玲に言われた通りの場所へ向かうと、哲司の姿は程なくして見つかった。
 哲司の奇抜な格好は探すときにも便利だ、と奈留は思い直す。

 こつこつと高らかに足音を立て、二人は本拠地へと向かっていた。
 土蜘蛛憑きは“恐怖”を知らない。
 物の怪憑きとなったことによる弊害であるのか、憑いた物の怪の強大な底力が発させ
る余裕なのかは土蜘蛛憑きである奈留自身にも分からない。自分自身の問題を識るには、
奈留は土蜘蛛を永く使いすぎた。
 トビモノに焼かれた感覚に痛みや不快を覚えはしたが、戦闘の中では痛覚を刺激され
ることなど茶飯事。玲の決死の攻撃であった人魂の雨も、異常なまでの土蜘蛛の生命力
をもってすれば耐え切ることも不可能ではない、としか考えられなかった。

「冬樹、一つ質問する」
「んー、何かな?」
 眉一つ動かさぬ表情であったが、疑問を呈するということはその表面と違って感情が
きちんと働いている証拠。それが意外だったためか、哲司の声はやや明るい。
「何故、私たちが勧誘に派遣されたのだと思う?」
 哲司も奈留も、捕獲要員としての物の怪憑きではない。通常の勧誘に当たっては捕獲
要員と護衛としての戦闘員が組むことが多いが、今回のトビモノ憑きへの勧誘について
は異例の事態と呼べる。
 敵側の人間への干渉なのだから当然のこととも判断できるが、百鬼夜行の中でも指折
りの使い手とされる物の怪憑きを二人も動員したのは、いささか神楽玲という人間を重
く見すぎではないか、と奈留は考える。
「まあ、玲君に警戒して……ってのが一つだろうな。彼も怖いし」
 同じ意見に、奈留は頷く。
「それに、だ。彼は特殊な感じがする」
「特殊?」
 突然飛び出した言葉に、奈留は眉を少しだけ上げた。怪訝そうな表情を表しているの
であろう変化に、哲司もまた頷いた。
「義理人情で動くタイプじゃないし、かと言って仕事と割り切っているわけでもない」
 根拠は無いけどね、と哲司は言葉を切った。
 奈留が考え込み、黙ると突然電子音が鳴り響く。哲司の携帯電話の着信音だった。



「ちょっ、玲君、どうしたのそれー!?」
 預けたデジカメを返してもらおうと風音の部屋に赴いたのはいいが、治癒が間に合わ
なかった両手は包帯まきまきの状態。ドアノブに触れるだけでも傷口がヒリヒリとする
ので、行儀が悪いながらもドアを足でノックした。
 玲の姿を見た風音の第一声がそれ。ほんの数十分前に会ったばかりのありえない状況
に、風音は混乱させられた。包帯は一種の冗談かと思ったが、一時のネタのために眼鏡
のフレームをひし曲げたりレンズに亀裂を入れたりする人間はいないだろう。平気そう
な表情の割に、額は汗ばんでたりもしている。怪我自体は本物なのだと風音は悟った。
「んー? ちょっと火事に遭ってねー」
「ちょっとじゃないよそれ! っていうかもっと分かる嘘にしてよ!」
 思わぬ厳しいツッコミ。あの兄にしてこの妹あり。
「んじゃ、轢かれた」
「じゃあって何ー!」
 平然としてる割に重傷な怪我人を前にして、あたふたと慌てる風音。
 兄貴直伝のツッコミが条件反射で出てる辺りに玲は苦笑する。
「まあ、そういう訳だから、デジカメ返してもらおうかなーと」
 会話が全く噛み合っていないが、とりあえず用件だけを伝えてみる。
 同性の友人であれば部屋に勝手に押し入ってカメラだけ回収してさようなら、である
が幼馴染といえど風音相手ではそうはいかない。思わぬミスだった、と玲は思う。

「えと、その……平気、なの?」
 ようやく落ち着きを取り戻した風音が、声のトーンを落として玲に訊く。少しだけそ
の手に指を伸ばしてみるが、触れていいものかと迷い指を空で停止させた。
「なんか汁とか出ててヒリヒリとするくらいかな。火傷だし」
 へらへらと笑いながら。
 実際に焼けた皮膚はびりびりと痛覚を刺激するが、玲はやはり表には出さない。
 ビクビクとした珍しい風音のリアクションを見、この場に絆那がいたら面白かったろ
うな、とか少しだけ思ってみたり。
「ちゃんと、病院とか行かないと」
「行った上でのこれです。だいじょーぶ。ちゃんと治るし」
 痛いながらも平然と嘘を交える。ヘタに病院などに行くつもりなどはなかった。物の
怪憑きとしての治癒力をもってしても、トビモノの業火による火傷は深い。今日中には
ムリであっても回復には二、三日以上はかかると玲は見ていた。
 トビモノによる火傷は両手どころか腕や脚、身体の方にも広がっている。見立ては、
あくまでも理想のもの。三日後の交渉の結果がどう転ぶかが当人である玲にも分からな
い以上、完治した状態にできるだけ近づけたかった。

「まー、ちょっと包帯が大袈裟なだけだよ」
 あまり脅かすこともない、と玲は笑いながら言った。浮いた汗は消えないが、痛いこ
と自体は慣れっこであるので苦痛の表情を隠すだけなら造作も無い。
「カメラ、持てる?」
 眉尻を下げながらの質問、その両手には預り物を抱えながら。
 玲は少しだけ間を置き、指に神経を集中させる。折り曲げるどころか、関節を動かす
だけでもビリビリと電流が走る。物を持つなんて芸当はできそうに無い。
「んー、じゃ、せっかくだから持って来てもらおうかな。頼める?」
 にっこりと笑顔で返す。風音がこくりと頷くのを見て、玲はぎこちなく回れ右。

 ロボットのような固い動きで、玲は自室へと向かう。女子生徒用の棟から隣の男子棟
の自室まで、と考えると少しだけ気が遠くなった。とりあえず自室が一階にあることだ
けがせめてもの救いか。
「ああ、いっそ倒れたい……」
 よく分からない願望を口走りながら。
「ねえ、やっぱり先生を呼ぼうか?」
 傍らからの心配そうな声に、思わずふるふると首を振って拒否の意思を示した。下手
に傷に触れられれば即刻病院行き。そうなれば異常な治癒能力も明るみになってしまい、
玲どころか盟や絆那にとっても面倒なことになってしまう。
 炎の使い方には気をつけよう、と小学生じみた教訓を今更ながら心に誓った。

「あ、もしかしたら部屋に入らない方がいいかも」
 ちょうど男子棟の境界に脚を踏み入れたところで、玲は足を止めた。
「え? なんで?」
 突然のことに訳も分からず、風音もまた足を止めた。絆那と盟が喧嘩してたりなどし
てなければ、今頃はまだ部屋に二人きり。隣室の人間が現在部屋を空けていることも調
査済みなので、邪魔をされる心配も無い。出歯亀根性はあるが、怪我で上手く動けない
状態では下手な結果を招きかねない。
「んー、お兄ちゃんの野暮用、かな。できれば覗きたい所だけどね」
 いたずらっぽい笑顔で、風音ににっこり。最近「自分で解決したい悩みがある」とお
兄ちゃんから打ち明けられた風音も、なんとなく思い至ったようだ。
「りょーかいっ!」
 敬礼の仕草をしながら、風音もまた似たような笑顔で返す。
 頭のいい子だ、と玲もまた感心。

「そういえば、玲君はそういう話聞かないね?」
「んー? そうかな?」
 重度のシスコンで妹に付きっ切りだった絆那や、睡眠が人生の半分以上な盟はさてお
き、風音は玲の方の浮いた話を聞いたことがない。恋愛感情というものに縁が無い集団
だと言ってみてから気付いた。
「あー、そういえば、そうだね」
 わざわざ思い返すほどのことでもないが、玲はしみじみと返事する。
「玲君は、好きになった人とかいないのー?」
 くいくいと袖を引っ張りながら瞳を輝かせるシスコンから解放された乙女に、玲は苦
笑するしかない。おそらく既に彼女の頭からは玲の両手のことは抜けてしまっているの
だろう。痛みは我慢できないほどではないが、されるがままなのも癪なので玲は黙って
いた。
 話を早く切り上げてしまった方が痛みからの解放は早い。痛む腕を引きずる玲もそれ
を分かっていた。

 ――好きだった人はいたよ。でもね……。



「そういえばさ、絆那はもう自力で物の怪を使える?」
 とりとめのない話もひと段落。盟は絆那に物の怪について質問してみた。
 戦いに関する話はしたくはなかったが、絆那本人が戦うことを決意した以上は避けら
れない話題でもある。
「ん、あー。一応。たぶん」
 返事がおぼつかないのは、哲司を追い返して以降ハガネを一度たりとも具現化させた
ことがなかったため。
 具現化させる感覚は掴んでいるものの、それを実践したことはない。黒い刃を握った
ときの言いようの無い感情は、絆那に色濃く残っている。
「ふーん、そうなんだ」
 少しだけ嬉しそうに盟は言う。ベッドに腰掛け、脚をぶらぶら。犬の尻尾みたいだな、
などと絆那は思ったりもしたが、あえて口には出さなかった。盟は何気に犬が苦手だ。
「師匠気取れると思ったのに、残念」
「いや、そういうことは是非ともお願いしたいんだが」
 憑いた物の怪を自在に出せるようになっただけで、満足に戦えるようになったわけで
はない。加えてハガネの物の怪は自身で動くこともできず、物の怪憑きとして強くなる
には絆那自身が強くならねばならなかった。盟や玲に師事を仰げるというならば、その
方が絆那にとっても都合がいい。

「教えてあげたいのはやまやまなんだけど」
 言いながら、盟は三人に憑いた物の怪を思い返す。
 一刀両断のハガネ。
 射程は長いが、格闘能力をほぼ有さないトビモノ。
 攻撃の手段そのものがほとんど無いコダマ。
 ハガネ相手でも戦える自信はあるが、絆那の心に残る傷を付けるつもりはないし、変
に気を遣ってハガネに切り裂かれたら元も子もない。模擬戦による訓練だけは絶対にで
きないだろう。
「見事に個性化しちゃってるんだよね。向き不向きが別々って言うか」
「じゃ、俺は慣れるしかないってことか?」
 絆那の台詞に、盟は横に首を振って答えた。特訓の可否を問う判断基準に模擬戦だけ
を挙げるほど盟の頭は固くない。
 ハガネは攻撃力だけは申し分ない。ならば他の部分を増強させねばならない。絆那の
強さがそのままハガネの戦力として加算されるのは、教える側からしたら有り難い。幸
か不幸か、ハガネを用いた戦術の幅は他の物の怪に比べて狭い。
 短時間育成という面なら、使い手だけを育てればいい、それが盟の判断。
「刀の使い方とかは自分で頑張ってね。それ以外はなんとかするから」
 これまでの戦いにおいても、物の怪があるおかげで武器は必要なかった。そのため刀
の使い方ばかりはどうしようもない。
「なんとか、ってどういうことだ?」
「そんじゃー、外に出よっか。善は急げっ」
 答えず、戸惑う絆那の腕を引いて盟はずんずんと外へと進む。
 その二人の姿をにやにやしながらの幼馴染二人が見ていたりしたが。

「わ、盟とだったんだ」
「上手くいったようで何よりだね」
 こっそりと繰り広げられたそんな会話にも気付くはずも無く。

 :

 二人がやってきたのは、つい数十分前に玲が逃げ込んでいた雑木林。幸い親友どもは
尾行してくることは無かったが、その危機をこの二人は微塵も知らない。
「んじゃ、早速始めるよ。鬼ごっこ」
「鬼ごっこォっ!?」
 強引に人気の無い林に連れ込まれ、唐突に鬼ごっこをしようというぶっ飛んだ提案。
 絆那の方はもはや何がなんだか分からない。
「そ。範囲はこの林の中。私から逃げ切ったら絆那の勝ち」
「逃げ切る、って」
 絆那は辺りを見回す。フィールド中に生えた名も知らぬ木々。そう大きくない範囲で
あるが、姿を隠すことはできないことも無い。
「怖い? 私から逃げることもできない?」
 にこやかだった口調を抑え目に。少しだけ意地の悪い言い方で。
「そういう訳じゃ、ないけど」
「まあ、ハンデはあげるし、最初だから制限時間も短めでいいよ」
 ふふん、と止めに少し馬鹿にしたような笑い方。
「なッ!」
 盟の態度に、戸惑っていた絆那もさすがにカチンときたらしい。

「いるかそんなもん! 絶対逃げ切ってやるからなッ!」

 悲しいかな、幼馴染は手綱の握り方をしっかりと心得ていたようである。

 :

 最初の十分は盟はハンデのつもりで(当の絆那は頑なに受け取ろうとしなかったが)ス
タート地点から動かなかった。盟が最初に提示した制限時間は三十分。彼女は実質二十
分以内に絆那を探し出し、また捕まえなければならない。姿を隠せる場である以上、絆
那は優位に立っている――と思われた。
 ただの鬼ごっこならば。
 盟のコダマが次々に木々をすり抜ける。玲のような優れた探知は無くとも、雑木林と
いうフィールドにおいて隠れ切ることは不可能に近い。言わば、場の全てが盟の監視下
であるのだから。

 位置を補足。
 木の洞に身を隠し、未だ姿の見えぬこちらを窺っている。
 隠れ場所としては、悪くない。
 にやり、と小さく笑って、盟は駆け出した。
 途中、何かの動物の死骸を見つけて少しだけ気分を害したが。

 鬼ごっこ開始から約十二分。
 早くも絆那の前に盟が現れる。
「捕まえた」
 ぽむ、と盟は絆那の頭に掌を乗せた。

「物の怪使うなんて聞いてねえぞっ!」
 食って掛かる絆那に対し、
「使わないなんて一言も言ってないし」
 冷静に返す盟。
 やたらうるさい絆那に免じて、第二ラウンドが展開されることとなった。
 やれやれ、という態度でありながら、盟の表情は明るい。



『あれが冬樹さんの妹とハガネ憑き、ね』
 雑木林の中の死骸が、突然むくりと起き上がった。