あこがれ 3


この日を境に アンジェリークの育てる宇宙
アルフォンシアは急速に発展していった

今までは見られなかった
アンジェリークの迷いのない 真っ直ぐな瞳に誰もが心奪われ
守護聖も教官も協力者も 約1名を除き……
誰もが彼女と時間を共にすることを願っていた

それは一般の民も例外ではなく 聖地のあちらこちらで アンジェリークへの称賛の声が聞かれるようになった

誰もが彼女に「あこがれ」ていた


もう片方の女王候補 レイチェルもたゆまぬ努力を続けてはいたが
ライバルの急激な成長ぶりに追いつかずに
何度目かの定期審査以降は まったく歯が立たなくなっていく
自分は天才だと信じていたレイチェルの 初めての挫折だった

最初のうち 負けを認めたくないレイチェルは
アンジェリークに対してかなりの抵抗を見せた

アンジェリークの話しかけを無視したり
外で会っても 回れ右をして即座に去っていくなど
本来の彼女らしからぬフェアではない態度をとっていた

その 傍目にもはっきりわかるほどの拒絶に対してアンジェリークは
やわらかく 辛抱強く 時に毅然と振舞っていた


一方レイチェルは そんな毎日 そんな自分に嫌気を感じながら
それでも少しずつ理解してきていた
本当に女王になるべきなのはどちらなのか
これから自分にできることは何なのかを

やがて 試験が終盤を迎えた頃 レイチェルの方からアンジェリークに歩み寄る姿が見られるようになり……


そしてついに 新女王になるのは誰か という問いに 迷うものはひとりもいなくなった



◆◇◆◇◆



アルフォンシアでは 星が満ちつつあった
あと少しの力を注げば 星は満ち 初代の女王が誕生する
その役目を負ったのは マルセルだった

彼はことさらゆっくりと 新宇宙へ向かって緑の力を放出した
アンジェリークの生きるこの場所が 豊かな緑に包まれますように
アンジェリークがここで 幸せに暮らせますように
そんな願いを込めて ていねいに力を注いでいった


新たな星の出現 満ちて輝きを放つ宇宙
新宇宙第一代目女王アンジェリーク・コレットが誕生した瞬間だった





ちょうどその頃 エルンストは王立研究院で他の研究員と共に大きなスクリーンを見ていた
時間は深夜12時だが 星が満ちるこの瞬間のために 大勢の研究員が残っていた

画面いっぱいに映るアンジェリークの宇宙は 喜びに打ち震えているように見える
どんなにこの日を待ったことか やっとこれで解放されるのだ
エルンストの周りでは 歓声が上がっていた


宇宙生成学を志す者として 今回の仕事はやりがいに溢れるものだった
宇宙の始まりをこの目で見ることなど 一生に一度あるかないかの機会
今日のこの瞬間を夢見て 毎日職務に励んでいた
目にしたときの感激は 今まで見た何にも比べようがないほど 素晴らしいはずだった
しかし……

実際 この巨大なスクリーンを前にして この世紀のショーを間近で見て
喜びなど エルンストは少しも感じていなかった
ただ アンジェリークの顔が 浮かんでは 消えていた

次々と研究員が握手を求めてくる
それに笑顔で応じながらも 頭の中はぼんやりとしていた
何を感じて どう思っているのかさえ よくわからなかった


すると 突然

「こんな瞬間を目にしても、エルンスト主任は動じないんですね。さすがです!」

そう言って若い研究員に バシバシバシ と肩を遠慮なく叩かれた
なにがさすがなのか アルコールを口にした研究員たちは 仕事中ということも忘れうかれ騒いでいる
それを苦笑しながらかわした

試験開始から現在まで 共にここで苦労した仲間と喜びを分かちあいたかった
でもできないのだ なぜか を考えるのもおっくうになる





時計の針が 3時を少し回った
すでに研究員は エルンストを除き 全員それぞれの家へと帰っていた


しんとした部屋の中で エルンストは椅子に座り
火のついた煙草を指に挟んだまま ぼんやりとしていた

普段は休憩の時間 息抜きに違う場所で吸うことはあっても
この自分の席ではまったくなかったエルンストだが
他人を気遣うことも必要ない今 初めてこの場所でそれを手にした
そして 煙草を吸うという動作によって慰められていた

空気の動きのない室内で その煙はゆっくりと上にたちのぼる


思い立って 彼は机の右の引き出しを開けた
上のほうの書類を持ち上げて 一番奥にしまいこんだ紙の束を取り出す
それは 試験の序盤に アンジェリークへ渡した書類の自分用の控えだった


キーボードを打つことに慣れている自分がなぜあんなことをしたのか
十枚近くも手書きにするなど 今思えば馬鹿げている
ただ 何となく書き始めたら止まらなくなってしまっただけなのだが
それでも 途中でキー入力に変えようとは思わなかった

手にしたその書類は エルンストを恥ずかしいような気持ちにさせた
必死に訴えようとする自分の生の心がそこに見える

この一見普通に見える少女に どのように接したら候補としての自覚が芽ばえてくるのか 皆目見当もつかず
レイチェルとの意識の差に焦り 強く叱責し続けた
宇宙の女王として 全てを統べる者としての理想の姿になってもらいたい その一心で しかし
そんな日々が過ぎるうちにこの子は 自分の前で怯えた目をするようになってしまった
ここで出会わなければ このような顔をさせることもなかったのに

常の自分らしくなく 動揺したのだ 彼女の揺れる瞳に
もしくは それまで良い具合に循環していた精神活動が
彼女と出会ったことによって 既に狂わされていたのか

この後のアンジェリークとの間にあった様々な出来事がよみがえった
協力者としてアンジェリークを支えていきたかった
それなのに いつの間にか違う願望が自分の中を支配していた……



考えても仕方のないことばかりが頭をよぎる

どちらにせよ 全ては終わったのだ 本来の責務は果たした
あとはここを去るだけだ


エルンストは手にしたその束を四つに折りたたんで 制服のポケットにしまった
立ち上がり 歩き出すと 静かな部屋の中にコツコツと足音が響く

ドアの手前で振り返り研究院内を眺めた
ここで過ごした数ヶ月 研究の日々
それは常に新しい事実を発見する喜びに満ち溢れていた

そしてここは アンジェリークと多くのことを語り合った場所でもあった
彼女のくるくる変わる様々な表情を ここで見ていた


先ほどまで新女王誕生に沸きかえった室内は 今は本来の静けさに戻っている
思い出に浸っていたのはほんの少しの間だった
やがて エルンストは室内のライトを消し 部屋を出て行った



自動ドアの機械音と共に エルンストは外へ出た
夜風が優しく頬を撫ぜていく
見上げれば 満天の星

星が満ちたのは こことは違う他の宇宙の出来事だというのに
今現在見上げているこの星たちも この喜ばしきことを知っているかのように
精一杯瞬いていた



……ガサッ
突然の物音に エルンストは音のした方へ視線を向けた

「エルンストさん……」
「アンジェリーク……!」


そこには 普段の制服のままのアンジェリークがいた
エルンストはあまりのことに動揺し 配慮のないきつい調子で言葉を放ってしまう

「なぜ、こんなところにいるのです? こんな深夜に外に出るなど、女王になるというのにあなたのその行動は軽率すぎるのではありませんか?」

エルンストの容赦のないセリフに一瞬ひるんだアンジェリークだったが きつく投げつけられる視線から目をそらさず その質問にこう答えた

「会いたくて、エルンストさんに会いたくて、来ました」


エルンストは更に動揺した
アンジェリークの言葉とそらされない瞳が確実に痛みをひきおこしていた

「……だからといって、今は、夜中の3時過ぎです……。明日でも、よかったのではありませんか……?」

いつものようにすらすらと言葉が出ない
エルンストは自分が 水中で息ができずに水面で口をぱくぱく開ける小さな金魚のようであると思った

「明日ではだめなんです。エルンストさん。知っているでしょう?
私はこの夜が明けたら女王になります。あなたにお会いするのはこれで最後なんです」


最後……そうだ もう二度と会うことは叶わない
アンジェリークは別の宇宙へ
それだけでなく 時の流れも違う 遥か遠くの世界へ行ってしまう
よくよくわかっていた なのに言葉にして突きつけられると なんとつらい現実なのだ
エルンストは 初めて……だろう
アンジェリークの前で 顔を歪めた



そんなエルンストの姿は 少なからずアンジェリークに衝撃を与えた
こちらが言った言葉に こんなにも反応するエルンスト
怒った顔 笑った顔は少ないながら見たことはあったが
今はそのどちらでもない 表情をしている

アンジェリークは 今すぐエルンストを抱きしめたくなった
そんな顔をしないで と言って 寄せた眉と眉の間に唇を寄せることができれば
この現実は 違う種類のものに変わってくれるのだろうか

でも 夢物語ではない
女王になって気の遠くなるような遠い地へ行くことも
明日からは 自分が一晩寝ている間にも エルンストがいくつもの夜を超えていくことも
悲しいほど現実
そして 選んだのは自分 そして……エルンストだ


「エルンストさん。私、あなたに会えて良かった。あなたがいなければ、私は女王にはなれなかった」

アンジェリークの言ったことに エルンストはなんとも複雑な表情をした
今日のこの短い時間に エルンストは新しい顔をいくつもアンジェリークに見せていた
アンジェリークは言葉を続ける

「でもね、エルンストさんは怒るかもしれないけど、私まだ、宇宙を愛するってよくわからないんです。 だから……宇宙を、アルフォンシアを、エルンストさんだって思うようにしたんです」


エルンストは 瞳をこれ以上ないというくらい見開いて アンジェリークを見た
それを アンジェリークは真正面から捕らえ 見つめ返す

「私は、今でもエルンストさんが好きです。……一度も好きって言えなかったから、今言いますね。
エルンストさん。好きです。今までも、これからも、ずっと、ずっと好きです」

「私は……っ」

エルンストの唇は細かく震えていた

「あなたがわかりません! なぜ、なぜそのようなことが言えるのです?
私は、あなたに酷いことをした! それなのに、……どうして……っ」

最後は絞り出すような苦しげな声だった


アンジェリークはエルンストにそっと近づき 両手をとってこう言った

「酷くなんてありませんでした。とても、とても、よくしてくださいました。
ここでの思い出は、私の一生の宝物になると思います。それで……」

アンジェリークの言葉はここで少し途切れる
呼吸を整え アンジェリークは伏せられたエルンストの目がこちらを見るのを待った

やがて エルンストはゆっくりと顔を上げ
アンジェリークが再度口を開く

「エルンストさんにお願いがあるんです。もし……もう一度、私たちが出会うことがあったなら、 その時は、私の側に、ずっと一緒に、いてくださいませんか……?」


叶うことのない 気の遠くなるような願い
女王である身と そうでない人との間に「ずっと一緒」などありえない
己の姿かたちが変わらぬまま 愛する人だけが老いてゆく姿を見たいわけではない
なのに 約束をしたかった 夢でもいい 最後の思い出が 欲しかった



ところが その願いを聞いたエルンストの目は アンジェリークの真剣さに反してやわらかく緩んでいた

「あなたと再会したそのとき、私がよぼよぼのおじいさんになっていても、あなたはそう思ってくださいますか?」

返事に窮すると思った
なんとなく アンジェリークの戸惑う顔が見たくなり エルンストはそう言った
しかし彼は裏切られた アンジェリークは即座にこう言った

「エルンストさんは、おじいさんになっても素敵だと思います。 だから、それでもいいです。一緒にいてくださるなら」


エルンストは 顔がくしゃくしゃになりそうなのを止められなかった
アンジェリークの腕を引き 強く彼女をかき抱いた 目の中が熱く 視界がにじんだ

なぜ この可愛い人を手離さなければいけないのか
数ヶ月前の己の決断を呪った
自分はまったく馬鹿だったと思った

でも もう取り返しがつかないところまできてしまったのだ
相手は別の宇宙といえども 女王陛下である もう候補ではない
こうして 抱きしめているところを見られでもしたら 大騒ぎになるだろう
それなのに この腕を緩めることがどうしてもできない
 


アンジェリークは とっさの出来事に驚いていた
しかし 最初の驚きがおさまると 力を抜き 全身をエルンストに預けた
森の中で抱きしめられたときと同じく 彼からは同じ煙草の匂いがした

もう充分だと思った
もう充分幸せで これで心置きなくアルフォンシアへ旅立てる
エルンストは少なくとも私を嫌ってなどいないのだから
こうして抱きしめてくれるほど 別れを惜しんでくれているのだから
自分は大丈夫だと アンジェリークは思った


長い時間が経過した
決心して エルンストは言った

「約束しましょう。
今度あなたに会えたなら、そのときは一生をあなたと共にしましょう」

更にぎゅっと力を込め そして 腕を離した


「ありがとうございます。エルンストさん。私、立派な女王になりますね」

笑って そう言い残し アンジェリークは走ってその場を立ち去った



残されたエルンストは 彼女の後ろ姿が木々の間に隠れ 消えるまで見送った
そしてまた 空を見上げた

夜空はまた一段と輝いていた
星がありすぎて 気分が悪くなるほどだ
子供の頃から 星空を見上げるのが好きだった
これからは 違った想いを抱いてこの空を見ることになるだろう

そして ふと思った
昔から 「見ていた」だけであったと
あまりにも偉大で いくら研究しても手の届かないもので
だからこそ 追い求めてきたともいえる

それが アンジェリークと出会って 様々な出来事があって
宇宙を支える女王陛下が 元は普通の少女だということがわかり
そんな彼女を 自分が女王に育てあげたのだという自負が 正直言ってあった

それでもやはり 根本的なところでは相変わらず 見続けてきただけだったのだ
最初から届かぬものと思い込んでいた
届くべきではないと この手にあるべきではないと

(私はただの臆病者だ……)


エルンストはうつむき 広げた両の掌を見た
アンジェリークのぬくもりが 感触が残っている
この手に抱きしめた宇宙は 小さくて柔らかだった

エルンストの視界は 右 次に左 と歪んだ
眼鏡をとって 手の甲で流れる液体をぬぐった





アンジェリーク・コレットの女王即位式は 聖地にて盛大にとりおこなわれた
新女王の側にはレイチェルが 補佐官として晴れやかな姿を皆に見せている
そんな二人を エルンストは遠くから見守っていた

この目に映る 愛する人の最後の姿
にこやかに微笑むその瞳がこちらを向くことはもうない
それでも エルンストは見続ける
まばたきすらも惜しかった
この目に焼き付けて 生涯消えないように



式典を終え 新宇宙へ向かうためにアンジェリークは観衆に背を向けた
できるだけ優雅に見えるように 細心の注意を払いながら

この中のどこかにエルンストがいる
せめて 彼の目に素晴らしく映る女王でいたい



背を向けた新宇宙の女王は 奥へと歩いていった
一度も振り返らずに 真っ直ぐに
やがて その偉大なる姿は エルンストの視界から消えた



首座の守護聖ジュリアスの朗々とした声が響き渡る
しかし エルンストにはその声がどんなに大きく素晴らしくとも 聞こえてはいなかった

エルンストもまた その場から立ち去った
観衆の間を縫い 流れに逆らいながら

これからどこへ行こうか

空になった心と 重い身体
行く先のとてつもない時間の長さ

だが 今は考えたくはなかった
エルンストはただひたすら その場から遠く離れんと いつまでも歩き続けていた





〜終〜




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