哲司に伝わった伝言は以下の通り。
牟田奈留の本部へ帰還の命令。
代わりの勧誘のための物の怪憑きを派遣する。
派遣された物の怪憑きの名前は馬苗戟 。彼はかつて哲司が勧誘し、戦闘員として教育
に当たった人間。即ち彼は哲司の弟子に当たる。
「えー、奈留ちゃんとお別れー?」
「文句を言うな」
ぶーたれる哲司に対して、奈留はいたって冷静なまま。勧誘相手に一度接触しただけ
で本部送還の憂き目に遭えば不満が出そうなものだが、彼女の態度にはそういった意見
は影も無い。
哲司としても、戟と組むことには気が進まない様子だった。男二人が男を勧誘、とい
う華の無い状況になることに加え、戟の物の怪は隠密に向かない。まず肝心の哲司自身
が全く忍んでいなかったりするのだが。
「もうこちらに着いてるのか?」
「ん、ああ。戟に会い次第交代だってさ」
言いながら、大きな溜息。
そんなに嫌うことはないだろうに、と奈留は思ったが口どころか表情にも出さない。
よほど嫌であるらしい哲司が「ぬぉぉぉぉ」と悶えているのを冷めた目で見ていた。
ぽかっ。
数分後、哲司から軽く小突かれる。
「いい加減突っ込め」
一連の行動が、奈留には少しだけ不快だった。
馬苗戟の物の怪は七人ミサキ。一人で七体もの個体を行使する能力を有するが、その
本領を発揮するには生物の死体を必要とする。
雑木林に設置された動物の死骸は戟によるもの。盟がそれに対し違和感を覚えなかっ
た点は彼にとって幸運であったのだが、戟の方には詳しく調べるはずが無いという確信
があった。転がった動物の死体を詳しく調べる人間などいるはずがない。
被ったニット帽の上から頭を掻きながら、戟は二人の“鬼ごっこ”を観察する。
「なんだよ、つまんね」
捕獲・勧誘対象について情報を得ていた戟は哲司たちに合流する前に絆那たちを発見
し、尾行していた。師である哲司を尊敬している彼にとって、その妹の盟には多少なが
ら興味を引かれていた。
外見的な要素、つまりその容姿には文句は無い、というか彼の好み部類だった。哲司
と同じ天然の赤毛を神格化した部分もあった。整った顔立ちにショートカットという好
ましい髪型であったこと、スレンダーな体型だったこと、外見要素のあらゆる部分が彼
の嗜好にクリーンヒットだ。
その一方でで観察した中身の方はと言えばむしろ失望気味だった。いきなり人気の無
い所に男を連れ込んだと思えばやることは鬼ごっこ。
色気のある展開か、そうでもなければ戦闘訓練かと思えばそうでもない。
盟の方は物の怪の力を使ってはいるものの、ハガネ憑きと思しき方は逃げの一手を打
ち続ける。かつて師の哲司との模擬戦において河童に痛い目を見せられていた戟にとっ
て、退屈でしかないものだった。
いっそ襲ってしまおうか。寝そべった心停止わんこの耳をぴくぴくと動かす。二人が
完全にお互いに集中している現状ならば、奇襲をかければ多少なりとも打撃を与えられ
る。
完全に二人の死角に入ったその時、前足で立ち上がらせる――ところで、戟は思い留
まった。たとえ野良犬の牙でも人間にとっては深い傷を与える。ハガネ憑きの方ならば
さておき、下手に盟の方に大きい傷をつけたら後が怖い。つか死ぬ。殺される。
外見情報に加え、おおよその身体能力も把握した。少ないながらも収穫はあった。
仕方無しに足元に置いたギターケースを背負い、戟は雑木林の近隣を後にした。
:
続きに続いて第九ラウンド。
絆那は八戦中八敗の状態の鬼ごっこ対決であるが、回を増すごとに逃げる時間は延び
ていた。最初こそ実質二分で決着がついたのだが、八度目の対決では三十分の制限時間
に迫るほど。
隠れても無駄。
コダマはおおよその動きを掴み、絆那の進路妨害も行う。
ならば彼にできることは二つ。
一つは、敵の射程外を常に陣取ること。
障害物が多い点は盟にとっても同じ条件。
隠れるという手を自ら使わなければ、木々は互いの障害物にしかならない。
「このッ」
木々を通り抜けるコダマの動きは厄介であるが、力はそう強くない。
突進を腕で受け、その威力を完全に殺す。
「コダマ、次ッ!」
声の調子は激しくとも、盟の表情は明るい。
その手元に戻ったコダマが、再び絆那に向かって駆ける。
「いくよ、絆那」
小さく宣言し、そのまま本人も駆ける。
二つ目の絆那にできること。
それは、相手を自分の間合いへと誘い出すこと。
憑いた使い手から離れれば、物の怪の力は距離に応じて小さくなる。
絆那は、河童やコダマの攻撃からそれを学んでいた。
それは常に手元に呼び出されるハガネにとって重要な情報だ。
盟は速い。
それでも、障害物が加速を許さない。
木々を通り抜けるコダマが、眼前に迫る。
絆那は先に届いたコダマを捕まえ――、
「うりゃ」
迫る盟に向けて投げつけた。
べちん。
急なことに反応できなかった盟の顔面に、見事に一つ目小動物が貼り付く。
「うはははははははっ! さらばだっ!」
慌てて盟がコダマを消し去るも、もう絆那は手の届く距離からは離れている。コダマ
の動きを掴むのに適したおおよその距離を、絆那はもう把握した。俊敏な動作と木々の
透過さえ注意すれば、コダマは恐れるに足りない。
絆那の学習は速い。
盟の設けた三十分という制限時間は短く見積もったつもりのものだったが、たった一
日で達成されるという事態は盟にとっても計算外。仲間の成長が早いのだから、喜ばし
い事態なのだが。
いくら戦闘とは異なる状況とは言え、最早ほぼ全速力のコダマの動きは絆那の対応で
きる速度でしかない。嬉しさもあったが、その中には悔しさも少し混ざった。
:
その日、絆那はおよそ四十二分間の逃亡に成功した。
「絆那はずるい」
帰り道、泥だらけの絆那の傍らで盟は言う。
「ずるいのはどっちだ。最後にコダマの力使いやがって」
痛てて、と傷も痕も無い腕をさする絆那。
自ら近くの幹を蹴っ飛ばし、その樹の蹴られた記憶をコダマに貼り付けさせた。結果
として受け止めた腕に蹴りが炸裂した痛みが走る。思わぬ攻撃に動きを止めた絆那を、
盟の手が捕えるという結果に終わった。
「うるさい。だいたい相手が宣言通り動く保証なんて無いんだよ」
絆那は返事できずに言葉に詰まる。今回の鬼ごっこの狙う所はおおよそ掴んだが、最
初から実戦を想定としたものになるなどとは思ってもいなかった。
「それならそうと最初から言ってくれよ……」
脱力し、大きく溜息。むすっとした盟の肩に手を置こうとしたところで、絆那はある
ことに気がついた。泥色に染まった自分の明るいグレーであったシャツに対して、盟の
サックスカラーのフリースの生地の色には変化がない。それは即ち、絆那の相手をしな
がらもそれだけ余裕があったということだ。
「ったく、次も頼むよ、“先生”」
服や髪を汚してはまずいだろう、と思ったので触れることはないまま。
ノンストップ鬼ごっこによる疲労は物の怪憑きの回復力をもってしても大きい。
盟が一瞬だけ動きを止めたように見えたのも、疲労のせいだろう。
「いよぅ、お二人さん。お久ー」
不意にかけられた言葉。その声の主の姿に、絆那も盟も姿勢を固める。春には似合わ
ない黒いレザーのコート。現れたのは河童憑きの男、冬樹哲司。
「哲司、さん」
ハガネをいつでも出せるよう、哲司の動作に注意しながらも絆那は右手に集中する。
疲労を感じてはいたが、鬼ごっこの間中コダマを出し続けていた盟を戦わせるわけに
はいかない。物の怪での戦闘において、持久力だけは絆那の方が盟より上だ。
「そう構えるなよ。だから若者ってのは苦手なんだ」
はあ、と両手でのオーバーリアクションを交えながらの溜息。戦意は無い、というこ
とを示すためか両の掌を二人に向ける。
そんな態度をほいほいと信じるほど、二人は哲司を信用していない。特に盟の方は、
絆那が腕で制していなければ先制攻撃を仕掛けんばかりの睨みよう。もし哲司が河童を
出そうものならば、その場で戦闘が開始されていたことだろう。
「それに、だ。ここで戦うのはお互い不本意だよな?」
絆那も盟も、その言葉でようやく状況について頭が回った。敵に教えられたのは癪で
あったが、一般人をまた巻き込むようなことは避けねばならない。警戒は完全には解か
ないまでも、二人は戦闘体勢を緩めた。それを見た哲司の視線も穏やかなものになる。
暇だからって遊びに来ればこれだよ、と哲司は小さく文句を言う。緊張感の無い台詞
に、盟の方も戦意を削がれてしまったようだ。今の視線に篭っているのは、戦意ではな
く呆れのそれ。
「で、兄さんが何でここに?」
「うむ、よくぞ訊いてくれたぞ我が妹よっ!」
人の目が在る、と自ら言いながら盟の方に向かって呼び指しながらのデカい声。
コイツと縁切りたい。盟は改めて思った。口に出した所で無駄だから放っておくが。
「絆那君に振られて以降、別件でスカウトに来たのだが俺の仕事が全く無い」
「で? あまりに暇だから、ちょっかい出しに来たんですか?」
堂々とした哲司に呆れているのは盟ばかりではない。疲労感が体中に蔓延している中
での哲司の相手は、絆那にとっても正直辛い。
「むう、テンション低いぞ絆那君! あの夜はあんなに激しかったのに!」
「誤解を招く表現を使うなッ!」
以前とキャラが違う、と思いながらもそれを指摘する元気が絆那にはない。
変幻自在・千変万化のキャラの持ち主を兄にもつ盟としては、本題に入るまで聞き流
し続けるという解決策を早くも採択していた。我関せず、といった感じで絆那と哲司か
ら距離を置く。
「まあ、とりあえず場所を移そうか」
歩き出した三人のあとを、戟がさらに尾行する。
戟の放った七匹分の犬の死体がよたよたと歩きだした。その姿はまさに野良のそれ。
呼吸が無いことを除けば生きている野良犬とほぼ変わらない、と戟は自負している。哲
司直伝の演技力には自信があった。
例え野良を装っていても、七匹もの犬が群れとなっていれば逆に注目を集めてしまう。
分散させ、それぞれの視点から絆那と盟の監視をさせる。
三日後までに、ハガネ憑きを仕留めるか引き込む。
彼に与えられた命令はそれ。トビモノ憑きの玲を勧誘するにあたって仕留めたらまず
いのではないか、とも考えたが、発言力の小さい戟に異議の申し立ては不可能だった。
「お、わんこが着いてきたな」
哲司が接近していた戟の犬に声をかける。何しとんじゃコイツは、と戟は師匠に対し
て思ったが、下手に無視されるよりもマシかと直ぐに考え直す。
挙動不審な盟の態度が、なぜか少し面白い。犬が苦手なのだな、と戟は理解した。
飛びついてからかってしまいたい衝動に襲われたが、それで死体と見抜かれたら一巻
の終わり。しばらくは哲司の誘導に任せておいた方が賢明なようだ。
「あんた、いったいどこへ行く気なんだ」
哲司に着いて行く絆那が痺れを切らす。不信感も相まって、その語調は荒い。
「人目のつかない所の方が都合がいいだろ? 話すにしても、戦うにしても」
哲司の声は冷たい。
ふざけていない時の哲司が放つ圧力は暗く重い。思わず絆那は緊張する。
哲司の放った言葉通りに戦う可能性があることに、絆那は背筋の冷たくなる感覚を覚
えた。疲労した二人で河童と戦っても勝算はほとんどない。
加え、ハガネの戒めを解くことに恐怖があった。たとえ敵と戦うにしても、人間を傷
つけることに絆那は慣れていない。加え、哲司は親友である盟の兄である。不戦を採る
ことができるなら、そうしたいというのが絆那の本音だった。
戦うことに戸惑う絆那に対し、盟は歩きながら街路樹の一つ一つを調べていた。哲司
が一人だけで現れたことに疑問を抱いた彼女は、もちろん伏兵の可能性を考えている。
ところどころで視界に入る犬に集中を邪魔されるが、盟は探りを止めない。
(また、犬の記憶……)
どの樹の記憶を辿っても、新しい記憶の中には犬の姿がある。
――物の怪? 犬を操る力を持った――。
盟は歩みを止め、構える。
敵は、既に近くにいる。