雨の日は憂鬱

宮津舞に未だ仲のいい友達がいないのは、高等部からの編入組だというせいかもしれない。舞が通う私立はばたき学園の生徒は、中等部からの進学がほとんどである。舞は消極的で、人付き合いが上手いほうではない。人と対する時はいつも受身でいる彼女、自分から積極的に声をかけなければ友達なんて出来るわけがない。いつも失敗を恐れて控えめでいる自分の姿が舞自身も嫌いだった。しかし消極的な彼女が自分改造にも消極的になるのは当然のことだろう。舞は消極的な自分を好きになるしかなかった。
下駄箱から校門に行く間に、ふと空を見上げた。どんよりとした雨雲が空一面を覆っている。
舞が校門を出ようとすると、頬に一滴の雫が当たった。
「あ、やっぱり…」
 今朝、家を出る時に尽が「ねーちゃん!今日雨降るぜ、傘持っていけよ」と言っていたっけ…
舞は、弟の言葉を思い出して、立ち止まった。
 こんなことなら尽の言うことを、ちゃんと聞いておけばよかったな。家につくまで降らないといいけど。
雨は、舞の孤独感をいっそう際立たせる。このまま雨が降り出しても、舞には傘がない。
 ―――わたしには傘も≠ネい…
立ち止まっていても仕方がない。歩き出そうとした舞の目の前に、一台の外国車が止まった。
 わぁ、すごいクルマ……どんな人が乗ってるんだろ。
自動車から降りてきたのは、ダブルのスーツを着た長身の男性だった。 
あれ?この人、たしかこの間……。
舞はこの男性に見覚えがあった。男性は鼻の下に髭を蓄え、丸い眼鏡もかけている。それなりの地位のある人物であろうという風格がある。男性は舞に向かって紳士的に語りかけた。
「お嬢さん、よかったらお乗りなさい。今にも降り出しそうだからね。家まで送ってあげよう」
「あ、あの……」
突然、話し掛けられ、舞は戸惑った。
「さ、早く」
「…私、知らない人のクルマに乗るほど軽率ではありません」
「ハハハ、知らない人か…ううむ、それは困ったね」
舞の言葉を受けて、男性は真剣に考え始めた。
 (悪い人ではなさそうだけど、やっぱりチョットね…)
舞は男性の申し出をどうにかして断ろうとした。すると男性は何か思いついたように切り出した。
「そうだ!君と私は前に一度会っているね。ほら、魔法の教会。覚えているかい?」
「覚えていますけど…」
そうなのだ、舞はこの紳士に一度会ったことがある。自分の居場所を探して学園中を探検していた日のことだった。学園の裏手に鬱蒼と茂った森がある。その森の手前に教会があった。そこを見つけた時は、まるでおとぎの国に迷い込んだように思えた。こんな時アン・シャーリーだったらなんて言うかしら?舞を物語の世界から引き戻したのは、この紳士がぶつかったからある。
「さ、雨が降り出してきた。早く乗って!」
「で、でも…」
「そうだね、君が安心してくれるかどうかわからないけど、私は学園の関係者だ、とだけ言っておこうかな」
人を外見で判断する事はよくないけれど、この紳士の身なりを見る限り、悪い人でもなさそうである。
舞は、男性が開けた助手席のドアから車内に乗り込んだ…                                                   
「どうだね、高等部の生活にはもう慣れたかな?」
クルマが動き出してしばらくすると、舞の緊張した雰囲気を崩そうと、紳士は話し始めた。
「…私、高等部からの編入なんです。まだ学園のことがよくわからなくて」
車内という密閉された空間だからこそ、舞はすんなり話し始めた。二人きりの今、運転者と会話をしなければならないのは舞だけである。
「ふむ、では友達は出来たかな?」
「………」
「ふうむ。…学園は楽しいかい?」
「楽しい…そんなこと考えた事もなかった…」
 学校にいくことが楽しい、という感情が舞にはわからなかった。だからといって、つまらないとか、行きたくないとか否定的な感情も起きていない。毎日が雲のように、ただ流れているだけだった。
「君には、是非はばたき学園を好きになって欲しいね。まずは私が君の友達に立候補してもいいかな」
「名前も知らないのに?」
「ハハハ、それもそうだね。でもそういうのも面白いじゃないか」
 (面白いというより不安なんだけどな)
 舞は、何故この紳士が自分にこんなことを言い出したのか不思議だった。先ほど学園の関係者と名乗っていたが、それを信じるとしたら、生徒指導の先生でもあるのだろうか。なんにせよ、単なる通りすがりの興味本意で尋ねているだけなのだろうと、舞は冷めた思いを抱いていた。

「さぁ、到着しましたよ。お嬢様。ね?無事に送り届けたろう?」
「あの…ありがとうございました。それから……」
「おっと、そろそろ戻らないと。じゃあ、私はこれで。またね」
 紳士は舞を彼女の家の前で降ろすと、すぐに車に乗り込み去ってしまった。多少なりとも疑ってしまったことの詫びすら言う暇もなかった。この紳士との下校は、波風のない毎日を過ごしている舞にとって、大きな出来事だった。そして、お詫びを言えなかったことで、舞の心をさらに占めることとなった。

 数日後のある日、舞は普段どおり、一人で帰ろうとした。教室を出て廊下を歩いてると、舞の行く手に人影が現れた。
「アンタが宮津舞ちゃんか?」
 舞に声をかけたのは、釣り目で色黒の男子生徒だった。そのイントネーションから関西出身だということがわかる。舞はいぶかしげに関西人を見て答えた。
「そうですけど、何か?」
「俺、姫条まどか」
「女の子?」
「そうそう、こう見えてもれっきとした女の子…ってなんでやねん!」
舞は、ベタな乗り突っ込みに微笑して尋ねた。
「で、その姫条君が私に何の用?」
「ま、せっかくだし一緒に帰らへんか?それとも誰かと約束でもしてるんか?」
(友達のいない私が誰かと約束している訳無いじゃない!)
 舞は下校に誘われたことに驚き、疑問を抱いた。姫条が声をかけてくる理由が、舞には全くわからない。
「たまには誰かと帰るのも悪くないやろ?」
「私がいつも一人でいること知ってるの?」
「あ、あぁ、まぁね、ほれ、俺も高等部からの編入組だし、同じ編入組同士仲良くやろうや」
「姫条君も編入組なんだ!」
舞は彼に共通点を見出し、気持ちが落ち着いた。姫条が上手く会話をリードしたので、舞も楽しく下校をすることができた。ただ、自分が一人でいたことを知っていた姫条に対し、わだかまりは残ったままだった。

また数日後の放課後、今度は女子生徒から声を掛けられた。
「ねぇねぇ、そこの女子!」
「え?私のこと?」
その女の子は束ねた髪を上にしてまとめて、人なつっこい表情で話し掛けてきた。
「姫条から聞いたよ〜『君にBIG WAVE』見に行ったんだって?いいなぁ〜ね、ね、どうだった?」
「別に姫条君と行った訳じゃないから…たまたま券をもらって見に行っただけ…」
姫条君と自分のことを勘繰ってきたのだろう、とこの女子生徒に嫌気がさした。
「あ、映画のタダ券、よく貰うの?今度私、誘ってよ、ネ!決まり!!」
しかし、女子生徒の話題の論点は予想に反していた。
「…あなた、誰?」
「あ、そっか、まだ名前言ってなかった!私、藤井奈津実。よろしくね」
「私は…」
「宮津舞でしょ!舞って名前カワイイじゃん!これからは舞って呼ぶね」

藤井は一方的に話し、慌しく立ち去ってしまった。
(なんだか馴れ馴れしい人だったな)
 舞は軽い脱力感を抱いた。そしてある考えが浮かんだ。
 なんだろう。最近色々な人から声を掛けられている気がする。藤井さんも姫条君から私のことを聞いたみたいだし…
 姫条君が気を遣って?
 …姫条君のおせっかい。
 そう頭では思いながらもそのおせっかいを嬉しくないわけがない。
 駄目だな、なんだか考えが卑屈になっているみたい。姫条君にお礼を言おう。
舞は姫条君に会って話をしようと、彼を探すことにした。
(姫条君はどのクラスだっけ)
そう思いながら少し歩くと、廊下で話をしている姫条の姿を見つけた。
姫条君と話しているのは、偶然にも雨の日に家まで送ってくれた紳士だった。
(やっぱりこの学園の先生)
しかし話は終わったらしく、紳士は姫条から離れて歩いていってしまった。
舞は慌てて姫条の元へ駆け寄る。
「姫条君!」
姫条は舞の顔を見て狼狽の色を見せた。
「やば!見られてしもうたか…黙っててくれっていわれてたんやけど。ちょいとオッサンとコネがありまして…ま、それでこの間、頼まれてな、舞ちゃんと仲良くしてやってくれって」
舞はことのからくりが判明し、納得をしながら答えた。
「…そう、だったんだ…今の人、誰?」
「誰って、知り合いじゃないんかい!?」
「話したことはあるけど、基本的には知らない人」
「知らないんか!でもオッサンはこの学園の…おっと、バイトの時間や。オレ行くわ」
姫条は気配りがよく利く性格である。紳士が姫条に口止めを頼んでいたからには、理事長であるということも言わないほうがいいだろうと瞬時に察した。
「ちょっと、姫条君!」
(逃げられた…)
舞は少しだけ謎が解けて嬉しかった。しかし結果として、舞の心に、紳士の存在が更に広がっていった。
そうか、あの人が私のことを。
今度あの人の口から、ちゃんと聞こう。名前も仕事も。

「ねーちゃん、今日も傘持っていかなくていいの?」
「うん。いいの」
 憂鬱だった雨の日が近頃少し待ち遠しい。
 また傘を持たずに立ち尽くしていたら、あの人に会えるかもしれない。
 もし今度会うことが出来たら、私からあの人に声をかけよう。
そして学園生活は楽しい、と胸を張って答えよう。
舞はいつの間にか学園に行く毎日に心躍らせていた。曇った空模様もいつか晴れ渡る。これが楽しいという感情の始まりなのだと、舞は実感をした。