Time Limit






奇跡。
絶対に起きるはずのない事が起きること。
そう、起きるはずのなかった奇跡。
それは去年の誕生日まで生きられないと言われた私がまだ生きていること。
とても嬉しかった。
祐一さんとまた一緒にいられるから…
だけど…

―1月25日火曜日―

「……た」
「え?」
不意に声がかけられる。栞はいつの間にか下を向いていた顔を上げた。
「どうしたって言ったんだ」
「祐一さんと校門で待ち合わせしてたから待ってたんですよ」
「いや、そうじゃなくて何か考え事をしてたんじゃないのか」
「してませんよ?」
「…そうか? ならいいんだが」
栞が学校に通えるようになってからもうすぐ11ヶ月が経つ。
1年近くも休んでいた栞は当然ながら留年したが、ちゃんと学校に通えると喜んでいた。
祐一は3年に進学し、もうすぐ進学か就職かと言うところまで来ていた。
「そう言えば、来週だっけ?」
今の今まで忘れていたと言うような顔で祐一が言った。
「何がですか?」
笑った顔のまま栞が答える。vが分かっている顔だ。
「栞の誕生日だ」
「そうですよ。今年はお姉ちゃんもお祝いしてくれるんですよ」
「へえ、それはよかったな」
「はい。…祐一さんはお祝いしてくれないんですか?」
「なぜ」
「祐一さん、私の誕生日忘れてたみたいですから」
「い、いや、忘れてなんかいないぞ」
祐一は一瞬だけ目をそらした。それがまずかったようだ。
栞が疑いの眼差しを向けてくる。
「…本当ですか?」
「本当だ」
「本当の本当ですか?」
「本当の本当だ」
「本当の本当の本当ですか?」
「本当の本当の本当だ」
「本当の本当の…」
「とにかく本当だ」
永遠に続きそうな問答を祐一は無理やり終わらせる。
「そ、それにプレゼントだってもう用意してあるんだぞ」
実はまだ考えてもいない。そんな考えを頭の奥に押し込んで祐一は言った。
「わあ、何ですか?」
「う、そ、それは…内緒だ。今言ったら面白くないだろ?」
「そうですね。楽しみにしてます」
「そ、そうだ、そう言えば欲しいCDがあったのを思い出した。商店街に寄って行ってもいいか?」
「駄目ですって言ったら祐一さん、困りますか?」
「何か意地悪になったな」
「祐一さんが正直じゃないからです」
「俺はいつでも正直だぞ」
そう言って祐一はすたすたと歩き出した。
「わ、祐一さん待ってください」
慌てた栞が祐一のあとを追いかけていった。

何が良いだろうか。
スケッチブックは去年に渡した。アイスにするわけにもいかない。
「祐一さん、聞いてますか?」
「え? ああ、聞いてるぞ」
実は聞いていなかった。そんな考えを祐一は再び頭の中に押し込んだ。
「じゃあ、いいんですね」
「え…?」
「いいんですね?」
「あ、ああ」
聞いていると言った手前、何が? と聞く訳にもいかない。
何より栞の目の笑っていない笑顔が怖い。
祐一が栞の誕生日を忘れていたことを根に持っているらしい。
「よかった。じゃあ今日のイチゴサンデー、祐一さんのおごりですね」
「なに!?」
「なんですか?」
「い、いや、なんでもない…」
自業自得。そんな言葉が頭の中を駆け回っている。
「本当はジャンボミックスパフェデラックスの方が良かったんですけど…」
「頼むからそれだけはやめてくれ」
「じゃあ、早くCD屋さんに行きましょう」
「…いや、今考えたらそこまで欲しいCDじゃなかったから、百花屋に行こう」
誕生日プレゼントの事を考えればイチゴサンデーだけならともかく、それにCDをつけると財布の中が少しやばい。
「そうですか? じゃあ、早く行きましょう祐一さん」
祐一はプレゼントを何にするか決めることもできず、栞の後ろについて百花屋に向かった。

栞が百花屋の焦げ茶色のドアを開ける。
2人は運良く空いていた窓側の席に座った。
すぐにエプロンドレスのウェイトレスが注文を取りに来た。
「おれ、コーヒー」
「私は、ジャンボミックス…」
「頼むからやめてくれ」
「じゃあ私はイチゴサンデーです」
注文を聞いて、ウェイトレスはかしこまりましたと、カウンターへと戻っていった。
「百花屋さん、久しぶりですね」
「…前に来たのはおとといだったと思うが」
「はい。ですから久しぶりです」
「…そうなのか?」
「はい」
祐一がハテナマークで頭を一杯にしていると、コーヒーとイチゴサンデーが運ばれてきた。
栞は嬉しそうにイチゴサンデーを食べ始める。
「…そういえば」
不意に栞が話し掛けてくる。
「何だ?」
「祐一さんはイチゴサンデーとか食べないんですか?」
「俺はいい。コーヒーで十分だ」
「…そのコーヒーおいしいですか?」
「まあ、それなりに」
「真っ黒ですよ?」
「コーヒーはブラックに限る」
「コーヒーのブラックは人の飲む物じゃないですよ」
「そんなことを言うようではまだまだ子供だな」
「そんなこと言う人、嫌いです」
栞はすねたような顔で言った。
「それじゃ、行くか?」
栞がイチゴサンデーを食べ終わったのを見て、コーヒーを一気に飲み干して言った。
「はい。それでは行きましょう」
そうして、二人は百花屋を出た。その後二人はいつもより長く遊んだ。
それが始まりとも知らずに…

―1月26日水曜日―

「…何だって?」
「だから、今日は栞は休みだって言ったのよ」
聞き返した祐一の言葉に香里が答える。
3年生になって、香里とはまた同じクラスになった。名雪と北川は別のクラスだ。
「…俺のせいか?」
いつもより多く遊んだ次の日の事だ。原因が祐一にあると言われても否定できない。
「さあ? それは知らないけど栞はちょっと熱が出ただけだって言ってたし、熱もそんなに高くなかったし。」
香里は一つだけため息をついた。
「まあ、一応大事をとって休ませただけだから大丈夫でしょ」
「そうか、ならいいんだが…」
不意に1年前の事が祐一の頭をよぎる。
もしかして栞が生きていられるのは去年ではなく今年の誕生日だったとか…。
オチにはなるが、笑えない冗談だ。
「大丈夫よ」
「…あ? 何がだ」
突然、香里が言葉を発した。
「最近は月に一回通院している程度だから。あの子がかかっていた病気はもう治っているのよ」
「…ああ、そうだな」
香里に見透かされていたようだ。祐一は大丈夫だと自分に言い聞かせることにした。
そして平穏無事に授業を終え、商店街で栞の誕生日プレゼントを探しつつ帰宅した。

「すみません、祐一さん。一つ頼み事をしてもいいですか?」
「別にかまいませんけど、何ですか?」
夜。祐一が居候している水瀬家だ。祐一は風呂上りの牛乳をいただこうと冷蔵庫の前に立ったところで秋子さんに声をかけられたのだ。
「実はお米が切れてしまったみたいで、このままでは明日の夕飯の支度ができないですよ」
「…お米を買ってくるのはいいんですけど、何で明日の夕飯なんですか?」
「明日は仕事の関係で朝は名雪や祐一さんよりも早く出て、帰りは遅くなるんです」
「そういうことなら任せてください。」
「本当は名雪に頼むつもりだったんですけどうっかりしてまして」
「いえ、こういうことは男の仕事でしょうから」
現在時刻は9時20分。名雪は既に熟睡モードに入っている頃だ。
「そうですか? ではお願いしますね。」
そう言うと秋子さんはにっこりと微笑んでお休みなさい、と自室に戻って行った。
「…することもないし、俺も寝ようかな」
中断されていた風呂上りの牛乳を飲むと、祐一も自室に戻って行った。
「米、か…」
商店街から米袋をかついで帰る姿を想像すると祐一は少し憂鬱な気分になった。
プレゼント探しの言い訳にもなるかな。
明日は栞が元気に学校にくる事を願いながら祐一は眠りについた。

―1月27日木曜日―

「…今日も、栞は休みなのか」
「…ええ」
「本当に大丈夫なのか?」
「…大丈夫よ。あの子は普通の人より体が弱いから治りが遅いだけよ」
ああ、そうか。
祐一は気づいた。
香里は祐一を心配させまいと言っただけではなく、自分自身に言い聞かせていたのだ。
1年前に栞の命を脅かした死神はもう来ないと。
「美坂ぁ、数学教えてくれぇ」
場の雰囲気が読めていないのか、分かった上でやっているのか、隣のクラスから北川が香里に泣きついてきた。
どうも北川は、香里が行こうとしている大学へ一緒に行こうとしているらしい。
「はいはい。わかったわよ」
ため息まじりに香里が答える。この1年この二人はずっとこんな調子だった。
「そう言えば相沢君」
「なんだ?」
「もうすぐ栞の誕生日なんだけど覚えてる?」
「ああ、プレゼントはまだ決まってないけどな」
「ならいいんだけど相沢君、なんだか忘れてそうだったから」
するどい。そんなわけないだろうと、祐一は乾いた笑いを見せた。

夕方。祐一は栞の誕生日プレゼントとお米を買いに商店街に来ていた。
「米を買う前にプレゼントを買わないとな…」
まさか米袋をかついでプレゼントを探し回るわけにも行かない。
色々と店を回って見る。なかなか見つからない。
「スケッチブックもパステルも去年に贈ったからな」
スケッチブックもパステルも消耗品と言えば消耗品だから1年も持たない。
新しいスケッチブックやパステルにしてもいいのだが、それでは芸がない。これは本当にやばくなった時の最終手段だ。
「ううむ、やっぱりあれしかないかなあ」
祐一は、ふう、とため息をついた。あれもある意味最終手段だったのだけれど。
「仕方ないか」
さっき見た限りでは所持金ギリギリで買えるようだった。嬉しいやら悲しいやら。
「…いや待てよ」
今年の栞の誕生日は2人だけではなく栞の家族や友達も集まってくる。
皆が見てる前で渡すのか?
それはまずい。いや、別に構わないかもしれないが、恥ずかしい。
「ううむ、どうしよう」
祐一は途方にくれた。
「あれ、どうしたの祐一」
不意に声がかけられる。
「…よお、名雪」
「何かお買い物?」
「ああ、栞の誕生日プレゼントと米」
「栞ちゃんの誕生日プレゼントはわかるけど、お米って何?」
「米は米だ。昨日名雪が寝てから秋子さんに頼まれたんだよ」
「わ、そうなんだ」
名雪は知らなかった、と驚いた顔で言った。
「栞ちゃんの誕生日プレゼントの方は買ったの?」
「それなんだけど…」
まだなんだ、と言おうとして祐一は名雪の顔を見た。
「…そうか、その手があったか」
「え、な、なに?」
名雪に借りを作ることになるが、この際仕方がない。
そう祐一は思いながら名雪に頼み事をした。

―1月28日金曜日―

「行って来ます」
「はい、言ってらっしゃい、祐一さん」
朝。いつもの通り秋子さんが見送ってくれる。
ここ数ヶ月は何故か名雪と一緒に登校していない。
遅刻する心配もないし、走る必要もないからありがたいのだが。
いつもの道をいつもの様に歩く。
いつもならこの辺で…
「おはようございます、祐一さん」
と、声が…
「ん?」
想像にしてはおかしい、と祐一は振り返った。
「おはようございます、祐一さん」
そこには栞が立っていた。
「もう大丈夫なのか?」
「はい、もう大丈夫です」
「そうか…」
心なしか栞の顔が白く見えた。
2日も寝込んでたせいかな。
祐一はそう考えることにした。
「祐一さんの顔を見るのも久しぶりですね」
「…そうだな」
だが、祐一には栞の顔を見る勇気がなかった。
1年前のあのときの顔に見えるからだろうか、それとも…
「祐一さん? どうしたんですか?」
「え? い、いや、何でもない」
1年前のあの日、栞は病気を乗り切ったんだ。
そう考え、祐一は無理やり考えを切り替えることにした。
「そ、そうだ、あさっての日曜日にゆ…動物園にでも行かないか?」
遊園地、そう言いかけて今の所持金が入園料程度しかないことを思い出し、動物園に切り替えた。
「わあ、いいんですか?」
「ああ、栞の誕生日の前祝いだ」
「うれしいです」
栞は胸の前で手を合わせて嬉しそうに笑った。
祐一はその笑顔をみて、ずきり、と胸が痛んだ気がした。

「なあ香里、栞に変わったところはないか?」
「…え?」
見た目にも分かるほどに香里はビクッと体を震わせた。
「べ、別に…何も…」
今にも消え入りそうな声だ。
祐一は教室に着いてすぐに香里に話し掛けた。
真実を知るのは怖いが、知らないままにしておくのはいけない。
「…香里が、栞は平気だと自分に言い聞かせたいのは分かる。だけど俺が知りたいのは真実なんだ。」
「……」
「頼むよ」
「…あの病気が…再発したみたいなの」
「…本当なのか?」
「ええ…おととい、両親が病院に連れて行ったらしいの」
「…入院は、しないのか」
「せめて誕生日まではって拒否したらしいの」
「そうか…」
祐一はうつむいて、ふと思い出した。
「しまった」
「どうしたの?」
「日曜日に栞と動物園に行く約束をしてしまったんだ」
「……」
「やっぱりやめるべきだよな」
「…行ってあげて」
「え?」
「何があってもあなたはあの子との約束を破らない、そう私と約束したはずよ」
確かに1年前に、そう約束した。一方的に突き付けられたとも言うが。
祐一は別に栞との約束を破る理由など思いつかなかったから承諾したのだが。
「だけど、それとこれとは話が別だろ」
「一緒よ」
香里は頑として譲る気はなさそうだ。
「…わかった。そこまで言うのなら行くことにする」
「そう、なら…」
「ただし」
祐一は香里の言葉を強い口調で遮った。
「香里が、栞の最後の思い出になればいいなんて、無意識にでも思っているのなら、おれは行かない。」
「え…」
「栞の最後の思い出は爺婆になって俺と縁側で茶でもすすってる姿でいい」
「……」
「まあ、そうでないって言うんなら約束は守るさ」
「…そうね。ごめんなさい、どうかしてたわ。そうよね」
A動物園の方は…」
「それは行ってあげて。あの子にとって相沢君と一緒にいるほうが薬になるだろうから」
「そ、そうか?」
祐一は冷静に聞くと恥ずかしい言葉を言われ、少し照れた。
「あ、言い忘れてたけど」
「なんだ?」
「今日、私は栞を連れて病院に行かないと駄目なの。だから栞とは一緒に帰れないわ」
「そうか。治るといいな」
「治るわ」
香里は笑顔で答えた。

「あ、祐一さん」
「よお」
放課後。祐一と香里は校門で待つ栞の元に来ていた。
「お姉ちゃんと一緒に出てくるなんて珍しいですね」
「そうか?」
「はい」
栞が屈託のない笑顔で答える。
「栞、行くわよ」
「あ、待ってお姉ちゃん」
校門を出たところで香里が栞を呼んでいる
「ごめんなさい祐一さん、今日はお姉ちゃんと病院に行かないと駄目なんです」
「香里から聞いた。ただの定期検診だろ?」
祐一はそうでないことを知っていたが、あえて知らないふりをした。
「…はい、そうです」
そして、栞は嘘をついた。
少し曇ったような笑顔で栞は答えた。
「あさっての動物園、楽しみにしてるからな」
祐一は何故か、明日栞とは会えないことを悟っていた。
「はい、お弁当、作っていきますね」
栞にもそれは分かっている様だった。
「おう」
そして、栞は寂しげな背中を祐一に向けて香里と一緒に病院へと歩いて行った。

―1月29日土曜日―

その日、祐一は5時に目が覚めた。
二度寝する気にもなれない。
祐一は制服に着替え、リビングへと階段を下りていった。
「あら、祐一さん。おはようございます」
「あ、すみません、起こしてしまいましたか?」
することもなく祐一がリビングでテレビを見ていると秋子さんが起きてきた。
「いえ、今日はいつもより早く仕事に行きますので」
「そうですか」
たぶん嘘だろう。だが、祐一は黙っていることにした。
「少し待っててくださいね、朝ご飯を作りますから」
「すみません」
祐一は朝ご飯を食べるとすぐに、学校に行くことにした。
「行ってきます」
「はい、行ってらっしゃい、祐一さん」
まだ少し薄暗い雪道を歩く。いつもの道でも雰囲気が違うと別の道に見える。
祐一は少し商店街に寄っていくことにした。
「やっぱり店は開いてないか」
家を出た時間から考えて現在は6時頃。開いているとすればコンビニくらいだ。
今から学校に行っても暇なだけなので祐一はコンビニで雑誌でも読んでいくことにした。
雑誌の置いてある場所は外に面した場所にある。ちょっと前を見れば外が見れる。
祐一は外の店が開かないか見ながら雑誌を読んでいた。

「…!」
祐一は驚いた。6時半頃になって、人通りがぱらぱらと増え始めてきた頃、この1年ずっと会っていなかった人物を見つけたのだ。
祐一が顔を上げた一瞬だけ視界に映っただけだから見間違いと言われればそうかも知れない。
しかし祐一は彼女だと分かったのだ。
祐一は雑誌を置くと、すぐに彼女を追いかけた。
「…どこに行った?」
裏通りがありそうな所も探したが、見つからない。
見間違いか?いや、確かにいた。
祐一はそう思い、再び探そうとしたときだった。
「…祐一君」
祐一に声がかけられた。
祐一はゆっくりと振り返る。
「久しぶりだね、祐一君」
「ああ、久しぶりだな、あゆ」
そこには、1年前のあの日以降1度も会っていなかったあゆがいた。
「どうしたの、祐一君、顔が暗いよ」
「覚えてるか、栞の事」
「うん、祐一君の…恋人、だったよね」
「…ああ。栞の、あの時かかっていた病気が再発したんだ」
「そうなんだ…」
「前は乗り切ることができたけど、今回も乗り切れるとは限らない」
「……」
「俺は、香里にあんなことをいっておきながら、明日が最後の思い出かもしれないと思っている」
祐一は耳を塞ぐようにして頭を抱えた。
「祐一君」
あゆが優しげな声で話し掛けてきた。
「僕はその、香里さんって言う人は知らないけど、せめて祐一君だけでも栞ちゃんを信じてあげないとかわいそうだよ」
「……」
「それに、僕が今日、祐一君に出会えたように…」
あゆは言葉を切って、空を見上げた。祐一もそれにつられて空を見上げる。
「…奇跡は起こるんだよ」
「…あゆ」
祐一はあゆの方を向いた。
しかし、そこには誰もいなかった。
c? あゆ?」
祐一は辺りを見回した。しかし、あゆの姿はどこにもなかった。
僕の探し物は、1年前に失くなったけど…
祐一君になら奇跡は起こせるよ…
だって、あれは…
祐一は風に乗ってあゆの声が聞こえた気がした。
「……」
いや、あれは幻聴なんかじゃない。
祐一は空を見上げた。
「ありがとう、あゆ」
祐一はそう言い残し、学校に行くことにした。
その後ろ姿を、あゆはみていた。
いや、本当はそこには初めから誰もいなかったのかもしれない。
祐一君…
奇跡は必ず起きるよ…
だって、あれは…
祐一君のくれたものだから。

―1月30日日曜日―

時間よりも15分も早く着いちまったな。
その日、祐一は動物園の前にいた。開園時間の10時ぴったりに栞と動物園前で会う約束をしていた。
昨日は栞に会っていないから栞の顔を見るのが待ちどうしかった。
「やっぱりこういうときぐらいは腕時計を持つべきかな」
祐一は腕時計をつける習慣はない。しかし、ここら辺りには時計は備え付けられていない。
時間が分からないと、長く感じられるものだということが良く分かる。
「…遅いな」
動物園が開園してしまったのだ。必然的に10時になったと言うことが分かる。
祐一が遅刻してくることはあっても、栞が遅刻してきたことは今まで一度もない。
少なくとも5分前には来ていた。
祐一は不安を感じていた。嫌な予感がするのだ。
「大丈夫、きっと来る」
祐一は自分に言い聞かせた。
――せめて祐一君だけでも信じてあげないと…
あゆの言葉がよみがえってくる。
そうだよな。少なくとも俺だけでも…
正確な時間は分からなかったが、動物園が開園してから20分くらい経った頃、
向こうから走ってくる人影が見えた。
あれは…栞か?走っても大丈夫なのか?
祐一は少し心配しながら見ていた。
しかし、その人影は栞ではなかった。この場で一番会いたくなかった人物、香里だった。
祐一が走ってくるのが栞ではなく、香里であると気づくと、祐一の心臓の鼓動は一気に早まった。
大丈夫だ、大丈夫だ、大丈夫だ、大丈夫…
「相沢君!」
「……」
祐一は、よお、と平常を装って香里に話し掛けるつもりだった。しかし、声が出なかった。
「栞が、栞が!」
「落ち着け、香里」
「栞が…危篤状態なの…!」
祐一は目の前が暗くなった気がした。
分かっていたはずなのに。近いうちにこの言葉を聞く日が来ることを。
どうして今日なんだ。
「…栞は、今どこに?」
祐一は言葉を絞りだして聞いた。
「病院に…」
「よし、案内してくれ」
祐一は香里の案内で病院に向かった。
それが、終わりの始まりでないことを願って…

状態から見て、今晩が峠でしょう。今晩さえ乗り切ればあるいは…」
診断書を見ながら医者はそう言った。
祐一は香里と一緒に医者の話を聞いていた。
既に親族への説明は終わっているのに、祐一が栞の状態を聞きたいと言う申し出を快く承諾してくれた。
「今晩、ですか?」
「そうです。ですが…非常に言いにくいのですが、可能性はほとんどありません」
申し訳なさそうに医者は言った。
「何とか…ならないんですか」
「今の医療技術ではどうすることも…せめて今晩、誰かが付き添ってあげることぐらいですね」
「…俺が、付き添ってやってもいいですか」
「それは、あの子の両親と決めてください。付き添い自体は構いませんが」
「そうですか、ありがとうございます」
祐一と香里は部屋から出ると栞のいる病室へと向かった。

「私は構わないわ」
「え?」
祐一が栞の病室に入ろうとしたときだった。
突然香里が祐一に言った。
「あの子にとって一番心の支えになってるのは両親でも私でもない、相沢君よ」
「香里…」
「私があの子の一番でないのは悔しいけど、仕方がないわ」
「…すまない」
「秋子さんや私の両親には私から言っといてあげるからあなたは栞の側にいてあげて」
「ああ」
そうして病室に入ると香里はその場にいた両親を説得した。
栞の両親は、栞をお願いします、と病室を後にした。
「相沢君、最後に一つだけ約束して」
ドアのノブに手をかけたまま、こちらを見ず、香里は祐一に話し掛けてきた。
「…何だ」
「結末がどちらであっても、最後まで笑ってるって」
「……」
「約束して」
「約束は、できない」
「どうして!」
香里は目に涙を溜めて振り返った。表情が険しい。
「どうして! あなたにとって栞はその程度の存在だったの!?」
「勘違いするな。俺は笑わないとは言ってない」
「ならどうして…」
「結末は、一つだ」
「…!」
「生きて欲しいと心で願っても、香里が考える結末は俺とは反対だろう?」
「……」
「俺は昨日、久しぶりに会った奴がいるんだ」
「……」
「そいつが言ったんだ。『せめて祐一君だけでも栞ちゃんを信じてあげないとかわいそうだよ』ってね」
「……」
「だから、俺は信じることにしたんだ。この結末は一つだと。」
「…そうね」
「それに、俺はどの道、涙は流すことになる」
「…? どうして?」
「1年前もそうだったからさ」
「…ふふ」
難しい顔をしていた香里はそこで初めて顔を緩ませ、笑った。
「そうね、姉の私が信じてあげないと、この子がかわいそうね」
「…ああ」
「ありがとう…祐一君」
祐一はふと香里の言葉に違和感を感じた。
「私、相沢君に惚れたかも知れないわ」
「お、おいおい」
「冗談よ。それと、やっぱり約束して。泣かずに笑ってるって」
「…ああ、わかった。約束する」
香里は何も言わず、少し微笑むと、静かに扉を閉めて出て行った。
祐一は部屋の電気を消して栞の眠るベッドの横にある椅子に座った。
なんとなく、栞が寝ているのに、部屋が明るいのが変な気分だったからだ。
栞は微動だにしない。一定のリズムを刻む心電図の音が、不安を和らいでくれる。
栞の頬は1年前と同じ、白い肌だった。暗い部屋にぼんやりと白い肌が浮いていた。
祐一はそっと栞の頬に手を触れた。
暖かい。
「…栞」
祐一は栞に語りかけた。
「…栞」
…栞。
「俺は去年も言ったはずだ」
俺は言いたかったんだ。
「起きる可能性があるから、奇跡って言うんだって」
起きる可能性が少ししかない奇跡なんて関係ない。
「何度でも奇跡は起きる」
思いを込めれば何度でも願いは叶う。
「奇跡が一回だけなんてそんな制限はないはずだ」
栞が願えば奇跡なんて俺が起こしてやる。
「俺は栞の笑顔が見たい」
栞は俺にわがままを言いたくはないか。
「動物園だってまだ行ってないだろ」
誕生日プレゼントだってまだ渡してない。
「香里だって栞が良くなるのを願ってる」
俺は栞がいないと生きている気がしない。
「香里だけじゃない。栞の両親も友達も皆、栞が良くなるのを願ってる」
栞は俺を残して行ってしまう気か?
「まだ付き合って1年足らずだろ?」
俺たちはまだ始まったばかりじゃないか。
「俺はお前にしてやりたいことが沢山残ってる」
最後まで俺に付き合ってくれよ。
「雪だるまだってまだ作ってない」
今はまだ最後じゃない。
「まだ一度も言ったこと、ないんだぞ。俺は…」
そう、最後じゃない。だから…
「栞を愛してるって…」
早く起きようぜ、栞――――――――――――――――

―2月1日火曜日―

昨日、夜通し栞の側にいたために学校に行ってない。
そして、今日も学校に行っていない。そんな気になれなかったのだ。
「あ、相沢君…」
「よお」
香里も学校には行っていなかったらしい。朝だというのに病院の前で鉢合わせしてしまった。
「…悪い。約束、破っちまった」
「ううん、いいの。あの子にとってそれが一番良かったのかも知れないわ」
香里の目は腫れていた。昨日の晩に泣いたのだろう。
「さ、行きましょう」
「…ああ」
祐一と香里は栞の寝ている部屋の前まで来た。
香里は少しためらいながら、ドアを開けた。
「…あ、おはようございます、祐一さん、お姉ちゃん」
「…おきても大丈夫なのか、…栞」
「はい。体調も良いんですよ」
栞は屈託なく笑ってそう言った。
「駄目よ栞。ちゃんと寝てないとまた寝込むことになるわよ」
厳しい口調とは裏腹に、香里の顔は笑っていた。
栞の顔は鮮やかな桜色をしていた。
栞は峠を越したのだ。
「祐一さん」
「…なんだ」
「ありがとうございます」
「…俺は何もしてない。栞自身の力だよ」
「いいえ、私、祐一さんの声、聞こえました」
「そうか。聞こえたか」
「はい」
栞がにこやかに笑う。
「相沢君、私ちょっと栞と二人だけで話をしたいんだけど、いい?」
「ああ、別に構わないが」
「ごめんなさい、話が終わったら私は帰るから」
「ああ」
そう言って祐一は病室を出た。
「栞、私あなたに一つだけ謝らなきゃいけないことがあるの」
「なに、お姉ちゃん」
「私、祐一君のことが好きになったみたい」
「…ええ!?」
「私、あなたのライバルになっちゃったみたいだから」
それだけ言うと、香里は椅子から立ち上がり、ドアに向かって歩き出した。
「ま、待ってお姉ちゃん!」
栞は狼狽していた。
「今日だけは祐一君、あなたに譲るけど、明日からは譲らないわよ」
そういい残し、香里は病室の外に出た。
「あれ、もういいのか?」
「ええ、栞をよろしく、祐一君」
香里は手を振って去っていった。
「さて、と」
祐一は立ち上がると、病室に入り、ドアを閉めた。
「よお…どうした、栞」
呆然としていた栞を妙に思い、祐一は尋ねた。
「あ、いえ、なんでもないです」
「ならいいけど…今日は栞の誕生日だって覚えてるか」
「はい、覚えてます」
「ならこれ」
祐一が渡したのは新しいスケッチブックとパステルだった。
「わあ、ありがとうございます、祐一さん」
「本当は皆のいるところで渡すと思ったからそれにしたんだけどそんな必要もなかったな」
「どういう意味ですか? 祐一さん」
「…ほら」
祐一は、ぽす、と何かを栞の毛布の上に置いた。
「何ですか? これ」
包装紙に包まれた立方体の箱。
「開けてみればわかる」
栞は言われたままに包装紙をはずし、その箱を開けた。
「…祐一さん、これ」
「勘違いするなよ。ただの誕生日プレゼントだからな」
祐一が送ったのは銀の指輪だった。シンプルな作りで綺麗なデザインだった。
わざわざ名雪から金まで借りたのに意味がなかったかな。
しかし、祐一は、栞の笑顔をみて、そんな事はどうでもよくなっていた。
「…その指輪、実はペアだったんだ」
「え…と言うことは…」
「ああ、俺が持ってる」
そう言うと、祐一はポケットから同じ作りの指輪を取り出した。
「わあ、嬉しいです。はめてみてもいいですか?」
「ああ…って、こらまて!」
「何ですか?」
祐一は慌てた。栞がはめようとしていたのは薬指だった。
「そこにはめることの意味が分かっているのか?」
「はい。分かってますよ?」
「なら…」
「大丈夫ですよ。お母さんもお父さんも許してくれます」
「そういう意味じゃなくてだな…」
「これは祐一さんのプロポーズじゃないんですか?」
「う…」
実際、祐一はその意味も半分込めて贈ったが、ばれてしまうと恥ずかしい思いがあった。
「ならいいですよね」
「…わかったよ。栞の好きなようにすればいい」
祐一は観念したように言った。
「祐一さんもちゃんとつけるんですよね?」
「なに!?」
「駄目なんですか?」
「しかし、それは学校で噂になりかねない…」
「祐一さんは嫌なんですか?」
「しかし…いや、分かった。つけるよ」
そう言うと、祐一は再びポケットから指輪を出すと薬指にはめた。
「これでいいんだろ」
「わあ、ありがとうございます」
少し強引な気がするが、まあ、いいか。栞の笑顔が見れるのなら。
祐一はその日一日、栞と一緒に笑っていたと言う。





あとがき

まず初めに。
この小説はカノンをちゃんと全部クリアしていないと(少なくとも栞編とあゆ編だけでも)
何を言っているのか分からない、もしくは謎が残る部分があります。その人には申し訳ないが、
カノンやりやがれコンチクショウと言わせていただきます。こんなヘボ小説でも、カノンやってない
人(やっていてもカノンを嫌いだとか言う畜生ども)には読んでいただきたくありません。できれば、
カノンをやって(もしくは愛して)いただけるとこれ幸いです。

私は小説を書くとき、まずキーワードから入ります。例えば今回なんかは一週間のタイムリミット。
誕生日までの一週間を書く、と言うことから入りました。それ以外は何も設定していません。
少しずつ書いていくうちに、栞の病気が再発してみたり、あゆが出てきたりしています。
結末は自分でも分かりません。基本的にはバッドエンドは好きではないのですが、たまに
妙に残酷になることがありまして、そのときはバッドエンドになるようです。(その後、慌てて
書き直すこともありますが)ですから、自分でもわくわくしながら書いてます。

北川×香里の人には申し訳ありません。元々そのつもりで書いていたのですが、何故か、いつの間にか
香里が祐一の方に傾いていました。あわれギャグキャラ扱い北川。

本編にもこの小説にもあまり関係はないのですが、栞の病名の分からない病気。自分なりに検討した結果、
『慢性骨髄性白血病』ではないかという推論が出ました。これはその名の通り白血病、不治の病です。
微熱や軽い吐き気、人によっては病院等でふとしたことで行った血液検査(献血等)等で発見される事も
多いそうなので、栞の病気とは違うような感じもしますが、白血病の症状の一つに、免疫不全と言うものがあり、
あれはウィルスによるものではないかと推測できます。多くの点で一致するこの病気は栞の病名の
有力候補であると私は思います。ただ、私には医学的知識は乏しいため、ここに書いたことに間違いが
ある可能性は否定できません。

さて、どうも自分にはやばい、と思ったものがあります。栞が祐一と性行為を行った時、どこかのサイトで
栞がその時16歳だったと書いてあるところがありました。しかし、彼女の誕生日は2月1日。
これが何を意味するのか。高校一年生は普通16歳ですが、生まれが1月1日から4月1日までの人は
遅生まれと言われ、15歳なのです。しかも性行為を行ったのは1月30日。つまり栞が性行為を
行ったのは16歳ではなく15歳であるということです。だからなんだと言う方。女性の結婚は
16歳からですよ。つまり、祐一は実は犯罪を犯しているのではないだろうか。そのことに気づいた
私は六法全書を調べた。性行為に関する刑法を。刑法第二十二章一七七条には「暴行または脅迫を以て
13歳以上の婦女を姦淫したる者は強姦の罪と為し2年以上の有期懲役に処す。13歳満たざる婦女を
姦淫したる者も同じ」とあり、第一七八条に「拒否反応を起こせない13歳以上の婦女を姦淫したる者も
前条に同じ刑に処す(一部簡潔)」とある。つまり、拒否反応を起こせる13歳以上の婦女であれば、
性行為は合法であると、そういう結論に達した。良かったネ祐一。ちなみにこのことを私よりも法律に
詳しい人に聞いたところ、そんなことより、調教モノのゲームの方がヤバイと言うことですが、その通りです。
先ほど記述した第177条「暴行又は脅迫を以て…」、調教モノは大体が脅迫して監禁してから暴行を
加えつつ、調教する。やばい、と思ったのも束の間、かんがえてみれば、カノンの方はともかくとして
調教モノはそんなこと百も承知でやっているのではないのか。ううむ、犯罪とは。

ちなみに本編の方は続くらしいです。別に完全な続き物にしなくてもいいいのですが、なんとなく。

以上でありますよ。再び合えることを願って。

by櫻井遼一