「お前さんから言われた時はびっくりしたなあ」
「ちょっ、金やん!」
「いいから座れって」
星奏学院教師 金澤紘人
星奏学院3年 日野香穂子
二人は想い想われの仲 いわゆる相思相愛という間柄であった
しかし世間は 俺たちが教師と生徒であるが故にその関係を認めてはくれない
そのことを俺はよくわかっていた
もし同僚がそのような事態に陥り
尚且つプライベートでも会っていると言おうものなら
「それはヤバいだろう」
と 他人のすることにあまり関心のない俺でもさすがにクギをさしたに違いない
バレれば当然クビだ
俺たちは 生徒達を平等に扱わなければいけない立場であるし
所謂『聖職』に就いているのだ
モラルとか常識とか 正直俺にとってはどうでもいいが
食いっぱぐれるのだけは勘弁である
女なら外で探せばいいだけのこと
そんな俺が生徒に対して特別な感情を抱いてしまった
適当に生きてる俺の前に ヤバい天使は舞い降りてきてしまった
香穂子の視線がこっちに向かっていることを
俺は随分前に知っていた
若いというのはストレートでいいよなあ……
自分も若い頃はこうであったろうかと
輝く眼差しと薔薇色の頬を見ながら思った
その時はそう思っていた
なのに いつの頃からだろう
彼女が自分の目の前に現れる時を心待ちにするようになったのは
単調な毎日 心の均衡を揺るがされない日々
与えられたことをただこなせばいいという気楽さは
常に最高の状態を保たなければならなかったあの頃とは天と地の違いがある
戦い 勝ち続けていかなければならなかったあの頃とは
比べようとしても比べられない
あの時までの俺と今の俺は別人と言ってもいい
センチメンタルな言い方をするなら
歌に 恋に 挫折したあの瞬間から 俺は徐々に死んでいったんだ
しかし 一旦抜け出してしまえばなんということはなかった
生きることに目的なんぞない
人間なんか単なる動物なんだから飯食っていびきかいて寝てりゃ十分
そう言い切ってしまえば 後は心地よい堕落の中にいた
壁にぶつかりながらも無我夢中で走り続ける生徒達を横目で見ながら
まるで猫のように一番居心地のいい場所に陣取り 茶でもすすっていれば良かった
日野香穂子は なぜ俺なんかを好きになったのだろう
一生懸命さを体中に貼り付けてるような奴が
どうして俺みたいないい加減な教師に懐いてきたのだろう
「面倒だ」
俺は機械でできた人形のようにこればかりを口にして逃げ回っていた
逃げれば逃げるほど 日野は俺を追いかけてきて
必死な顔をして「頼れるのは先生しかいないんです」と すがってきた
普通科である彼女が音楽科ばかりの出演者の中で
一人奮闘するということの大変さは さすがの俺にも想像がついた
後になって普通科から土浦の参加が決まったが 当初は日野ひとりだけだったのだ
だが俺は教師だ
できることは限られている
加えて セレクション担当として必要以上に出演する生徒に接触してはいけないとも思った
俺は仕方なく ヴァイオリン担当の先生たちに頼み込み
交代で日野の面倒を見てくれるように手配した
初心者ならこれくらいいいだろう
ヴァイオリンの教師ならヴァイオリンをやる生徒に教えるのは当然のことだと
俺は自分で自分に言い訳をした
なのに日野は 次の日からも更に俺にかまってきた
お礼を言われたり 時には演奏を聞かされたり
「いいからどっか遠くで好きにやってくれよ〜」
「はい、好きにします」
そして目の前でギコギコやるもんだから 俺は呆れた
放っておくとそのうち
「時間なのでそろそろ行きますね。ではまた明日。さようなら」
丁寧にお辞儀をして 音楽科校舎へと駆けていく
ヴァイオリンを習う為だ
「転ぶなよ!」と声をかけると「はーい」と後ろ手で手を振る
背中で跳ねる長めの髪 彼女の周りでファータが舞っているように感じた
…もう俺には見えるはずもないが
そうだ 眩しかった
いつもいつでも 彼女は俺には眩しすぎた
俺が失ったものを全て持っているような気がした
「あんま根詰めるなよ。気楽にやれ、な?」
会うたびにそんなことを言っていた
俺の前ではいつも笑っている日野は 別の場所で見つけるとやけに大人びて見えて 目にした俺は胸から背中にかけてぐさりと痛みが貫いた
そして 俺を見つけると 笑う
やめてくれ!
なぜだかわからないが 俺はそう叫んでいた
もちろん心の中でだ
脇目も振らないまっすぐ突き進んでくる好意は 俺にはもったいなさ過ぎる
それは俺に向けるべきじゃない
誰か他の……同じ生徒という立場の奴にやるべきだ
しかしこれは勘違いかもしれない 勝手な思いこみかもしれない
ちらりとそういう考えもかすめたが
ある日 間違いじゃないことが確実となった
屋上で 日野は俺にこう言ってきた
「金澤先生が好きです」
どれだけの勇気がいっただろう
いつも笑んでいた日野の顔はとても強張っていた
真剣なんだとわかった
俺は…………逃げた
そうするしかなかった
その場で断ることもできず かといって受け入れることはもっと出来ない
職員室の自分の席に座って 俺は教師だと自分に言い聞かせた
なんにしても へらへら笑いながら逃げるとは俺はなんというばかだ
生徒に対して教師にあるまじき情けなさ
しかも 礼を言うセリフがどもっているというおまけ付きだ
日野 お前が俺に対して大人の余裕を欲しているならそれは見当外れだぞ……
次の日 日野はまた俺に会いに来た
それにも驚いたが もっと驚いたのは 俺が昨日のことを詫びた時のことだ
「お前さんのこと、好きとか嫌いとかじゃなく、それ以前に俺は教師だからな。悪いが諦めてくれ」
「わかりました!」
「へ?」
「諦めます。元々言うつもりなかったし、昨日はつい、なんだかどうしてもわかってもらいたくなってしまって……。でも私の気持ちは変わりませんから」
俺を見上げる日野の顔は 凛としていて いつものあいつじゃないみたいだった
それから1年と数ヶ月が経った
日野のセレクションの総合順位は3位で
そのまま音楽の世界に足を踏み入れるのかと思いきや
彼女は星奏学院とは違う系列の お嬢様大学として有名な所へ進学を決めた
アナウンサーになりたいのだという
その一方 俺はまた歌の世界へ戻ることにした
学院長の強い勧めもあるが 何より俺が歌いたかった
今からでは遅いかもしれない しかし元から俺の人生には決められた目的などないんだ
俺は 俺のしたいようにできる今の境遇を幸せに思う
卒業式を1週間後に控えた日のこと 偶然屋上で日野と顔を合わせた
俺は柵にもたれて日野が近づいてくるのを待ち
あいつにも俺の意思が通じたのか 俺に向かって歩いてきて
俺たちは久しぶりにゆっくり話をした
奇跡的にも ここには俺たち二人しかいなかった
やがて あいつはこう言った
「金澤紘人が、大好きです」
「ありがとな」
日野はずっと待っていてくれた
待っていてくれという言葉すら言えない俺を ずっと
「今はまだ言えないが、お前さんが卒業したら必ず返事をするから……意味、わかるか?」
日野は文字通り 思いがけない という顔をしていた
「なんだ、気づいてなかったのか」
「だって…! 金やん全然そんなそぶりなかったもん!」
「ははは! ガキくせぇ言い方」
こんなセリフで大人だということを見せつけてるが
実は俺のほうが内心びくびくしているって気づいているか 日野?
「悪い悪い、怒らせるつもりはないさ。ま、楽しみにしとけ」
卒業式が終わって数日後 俺は日野を自宅に引っ張り込んだ
こう言うと悪さをしているように聞こえるかもしれないが
確かに俺としてはまだそんな気分が抜けたわけじゃないから同じようなもんだろう
緊張してかちこちになっている日野に飲み物を勧め
彼女が一息ついた頃に俺は行動を開始した
「おい、日野。ちょっとここ座れ」
ここ というのは俺の膝の上
ソファの背にだらりと体をもたせかけて 俺は日野を誘った
案の定 できないとか何言ってんのとかわめいてる
「はいはいはい、いいからここに来る」
手首を掴む ……細い腕
俺の指がもう一周してしまいそうだ
また悪いことをしているような気分になったが それを振り切って引き寄せた
日野は横座りで俺の上に乗り 下を向いていた
「香穂子」
目を合わせる
「俺のこと好きになってくれてありがとな」
また下を向いて ふるふると前髪が横に揺れた
「しっかしなあ、お前さんから言われた時はびっくりしたなあ」
「ちょっ、金やん!」
「いいから座れって」
立ち上がろうとする肩を押すと 更に体が密着した
「俺はこれから言い訳のできないことをしようと思う」
そう言って 自分のシャツのボタンを上からひとつひとつ外していった
「そこにいろよ、まだお前さんには何もしないからな」
「まだって……」
恥ずかしがりながらも 俺のすることをじっと見ている
最後に髪を束ねていたひもを一気に外した
「もし今、日野が叫んで逃げ出したら、俺はもう言い訳できない。
逃げるか、ここにいるか、お前さんの好きにしろ」
「好きにしろって…」
日野は妙な顔をした
「普通逆じゃない? 金やんが私の服を脱がせて、私がキャーって言うのが普通だと思うけど」
「そうか?」
「多分……。それを金やんがさっさと脱ぐなんて変」
上目遣いで唇を尖らせている
「俺が変かどうかは別にして、だ。お前さん、逃げないんだな?」
こくっと頷いた
瞬間 抱き締めた
日野の体を全部受け止める心地よさ
好きな女を手に入れたことに 俺は大げさでなく歓喜に涙しそうになった
しばらくじっとこの幸福を味わい 体を離す
「いいか? 今日から俺とお前は教師とその生徒じゃないわけだ」
「…うん」
「だから香穂子は……俺の香穂子だ」
「…………金やん…」
「こんな時くらい紘人って呼べよ」
「え……そんな急に言われても無理だよ…」
「ひろと、だ。言えるだろ?」
「ひ…ひろ……ひ……」
「ばか。何どもってんだ。お前さんらしくもない。ま、そんなお前さんを見るのも悪くないがな」
「先生のくせに生徒いじめて…!」
「だから先生じゃないっつったろ? わかってねぇなあ。じゃなきゃこんなことするかよ。俺がどれだけ我慢してきたと思ってんだ。ほら……呼んでくれ……」
「………………ひろと」
「ごうかく…」
唇を押し付けた
香穂子の発した「ひろと」の音が胸の弦を弾いていく
この唇をこうして押さえても その音は鳴り止むことなく
俺の中でじんじんと響き続けた
キスを続けながら俺は香穂子の髪や頬 耳たぶに触れた
のしかかってくる香穂子の体 胸が意外とあるんだなと口にしないが思う
すぐに触りたいが まだ早いだろうか
そのうち香穂子がもぞもぞと俺から少しずつ体をずらしていった
どうしたのかと唇を外して目で問う
「金やん…あの…………当たってる」
「ああ、これか?」
下半身を目で指し示すと 頷いた
「気にするな。香穂子を欲しがってるだけだ」
面白いように目が真ん丸く見開いた
俺は笑ってみせる
「しょーがねーだろ。男の生理ってやつだ」
「金やん、ちょっと、ストレートだよ…私、何て答えたらいいかわかんないよ」
「答えなくていいさ…」
強く引き寄せてもう一度くちづけた
舌を強引に入れ 香穂子を絡めとり 上顎をくすぐり 頬の内側を撫でる
我ながら忙しない だがこうせずにはいられない
この瞬間に香穂子の全てが欲しい
全てを俺の中に閉じ込めたい
香穂子の手がぎゅっと俺のシャツを握り締めている
その内側に手を伸ばし 下から持ち上げるように胸を掴んだ
少し震えたのがわかった わかったところで止められない
…止められないが かろうじてそのままの姿勢で聞いた
「嫌か?」
「嫌じゃない。けど…」
「けどなんだ」
「……ちょっと怖いかも」
「じゃあ止めるか?」
嘘付け俺 やめられるわけないだろ
「……いけるトコまでガンバル」
ちくしょう 可愛い
「じゃあお前さんが怖くならないように俺もガンバル」
香穂子は俺の胸に頭を押し付けてくすくす笑った
実際 俺たちは行くトコまで行ってしまった
最後 涙を流しながら耐える香穂子が可哀想で仕方なかったが
途中でできないよりはできてしまったほうが お互い後のストレスが少なくて済む
香穂子はよくがんばった
全てを香穂子の中におさめ終わると 荒い息の中 泣き声で俺の名を呼んだ
なにもかも振り捨てて甘えてくるなんて よほど辛かったのだ
それでも ここですぐに抜いて楽をさせてはやらなかった
「俺にいっぱいしがみつけ」
そう言って できるだけ早く終わらせるべく動きはじめた
ベッドの中で 裸で二人 抱き合っている
もう俺にはこんな時間は永遠に来ないと思っていた
セックスの後 愛する女を腕に抱いてひと眠りする前のまどろみ
香穂子……お前がいて 本当に良かった
|
|
|