冬樹盟はこと戦闘において不向きな物の怪憑きである。
 身体能力そのものはコダマが憑いたことによって上昇してはいるが、同時にそのコダ
マが奪う体力が大きすぎるため持久戦は不可能だ。相方の玲のような優れた探知能力を
持つ訳でもなく、そのコダマにも攻撃能力は無い。
 触れてしまえば勝ちであるが、他の部分においては戦闘には適さない。それがコダマ
の戦術だった。
 新手の伏兵の可能性がある中で哲司との戦闘になれば、ほぼ確実に負けるであろうこ
とを盟は知っている。絆那の力は不安定なため、一撃必殺のハガネに頼る訳にはいかな
かった。
 現在必要なのは新手の情報。
 犬を操るという能力は河童の怪力に比べたら見劣りするものだが、盟にとっては効果
は絶大。以前にも哲司は盟の性格を読んだ上での行動を取っている。
 先頭を歩く哲司と、その数歩ほど後を歩く絆那。絆那の方も警戒を怠ってはいないの
だが、河童の高速の攻撃には無に等しい。同じ近接戦闘を得意とする物の怪と言えど、
自身の身体能力以上の力を出せないハガネでは、明らかに分が悪い。
「さて、ここでいいかな」
 人気の少ない裏路地に着いた所で、哲司は足を止めて向き直った。
 絆那はさっと一歩後ずさる。
 相変わらず、ハガネは出さないままだった。
「絆那のスカウト、まだ諦めてないの?」
 呆れ気味な口調で盟が尋ねると、哲司は笑顔で首を横に振る。
「いーや、もうボスから諦め勧告が来ちゃってるんだわ、これが」
 勿体無いねえ、と小さく付け足しながらの返事。戦闘の気配が全く感じられないこと
に、絆那も盟も戸惑う。絆那にとっては「力づくでも」と初対面で言われただけあって
肩透かしの具合はかなり大きい。
「そーいう訳で俺が来てるのは別件。さっきも言ったよな?」
 ポケットから白いハンカチを出してヒラヒラと舞わせる。本人としては戦意は無いと
アピールしているつもりなのだが、絆那も盟も全く信じていなかったりする。遠巻きに
様子を監視している戟さえも、哲司が何を考えているのかよく分かっていない。
 疑惑たっぷりの眼差しを受ける哲司の方もそれは気付いていた。逆に挑戦的な視線を
二人に向けて投げかける。
「どうしたら信じてもらえる?」
「どう、って」
 言い返された絆那は言葉に詰まった。満足しうる証明手段など無い。何を言われよう
が後で覆される可能性はいくらでもある。
 どうしようか、と傍らにいるはずの盟に眼をやったが、その姿はそこには無い。駆け
出す盟の姿を、振り返って初めて視認する。哲司は盟を遮るでもなく後姿にだけ視線を
やった。
「ま、少し話をしよう。何度も言うけど戦う気はないし」
 盟は絆那を置いて逃げる人間ではない。それは残された二人とも知っていることだ。

 :

 伏兵を潜ませている時点で腹を割って話す気など相手側に存在しない。哲司のもとに
絆那を置いておくことに散々迷ったが、盟は駆け出した。犬使いの相手などできること
ならしたくはないのだが、得体の知れない敵に絆那を向かわせる訳にはいかなかった。
(ああもうっ、頼むから気付けよあのバカッ!)
 長い射程と高い攻撃力、さらにそれを最大に活かせる精密な探知能力を有する相棒が
同じ場にいないことが、酷く腹立たしく思えた。

「お、気付いたのか」
 退屈な監視のみを続けていた戟は、やっと出番が来たことで瞳を輝かせる。もはや犬
の死骸の必要も、あくびをかみ殺す必要もない。乱れたベージュのジャケットの襟を直
し、六匹分の死骸を戻すため、それらを仕舞いこんでいたギターケースの蓋を開けた。
 戟の行為が原因とは言え、相手の方は戦闘に移る気満々だ。戦闘に向かない物の怪憑
きでありながら百鬼夜行の面々と渡り合っているという盟の実力の程は、戟を期待させ
るには十分な材料だった。まして、敬愛する師匠の身内であるというのならば尚更だっ
た。
 盟は戟の元へ向かう犬の一匹を追って来ている。全力で走らせれば撒くことはできる
が、それは戟の思うところではない。わざと速度を調節し、盟を自分の下へと向かわせ
る。
「さて、どれほどのもんかね」
 やっと自己の物の怪の本来の力を振るえると思うと、否が応にも戟の気分は昂った。

 :

 盟がそれを眼にしたのは、導く小犬の動きが止まった直後のことだ。
 数人の人間が束になって盟の方を向いている。老若男女バラバラの人間が六人。その
内のニットの帽子を被った一人の足元に置かれたギターケースに、小犬がひゅっと飛び
込んだ。犬が攻撃手段でないことを知り、盟は胸を撫で下ろす。
「はじめまして」
 ギターケースに近い一人が、まず第一声。
「君のことは聞いてる。哲司さんの妹だろ?」
 それとは別の、スーツの壮年の男性が次の言葉をつむぐ。
「話を聞けよ、って言ってもそんな雰囲気じゃないね、これは」
 今度は舌足らずな幼児が。
 複数の人間が同時に相対している事実に、盟はまた新たな仮説を得た。
 敵の物の怪が有する能力は“犬を操る”ではなく、“生物を操る”能力。
 関係の無い人間を楯とする手管を用いることは実に不快だ。それも戦術なのだからケ
チを付けるつもりは無かったが、それと個人の嗜好は別のもの。
「おいで、コダマ」
 戟の言葉に応えることは無く、盟は静かに言い放つ。冷たい空気が掌に収束する。
 絆那を相手にしている時とは違い、盟は確実に怒っている。鬼ごっこでは不完全燃焼
だった故に、コダマは嬉しそうに飛び跳ねた。
「ひどいなあ、戦うつもりはないって聞いてるはずなのに」
 九十にも手が届きそうな老人が、しわがれた声で言った。

 けけけけけけけけけけけけけけ。
 盟の感情に呼応するように、コダマは甲高い声で鳴いた。戦闘態勢をとりながらも攻
撃の糸口を掴んでいない盟の耳に、嘲笑のように響く。
 焦れ焦れ。焦れ焦れ焦れ。
 長く出せば、その分だけ多くの栄養を摂取できる。
 けけけけけけ、けけけけけけけけけ。

「うるさいな、君の物の怪は」
 三十前後ほどの女性が眉をしかめながら言う。
 口調や声の調子から、今までの異なる五人の声の主がすべて同一人物のそれと盟は気
付く。操られている人間は全て物の怪憑きの言葉をそのまま代弁している。洗脳の類で
はない。例え骨の一、二本を折ったとて、それに構わず操られた人間たちは向かってく
ることだろう。
 下手に蹴散らす訳にはいかない。そもそも目の前にいる七人の中に敵の物の怪憑きが
混じっていると断定すらできない。コダマの嘲笑のような鳴き声も盟の焦りを促進させ
る。
 体力を無駄に消費するわけにはいかない。
 常備している小枝を手に握り、戟の作った穢れの群れへと駆けた。

「嘘ッ!?」
 また別の一人が驚く声を出すとともに打ち倒された。
 指ほどしかない小枝で何を。その疑問は一瞬で消え去る。盟の素早さの前ではそんな
ことを気にする余裕は無い。
 向き直り、次へ。
 その眼には既に次の標的が定まっている。
 薙ぎ払い、叩きつけ、突進する。
 敵の姿が老人や幼児であろうと盟は止まらない。
 敵となり得るものをすべて排除する。戟は表情を崩さぬように努めた。盟の兄以上の
冷酷さに手が冷たくなるのを感じた。射殺さんとする視線が向けられると、戟は言いよ
うの無い熱さを感じた。高揚が表情をまた別の形に変化させようとする。戟はそれをす
んでのところで堪えていた。
 打ち倒された骸が起き上がり、盟に殴りかかる。
 それを左の手でいなし、脚を次の標的へ。
 狙うは敵である戟一人。
 打ち倒された五人が、戟ともう一つの死体を護るように立ちふさがる。
「後ろの二人のどっちかが本命、ってことかな」
 両の腕をだらんと垂らし、背筋を大きく曲げた姿勢で小さく笑いながら盟は言う。
 そういった形態のブラフも考えられるが、そうだとしても盟のやることに変わりなど
はない。七人全て倒す。痛みの記憶は敵に植えつけない。握った枝にコダマを宿らせ、
殴りつけると同時にコダマを射出させる。二重の打撃が打ち据える。
 けけけけけけけけけ。
 枝に潜んだコダマは、なおも愉快そうに笑い転げている。

「まったく、まいったまいった」
 ニット帽の一人が両の手を上げ、降参の素振りを見せた。それとほぼ同時に、取り巻
いていた六人は糸が切れた人形のようにバタバタと倒れていく。
「そうおっかない眼をしないでくれよ」
 少しからかうつもりなだけだった、と戟は弁明をする。ついでに自己紹介と哲司の弟
子であったことも告げたが、その辺りは盟にはどうでもよかった。
「哲司さんに聞いてたが怖ェな。一般人も構わず痛めつけるのか」
 正義を掲げてる割にまるで悪人だな、と戟は冗談っぽく笑っているが、対する盟は表
情を崩さない。哲司の弟子だというのであれば、この笑いも彼から得た演技の可能性が
ある。じわじわと毒のように疑惑を広げる哲司のやり口だと思うと、降伏を訴える相手
であろうと問答無用で倒してしまいたい衝動さえ湧き上がった。
 ギターケースの中の小犬は、知らないうちに倒れている人間たちと同じように倒れて
いた。
「私たちに接触した理由は何」
 コダマによる疲労を隠しながら、冷たく盟は言い放つ。視線ばかりでなく、声も矢の
ように鋭い。絆那の方も気がかりであるが、双方に逃げられる事態は避けたかった。最
悪でも敵を捕らえたいと盟は考える。
「哲司さんが言ったでしょ。話がしたいって」
 微妙に食い違っている気がするが、哲司だから仕方ないと矛盾点には目を瞑る。枝の
中のコダマが鳴くのを止めていたが盟はそれを無視した。静穏を保っていてくれるなら
その方がありがたい。
「もう一つ、あなたに憑いた物の怪の力は何」
 息を切らしてしまいそうであったが、悟らせまいと呼吸を整え一気に言い切る。視線
の刃を緩めるつもりは毛頭ない。例え相手に戦意が無いとて、立場の上では敵だという
ことに変わりは無いからだ。
「俺に憑いた物の怪? 聞きたい?」
 ようやく興味を持ってくれたことで、戟の瞳を子供のように輝かせた。
「ヒントは結構あげたと思うんだけどなあ。それなりに有名だし」
「いいから、さっさと答えて」
 表面だけの愛想笑いじみた表情やいたずらっぽい微笑など、盟は求めていない。
 必要なのは、付け入る隙を見つけるための情報唯一つ。これから戟が話すことが例え
嘘であろうと真であろうと盟は攻撃の意思を捨てないつもりだった。
「焦らされるのは嫌いか?」
 なおもニヤニヤと笑う戟。あからさまな挑発であるが、絆那を気にかけ焦りをはらん
だ心ではそれを流すこともできない。
「答えろッ!」
 びくり、とコダマが小さな耳を張り詰めさせる。
「仕方ないなあ、教えるよ」
 貼り付けた上辺の笑みを打ち消し、諦めたと言わんばかりの表情で溜息をつく。そこ
から更に勿体つけて一呼吸。
 盟は気付かなかった。
 戟が操っていた人間の骸は、犬のそれのときより一体少なかったことに。
 また戦闘の間に、背後から“もう一つの死体”が迫っていたことに。

「七人ミサキ、だよ」

 鈍器のような一撃。盟の体躯が沈む。意識が遠のく中、盟は戟がそれまでにないよう
な笑顔を向けているのを見た。
 醜悪な、嘲笑を。
 けけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけけ、け。

「一丁上がり。思ったよりは楽しめたかな」
 戟はつい今までの盟の様子を思い返す。不意打ちなどを用いずに、対等条件で戦いを
行ったならどうなったかは分からない。数の上での利や物の怪の攻撃力など勝っている
点は多数に存在しているが、コダマに触れられてしまえば、たちどころに動きを停止さ
せられてしまう。
 あのまま戦闘を続けていたら、それを考えるだけで高揚する。
 次の戟の悩みは、無駄に昂った内なる炎をどうしてくれようかということ。改めて盟
をまじまじと観察し、唾を飲んだ。猥褻な意思が首をもたげる。その直後“敬愛する”
師のシスコン振りが頭をよぎった。命を懸けてまで実行する度胸はさすがに無い。
「哲司さんの妹じゃなきゃねえ」
 般若のごとく睨んでいた眼光は、既に影も無い。鋼鉄の矢のような視線を思い出し、
背筋を少し冷たくさせる。甘美な一時を思い返している場合ではない。哲司のもとへ行
こうと、戟は骸の一体に盟を抱え上げさせた。ハガネ憑きを仲間に引き入れるための最
大の交渉材料になることだろう。

「さて、俺はどっちを嗜めるべきだろうか。答えてもらえる?」
 声と同時に炎が骸の一体を貫く。
「毎度のように不意打ちに引っかかる単純な相棒か、それとも」
 手足の無い純白の甲冑が、形の無い紅蓮を纏って躍り出る。冷静なままのその声には
僅かに怒張が含まれていた。
「女の子相手に手段選ばない紳士にあらざる人か」
 首を傾げながら、玲がその姿を見せる。全身に回った火傷は未だ塞がる気配は無いが、
トビモノの火力はほぼ損なわれていない。
「いや、まず人をスカウトしておきながら武力手段に出た君の上司か」
 新たな選択肢の出現に、興味深そうに首を更に傾げる。トビモノ憑きが強力な探知能
力を誇ることを知っていながら監視を怠っていたのは戟の責任。叱責は免れないものだ
と戟は小さな覚悟をした。と同時に少し感謝。この場に玲が現れたということは、戦闘
の可能性が多大にあるということ。昂りをぶつけられる相手の出現によって、戟に再び
火が点いた。
 七人ミサキが一斉に立ち上がる。勧誘に対する玲の回答などは、彼の頭からはとうに
抜け落ちていた。
「行くよ、トビモノ」

 対する玲の返事も、もう決まっていた。