Jacqline'sBrother!


出店にあたって-ルネッサンスと我々

ルネッサンスとは何か?


人間性と根源の輝きに対する回帰を”目指す態度”のことをルネッサンス とするならば、以降の開放されたとされる市民のありようは、-果たして 独立した人間性にもとずくものなのか-功罪含めすさまじい皮肉だ。
ロ−ドブリティッシュは王座から退去した。
これは事実である。
現行政府-ルネッサンス、いやロ−ドブリティッシュ退去後の政府の打ち出す政策の表向きはロ−ドブラックソ−ンの発想を実はよりどころにし、傀儡としてのロ−ドブリティッシュを立てているのが実際で、 表向きの美辞は弱者救済と永久平和、豊かな世界である。
(ロ−ドブラックソ−ン卿は我々の知りえる限り、(実際に話したこともないので全て推測だが)一般庶民の幸福、徳や求道ではなく、 自然な生命としての根源的な幸福を第一にすべきだ、としている、 これはLB以降の政府のうたい文句に似ている)
勿論、根源としての生命的欲求は第一に優先させられるべきことだ。 そして誰にとっても自分が一番大切、これは正しい。 だが、それは本当に人間性を大事にした上での変更改革だろうか? ラクだから、という理由をすりかえてはいないか?
ルネッサンスが本当に人間性回帰を目指すなら、霊性に収斂されていくはずだ。当然、そこで判断し、採決する事は悪ではなくむしろ必要不可欠なことだ。
実はルネッサンスというのは、真に幸福や愛を求める人間性ではなく、人間性に名を借りた全く正反対の不自然な奴隷を求める怠惰な欲求を利用した”パンとサ−カス”による 愚民政治である。(当然脅威とされるものは理不尽に演出されるだろう。 真に個人の力が強力になっては困るのだ。だから若者に可能性など無くなるだろうそこで政府がいう言葉はわかりきっている。”パンがなければお菓子をたべなさい”もしくは”パンがほしければ働きなさい、こちらの都合のいい理不尽な要求に従いなさい”だ。) 善悪は政府が一方的に(思想でさえ)決定し、 その中で食い合いを利権でつってやらせるようになるだろう。 結果階級が生まれるだろう。そして身体的差別が生まれるだろう。 人々のなかでは 機能役割としての人間が求められ、実際の人間性は不問にされるだろう。 何故なら、意思を持った行動がぶつかりあうのは 怠惰な市民生活を脅かす可能性があるからだ。 社会のなかでは、本来の役割はすべて解除され、 何かを求めたり作り上げる事すら制限されるようになるだろう。 世界はそのための奴隷になるだろう。
我々はこの過酷な中生きていかねばならない。
そして我々はこれら人間性に反する政府、その追従者と戦わなければならない。

ブリタニア救世軍

肉体を殺す事が変革になるというのは幼稚な考えだ。
外部からの圧力というのは、我々の範疇にはない。
我々の戦い方は 今を生きている人々の精神的救済と精神的な部分への改革 こそ微力に見えるが最も重要で確実な闘争だ。
また我々は破壊されていくだろう世界を、守らなければならない。 また破壊された後でも、守らなければならない。(世界の真実は世界があるかぎり完全に破壊されはせず、 そこに拠る事が最も大切で最も強力だ。) 後から来る人々にも知らしめなくてはならない。(彼らは不幸にも 壊れた後しか見ることができない)
可能性を閉じられ、行動を統制され、夢を自分の手で現実化することを禁じられた世界に絶望する人々を救済しなければならない。
本当の魔法の世界を復活させる為にも。

by Gokuri, Britania salvation

出店にあたって-JBより

過去より、土地を振りかざした傲慢で醜い公共とはかけはなれた 店舗がいかに人を追いやり、可能性をせばめているか我々は知っている。 個人的な利害と欲望に終始し、公としてのアプロ−チが著しく欠落 している店とはいえない店が殆どだ。 我々はまず店が店であるというアイデンティティイを明確にし、 さらに経営を通じ思想を世界にむかって告げる事で、 なくさせられた可能性を復活できれば幸いである。 我々は真のコミニティイ−馴れ合いではなく、独立した上での連動-設立を望み、それこそが社会と世界と人を発展させるものと信じる。
社会と人、役割と人間性の絶望的な断絶に対し、 真実をしろうとする探求、 実践的行動をする勇気、 すべての物に含まれる霊性にたいしての愛、 この三つをもって相対し、行動し、
個人おのおの可能性を保全することで、 社会と我々両方が豊かになることを目指す。

From Aya ,Jacqline's Brother

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町の鍛冶屋の発注するバルクオ−ダ−に対する我々の考え方

前提になってしまった原理的矛盾

本来なら、我々(他の人々含め)の行動全てが世界や社会に大小なりと影響を及ぼしあうはずだ。我々のアクションによって需要や供給等が発生し上下し、町の経済は常に変動していくはずだ。だがしかし残念な事にこういった生態系、経済循環は現在完全に無視されている。その原点は原理不在の生態系、(巨大な経済生産戦闘全てを含む循環系)の破壊だ。
生態系の破壊は生産者(いや全ての人々を含むだろう)の地位を転落さしめた。 本来あるべき循環系とは全く無関係に、金貨が得られ、其の金貨で本来の循環系とは全く関係の無いところに生まれる資材などを得られる。(結果金貨の価値は暴落した) 表面的に言えば、NPCに全て(金貨、労働、資材、生産など)まかなってもらう一種の奴隷経済、実質上管理者であれば実際の行動はほぼしなくても得られる。という状態になった。
我々はこのような現行のNPC依存の状態をラルバイン奴隷経済と名付け、反対する。 主体的に世界や社会に対して影響力をふるう、ということが事実上禁止されているのも同然だからだ。
このような経済では、生産者が本来金貨を生み出す起爆剤であるべきなのに、 資本-依存するNPCの数とその費用が生産者の主人となり、生産者自体が労働者に 転落してしまう。生産など全ての行動に意味をみいだす事は不要で、行動は全て”作業”とおきかえられてしまう。我々はこういった事全てに反対する。

”何故、町の鍛冶屋が発注するのか?”
”収めた商品はどうなるのか?”
我々は聞く。さあ回答してくれ。そして其の回答はブリタニアの現実、我々が触れ、 感じ、アプロ−チしていける現実でなくては回答にはならない。
何故なら、我々は生きているからだ。そして(死なさせられてしまった)世界を 生き物として考えるからだ。


ダイレクトな問題点

取引と作成は全く別の行為である。我々は生産者の意志にのっとった販売を健全とする。 お金儲けによる供給制限ではなく、生産者と消費者の幸福な関係に即した 対等な取引を理想とする。我々の欲しい者をみんなにも得ていただきたいのだ。 本来取引を専業的に行う者は、其の仲介役であり、生産者というわけではない。
では、果たして交換に特化している取引者がツ−ルを入手していいのか?
取引に特化すればするほど生産に必要なツ−ルが手に入り、 取引がうまくいかなければ(本来取引者はそのような者のためにあるのにもかかわらず) どんなに生産をしてもツ−ルが手に入らない。しかも特権つきのツ−ルであり、基本の行動は運任せのくじびき。こういった ツ−ル入手に対する制限は生産者に対する取引者の恐喝であり、我々にとって脅威でしかない。本来入手者は生産者であるべきで、取引者はむしろ生産物を買い取る側であるのに、立場が逆転している。

また同業者同士は本来敵である。10人の中に一つだけ特権を運まかせで 落とす。取引はそこで既に対等ではなくなる。得られない側はお金で買い取り、 買い取った者をさらに高く売る。だから生産者はお金という資本がなければやってはいけない、という矛盾が発生し、資本のいうなりになってしまう。 そして同業者の奪い合いの中だから当然消費者は悲惨だ。
取引が活発になったといっているが、はたしてそれは違う職業同士の連携を生んだか? 末端の戦士は金武器を恨み、鍛冶屋同士は馴れ合い、(もしくは奪い合い)しかも実際の仕事はナイトメアにやらせる。ピラミッド型の社会で対等取引はもはや成立していない。 あるものがより得るだけだ。我々はそのような社会の中には一切介入しない。


”リスク対報酬”は本当か?

また、評価基準も甚だ問題だ。 実力とは世界に対するアプロ−チにあって表にできたりするものではない。 我々がプロフェッショナルたろうとするのは、世界に対してのアプロ−チ、 つまり、どうやればどのように効率よく、なおかつ公共に反さず、継続し、 供給できるか?モノに対して、これはどのように生まれどのように死んでいくのか? そこである。そして得られる評価は様々であって、個々それぞれ違うはずだ。 まして運によっかかったものにあるものではない。
取引といっているが、外部のBBSにたよりきり、実は一部の持っている人間の作り上げた都合の良いロ−カル−ルに従い、 いいたくもない言葉を言いたくも無い相手にしゃべり、等など実質の行動部分は欠落、 だから実質の行動評価は実はなんらされていない。 そういう世界では、 単一の決まりきった行動をいかにサボって済ますか? だって運だし、工夫は不正、結果は全て同じ..ならば実質なんてどうでもいいとなるのは 当然だ。”リスク対報酬”は実は意志をもった本来の行動を作業化し、利権でからめて制限する事なのだ。我々はこういったこと全てに反対する。

アイテムに関する矛盾
戦士のインフレ..色鎧、色武器は本来の武器防具の特性を全く凌駕し、特性そのものを破壊する。特性のないものは強弱しかとわれず、結果単一のものだけで成立する 非常に貧弱な世界になる。 アイテムによってどうこうできるというのは運任せと同じ(使い方に精通する必要がない)、奴隷経済のル−ルを戦士に反映させた結果だ。お金=強さではただの弱い者いじめにしかならない。同じ事はドラゴンに着せる鎧にも言える。 ”モンスタ−は強いから”ではそこでどうやる?が欠落しているし、 実際にやっている事はルネッサンス前の半分以下だ。特性が無い為 強弱でしか図る事ができない、だから実際にどうやって?という転化する力, 人一人の影響力、可能性はむしろ激減させられ、あろうことか不正とまでいわれている。 自分自身の能力によらず、その行動以外で得た運と金で決定する事のほうが我々にとって不正である。

総括すると
バルクオ−ダ−然り、ドラゴン鎧しかり、煽動しかり、すべて、 体制側の国民に対する行動統制でしかない。本来イベントなどを含め 我々が自分自身の手で解決していかなくてはならない事を体制側が全て供給し、 我々の決定権を一方的に剥奪しているのだ。
我々はこのような現行政府をブリタニア人民の敵とし、認めない。
また其の政府の利権にすがり、追従する人間を敵とする。
我々はブリタニア人として、自らの生命、財産を守る為、行動統制には乗らず、独立して 活動する。
以上のことをふまえ、
1、自力でまかなえない物は販売しない。
2、取引のみで成立する利権が発生するような取引は販売購入ともに認めない
3、資材は自力でまかなう、資材販売は対等交換以外認めない
4、あまりに効果率のみが突出しているものは販売しない
という事にする。

会長Aya, Jacqline's Brother
from"Britania Decration"wrighted by Gokuri, Sethlance



ラルバインの悪魔について
古い記事参照のこと、かいつまんではなすと”悪魔をよびだし、労働をさせ、 人間の時間を精神文明の発展のために開放しよう” という発想。この発想は 労働を卑視しているが、では労働は卑しいことだろうか? 確かに社会と人とは常に決裂する運命にあって、不自由だ。 仕事とは、自分の為でなく何か(社会など)のために行う事だ、 だが、奴隷など使役するのはむしろ社会に依存するようになってしまう。 つまりどうやっても社会と人とは切り離せないのだ。 其の中で自立するということは、奴隷に頼る事ではなく、 社会の中にありつつ、自立し客観的に社会を見、判断し、行動することだ。 だからこそ、むしろ労働の中に精神的成熟を目指し、 社会を公共の福祉のために率先的に管理していこうというのが我々の発想である。 我々の目指す、労働を自らのものとして楽しむ、ということは 個人と社会の幸福な結婚を目指すという事だ。


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付記ヘパの妄想
バルクオ−ダ−そのものを消す(つまんないしDEEDに対するインゴット量がばらばらすぎそれにDEEDにいれるものを買っていれてもいいってのはなんか矛盾してるし計算不能すぎ)
ルニックハンマ−は比較的容易に手に入る
ルニック武器はただの色つきの武器もしくはMightまで
ルニック武器の必要インゴットは通常の10倍、もしくは効果が高ければ高いほど必要
こうすればツ−ル入手でおさえつけるのではなく、生産ロットに載せる事のほうがとわれるので正当だ。当然色鎧のAR効果はナシもしくは+2まで、作成にナンクセをつけると 供給に恐慌がおこるし、見た目の自由度も減るし、なんってったってバランス悪い。そこで新しい鎧と鉱石を..(以下略)

あとで本気の妄想をアップします。ウヒ!
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