今までも これからも


私は氷室先生と付き合っている

ものすごい堅物で 笑ったとこなんてほとんど見たことがなくて
厳しくて 怖くて でも 隠れヒムロッチファンクラブがあるくらいかっこよくって
そんな先生が私に向かって笑いかけてくれる日が来るなんて思いもしなかった



私はずっと前から氷室先生が好きだった
先生の後姿をいつも いつも見てた

先生と少しでも一緒にいたくて 学級委員に立候補した
先生が顧問を務める吹奏楽部にも入った
先生に誉められたくて その一心で 勉強も部活もスポーツも
ほんのちょっとも手を抜くことなくがんばってきた

その時私は 同じクラスの誰よりも先生に誉められていたと思う
普段めったに見られない 先生の満足そうな頷きが嬉しくて
その顔を見たいが為にまた更にがんばって そのうちに
徐々に 徐々に 先生への想いを募らせていった
”ヒムロッチのお気に入り”と囃したてる友だちの声も 私を後押しした


だから ある日 先生と二人きりのときに 私はついに言ってしまった
膨れ上がった気持ちがそのまま胸の中に留まることを許さずに
解放を求めて外に飛び出していった

「好きです」


だけど 先生は 氷室先生は 顔色ひとつ変えることなく 私に向かってこう言った

「恋愛というのは単なる脳内物質の作用によるものである。
そのようなくだらないことを言う暇があるのなら単語帳でもめくりなさい」

世界が暗転した


「……えへ、すいませ〜ん」

冗談で終わらせた私に先生は軽く頷く
急速に抜けていく力をなんとか留め 私は精一杯の笑顔で応えた



私は今でもこの日のことを鮮明に覚えている
先生が着ていたシャツのシワ 床にできたシミの模様
そして 落胆の塊が胸にのしかかり私を打ちのめすさま

告白なんてしたのは初めてだった
フラれるのも初めてだった
世の中にこんなに辛いことがあるなんてと 死にたくなった


それでも 時間が経てば傷は癒される
それに 考える暇がなくなるほどその頃の私は忙しかった
吹奏楽のコンクールに向けて 部員一丸となって練習に励んでいたし
トップの位置から落ちないために遅くまで起きて勉強もしていた
同じクラスの男の子から「付き合って」と言われて 何回かデートらしきものをしたりもした

やらなければならないことがたくさんあり
めまぐるしく日々が過ぎていく

その結果 コンクールは最優秀賞をとり テストの結果は定位置をキープ
付き合ってと言ってくれた彼とは…………うまくいかなかった


私はやっぱり氷室先生が好きで 先生が私のことをなんとも思ってなくても好きで
先生に誉められて喜ぶ私は以前とまったく変わりないということに 気が付いた



「好きだ」

私は口をあんぐりと開けて 先生を見た

「何を驚いている」

だってそんな無表情でエラそうに言われても 困る

「あ、あのー、私を騙してる、とか……?」
「なぜ私がそんなことをする必要がある」

ムッとして氷室先生は腕組みをした



卒業式
氷室先生は黒いスーツを着て先生方の列に並んでいた

この姿を目に焼き付けておこう
この3年間 一生懸命好きだったこの人のこと 忘れないようにしよう
胸が熱くなって ジーンと痺れて こぼれた涙は他のクラスメートと多分違う
それでも 傍から見たら同じに見えることだろう

フルネームで呼ぶ先生の声 「はい」と答える私
背筋を伸ばして 深く礼をして 卒業証書を受け取った



「返事を……聞かせてくれないか」

組んだ腕を解き 身体の横にぴたりと付けて 先生は言った

「返事って……あの、えーと……」
「君は私のことをどう思っている?」


学園内にある教会の中
扉を背にした氷室先生は少し困ったような顔をして私を見ている

私は 足が震えて 胸が怖いくらいドキドキして 全身が熱くなって
そんな変化にどうしても耐え切れなくて
逃げるように視線を 先生の白いネクタイに移した

「先生……か」

低くて小さい声 いつもの先生とは違う声

「君にとって私は先生でしかないのか?」

驚いて視線を上げて

ドクン
と 鼓動が跳ねた

先生が私を見ていた
私の答えを待っていた

いつも いつも 私たちの先を行って
私はただ 先生に付いて行くだけだったのに
今は 先生が私を待っている
ものすごく真剣な目をして 私を待っていた

私は 口を開こうとしたけど
だけど 何を話していいかわからなくて
この気持ちをどう言っていいかわからなくて


そっと近づいた
右手を上げて
先生の黒いスーツの袖を きゅっと つかんだ

顔がものすごく……熱い

(好きです。すごく好きなんです。好き。氷室先生……)

頭の中で 口に出せなかった言葉が勢いを増していく

そんな私の頭に氷室先生の手が乗せられ 優しく 引き寄せられ

気が付くと 白いネクタイの結び目がすぐ目の前にあった


右手はスーツの袖をつかんだまま
唇はネクタイにそっとキスをして
開いた左手をゆっくりと先生の背中に回す


「痛っ」

左手の甲をつねられた

「何するんですか?!」
「脳内物質の作用だ」
「え?」

一歩後ろに下がった私は 口をぽかんと開けて先生を見る

「恋愛は脳内物質の作用だと、以前君に言ったことを覚えているか?」
「あ……」

覚えていないはずはない
あのセリフによって 氷室先生は冷たい人だとあの後少し思ったのだから
それでも どうしても嫌いにはなれなかった

「今、私の脳にちょうどその現象が起きているところだ。
こんなものに振り回されるなど、本来ならあってはならないことだ……」

(だから何?)

先生は気が変わったのかもしれない
私から先生に抱きついたりなんてしたから
出すぎたことをして もしかして嫌われた……?

「私と君は、今はまだ、教師とその生徒でしかない」

(ほら……やっぱり……)

「だから、今の私に近づいてはいけない。…………4月1日まで待ってくれないか」
「は?」
「けじめだ」
「……はぁ」

氷室先生の眉がぴくんとした ヤバイ

「なんだその返事は」
「はい! すいません!」

私は慌てて姿勢を正した
すると先生が……先生が にっこりと笑った
あの氷室先生が…………胸がどきどきし過ぎて 痛い
力を失った足元から崩れそうになる

「こんなことを言うのも今日が最後か。……卒業おめでとう」

そうだ 今日までずっと 氷室先生は先生だったんだ
私は うれしくてうれしくて 出来る限り一番最高の笑顔をしてみせた

「ありがとうございます。氷室先生。今までご指導ありがとうございました」

ぺこりと大きく礼をして 顔を上げた
そんな私に氷室先生は 先生の顔をして うむ と小さく頷いた



だから 氷室先生は今 私の彼氏だ
”彼氏”という響きが あんまりにもそぐわないけど
でも 私の彼


先生は 宣言どおりきっちり4月1日に私を迎えに来た
スーツを着て

恐縮するお母さんの前で 先生が正座をして頭を下げる光景は
まるで私がお嫁に行くような気分にさせられて
恥ずかしくて ちょっぴりくすぐったかった



先生 好きです
これからも ずっと側にいてください




アンジェ以外も万歳