「主任、お客様がお見えです」
「今、行きます」
ここは主星の王立研究院
幾月かの空白期間の後 エルンストは再び古巣であるここに戻ってきていた
エルンストは 女王試験が終了して聖地を降りて一ヵ月後
突然 勤務していた主星の研究院に辞表を提出し
研究院長の引き止めを丁寧かつ毅然とした言葉で断って 院を後にした
そして行き先を 家族にも 親友であり同僚でもあるロキシーにも告げず
皆の前から姿を消した
当初 口さがない者たちがあれこれと推測して
一時期 彼にとってよからぬ噂も流れたが
エルンストのことならなんでも知っているとされているロキシーが
この件に関して沈黙を守っていたため そのうちその声も聞こえなくなった
そして数ヵ月後 音信不通の彼を噂する人々の声が聞こえなくなった頃
彼は辞めたときと同じく突然 研究院に現れて
復職したいと院長に願い出た
もとからエルンストという人物をかっている王立研究院の院長は
その申し出をふたつ返事で承諾し 即座に外部へ働きかけ
彼は主任という立場に再びおさまった
エルンストの我儘ともいえるその 辞めてから戻ってくるまでの一連の行動は
大なり小なり周りの者に影響を与えた
特に エルンストの代わりに主任の地位にいた人物は
あちらこちらでエルンストを非難する言葉を口にし かつ
仲間内で結託して 嫌がらせのようなことも繰り返した
しかし それに対してエルンストがなにも反論せず
黙って職務に励んでいたため 少しずつその勢いも衰えていった
やがて かつて主任であったその人物が違う星へ異動になると
前のような落ち着きが研究院内に訪れた
そして現在に至るのである
呼ばれたエルンストは 部下に細々とした指示を与えている最中だったため
早口で残りの説明をし終えると 相手がその件に関して了解したかどうか確かめもせずに すたすたと玄関に向かって歩き出した
それを慌てて その部下が止める
「あ、しゅ、主任!」
「なんですか?」
くるりと振り返った主任の顔は いつものごとく無表情だったが
そこに少しのあせりと苛立ちが見えたような気がして 部下である彼は遠慮がちに願い出る
「も、申し訳ありません……最後の所だけ……よくわからなかったものですから、もう一度教えていただけますでしょうか……?」
そう言いながら 彼の肩は自然と上がり萎縮する
上司であるエルンスト主任の前に出ると いつも出された言葉を瞬時に理解できなくて 申し訳なく思ってしまうのだった
エルンストがはっとしたように目を見開いた
そして気を落ち着けるかのようにひと呼吸置いて 部下の正面に真っ直ぐ立つ
「申し訳ない。少々急ぎすぎたようです。で、どこからがわからないのですか?」
そう言って 相手の顔を覗きこむようにして問いかけた
思わぬ優しげな上司の様子に その部下は全身の力がすうっと抜けるのを感じた
そう
再び戻ってきたエルンスト主任は どこか元の彼と違っていた
普段はそう大して変わった所はないのだが
こういうちょっとした部分でひどく優しいのだ
12歳で王立研究院に入った天才研究者エルンスト
本当の意味で彼に近づくことができるのは ロキシーという人物だけだった
それには 彼が天才であるという事実の他に
この 常に無表情で人を寄せ付けない雰囲気が多くの理由を占めていた
しかし今 そのロキシーは何日も研究院に出勤していない
院内では風邪をこじらせて 病休ということになっているが
常にエルンストの側にいる 部下である彼は知っていた
仕事の合間を縫って 上司が親友の行方を捜しているということを
そして はかばかしい成果が得られぬまま 何日も過ぎてしまっていることを
さすがに いつも沈着冷静な尊敬すべき上司も そのような毎日に疲れを感じているらしかった
時折 余裕のない表情を見せることがある
これも 以前の彼を知る者には想像のつかないことだった
どんなことがあろうと 己の心の内を覗かせるようなことのない人だったはずなのだ
「……これでよろしいでしょうか?」
「はい! ありがとうございました。お忙しいのにお引止めしてすいませんでした」
元気のいい部下の言葉に エルンストは笑顔を見せた
「いえ、きちんと説明をしない私がいけないのです。では、この件はあなたにお任せしますよ」
頼まれた件に関する書類を両手でしっかりと持ち 歩いてゆくエルンストを見送る
上司の指導によって 確実に優秀な研究者になりつつある彼は
与えられた仕事をこなすべく 急いでその場を後にした
「なんだ。お客って姉さんだったのですか」
エルンストがロビーに出ると 待ってましたとばかりに飛び出してきたその人物は
弟の失礼な物言いにそう大して気分を害することもなくこう言った
「なんだ、なんて言っていいのかしら。ロキシーの行方がわかったわよ」
「なんですって?」
心底驚いて エルンストは口を開けたまま姉のルイーダを凝視した
今日も長い水色の髪を大きくふわりとカールさせ 落ち着いていてかつ華やかな服装をしている
しかしその気性は その女性らしい姿に反してかなり勝気だ
エルンストと同じ緑色の瞳が 堂々と相手を見据えていた
エルンストにとって今一番欲しい情報を持ってきたルイーダは
右手を腰に当てて胸を反らし 威張る体勢をとって 驚きで動けないでいる弟を睨む
「あんたがぐずぐずしてる間に私が調べてやったのよ。感謝しなさい」
「ぐずぐず……いえ、今はそのようなことを言っている場合ではありませんね。
私はあなたのような姉を持って幸せです。場所を教えてください」
そして 二人は近くにあるテーブルで地図を広げ ロキシーが向かったと思われる地点を確認した
その次の日 エルンストはめったに使わない休暇を願い出て
ロキシーがいるであろう星へ向かった
◆◇◆◇◆
エルンストが降り立ったその星は ここに足を踏み入れた者になんとも不気味な印象を与えた
人々の動きが緩慢で 笑い声が聞こえない
誰も彼もがどことなく放心したような顔をしている
昨日この星のデータを調べた時は 経済的にも文化的にも標準の
どこといって特徴もなく 問題点が見当たらない所のはずだった
大事ななにかを見落としていたのだろうか?
エルンストはかすかに不安な感情を覚えたが
とにかく ここに来た目的はロキシーを捜しだすこと
早速 彼が向かったという洞窟のある場所へと急いだ
彼はいったいここに何をしにきたのだろうか?
研究院を無断欠勤するなど 彼のとる行動にしては尋常ではない
連絡をとることのできない事情があるのか
または 考えたくはないが彼の身に重大ななにかが起こったのか……
暗いじめじめした洞窟内を 滑って転ばないように慎重に歩きながら
エルンストは後から後から溢れ出す疑問と対峙していた
ロキシーは 確かにその天真爛漫さの裏に様々なものを隠していたが
それによって周りの皆に心配をさせるということが
まったくといっていいほどなかった
常に明るく前向きに かつ自分を必要以上に追い込むことなく
身の回りに起きる小さな 時には大きな問題を知らぬ間に解決していた
自分はたいてい こと が終わってから事後報告のような形で
彼の提供する笑いと共にその顛末を聞くのだ
時には 無断で協力させられていたことに驚きながら
エルンストはそんな親友に怒ったりあきれたりしながらも 心から尊敬しており
知らぬまであろうとなんであろうと 彼の為ならいつなんどきも どんなことでも協力するつもりでいた
だが 自分のそんな心がけにもかかわらず今回も ロキシーは黙って問題解決にあたっていたのだ
しかも 今現在まだ彼は巻き込まれているままであり それがどのような理由によるのかはわからないが 連絡がとれないという非常事態
できるだけ早くロキシーを見つけ出したい
薄ら寒い洞窟の中ではあるが いつの間にかエルンストの額からは汗が吹き出していた
だいぶ奥の方まで進んだはずだが なんの手がかりもみつけられない
本当に彼はここにいるのだろうか
あせりと心配 抑えきれぬ不安につい ロキシーの名を呼んでしまう
「どこにいるんですか? ロキシー。いたら返事をしてください!」
その時 ふいになにかにつまずき がくんとよろめいた
とっさに右手を洞窟の壁にあてて体を支えたため
濡れた地面に倒れこむという 歓迎できぬ状態はまぬがれた
ほっとひと息ついて下を見ると エルンストがつまづいたと思われる場所は
ことさら大きく地面が張り出しており 油断して小さく上げた足がひっかっかってしまったからだということに気が付いた
(危ない所だった……私が転んだ姿など、誰か他の者が見たら驚くでしょうね)
ほっとしたと同時に エルンストの瞳は焦点を結ばぬまま 宙を彷徨う
(特にあの子は、どこか私のことをそんな目で見ていた。
隙のない、完全無欠な人物と……しかし、それでも好きだと、
そんな私のことを大好きだと言ってくれた……アンジェリーク……)
しばし 物思いにふけっていたエルンストは突然はっとする
(私としたことが、ロキシーを捜しに来ているのにこんな所で止まっている場合ではありませんね)
再び歩き出したものの 進んだ先は行き止まりだった
(ここにはいないのか……)
入手した情報が古かったのだろうかと 肩をがくりと落としたその時
エルンストの耳はかすかな物音を捕らえた
その音はじっとしている間に 段々と大きくなる
人の話し声 それも数人の団体だ
ロキシーかもしれない
……いや 自分にとって危険な人物ということもありえる
この星に降りた時の不気味な印象がよみがえり
エルンストは音のする方向へ視線を移して身構えた
人影は少しずつ形を成していき それにつれて話す声がはっきりとしてくる
雰囲気から察するに 思ったより危険がなさそうだ
ひょっとしたら 捜している親友かもしれない
明るい希望を宿し エルンストは肩の力を抜いて その人々を迎えた……が……
現れたその人
向かってくる集団の中央にいる赤い服を着た女性
「エルンストさん!」
聞き覚えのある 懐かしくも愛しいその声
「アンジェリー……ク……」
エルンストの前には 新宇宙の女王になったはずのアンジェリークの姿があった
◆◇◆◇◆
エルンストに会う 会いに行く
あと1時間もすれば きっと彼に辿りつくことができる
そのことがこんなにも心をときめかせている
新宇宙の女王アンジェリークは ヴィクトールやメル ティムカ
それから この旅で知り合ったアリオスという剣士と共に
エルンストを捜して 彼が入ったというこの洞窟の入口に立っていた
この宇宙は 侵略者の手により危機的状況にあるという
新宇宙にあるアンジェリークの私室に 血相を変えて飛び込んできたこの宇宙の女王補佐官ロザリアは いつも綺麗にカールしている巻き髪が乱れているのも頓着せぬままに この宇宙を助けて欲しいと訴えた
守護聖全員が敵に捕らえられてしまったため 頼る人が他にいないのだと
だから今 アンジェリークはここにいる
かつて女王試験で教官として また協力者として出会った人々を仲間にし
侵略者に立ち向かうべく 彼女はこの宇宙に降り立った
かつての協力者の中には 聖地にある王立研究院の主任研究員だったエルンストがいた
その彼に協力を依頼するために 彼を捜してここまでやってきたのだ
そのような状態だというのに アンジェリークは
先程から違う意味で 胸の鼓動が収まらなかった
それは この洞窟の前に来て 突然始まった
足の震えが止まらない
ロザリアから授けられた杖を持つ手に力が入らない
アンジェリークは いざ エルンストに会うという段になって
これ以上ないというほど 緊張していた
「どうした、アンジェリーク」
ふいに声をかけられて アンジェリークは はっとした
振り向くと ヴィクトールの琥珀色の瞳がじっとこちらを見ている
肩にはその大きな手が置かれていた
「大丈夫か? ここは暗くて少し気味が悪いな。怖いならお前はここで待っているといい」
「あ、じゃあ、メルがアンジェと一緒にいるよ! ね、ね、アンジェリークっ」
そう言って メルがアンジェリークの腕に両手でしがみついて 八重歯を見せて にっこり笑う
ティムカはそんなメルを 小首をかしげて見た
「メルさん……もしかして洞窟怖いんですか?」
「えーっ、ち、違うよ……怖くなんか……でもちょっと……」
俯いてもじもじするメルに 新入りのアリオスは遠慮がない
「なんたって『メルメル』ちゃんだもんな、お前」
「それは関係ないよう! メルの名前はメルだもん」
「初めて会った時にお前言ったじゃねぇか。忘れたのか? 『メル、メルです……』って、やっぱ『メルメル』じゃねぇか」
自分の真似をするアリオスに メルはかわいらしく地団太を踏む
「違うもん! 違うもん! アリオスのバカ!!」
アンジェリークは 思わず吹き出してしまった
緊張していた体がほぐれていく
「陛下」と呼ばれるのはいやだと言ったアンジェリークの言葉通り
ヴィクトールもメルもティムカも 試験の時のような気軽さで接してくれている
知り合ったばかりのアリオスも 最初からこんな感じで あまり違和感なくとけこんでいるようだ
肩に置かれたヴィクトールの手の確かさと この場の和やかさにアンジェリークの震えは止まった
事態は一刻を争うのだ
「ごめんなさい。私は大丈夫です……さあ、行きましょう!」
ヴィクトールを先頭にして 一行は洞窟の中に入っていった
それぞれの話し声が壁に反響する
その中で アンジェリークは再びエルンストのことを考え始めていた
滑りやすい洞窟内を歩くことに神経を使えば使うほど
思いはあの日の出来事一点へと集中していく
あれから何度も思い返した 彼の柔らかな唇
一度 二度 三度 口付けられた時のしびれ
胸の奥が ツキン と痛む感覚
煙草の匂い 掴んだ彼の制服の感触
今誰かに頭の中を見られたら……
特に エルンストにだけは知られたくない
この非常事態に 何を考えているのかと軽蔑されてしまうから
自分が彼の望む女王ではないことを知ってがっかりするだろう
それだけは なんとしても避けたかった
エルンストは……女王候補である自分に興味を持っただけなのだ
今では アンジェリークはそう思って自分を納得させていた
その証拠に 彼にはもうすでに新しい彼女がいる
この目でしっかりと二人の姿を見てしまったから 疑いようがない
その光景は 思い出すたびに アンジェリークの胸を締め付けた
彼と同じ水色の髪の 大人で綺麗な女性
彼女の前で無防備に笑うエルンスト
とても 親密な関係
どうしたって入っていけない
……それでも……アンジェリークは思う
好きだ と
エルンストが とても好きで
こんなにも胸がどきどきするのに
彼のことを想うだけで 全身の力が抜けるような気がするのに
この想いから目を背けることなんてできやしない
ならば 捨てきれない気持ちは 鍵をかけて閉じ込めてしまうしかない
エルンストに会ったら できるだけ普通に話しかけたい
もう二度と会えないと思っていたのだから これは おまけ なのだ
神様がくれた おまけ
そこまで考えたところで アンジェリークは苦笑した
やはり 自分はエルンストに軽蔑されてしかるべきだと
宇宙を助けに来たというのに さっきからエルンストのことで頭がいっぱいな自分
(私ってバカだわ……)
小さくため息をついて 前を向いた
暗い洞窟はどこまでも続いている
とにかく 進むしかない
「アンジェリーク! 見てください、誰かいるようですよ」
ティムカの声で 皆一斉に立ち止まり 遠い先に揺らぐ光に焦点を合わせた
「……うん? ……確かに今動いたような気がしたが……」
ヴィクトールは腰に下げた剣の柄に手を置き 光を凝視する
「ねえ、エルンストさんかな? そうだよね、きっと!」
聖地にいた頃 エルンストに一番なついていたメルは 早くもうきうきと顔をほころばせた
アリオスは 少し離れた場所で遠くの光を見つめている
「とにかく、行ってみましょう」
そう言ったアンジェリークに同調し 一行は再び歩き始めた
少しずつ光が大きくなる
洞窟に入ってからずっとおとなしくしていたメルは
ここにきて 俄然元気を取り戻していた
「うれしいなあ、もう一度エルンストさんに会えるなんて。
でも、どうしてこんなところに来たんだろ?」
メルは剥き出しの自分の肩を抱いて ぶるぶるっと体を震わせた
「さあな。あいつの考えることは俺にはよくわからん。
大方、何か研究に使うものを採取に来たとか、そんなところじゃないか?」
ヴィクトールの答えに ティムカが続く
「そうですね。エルンストさんなら、研究に必要とあらば宇宙の果てまでも
出かけていきそうですよね」
「ははは! 確かに、そんなに行動力があるようには見えんのにな」
そこへ アリオスが口を挟んだ
「おい、そいつは何をやってる野郎なんだ?」
「エルンストさんを『野郎』なんて言わないでよっ。王立研究院の主任さんなんだから。エラいんだからね!」
アリオスのセリフに反応したメルが 後ろを振り返って怒ってみせた
アリオスも負けていない
「おお、こりゃ失礼したな。エルンストとかいう野郎は、どうやら『メルメル』ちゃんのお気に入りらしい」
「またメルメルって言った……」
盛り上がっている四人を余所に アンジェリークは黙って
ただひたすら 光に向かって歩き続けた
会話を聞いている余裕はまったくなかった
じきに 浮かび上がる人影はたったひとつ
そしてついに
「エルンストさん!」
こちらを向いて立つ人の名を呼んだ
ドク ドク ドク と早く打つ己の鼓動
「アンジェリー……ク……」
そして エルンストが自分の名を呼ぶ声
二人は 再会した
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