書きっぱなしエッセイ
徒然なるままに……
・・・このページに書かれている内容は、ホントにだらだらと
書かれたものです。椎葉はアップしてからの読み直しや校正な
どをいっさいしておりませんので、もしあなたが、自分が誹謗
・中傷されていると思った時は、すぐに連絡ください。だって
誰かを傷つけるのは、僕の本意ではありませんからね(^^)
ちなみに太字のトピックの左についている矢印は、左向きの≪は
前のトピックへ戻り、右向きの≫は、次のトピックへ進みます。
真ん中の★は、先頭へ戻ります。どうぞ有効に使って下さいね。
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何だか緊張するなぁ
「思いついたことをすぐに書く」そんなことをやってみたくて、こんな
コーナーを設けたはいいが、いざ書いてみる段階となってずごくドキドキしている
自分です。なんてったって、ここに書かれた内容がこのページを見てくれる人
(一体どれぐらいいるのかな?)に見られるわけですから。「あんなことは
書いちゃいけないかな」とか「もし誰かを困らせたりしたらどうしよう」とか
いろいろ考えてしまいます。
でもでも、このコーナーは「書きっぱなし」なんだから、うじうじ悩んでるよりは
ぱーっと書いちゃえ、そういうことなんですけどね。
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今回は自分の「旅」の話でもしましょうか。
僕の旅っていうのは、かなり気まぐれです。なぜかっていうと、自分が旅に出たいと
思った瞬間に旅に出るからです。普通の人なら、「旅に出たいな〜」と思って、
それからパンフレットを読んだり、いざ行くと決まったらいろいろと準備に追われたり・・・。
でも、僕にはそれらのプロセスがいっさい無いんです。
「旅に出たいな〜」と思ったら、たとえそれが大学へ行く途中でも(おいおい)、
家でねっころがってる時でも、お風呂の中でも。すぐにカバンをひっつかんで、
そこらへんに置いてあるものを放り込んで、レッツゴー!です。
行き先も漠然と「東京の方」とか決めるけど、細かい行程は、だいたい電車に乗って
から考えるんです。その行程もいいかげんで、防寒着もないのに、冬の山に登ろうだとか、
駅から結構な距離があるのに、歩いていこうと思ったり。
もし、それが不可能であれば、その時点であきらめればいいんです。そして、
それからまた新しい行程を考えるわけです。
それは、ある意味「見なきゃ」「行かなきゃ」から解放された旅とでもいうのでしょうか?
もし何かを見られなくても、また次に来たときに見られるからいいやみたいな気分です。
それは、僕がそれだけ同じ場所を何度も訪れているかということを表しているのかも
知れません。本当に僕は旅が好きなんです。
・・・でも、たくさん回数をこなすわけですから、貧乏学生の僕は
毎回ケチな旅行を強いられるのですが、まぁそこらへんは若さでカバーね。
夜はホテルにも泊まらず、次の日の起点の駅まで歩いたりもします。
日帰りが大半で、せいぜい一泊程度なので、徹夜しても大丈夫?
なんかこうやって考えると、普通の人の旅行の感覚とはかけ離れ(すぎ)てる
気もしますが、その方が僕にとっては気楽なんでしょうね。
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旅行って、何のために行くんでしょうねぇ・・・
そんな僕にしてみれば、普通の人達の旅って、本当に大変そうだなと思います。ギッチギチの
スケジュールで、いかにたくさんの場所を回るかということにみんな追われてるようで。
近くのいい場所よりも、外国へ。・・・まぁ、外国へ行くということはいいことだと思いますけど、
ただ単純に外国へ行ったということを自慢する人がいる。あなた達はそんな自慢のために
旅行に出かけるんですか?で、大抵そういう人は、向こうへ行ってもおみやげを探し求めたり
写真を撮ることに夢中になって、肝心な自分の頭に何も焼き付けられてないということが
よくあるわけで・・・。
全ての人がそうではないと思いますが、そんな無駄な旅行ができるお金のある人は、まったくもって
うらやましい限りです。ただ、旅行の目的がバカンスとかレジャーになると、それはそれで
大変有効だとは思うんですけどね。
まぁ、全ては価値観の違いとして片づけるのも一つの手ですか。
僕は、「お金がないっ!」というのもありますが、それよりも「異文化」と触れて刺激を受けるよりも、
「自然」と触れてインスピレーションを受けるタイプなので、だから近場で済むのかもしれません。
「身近な自然に隠されている美しさ」そういった物を感じ取ろうとする、
僕の生きるコンセプトからすれば、近場こそ行くべき場所なんですけどね。
先ほど、日帰りの旅が多いなんて書きましたけど、自分の知らない場所をうろうろするのはすべて
「旅」だと言い切ってしまってもいいかな。まぁ、あえてもう一つ条件を付け加えるなら、
「自分の意志」で知らない場所に飛び込んでいく、ということ
でしょうか。僕にとっては「旅」とは、名所巡りのスタンプラリーのような感じではなく、
「冒険」とか「探検」(大げさな表現ですが)に似たような意味を持っているんですね。
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僕のちょっと不思議な旅1
そんなわけで、よく分からない旅行論を延々と続けるよりは、実際の僕の旅の話でも
した方がいいかも知れないなと思ったので、東京へ行ったときの話をしましょう。
とはいっても、メインになるのは、そこへ行く途中の話なんですけどね。
まぁ、その日もやっぱり旅行をしようと思ったのは突然なわけで、冬休み前最後の
大学の授業を終えた僕はカバンの中身もそのままに、電車に乗り込みました。
一応キャッシュコーナーへ寄ってある程度所持金は補充したのですが、特急、
ましてや新幹線に乗るようなリッチなことはしないわけで、名古屋駅から新快速に乗って、
ひとまずは豊橋まで向かいます。
それで、豊橋行きに乗った時点で、「ああ、これから東京方面へ行こうか」と思いつきます。
普通順番が逆だっていうのに・・・(笑)。豊橋から静岡まで行って、三島行きに乗り換えた時点で
ここからは未体験ゾーンに突入です。まぁ、景色そのものはとりわけ変わらないのですが、
気分的なものですね。「旅の恥はかき捨て」って言葉を知っていますか?旅先で出会う人とは
どうせ二度と会うような人はほとんどいないのだから、少しぐらい恥ずかしいことをしても
いいじゃないか、という意味です。だからって何をしてもいいわけじゃないですけど、
要するに旅に出たら、人の目を気にせず、いろんなことにトライしてみようと
いうことでしょうか?でも、実際に人に迷惑をかけるようなことはしてはいけませんけどね。
僕の旅をしているときの気分もそんな感じで、開放感と可能性にわくわくする感じです。
浜松にいたときにすでに日は沈んでいたけど、静岡から富士を通過する頃、
今日行ける限界は、おそらく小田原か熱海だろうと予想が立ちました。
そこで、やっと具体的に何をしようと考えます。一応目標は東京ということになり、
どうやら今日中にはたどりつけないようで、小田原・熱海は中継点になるわけですが、
お金をあまり使いたくない僕は、ホテルで休もうという気はありません。
普段よくやるのは、電車で行けるところまでいって、そこから夜のあいだ、
きりのいい次の発着点、要するに始発電車の出る駅まで歩くというやつです。
明日から冬休みなので、小田原まで行ったなら、箱根駅伝を前にして東京まで歩いて
やろうかなんて考えも浮上しました。ちょっと無謀な考えだけど、それだけ歩いておけば
箱根駅伝の真のつらさもわかろうってもんです。
結局のところ沼津駅でいったん降りて時刻表を見るも、小田原までは届かない
ということになり、計画変更です。熱海には間に合うので、熱海の温泉に入ろうか
とも思いましたが、すでに時間は午後10時半を回り、熱海にはどうやっても11時以降にしか
到着できません。学生風男の一人旅、しかも背中のカバンには荷物らしき荷物もなく、
時間は11時を回ってるし、しかも温泉だけ入りたいと来た。そんな奇特な僕が
温泉に入れる可能性はかなり低そうです。
じゃあ、と思って沼津駅で悩んでいると、ここから御殿場線が伸びていることに気づきました。
御殿場線は裾野、御殿場を通り、最終的には小田原より少し東京よりの
国府津という駅に向かう線です。御殿場といえば富士山だな・・・その時、
富士山に登りたいという気分がむくむくと湧いてきました。もちろん冬の富士山に
今の格好で(それでも寒がりの僕はかなりの重装備ですが)登ったら即凍死ですし
頂上まで行こうとは思いませんでしたが、せめて雪の積もってるところぐらいまでは
行こうかななんて。
雪山を甘く見ていることはなはだしいですが、まぁ無理だと感じたのならすぐ引き返せばいいですし。
無理を通すほど無分別じゃないですから・・・とはいってもこの旅そのものが無謀なのですが。
何とかなるや気分で御殿場へと向かいます。御殿場へ向かう電車の中では、
さっきの漠然とした目標はもう少し具体的なイメージとなって来ました。目標としては
富士山に登るということじゃなくて、富士山を体感することです。僕は富士山に対するイメージといえば、
だいたいの人と同じで、日本一の山とか、むちゃ高いとかいうイメージしかないわけで、
映像的には新幹線で清水の辺りから見るあの雄大な姿だけね。それじゃああまりにも
さびしいんで、・・・だってそれって富士山は「見るもの」だって感覚じゃないですか。
僕としては、「山」として存在するからには、その雄大さを実感するためにはせめてその上に
立たないといけないかな、と思ったわけです。頂上まで登れなくても、せめてその姿が
単純に三角形ではなくて、目の前に登り坂として認識できるぐらいまでには近づこうかな、と。
頂上まで登らなくて富士山に登ったとは言えないかも知れませんが、「富士山の頂上に登った」
ことを重視する、つまり何かを征服することを目的としている人と、僕のように
「あたり一辺倒な富士山のイメージを崩しにいく」ことを目的としている人とでは、
それを達成するための手段も違ってくるわけで、僕は頂上へ登らなくても満足なわけです。
まぁ、登れるならば登りたかったですが、こればっかりは冬のみならず、夏でも、
僕のようにふらふらと旅しながらでは無理でしょう。最初から富士山に登るという
目標を掲げた旅をしなければ・・・。
それで、妥協線なのか、自己正当化なのか、ひとまず「富士山のイメージを壊しにいこう」
という目標を思いついた僕は裾野の駅に降り立つわけです。
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地図なき旅
ここで、なぜ御殿場じゃなくて裾野に降りたかというと、僕は地図をそのとき
持っていなかったのですが、富士山へ車で行くときに裾野ICを降りるという
ことを聞いたかすかな記憶があったからです。
そんなかすかな記憶でいいんかいと思うかも知れませんが、それでいいんです!
(川平慈英さんのまねで)結局のところ、このルートは途中に有料道路を通行するので、
歩行者は通れません。でも、それを知ったのは後のこと。
しかも、裾野ICは、実は裾野駅よりも次の藤岡駅のほうが近いんだけど、
そんな細かいところまでは分からないんだな・・・。
裾野駅を降りて、コンビニに入り、さっそく地図を見る自分。
地図を立ち読みする人っていうのも珍しいかも。・・・それである程度の道筋を
確認します。地図無しに歩くコツは(こんなの教えても役に立たないか)ひたすら太い道路
を歩くことです。たとえ遠回りになっても。
それと曲がる回数はできるだけ少なくすること。曲がる場合は交差点の名前を
把握しておくわけですが、その数が少ないほうがいいですから。
・・・でそのとき同時に、スケジュールの方も決まっていきます。さすがに夜には山には登れませんから
ある程度、山まで距離を縮めておいて、朝を待つ魂胆です。
野宿はこの寒さでは無理でしょう。まぁ、山登りで次の日の夜までかかるようなことはないと思うので
今日は眠らないことにします。ある意味体力の限界に挑戦してるなぁ。
さっそく御殿場に向けて歩き出した自分です。途中コンビニで暖かい食べ物と、酔わない程度の
お酒を口に含んで、国道をひたすら歩いていきます。
もう真夜中だというのに道路は車でいっぱいです。年末を迎えて、夜も休めない人達がいるんですね。
独り、歩いていきます。こんな時間に散歩をする人もいないし、歩行者は自分一人です。
僕はひたすら歩いているとき、いつも独りを感じます。寂しさとか孤独とかそういうネガティブな
感覚とともに、自分自身の体、自分自身の精神を感じるときでもあります。
静寂は僕の家の辺りでは滅多に味わえない感覚ですし・・・。
それは、ショートカットのため、国道からも離れてしまった時にさらに高まりました。
月明かりと、自分の影、そして自分が歩いている音だけしか感じられない世界。
ことさら月の神秘性に心惹かれるときです。途中、川を渡りました。川の流れの音、
そしてところどころ白いしぶきをあげながら流れている黒い水(暗いから黒く見えるのですが)を見ていると、
川に吸い込まれてしまいそうな怖さを感じます。僕が平野に住んでいて、音を立てて流れる川になれていないのも
ありますが、この夜闇と静寂の中、音だけが倍増されて聞こえたのもあるでしょう。
そして、しばらくの後、まったく正反対の環境で、僕はまったく同じ感覚を抱くことになります。
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川の流れと光の流れ
それは、ショートカットの途中、高速道路にさしかかったからでした。
高速道路を走っていると、とりわけ山の中を走っているときですが、歩道橋や道路をくぐることがあります。
これは、高速道路側がコストの問題で高架ではなくその逆に掘り下げることによって、他の道路と交差している
からなのですが、そんな歩道橋の一つに僕はさしかかりました。
この静寂ゆえ、はるか数キロ向こうから、この高速道路の音がしていました。それほどまでに車は
うるさい存在なんですね、実は。
だんだん近づいていく中で、ついにその高速道路の上に出ます。
そこで、僕を待っていたのは、おびただしい数の車のヘッドライトと、そのエンジンの音の流れでした。
橋の上には、当然僕一人。一人 対 車数百台です。
・・・しばらく僕はその光景に見とれてしまいました。高速道路ですから、おそらく100キロは出しているでしょう。
そして、その100キロの光の流れは、先ほどの川の流れを思い出させたのです。
さっき見た川の水は轟音をたてて、どこ行くともなく流れていきました。今は、一台一台には目的地があるのかもしれませんが、
橋の上に立っている僕には、一台一台なんて関係なく、光の流れを見ているだけですから、目的地など無いまま流れて
いるように感じられるのです。
・・・水は橋の上に立っている僕のことなど、気にはしないでしょう。水だから。
しかし、今流れているのは、車とはいえ、人間が動かしているもの。それでも僕には絶対気づきようがない。
生命と無機、流れるものは違っても同じ光景が広がっていることに衝撃を感じ、そして人の流れの中にいるのに
決して気がつかれることの無い、今の自分の状況が急に怖くなって、僕は逃げ出すような感じでその場を離れました。
しかし、その光の流れはいいようのない美しいものでもありました。
難しい話になってしまいますが、人間の作り出した自然なのではないでしょうか。
自然といっても、天然とか野生の意味ではないので、森などと同じイメージを持ってもらうと困りますが、
その光景は、人間が生活をしているなかで、自然にできあがったもので、何らかの意図をされて作られたものでは
ないということです。
僕は絵や彫刻の作意性が嫌いです。単純にその作意性を見抜くことのできる、
目が養われていないだけなのかもしれませんが、絵や彫刻はもっとシンプルであってもいいのではないでしょうか。
そういう点で、写真がけっこう好きな自分なのですが。
話はそれましたが、芸術的な作意性の無い、その高速道路の風景は、何か自分の心を打つものがあったわけです。
車は無機だけど、乗っている人間は生物であるところに、なぜが両者が一体化しているような感じを受けて、
ふしぎな気分になったわけです。
この続きは、またの機会にしましょう・・・
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