まえがき


この話は「指先」と「輝く音色」の二人です
なので「輝く音色」を先にお読みいただけるとビバハッピー

…じゃなくて(いや 私はビバハッピーなわけですが)
話の内容がわかりやすくなる仕組みです
それではどうぞ〜










キスそしてキス 1


チョコレートを味わうどころじゃない
甘いという認識はできても それをおいしいと感じる余裕は香穂子にはなかった

ただ翻弄されている

舌をすくいとられ からめられ 二人の唇の間でくちゅっという音が出て
それが互いの耳を刺激する

キスしかしていないのに 香穂子はとてつもなくいやらしいことをしているような気分になっていた

二人の着ている制服に乱れは無く
青空の下 ベンチに座って 月森の右手は香穂子の左手を掴んだまま



「さぼろう」

こう言われた時 どんなに驚いたか
香穂子はくっきりとした二重の瞳を見開いて 月森の横顔を凝視した

「本気?」

問い返しても月森の口は開かない
じきに予鈴が鳴り 生徒たちがわいわいと出口へ移動していく

月森に向かって 同じクラスなのだろう 親しげに声をかけてきた男子生徒には
「すぐに行く」と返してその背中を見送り 彼はまた同じことを言った

小さな 香穂子にだけ聞こえる声で
「さぼろう?」と言った


そういえば今日の月森は朝からずっと変だった と香穂子は思った

登校途中 後ろから声をかけてきた時はいつもと変わらなかったはずなのに
正門に近づくにつれて彼の表情はどんどん曇っていき しまいには自分からひとこともしゃべらなくなってしまったのだ

普段はどちらかというと月森の話に香穂子が相槌を打ちながら会話を進めているパターンのため 黙りこくった彼氏に香穂子は首を傾げた

「えっと…今日も天気いいねー。こういう日はヴァイオリンがよく鳴るんだよね?」
「ああ…そうだな」

いつもなら『ヴァイオリン』という単語が出た途端 彼の話は軌道に乗ってすいすいとどこまでも展開していくのだが 今日は不発だった

おかしいなと思い 顔を覗き込むと ちらっと横目で香穂子を見た彼の下唇が少し尖っている

(あれ?)

何かしただろうか?
香穂子は今日会った瞬間から今までのことを思い出してみた
これといって特に機嫌を損ねるようなことをした記憶がないため 今度はストレートに聞いてみることにした

「あー、ええと、私、何かしたっけ?」
「別に何も」

彼らしいといえば彼らしいそっけなさ
困ったな と思っているうちに 交差点の向こうから友達に声をかけられて 香穂子は大きく手を振った

そう その間ちょっと立ち止まったけど 月森はおとなしく待っていた
機嫌は悪くても そういう余裕はあるようだった
そしてその後 音楽科と普通科校舎の分かれ道で 月森に「昼休み、屋上で」と言われたのだ


大急ぎでお昼ご飯をかきこんだ香穂子は 走って音楽科校舎に向かい
小走りで廊下を駆け抜け 階段は2段抜かししたいところをしとやかに1段で登り
屋上入り口のドアの前で5回 深呼吸した

月森がどこにいるのか 香穂子はもう既によく知っていた
ドアを開けて左にまわるとすぐそこに彼はいる
そこにいなかったらまだ来ていないということだ

コツ コツ と音をたてて角を曲がる
月森は……彼の指定席でもある奥のベンチに座って本を読んでいた

「何読んでんの?」
「ああ、君か」

顔を上げた月森は香穂子が近づいてくるのをじっと待っている

「それ、何の本?」
「あ、ああ……これか。これは、雑誌なんだが、気になる記事があったので持ってきてしまったんだ」
「ふうん……」

月森の隣に腰掛けて 香穂子は覗き込んだ
そこには今話題のヴァイオリニストだという外国の綺麗な女性が大きく写っていた

白いパンツスーツのその胸元は深くきわどい部分まで開いており 一見セクシーだが その足もとが裸足であることによって 自由でのびのびとした健康的なイメージになっている

「月森、こういう人が好みなの?」

香穂子がそう言って顔を上げると 月森は目をまんまるく見開いていた

「え? もしかしてほんとに?」
「ち、違う!」
「そんなに慌てなくても……別に責めてないし」
「だから違う! 君はすぐ…きみは……」

香穂子は体を完全に起こして 顔を赤くして怒る彼を驚きのまま見つめた
あまりこういう表情もお目にかかれないなとも思った


そうしているうちに 後ろでガヤガヤと人の声がしてきた
彼らも早めの昼休みをこの屋上で過ごしにきたのだろう

「あ、月森くんたちも来ていたんだね……あれ、お邪魔だったかな?」

3人組のひとりが言うと 月森は「そんなことはない」と返した
割合穏やかな声に香穂子はほっとする
3人は月森と香穂子を前に話し始めた

「でも今年はロマンスはないんだなあ。ほら、あれだよあれ」
「ああ、ヴァイオリン・ロマンスってやつだろ? あれってヴァイオリン・ロマンスっていうくらいだから他の楽器じゃだめなのかな?」
「いや、わかんないけど、少なくとも『ヴァイオリン・ロマンス』はなしだな」

なあ? と彼はその場の皆に同意を求めた
だが 月森と香穂子が黙っているのを見て「悪い悪い、やっぱり邪魔したな」とみんな揃って離れていった

香穂子は今まで ヴァイオリン・ロマンスについていやというほど聞かされたし
特に二人が付き合うようになってから好奇の眼差しは度合いを増していた
だから 今3人が繰り広げた会話には「またか」と思うだけで特に感慨もなにもない
しかしふと 月森はどう思っているんだろうと気になって彼女は隣を見た

予想はしていたけど そこにはただの無表情
しかし 一呼吸の後 はぁ と彼はため息をついた
香穂子は労うように声をかけた

「まいっちゃうよね。みんなヴァイオリン・ロマンス、ヴァイオリン・ロマンスって、人の顔見ればそればっかり。面白がってるのが丸わかりなんだから」
「…………」

彼は反応を示さない

「月森?」
「なんだ」
「聞いてなかったの?」
「何を」
「…………なんでもない」

屋上にはいつの間にか生徒たちが増えて それぞれ思い思いに体を動かしたりおしゃべりをしたりしている
そしていつものことながら その中には月森と香穂子の様子をちらちらと伺う視線が少なからずあった
なんといっても今話題の二人なのだ


付き合い始めて1週間
コンクールが始まって 音楽科の代表 普通科の代表と周りに言われて対立していた二人は第1セレクション期間中に恋人同士になった
面白がられても不思議は無い

肝心の二人は ずーっと黙りこくったまま ベンチに並んで座っていた
香穂子としてはこの貴重な二人の時間を月森と楽しく過ごしたいのだが
彼のほうに何かひっかかりがあるようで 話しかけることができなかった

自然とため息がもれた

「はああ〜」
「はぁ」

息がぴったり合って 二人は顔を見合わせた
どちらからともなく笑顔がこぼれた

「すまない。君が悪いんじゃない。ただ、うまくいかないな、と思って…」

首を傾げて意味を尋ねた香穂子に 月森は答えなかった
視線を遠くにやり 替わりにこう言った

「しばらくこのままでいてくれ」




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