「春休み、森林公園にお花見に行こうか」
「新学期の準備で忙しいんじゃないですか?」
「うむ、そうなんだが、せっかくだから君と桜が見たくてね。
何とか時間をつくるから、どうだろうか?」
「ええ、もちろん喜んで!」
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「あの…天之橋理事長は本日お見えになってますか?」
3学期の終業式の日、宮津舞は校門で女性に声を掛けられた。
(うわ〜凄い綺麗な女性だな。大人って感じ…)
舞は淑女に話しかけられ、軽く赤面をした。
先程まで会話をしていた相手のことを聞かれたせいもあったが、
自分の子供っぽい身の程を感じてしまったからである。
「はい、今日は終業式に出席していましたから、まだ理事長室にいるかと思いますけど…」
「そう、よかったわ。どうも有難う」
「あ、あの、理事長室までご案内しましょうか?」
「…そうね。案内していただこうかしら」
(もう一度一鶴さんの所へ行って驚かしちゃおう!)
という舞のささやかな下心に、貴婦人は勿論気付いてはいないのだが、一旦躊躇してから受け入れた。
この貴婦人、春色の淡いスーツにブランド品のハンドバッグ、セミロングの髪は上品にセットされていて、隣を並んで歩くとほのかにフローラルな香りが漂う。年のころなら30代前半といったところだろう。
(ホント、マドモアゼルって感じ!誰かのお母さんかな?それにしては若すぎるか。)
舞がマドモアゼルに酔いしれていると
「天之橋理事長は今も薔薇を育てているのかしら?」
と、貴婦人が不意に訊ねてきた。
「ええ、毎日お世話をなさってます」
「そう…」
淑女は少し悲しげに呟いた。
(一鶴さんの知り合いかな? ………なんだか一鶴さんにとってもお似合いな人だなぁ…)
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理事長室のドアをノックする。
「失礼します。2年の宮津舞です。お客様をお連れしました」
「! どうぞ、入りたまえ」
舞の予想通り、天之橋一鶴は少し戸惑っていた。10分ほど前に、舞と一鶴は、ここ理事長室で花見の約束を交わしていた。別れたばかりなのに、また声を聞くことができた。一鶴は、嬉しい戸惑いを感じた。と同時に、お客様?、と不可思議に思った。
「天之橋理事長、お久しぶりです」
舞の後方に立っていた女性は、一鶴の姿を見ると、さりげなく舞を押しのけて進み出た。
「佐倉先生!帰ってきてたんですか!」
「さっき成田に着いて、真っ先にここに来てしまったわ」
どうやらこの貴婦人と一鶴は顔見知りのようだ。
(なんかお邪魔だな、私…)
「失礼します…」
「あ、宮津君!」
舞は一鶴の声を背に受けながら、理事長室を後にした。
(「宮津君」か…)
一鶴は舞への呼び方を使い分けている。二人きりでいるときは「舞」、第三者がいる時は「宮津君」と呼んでいた。
舞は「宮津君」と呼ばれるたびに、少し淋しい気持ちになる。
すると、そんな舞と、すれ違いざまに、あの人が入室していった。
「ちょっと一鶴、聞いてよ!ヒドイのよ…」
いつも騒がしいあの人の声が見事にトーンダウンした。舞もその珍しさに歩みを思わず止め、聞き耳を立てた。幸い、理事長室のドアは少し開いていて、部屋の会話が廊下まで聞こえていた。
「!! 卯月じゃないのよ!アンタいつ戻ってきたのよぉ!!」
花椿吾郎の声は明らかに怪訝そうである。
「あら、吾郎じゃない。相変わらずね」
「もぅ〜いったい何しに帰ってきたのよ。アアン、もうズンダラベッチャラだわ。帰るわよ!プンスカプン!!」
そう一人でわめき立てて、吾郎は理事長室を後にした。
舞は、このまま理事長室を盗み聞きするかどうか迷ったが、良心も咎めるし、
ここは、花椿にあの女性について尋ねてみようと思った。吾郎の後をついて歩き、理事長室が見えなくなる頃に思い切って声を掛けた。
「あの…花椿せんせい?」
「あら、小悪魔ちゃん…」
吾郎は立ち止まり、例によってクネクネし始めた。
「あの女性は、一鶴さんにとってどんな女性なんですか?教えてください!」
「アイツはね、“佐倉卯月”って言って、前に、この学園で音楽の先生をやっていたのよ。それがもぅ生意気で、皆から"マドンナ先生"って呼ばれてたのよ。もぅー頭に来ちゃう。そう…小悪魔ちゃんが入学する年の前だから、ちょうど入れ違いね。アイツがこの学校を辞めたのは。」
("マドンナ先生"って、それは人気のある先生だったんじゃないの?)
舞は、吾郎に聞いたのは失敗だったと後悔した。吾郎のこの言い回しでは、彼女のことを客観的に説明してくれているとは思えないからである。
「どうして辞めたんですか?」
「何でも30歳を機に音楽の知識を広めたいから留学するって。でもアタシにはわかるわ。あれは一鶴に止めて欲しくって急に言い出したんだわ。」
「え???ひょっとして佐倉先生って…い、一鶴さんと…」
「ええ、そうよ。オ・ト・ナの関係。」
(昔の恋人!?そりゃあ一鶴さんは大人だし恋愛経験の一つや二つあるだろうけど…あんな美人でエレガントな人が!?しかもこの学園の先生だったなんて、それはあまりにも出来すぎ、一鶴さんの恋人に理想的じゃないよ!私は別に一鶴さんと付き合ってるわけでもない…ただの学園の生徒だし…)
舞の頭の中にぐるぐると初耳の事実が渦巻いていた。
この様子を見て、さすがに吾郎も声を掛けずに入られなかった。
「ちょっと小悪魔ちゃん、大丈夫?」
続く…