どうしてこんなことになったんだろう
「『先生』と呼びなさい」
零一さんの瞳が 眼鏡の奥でちかりと光った
それはいつものデートだった
ううん デートというよりやっぱり社会見学と言った方が正しいと思う
私たちの仲は少しずつ進展していって
今では私は彼を「零一さん」と呼び 彼は私を「青」と呼んでくれる
甘いムードというものには 相変わらず縁遠いけど
私は零一さんといられるだけで嬉しいし
何より「青」と呼ばれるその響きが トクベツ を感じてとても満足していた
だから 外で手を繋いでくれなくても
まるで引率者といったふうに零一さんが私の前を歩いていても
時折 後ろを振り向いて
「青、これを見てみなさい」
そう言ってくれれば
それだけでよかった
今日は日帰りの予定で少し遠出をした
まぶしい陽射しを遮る為に 零一さんはサングラスをかけている
夏だというのに黒いジャケットをはおって
こんな走り屋みたいな車に乗っていると まるで怖い人みたいだ
これで職業が高校の先生だなんて笑ってしまう
そう言うと
「教師というのは怖いくらいで丁度いい」
と 得意げに鼻を鳴らした
多分 零一さんはこの格好を好きでしているんだ
鏡の前でポーズを決める彼を想像して 私はバレないようにこっそり笑った
この日を迎えるようになるまでけっこう大変だった
なにしろ先生は忙しくて それは学校が夏休みでも同じだった
「この中のうち、青の都合のいい日全てに印を付けなさい」
零一さんは一枚の紙を広げてこう言った
この夏 二人でどこかに行こうと計画していた私たちは
まず日程を決めようと互いのスケジュールを確認することにしたのだ
私は「全てに」という言葉に有頂天になって
「うわーい」とその紙に飛びついた
一番上に”動静届”と書いてあるその紙は夏休み中の勤務態様を学校に届ける為のものらしく 零一さんの教師らしくて大人な字で 住所と名前が書かれてあった
一の文字に半分かかるように押してある氷室印が黒いところを見ると
これは提出されたもののコピーのようだ
その下 スケジュールの欄を見ると やはり夏休みだからだろう
出勤ばかりしているわけではなさそうだ
思ったままを口にすると 備考欄を見ろと言われた
言われた通りにした そうしたらそこには
びっっっっっしり予定が書き込まれてあった
部活指導 部活指導 部活指導
それでなければ ○○研究大会参加 ○○シンポジウム参加
その他ありとあらゆる用事でそこは埋め尽くされていた
私は去年の夏 クラスの男の子が零一さんに向かってこう言っていたことを思い出した
「先生って夏休みがあっていいよなぁ。俺もなろうかな」
そんな軽い言い方 先生が怒るよって思ったのに
零一さんはちょっと嬉しそうな笑顔でこう返していた
「ああ、教師はいいぞ。大変にやりがいのある仕事だ」
今思えばそんなの嘘
休みなんてほとんどないじゃない
「……もしかして空いてるのって、ここと、ここと……ここだけ……ですか?」
「…………すまない」
私はちょっとむくれた
けど 「すまない」と言ってがっくりと落とされた肩を見て すぐに私は考えを改めた
先生は本当に先生という職業が好きなんだって
いい先生になるためにがんばっているんだって
そんな中 なんとか私と過ごす時間を作ろうとしてくれている
貴重な休みが全部なくなってしまうかもしれないのに
高校の頃 毎日部活があったということは 先生も学校に来てたってことだったんだよね……
「わかりました。じゃあ、ここ、しるし付けま〜す」
私は持っていたブルーの蛍光ペンで 空いている一ヵ所にくるりとマルを書いた
「そこだけでいいのか?」
「はい。零一さんもこんなんじゃ体壊しちゃいますよ。せっかくの夏休みなんだからちゃんと休んでください」
「……貸しなさい」
零一さんは私からペンを奪い取り
キュッキュッと強く音をたてて他の空欄に大きなマルをつけた
あっけにとられている私を見て
「これは私の希望だ。君もこれでいいか?」
あんまり真っ直ぐ見つめてくるので かーっと顔が熱くなった
会いたいって 思ってくれるんだ……
「い、いいか悪いか早く言いなさい!」
零一さんが 赤くなって目を逸らした
私も恥ずかしかったけど 零一さんもすごく恥ずかしがってる
「はい! いいです! お願いします!」
オス! と言いたくなるような勢いで私は頭を何度も下げてしまった
この後 私のほうの都合で 実際に出かける日は二転三転した
限られた3箇所の中で予定日が行ったり来たりして
一時期はもう無理かと諦めたこともあった
それでも結局は最初に私がマルを付けた日
零一さんにとっては最初に取れる夏休みに
私たちはこうして いくつもの県境を越えた場所に二人で立つことができた
この時 私はあまりに嬉しすぎていた
遠い所にいるという開放感ではしゃいでいて
ふざけて言っていたつもりだった
それがそのうちだんだんノッってきてやめられなくなってしまった
それがこんなとこで……
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