 言葉の応酬の合間にも哲司の気配を探ることは忘れない。与り知らぬ所で完全に囮と
して使われている彼は、未だ見当違いの場所で玲を探しているようだ。戦術上のことで
仕方ないこととはいえ、少しだけ玲は同情した。
 とりあえず敵方の目的を知り、玲は余裕を取り戻した。絆那たちの方に向かったので
なければ、今回については心配する必要は無い。
「いいの? 俺、結構あんたらの仲間を殺っちゃってるけど」
「そちらにも言い分はあるだろう。過剰防衛だとは思うがな」
 玲を呼び込むことによって生じるであろう内側の不満については、不問であるらしい。
 相手の勧誘が本気ならば待遇は悪くないようだ。

「今、返事しなきゃダメ?」
 挑戦的に笑いながら、玲は答えた。
 トビモノを仕舞いこんだ様子から、戦闘をするつもりがないものと奈留は判断する。
「返事を直ぐに出せとは言わない」
 断るものとして予想していた故の土蜘蛛の具現化であったが、その必要は無いようだ。
残念そうな声で土蜘蛛は鳴いた。
 もちろん奈留は仲間に入る振りをして懐に飛び込むつもりかもしれない、という可能
性を考えており、その対処法はすでに講じてあった。物の怪憑きを傀儡とするための記
憶を喰らう物の怪は、既に百鬼夜行の手の内。よしんばそれから逃れたとしても。

 美しき九つの尾が与える畏怖に、折れない心は無い。

「三日。それだけの時間を与える」
 土蜘蛛の姿を薄れさせながら、奈留は言った。トビモノで攻撃する意思が玲に無いと
見なした以上、消耗を抱えてまで土蜘蛛を出しておく意味はない。仮に玲が奇襲を狙っ
ているとしても、トビモノよりも土蜘蛛の方が速いのは既に実証済み。
「またおねーさんが来てくれるのかな?」
 少しふざけ心を含んだ口調で玲が訊いた。対して、
「いい返事を期待する」
 奈留の反応は冷たかった。踵を返し、こつこつと靴音を立てて玲から離れていく。
 こういった人は苦手だ、と玲は力なく笑った。
「哲司さんは裏通りだよー!」
 勝手に囮にされ、よもや忘れられているのでは。そう思った玲はとりあえず教えてや
ることにした。
 奈留は、返事代わりのつもりか片手を挙げて応えた。


 帰路につきながら、玲は考えていた。
 敵に取り入って攻撃を企てようと企んだ所で、おそらく奈留は見抜いてしまうことだ
ろう。玲にもそれは分かっている。悪い可能性を多大に含んでいる状況で勧誘行為を行
うことには、根拠や裏付けが根付いているはずだ。
(よっぽど自分たちのボスを信頼してる、とかね)
 百鬼夜行の思想には同感しかねるが、数々の物の怪憑きを従え、組織を作り上げる程
の力をもつ物の怪憑きには興味を抱いた。人間観察は、玲の好む行為の一つ。寝返る気
はさらさら無いが、残念なことに好奇心に抵抗する気も無い。
 盟や絆那に相談した所で、間違いなく反対するだろう。裏切るつもりが無い以上、こ
れまでの防衛以上の危険に晒されることになる。
(さて、どうしたものかね)
 心配事が一つ減ったと思ったら、考えることが一つ増えた。

 とりあえず、風音に預けたままのデジカメを返してもらうことが先決だった。