しばらくして 短いため息が聞こえた
「……俺が悪かった。ほら、こっち向け」
顔を上げると 兄の着ていたシャツの袖でごしごし拭かれた
「ったく、お前はすぐ泣く。だから放っとけねぇんだ」
「っそんなっ、ひっつも、泣いてないっ、もん」
「……ああ、そうだったな。あの頃からな」
それはきっと 私が事実を知った後の事を言っているのだろう
私の肩に そっと手が置かれた
ひとりごとのように兄がつぶやく
「でもやっぱ、忘れられねぇんだよな。俺が事故で病院にいた時に顔中で泣いて入ってきたお前の姿……。
お前、あの時俺が死ぬと思ってたんだろ?」
聞かれたので私は頷き 兄の顔を見た
すると兄は私を見てクッと笑い 目を細めた
悪いけど ありえないくらい優しい顔だった
私は大泣きしていたというのに うっかり見とれてしまった
「わんわん泣いてるお前見た時、こりゃあ死ねないなと思った。こいつを残したままだと死んでも死にきれないってな。俺、お前みたいな妹がいて、すげえ嬉しいと思ったんだぜ」
せっかく涙が止まったのに 兄はまた私を泣かせる
引き寄せられて 今度は胸の部分で顔を拭いた
「……ああ、そうだったな。何があっても俺はお前のお兄ちゃんだ。
ごめんな。さっきはどうかしていた」
そう言ってぽんぽんと私の頭を叩いた
「さ、遅くなるからもう帰れ。……送ってく」
時計を見るともう夜の10時をまわっていた
兄が仕事から帰ってくるのを待ってここに来たから
もともと長くここに居ることはできないのだ
アパートの鍵を閉める後姿を見ながら
私は ああ言えなかった とぼんやり思った
ずっと一人でしまっておいた秘密を二人のものにはしたけれど
でも 肝心のひとことが言えてない
私は何のために来たんだろう
これではただ 抱えてた苦しみをさらけ出して楽になっただけだ
しかも私だけ
結局 どう言ったところで どう言ってくれたところで
兄が今まで大切に守ってきたお兄ちゃんという位置を奪ってしまったことに変わりない
そうだ
唐突に思った
私はお兄ちゃんと別の意味で家族になりたいのだ
そうなればどんなにいいだろう
また元通り4人で暮らせる日が来るかもしれない
お兄ちゃんが正真正銘の家族になる
夢みたいな景色だ
夢…………
私はぶるぶると首を横に振った
夢にはしたくない
ただ それには少なくともお兄ちゃんの同意がいる
今日はもうこれ以上お兄ちゃんを悲しませたくない
やっぱり言わないでおこう
今日はあまりにも急ぎすぎたから 今度はゆっくり時間をかけたほうがいい
いろいろ考えていたら いきなり鋭い声がした
「おい、そこ段差!」
「うわっ!」
つまづいた私は兄の上にダイブしていた
お兄ちゃんは私を支えきれずによろめいて そのまま地面に倒れこんでしまった
「痛ぇ……」
「ごめん! 大丈夫?」
「なんで注意したのにコケるんだよ」
私は兄を見た
兄も私を見た
私たちは間近で目を合わせていた
心臓の音しか聞こえなくなった
キス してた
唇が離れると 驚いた顔の兄が目の前にいた
どっちからキスしたんだろう もしかしたら私からだったかもしれない
全然覚えてない 気が付いたらしてた
顔からさーっと血の気がひいた
あやまらなきゃ あやまってなかったことにしないと
せっかく仲直りしたのに これ以上気まずい思いをさせたくない
「悪い!」
「ごめんなさい!」
同時にしゃべってた
「何でお前が謝んだよ」
「どうしてお兄ちゃんが言うの?」
また同時にしゃべった
「ど、どうしよう……」
「それはこっちのセリフだぜ……」
脱力して胸に顔を埋めると 背中に腕がまわされた
その胸は バカみたいに速いスピードで鼓動を繰り返していた
私のだってすごいけど まるで競うようにバクバクとはっきり動いている
「お兄ちゃんの胸……すごくドキドキしてる」
「……ちくしょう、バレバレじゃねぇか。お前こそどうなんだよ」
小さい声 すごく近くにいるからこそ聞こえる声
私は頭を胸に預けたまま手探りで兄の右手を取り ブラウスの上から心臓の辺りに触れさせた
「お前、いつからそんなヤラしいことできるようになったんだ」
答えようがなくて そのかわりにちらっと見上げて ちょっと笑ってみせた
私はふわふわとした心地で 兄の運転する車の助手席に座っていた
右手の上に兄の左手が乗せられて ぎゅっと握ってくる
これまで何度か車に乗せてもらっていたけど
今までこうされたことはなかった
当たり前だけど
家に着いて お父さんお母さんに会っていくと兄が言い
兄妹の顔をして玄関を開けたら 両親はまだ食事から帰っていなかった
夕飯を友達として その後兄に会いに行くと言った私に
それならお母さんと外で食べてくると 今朝お父さんは言っていたのだ
「どうする?」
「せっかく来たんだ。待つさ」
兄は軽い足取りで2階へ上がっていった
なので私もついていくと 以前兄が使っていた部屋の入り口に立って中を見渡していた
「いい加減ここ、物置にでも変えろって言ったのにな」
ここは兄が出て行った時から3年間 そのままの状態で保たれてあった
母が「いつ帰ってきてもいいように」と定期的に掃除をしたりふとんを干したりしている
時々私も手伝わされていた
兄は家を出て行ってからもごくたまに家に帰ってきたが
一度として泊まっていったことはなかった
そうしてずっと使われないままだというのに
母もそして父も この部屋を違う目的に使おうなどと言い出さなかった
兄はいつもここに来るたびに苦笑いでこの部屋を見ていたが
今日はちょっぴり嬉しそうだ
後に続いて入ると 兄はベッドの上に乗って壁に背をつけてそのまま座った
そして 言った
「来いよ」
がらりと変わった雰囲気に私は立ちすくんだ
ドキドキして息が苦しくなって力が抜けて そのまま床に座り込んでしまった
ついさっき起きたことが本当に現実なんだって 兄の強い眼差しで改めて思った
それは嬉しい 嬉しいけど
急には怖い
「嫌か」
私は首を左右に振った 兄の目が見れない
「ならこっちに来い」
一転して柔らかい声に顔を上げると 笑顔の兄が手を差し延べていた
その手を目指して立ち上がり ベッドの上に乗った途端 いきなりぐっと抱き寄せられた
「お、お兄ちゃん……」
「心配するな。何もしない」
そう言ったのに お兄ちゃんの指は私の顎を持ち上げた
「ていうのは嘘」
ニヤって笑った!
怒る間もなく 唇が降りてきた
1回……2回……3回……4回……5回……
数え切れない
ううん 数えていたわけじゃない
とにかくなんだかたくさんキスされている
柔らかいキス それがずーっと続いて
すごく気持ちがいい
離れては塞がれて また離れて……塞がれて……
時々くちゅっと音をたてて吸われて
いつまでもこうされていたくなる
10回……20回……
私はふと 閉じていたまぶたを開けた
目が合った
それでもキスをやめようとしない
私をじっと見て 何度も 何度も 何度も 唇を触れ合わせてくる
耐え切れない
別の人みたいだ
兄がこんなキスをする人だったなんて知らなかった
それなのによく 今まで何もなく過ごせたと思う
私は兄がずっと好きだったけど
もしかして……兄も私をずっと好きだったのだろうか
触れるごとに想いが注がれるような そんなくちづけ
兄の視線は私を絡めとっていく
「いい加減目を閉じろ」
幾数回目かのキスの合間 兄がそう言った
私は言われるまま素直に瞼をおろした
強く抱きしめられ 更に数回くちづけられ
兄の舌が私の中へ入ってきた
歯の付け根の部分を撫でられて 舌をからめとられ
上顎をくすぐられる
声が出そうになって 耐えようと兄のシャツにしがみついた
その時 すっと唇が離れた
私がぼんやりと目を開けると 兄がベッドから降りるところだった
そして私を見もせずに 部屋から出て行ってしまった
(お兄ちゃん!?)
わけがわからない
一体何が起きたんだろう
見渡してみても 部屋には私ひとり
兄のベッドの上で 私は混乱する頭を抱えた
(あれ?)
少し冷静になってみると 階下で音がしているのが聞こえた
兄が何かしゃべっている
それに対して母の声もした
(帰ってきたんだ!)
私は慌てて部屋の鏡で身だしなみを整えて階段を降りていった
リビングに入ると背中を向けていた兄が さっとこっちを見た
「アルバム、片付けてくれてありがとな」
「え?」
「なにとぼけてるんだよ。さっきまで見てただろ、俺の高校ん時のアルバム」
「あ、ああ、うん。見てたよね。片付けたよ。ちゃんと」
兄はもう 兄の顔をして母と高校時代の話をしている
私は父に卒業証書を見せなさいと言われて カバンを取りにまた2階へ上がった
そうしたらすぐに兄が追ってきて 私の部屋に入ってきた
「どこ行ってんだよ。カバンなら下に置きっぱなしだろ」
「あ、そうだった」
「バカだな」
そう言った顔が優しい
「さっきいきなり俺がいなくなってびっくりしたか」
「うん。後になってやっと理由はわかったけど。でも、出て行く時どうして教えてくれなかったの?」
「ん? 面白いから」
私は思いっきり頬を膨らませた
そんな私に向かって急に真面目な顔をして兄は言った
「俺たちのこと、言わなきゃな」
「……うん」
私もすぐに兄に合わせた
「その前に、お前が知ってるってことから言わないといけないな。
物事には順番ってものがある。俺がこれから話を切り出す。いいか?」
「わかった」
部屋を出る前 思いついたように兄がくるっと振り返った
「裏切るなよ?」
「裏切るって?」
「俺が言い出してさ、お前に話を振った時『なんのこと?』なんて言ったらしょうちしねぇぞ」
私はくすくす笑った
兄のセリフにではない
そう言った顔がなんだか拗ねた少年みたいに見えたからだ
「行くぞ」
「うん」
うまくいくといいな
思ったことが現実になるのなら
私はこれからずっと 夢の景色を思い続けよう
お父さんとお母さん そして私と私の旦那さんであるお兄ちゃん
正真正銘の家族4人で テーブルを囲むその風景を
〜終〜
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