「残りの全員でかかってくる?」
 玲の言葉が戟に投げかけられる。戟は蹲るばかりで答えなかった。戟の打たれ弱さは
自身の不死に頼ってきた故のもの。敵前にして伏すばかりの無様な様子は、それを如実
に物語っていた。
 反応が無い敵を前に、どうしたものかと玲は頭を掻いた。戟を許すつもりはないが、
始末にかかれば敵の懐に飛び込む絶好の機会を失ってしまう。今はまだ百鬼夜行の方が
約束を違えただけに過ぎない。はっきりとした反逆の意思を見せるには、まだ早い。
「一つ、忠告をあげようか。一人でも手元に残すのは良くないよ」
 玲に襲い掛かってきた骸は五体。盟との戦いの時には不意打ちのために一体を切り離
していたが、玲に対しては警戒のためか一体を自身の防御に回していた。結果、攻撃の
手数は減少し、玲はその分だけ余裕を得ることができた。
 ぷかぷかと浮くトビモノは、食い足りぬと訴えるかのように玲の周りを飛び回る。無
機質な表面を、なだめるように玲は撫でた。戦法にそぐわぬ好戦的な性格に加え、我侭
さえも述べる。玲が信頼する相棒は、これ以上になく手を焼く存在だった。炎を噴き出
しながらも、表面の熱は決して高くない。トビモノなりの気遣いらしい行動に、玲は頬
を緩ませた。彼にとっては物の怪も愛玩動物に等しい。
 一方の戟は、数分の悶絶の後にようやく思考を再開する。哲司に教わった戦術が破ら
れたことで、彼は久々に戦闘に頭を使うことになる。
 七人ミサキの手数は敵にとって脅威だが、人数ゆえの精度も必要とする。戟が戦闘に
おいて一度に攻撃動作を促せるのは、五体のうちの一つか二つ。わざと死体の破損と再
生を繰り返したのも作戦の一つ。七人ミサキの未熟な技術を補うために、哲司はあらゆ
る見せ掛けの強さを作らせた。その不死と駒の多さを用いて敵のペースを乱すのが戟の
定石であったが、状況を楽しみ、観察を好む玲に対しては当てはまらない。自己の物の
怪の力を過信し、思考の柔軟性を欠いたことが戟の敗因だった。
「ちく、しょう」
 小さな呟きは音にもならずに掻き消えた。鼻先からぽたぽたと落ちる汗は、トビモノ
の炎のために上昇した周囲の気温のせいか、それとも内側から掻き毟られた痛みのため
か。
 戟は汗の数を数える。次第に痛みよりそちらに頭は集中する。一種の自己暗示が済む
と、次に湧き上がるのは敵への負の感情だった。言葉にできない不快感を玲にぶつける
ことだけが戟の思考を支配する。
 伏していた六体の骸が起き上がる。冷たいはずの肢体は、使い手の感情に呼応してか
少しだけ赤みがかっていた。その後、ゆっくりと戟は立ち上がる。骸が喰われたためか
脚の先は痺れてまともに動きそうになかったが、もとより脚を使った俊敏な動きは彼の
得意とする分野ではない。トビモノを携えた玲の反応は静かなまま変わらない。それさ
えも戟を余計に煽るだけだった。
「てめえを、七人目にしてやるよッ!」
 抱えていた盟を放り、残った六人が一斉に玲に飛び掛る。
「やればできるじゃないか」
 少しだけ弾んだ主の声を受け、トビモノは再び炎を上げた。

 :

「ちょっと、わがまま聞いてもらってもいいかな?」
「聞くだけならな」

 :

 不意のフラッシュバックが絆那の脳内を奔るも、刃の形をした黒い風は止まらない。
ハガネの思うがままの動きだけで、河童の高速移動さえ絆那は知覚できた。
「まるで動物だな、肉食系の」
 動きを見切られていながらも、哲司の表情に焦りはない。絆那は速い。その上、彼の
持つハガネはあらゆる防御を無効化して断つ。物の怪憑きにとって厄介この上ないが、
哲司からすれば実に緩やかなものだった。河童の身はいくらか切り裂かれているが、刻
まれた傷の一つ一つは浅い。暴れる絆那の斬撃は獣の牙や爪のようなもの。哲司には風
に潜んだ武器になる部位を見極め、小さな動きで身をかわすだけの動きしか必要でない。
極端な話、哲司が注意すべきなのは右手に握られたハガネのみ。
 哲司の経験に基づく自信は、アトランダムな動きに翻弄される程度のものではない。
不規則に思わせる動きも、実際は人間の動きの限界を超えることはない。ハガネの最大
の欠点は、上位の相手に対しては致命的といえた。
「でも、ね」
 言いながら薄く斬られてポタポタと腕を伝う血液を、哲司はぺろりと舐めた。鉄の味
が舌以上に鼻を刺激する。
 眼前に迫る絆那が、右の腕を振り上げた。
「ライオンには及ばないよ。君は仔猫だ」
 河童が、刃を握る右の腕を取り、
「がぇッ!」
 絆那をアスファルトに叩きつける。
 悲鳴を上げて黒い風は止んだ。
 敵の力を目の当たりにし、ハガネの煌きは漆黒に沈む。絆那も立ち上がろうとはしな
かった。対する哲司は言葉を発しない。絆那の乱れた呼吸の音だけが、人気の無い裏路
地に僅かに響いた。
「話を聞く気はあるかい?」
 絆那の呼吸が整ったのを見計らい、哲司は何事も無かったかのような軽い口調で尋ね
る。絆那は答えない。呼吸は整ったが、未だ頭の回転は正常ではない。呼吸を整えてい
る間は、そもそも何故暴れ出したのかさえも掴みかねていた。
 むくりと、上体だけを起こす。哲司の表情を窺えば、困っているような表情を浮かべ
ていた。その表情と自分の行動を比較し、絆那は照れを感じた。決して哲司には悟らせ
はしなかったが。
 哲司は一度だけ眼を伏せた。首を傾けると、長い前髪がその視界を覆う。
 直後、脇の河童が絆那の咽喉と右の手首を掴んで持ち上げる。ハガネが絆那を促すも
河童の怪力には通じず虚しく光るだけ。肉を締め付ける感触は、使い手の哲司にしっか
りと伝えられていた。ぬめりを帯びた河童の握力は、捕えたものを決して離さない。
 締め付けられる息苦しさを感じながら、絆那の眼は哲司を捕らえていた。視線だけで
哲司に問う。
 それを俺が聞いて、どうなる?
「君らのことは俺は知らない」
 垂れた前髪を直そうともせず、哲司はひらひらと両手を動かす。問い詰めてみた所で
状況は好転しそうに無いことを悟り、絆那は細い息と共に決意した。

 :

「えっと、何ていったらいいかな。聞かせてほしいんだ。いろいろ」
「いろいろ? どーいうことだ?」
「何ていうか。戦うことになって辛いなーとか、そんなの」
「もう襲われてから毎日なんだけどそれ」

 :

 トビモノの炎が薙ぎ払うも、感情の無い骸たちは構うことなく飛び掛かった。六体と
なった七人ミサキの攻撃が矢継ぎ早にトビモノに打ちつけられる。
 トビモノが噛り付こうにも他の骸の打撃に阻害されてしまう。
 不死を逆手にとった攻撃への集中。
 敵が猛攻ゆえに玲は防御に回らざるを得ない。
 土蜘蛛との負傷が打撃の振動によって呼び戻される。打撃が叩き込まれるたび、玲は
少しずつ顔をしかめた。痛みは慣れっことは言え、好きになれそうには無い。
 多対一の戦闘において人魂は最大限にその力を発揮するが、それは相手にダメージを
与えられる場合に限られる。距離をとろうにも弾くことさえ叶わない。最大火力で消し
飛ばそうにも破壊の直後に再生が施される。七人ミサキの能力は、トビモノにとって決
して相性のよいものでなかった。噛り付こうにも口を開けば横から殴られる。
「まったく、手を焼かせてくれるよ」
 笑みを消さないままでの一言であったが、玲の声は暗い。骸の攻撃には遠慮がない。
存在しない自我と瞬時の再生を最大限に生かした打撃は、身体に掛かる負荷を完全に無
視した衝撃を生み出していた。幸い攻撃はトビモノの方に集中していたが、亀裂の入っ
た装甲は長く耐えられそうに無い。
 滅入る思いでぶつぶつと何事か呟く戟を見、玲は改めて溜息をつく。と同時に挑発じ
みた言動を反省する。冷静ぶっていても敵に対して腹を立てていたことを、思い知らさ
れた。思わず玲は声を上げて笑いそうになった。今度は自嘲のために。
 玲は僅かに右の足を後ろに下げ、鋭く戟を睨んだ。玲の反撃を予期し、七人ミサキは
トビモノにしがみつく。六人分の肉の拘束がトビモノを完全に覆い尽くした。
 玲の攻撃パターンはおおよそ読まれてしまっていた。トビモノの火力で押し切るにも、
七人ミサキ相手には都合が悪い。七人ミサキを殲滅するには戟を倒すしかない。それを
玲は理解していた。
 死なば諸共の業火ならばあるいは焼き尽くすことはできただろう。しかし、土蜘蛛と
の戦いを経て負傷している玲にとって不可能な選択だった。包帯を巻かれた両の手は、
未だ満足な皮膚を為してすらいない。
「四の五の考えるのは止めだ」
 死体に纏わり付かれたトビモノが、玲の一声と共に上昇する。
 振り落とされた骸たちが次の標的を使い手の方へと定めるも、玲は動じなかった。
「ばいばーい」
 緊張感を全て断ち切るような明るい声と共に、トビモノの炎が降り注ぐ。
 冷静さを欠いたことを自覚した時点で、玲は自分の負けを認めていた。
 炎の紅が、両者の視界を完全に支配した。

 :

「き、かな、い」
 呼吸音にほのかな音を交えたような声で、絆那は哲司に言い放った。
 途端に締め上げる力が強くなる。唇の端から泡が沸々と零れかける。剥奪されそうに
なる意識を、絆那はすんでの所で繋ぎ止めていた。
「ぁッ、ぁぁッ!」
 自由なままの脚を何度も河童に叩きつける。不十分な体勢の攻撃を締め上げる河童は
悠然と受け止めた。酸素の不足からか、思考はとうに働いていない。同時に締め上げら
れている右手も、ハガネを手放しはしなかった。
 哲司は半ば呆れるような心持で絆那を眺めていた。意識を保っているだけでも驚異的
であるというのに、そこから攻撃に転じることは全くの想定外。
「ハガネの力、かな」
 以前に対峙した時を思い返す。敵を裂くことに喜びを見出すハガネが絆那に意識を保
たせているのだろう、と哲司は考えた。
 締め上げる力は衰えない。絆那の顔色が酸素の欠乏による危険性を哲司に報せる。蝋
人形のように色彩の失せた顔は、未だ怯えの感情すら浮かべていなかった。河童が苛立
ったように力を更に込める。物の怪側からしてみれば、人間に過ぎない絆那が耐えてい
ること自体が脅威だった。河童の手に零れる汗、涙、唾液。哲司はさすがに顔をしかめ
る。
「もう、諦めてくれないか」
 数十秒の後、先に表情の変化を見せたのは哲司だった。無理な体勢からの蹴りを繰り
返していた絆那の脚は、完全に沈黙していた。
「ぁ、ん、ぇ」
 潰れた声とともに、震える左手が首を絞める物の怪の手に触れた。
 離せ。
 冷徹な視線に、哲司は小さく震えた。
 ハガネの力によるものか、保たれた絆那の意識は獣のそれに戻りつつある。ハガネ憑
きを追い詰めてはいけないことを、哲司はようやく理解した。同時に、百鬼夜行に絆那
を引き込むことは不可能だということも。
「君はッ」
 哲司が語調を荒げて声を発する。呼応するように、河童の力は更に強くなった。
「君は盟を信じすぎているッ!」
 絆那の左手も、力なく垂れた。
 急な激昂のためか、哲司は肩で息をしていた。

 :

 姿を眩ませた直後、玲はトビモノを絆那のもとへ奔らせた。七人ミサキと戦闘をしな
がらも、玲はハガネと河童の気配を感じ取っていた。放置してきた盟のことも気がかり
だったが、ハガネの気配がいやに弱い。トビモノを飛ばしながらも、玲は汗ばんだ拳に
力を込めた。
 ぼおっ。玲の焦燥に答えるようにトビモノは炎を上げる。
 離れた玲は一つ息を吐いた。
「そうだ。落ち着け」
 その無骨な姿に安堵し、玲は周囲の探知を再開した。
 探知できる物の怪は、一つ多かった。何度か数え直してみても結果は変わらない。間
違えるはずが無い。
 その正体を詳しく探る必要は玲にはなかった。緊張の解けたように、地べたに腰を落
とす。意図せず、手指が震えた。
「戻れ、トビモノ」
 どんなに無表情を装っても、その鼓動を止められない。
 全身を襲う傷の痛みは、違う意味で頭から追い出された。

 :

 バチィッ!
 何かが弾けるような音と共に、哲司の視界は白く染まった。
「何年ぶりだったか」
 指を折って数える素振りをしながら、長身の男が姿を見せる。不意に現れた男に対し、
哲司の反応はなかった。闖入者と目を合わせ、哲司は表情に出さず驚く。
 どさり。絆那の身が解放された。
 次の瞬間、河童は男の目の前に。
「絆那君を助けに来たつもりか」
「おまえを止めに来た」
 臆せず、相手は短くそう答えた。
 踏み込みの無い河童の一撃が男を撃ち抜く。が、河童の一撃が貫いたものは白い光だ。
 河童は張り手を繰り出した姿勢のまま、呆けたように動かない。
「いくら河童が速くても雷には勝てんさ」
 背後からの声に、哲司は薄い笑顔を浮かべた。平時はおどけた様子であるが、戦闘員
としての働きを好まぬわけではない。好戦的な性格を隠す必要の無い相手を前に、哲司
は純粋に喜びを感じていた。脚を肩幅に開き、腰を落とす。腹式の深呼吸は身体の隅々
にまで酸素を渡らせた。
 頬が釣り上がるのを必死に我慢した。
 そわそわする膝を殴り、なんとか落ち着かせた。
 熱の伝わらない手に、力強い脈を感じた。
「行くぞ、柊ッ!」
 高揚感を隠さぬ弾む声で、哲司は叫ぶ。
 標的は、反抗勢力の首領――柊葵ひいらぎあおい