「ヤッホー☆」
リゾートリゾートした雰囲気にオリヴィエが歓声を上げた
「じゃ、アタシは行きたいとこがあるから。宿はあそこにしといてね☆」
キラキラ光る指先が指し示したのは どーんとそびえ立つ立派なホテルだった
「荷物もよろしく。じゃあね〜ん」
そう言ってオスカーの前にドンと大きなバッグを置くと うきうきと腰を振りながら去っていった
「人をいいように使いやがって……」
オスカーは顔をしかめてオリヴィエが消えていった方向を睨みつけた
「まあよいではないか、オスカー。持っていってやれ」
その声にオスカーは驚いて振り返った
声の主は常になく楽しそうにしていて 更に驚く
「は、はぁ……ジュリアス様がそうおっしゃるなら……」
アンジェリークたちは オリヴィエの言うホテルまでぞろぞろと連なって歩き始めた
「荷物持ってやるよ。貸しな」
「あ、ごめん、ありがとう」
アリオスはアンジェリークの手からバッグをつかみとると
そのまま自分のバッグと一緒に右手で持ち 後ろ手で肩にかつぎ上げた
星の小径からずっと アンジェリークはアリオスと共にいる
前方では ジュリアスとエルンストが肩を並べていた
街にはいろいろな格好をした人々がいたが この集団ほど派手なかたまりはそうそう見られない
リゾート地にいる開放感からか 好奇心いっぱいの視線があちらこちらから注がれていた
少し歩いたところでアリオスがアンジェリークに話しかけた
「俺たち相当目立ってるみたいだな」
「うん。さすがに全員揃うとすごいよね。あ、オリヴィエ様はいらっしゃらないけど」
「ああ、あの七色派手オカマか」
アリオスは前を向いたまま うんざりとした声を出した
「まぁ、頭の中身はちったぁまともみたいだがな」
「ちっと、じゃなくてすっごく、よ」
アリオスのこのような物言いには慣れていたので
アンジェリークはいちいち驚かなくなっていた
その口から出る言葉に 悪気も悪意もないと信じていた
「それにしても、なんでお前の仲間ってずるずるとかひらひらとか着てるヤツが多いんだ?
あんなんで戦えるのかよって思ってたが、立派にやってるんだもんな。変なヤツらだぜ」
最初は小さないざこざが絶えなかったが 今ではアリオスは彼らのことを認めている
アンジェリークは笑顔になった
「でも、あの格好が一番動きやすいみたい。制服みたいなものだしね」
「やっぱ変わってんな。お前らの世界って」
アンジェリークはアリオスに少しずつ 自分たちの立場について話をしていた
自分が女王だと言っても 態度が少しも変わらなかったことがどれだけうれしかったか
アンジェリークにとってアリオスは 昔から知る人物のようで
そんな彼に出会えたことを嬉しく思い 同時に切なく思った
この旅が終われば 彼とも別れなければならない
恐らくもう一生 会うことはない
永遠の別れ……
アンジェリークは 前方にいるエルンストの背中に視線を移した
途端に眩暈を感じる
苦しくて苦しくて どうしたらいいかわからない
エルンストを見るたび 別れの予感に気が狂いそうになる
日に何度も このような気分に襲われる
今のように突然この波が来ることがあり そんなときはぐっと歯を食いしばって耐えるしかない
なのに
「お前さ……この先、エルンストとはどうするつもりなんだ?」
アリオスがいきなり口にした質問は アンジェリークを打ちのめした
軽くいなすことができず その場に立ち止まる
胸の中に巻き起こる嵐
せき止めていた思いが濁流に流され はじけた
立ち止まったまま 涙をぼろぼろとこぼすアンジェリークに
アリオスは目を見開いた
そんなアリオスの目の前で アンジェリークは掌で顔を覆い しゃがみこんだ
「アンジェリーク!? どうしたんだい? 気分でも悪い?」
後ろから来たランディが慌てて走り寄ってきて アンジェリークの側に自分もしゃがむ
「アリオス、何をぼーっとしてるのさ。まさか君が彼女に何かしたんじゃないだろうね」
ランディと共にいたセイランが アリオスを非難する視線を送る
アリオスはすぐに我に返った
「なんでもねぇよ。こいつはちょっと具合が悪いだけだ。そこで休ませるからお前ら先に行ってろ」
そう言って側にある喫茶店を顎で示し 手で追い払う仕草をした
騒ぎを聞きつけて アンジェリークの周りに仲間が集まってきた
エルンストも駆け寄る
「アンジェリーク! どうしたのですか?」
アンジェリークが体を硬直させたのが アリオスにはわかった
心の中で舌打ちをする
「エルンスト。悪いが、こいつの荷物を持っていってくれないか」
そして強引に アンジェリークのバッグをエルンストに押し付けた
「本当に大丈夫なのですか?」
その勢いに驚きつつ 荷物を受け取りながらエルンストは問う
「ああ。単なる食べ過ぎだ。そうだろ?」
アンジェリークは顔を覆ったまま 黙ってうなずいた
栗色の髪の隙間から 赤く染まった耳が覗いていた
それを皆は 恥ずかしいからだと解釈して 一同はそそくさと だが安心して立ち去った
エルンストはそれでも最後まで残っていたが
「あんたにこんな姿は見せらんねぇだろうから、気を利かせてやれ」
と アリオスに言われ しぶしぶ皆の後を追った
「もう、顔を上げていいぜ」
肩を軽く叩かれて アンジェリークは立ち上がった
「ごめん……ありがと」
「どういたしまして」
アリオスはアンジェリークの背中を押し 店のドアを押し開けた
「さっきは悪かったな」
席についてすぐ アリオスはアンジェリークに謝った
アンジェリークは首を左右に振る
その目のまわりにはまだ 赤みが残っていた
「違うよ。私が勝手に取り乱したりしちゃったんだもん……かっこ悪いね」
自嘲交じりに でも目の前の相手を見る瞳は明るい
場所を変えたことによって アンジェリークの気分はかなり落ち着いていた
テーブルに届いたばかりの紅茶を一気に飲み「あちっ」と舌を出す
「なにやってんだ、バカ」
その雰囲気に安心したアリオスはいつもの調子で言い
アンジェリークは笑った
「で……さっきの質問をもう一度してもいいか?」
ひと呼吸置いたあと ふいに真面目な顔をしてアリオスは言った
アンジェリークはそれにつられて姿勢を正し こくんと頷いた
「皇帝、を倒したら……お前らは離れ離れになるんだろ」
「……うん」
「一緒にはなれないのか?」
「…………うん」
「……お前、さっきっから、うんしか言えてねぇじゃねぇか」
「うん」
アリオスはムッとしてアンジェリークを睨んだ
アンジェリークは慌てて弁解する
「ごめんごめん! だってそれしか答えられないんだもん」
アンジェリークは両手を勢いよく横に動かす
アリオスは椅子を後ろにひいて 腕を組んでふんぞり返った
「じゃあどうすんだよ。あいつが好きなんだろ? なんか方法を考えろ」
「う〜ん……う〜ん……う〜…………」
アンジェリークも腕を組んでみたが 何も思い浮かばなかった
「お前、ちゃんと考えてんのか?」
アリオスの声は少し厳しい
アンジェリークははっとして顔を上げる
「真剣になれよ。そうやって泣くくらいなら諦めるな。
そんなんじゃあいつを失ったとき、後悔しても知らないからな」
「アリオス……」
アリオスの脳裏に あの日 去っていったエリスの後ろ姿が浮かぶ
それはいつもの背中だと あの時は思っていた
「さよなら」の声は あまりに小さくて 聞き間違いかと思っていた
あの頃だって真剣だった どうしたらいいかと常に考えていた
このままではいけないとわかっていた
だが アリオスのしていたことといえば 毎日無為に飲み明かすことだけだった
だが 彼女がこの世から消えて
初めて そう 初めて 彼は現実というものを知ったのだ
そして なくしたものは どうあがいても元通りにはならない
たとえエリスを 力ずくで取り戻したとしても
彼女が自ら死を選んだと言う事実は
城の上から見下ろすその感覚は
落ちていくその…………
それは その記憶は拭えない
また それがなければ エリスとはいえないだろう
しかも その彼女を取り戻すためにも 新たにまた なくさなければならないのだ
だから 言わずにはいられなかった
なぜ 敵であるアンジェリークにこんなことを言っているのか
アリオス自身にもまったくわからなかった
ただ
それまでは アンジェリークの上にエリスの姿を思い描いていた
それが今では アンジェリークを見てもそのようなことを考えることが少なくなっていた
アンジェリークを アンジェリークとして見ていることに気がつき始めていた
悩む彼女を 泣いている彼女を なんとかしてやりたい
自分の二の舞を踏ませたくない
ただひたすら そう思っていた
「アリオス」
ほんの少しぼんやりしていたアリオスは アンジェリークの目を見る
泣いた跡は消え去り 晴れやかな顔だった
「アリオスのおかげでちょっと目が覚めたよ。何も努力しないで諦めるなんて良くないよね。
なんか、どうにかなるんじゃないかって気がしてきた」
そこで一呼吸したアンジェリークはうつむき 指先でカップに触れる
「それに、エルンストさんがどう思ってるかもまだ聞いてないし……」
「うん」とひとりうなずき また顔を上げ より一層輝いた表情を見せた
「ありがとう! やっぱりアリオスはいいひとだね」
「ああ、そんだけ元気になりゃ上等だ」
アリオスは アンジェリークのそのあまりに明るい表情に
思わず笑顔で応えていた
そして アンジェリークも真似してにっと笑う
アンジェリークは 相変わらずふんぞり返っているアリオスを見て思った
いつもこちらをからかってばかりのアリオス
でも 大事なところではちゃんと自分と向き合ってくれるアリオス
アリオスといると楽だ
さっきまでの苦しみが消えていく
こうして笑っていればなにもかもがうまくいくような気がする
「このお茶おいしいね」
アンジェリークは 最後の一杯をポットから入れながら言った
店の外で待つアンジェリークの手に 出てきたアリオスが小さな包みを投げ渡した
「ちょ、ちょっと何? これ」
「やるよ。うまいって言ってただろ?」
「開けていい?」
「ああ」
すんでのところでそれをキャッチしたアンジェリークは
アリオスの言葉を聞いて早速包みを開けはじめた
途端に歓声を上げる
「あ、これさっき飲んでたお茶だ! そうよね? うわー」
喜ぶ姿を アリオスは見つめていた
なにかくすぐったいような それに耐えるような顔で
「ねえ、ほら、『オレンジダージリン』って書いてあるよ」
そう言って お茶の缶の蓋の部分を指し示すその笑顔から視線を逸らした
「そんなもんの名前言われたってわかんねぇよ」
言い捨てて アリオスは先にさっさと歩き始める
その背中を追いかけるアンジェリークの元気な声
「ありがとう! アリオスってやっぱりいいひとね」
「けっ、いいひと、ってのが一番性質(たち)が悪いんだよ、バーカ」
(バーカ…………)
アリオスは形だけ もう一度繰り返す
もう限界だった
アリオスの瞳は 軽い物言いとは反対に 強く空を睨みつけていた
ホテルのロビーでは エルンストとオスカーが二人の帰りを待っていた
アンジェリークは嬉しくて二人に駆け寄る
「エルンストさん! オスカー様!」
「元気そうだな、お嬢ちゃん」
オスカーが片手を上げてそれに答えた
「すいません。ご心配をおかけして」
アンジェリークが頭を下げる
「お帰りなさい。体の方はもう大丈夫なのですか?」
目の前まで来たアンジェリークにエルンストは問う
エルンストの言葉にアンジェリークは頬を染めた
「お帰りなさい」がひどく嬉しかった
「もう大丈夫です。あの……ただいま、エルンストさん。……えっ?」
言った途端 エルンストの手が腰にまわされた
アンジェリークの体はカーッと火照り 困った顔でエルンストを見上げた
人目をはばからないエルンストのその態度
オスカーとアリオスが顔を見合わせる
「では、私は彼女を部屋まで送りますので」
エルンストは足元が危ういアンジェリークをさっさと連れ去っていった
「……なんか……アイツってああいう男だったんだな……」
アリオスが言うと
「俺も知らなかったぜ。意外とやるな、研究員」
オスカーも同調し 更に続けた
「まったく、この旅では驚くことばかりだぜ。エルンストはああだし、ジュリアス様はオリヴィエなんかをかばうし」
「お前、意外と根に持つタイプなんだな」
アリオスが言うと
「なんだと?」
オスカーの右眉が吊上がった
「いや、なんでもねぇよ。ただ、エラい守護聖サマとやらでも非常事態には隠れた姿を見せるんだと思ってな」
「むかつくな、そのセリフ。お前だって俺たちに隠していることがあるんじゃないのか? いい加減正体を現したらどうなんだ」
オスカーはアリオスを正面から強く睨みつけた
アリオスは平然とそれを受ける
二人は無言のまま対峙していた
「なんにもねぇよ。そんなことより俺の部屋を案内しろ」
しばらくして アリオスはそう言った
「……こっちだ」
確たる証拠も無く オスカーにはそれ以上 アリオスを追求することはできなかった
ただ 強い確信がオスカーの頭の中を駆け巡っていた
◆◇◆◇◆
エルンストは アンジェリークを部屋まで案内する間
腰に添えた手を離そうとはしなかった
エルンストの歩く速度は速く
アンジェリークは転ばないようにとだけ注意して必死でついていった
エレベーターに乗り ぐん と重力を感じた瞬間
アンジェリークはこの小さな箱の中でエルンストと二人きりという事実に気付き
心の中でかなり慌てふためいた
彼は黙ったままだ
しかも 明確な意思を持って口を開かないでいるような気がして
アンジェリークも黙りこくる
まだ こういうシチュエーションには慣れていない
この先 慣れるということがあるのだろうかと考える
いや きっと慣れはしない その前にエルンストとは……
そこで否定する
別れたくない その為にまず エルンストと話をしなければ
そう思っているうちに エレベーターはふわりと止まった
エルンストに促されて歩き出す
ある部屋の前で彼は立ち止まり 右のポケットからカードのようなものを取り出した
それをドアの所定の位置にさしこむと カチャリと音がしてロックが解除される
ふいに アンジェリークは怯えた
この場面から想像される あること が頭に浮かぶ
エルンストの寡黙な態度に その強引さに 考えずにはいられなかった
それは怖いながらも 胸の奥をひとすじツンと 甘く貫く
だが その直後 エルンストはアンジェリークから素早く身を離した
「どうぞ」
エルンストはドアを引いて待っている
アンジェリークは 触れられた手の感触が消え去ると同時に
どこか遠くへ放り投げられたような 不安定な気分に襲われていた
すがるようにエルンストの顔を見上げて 戸惑った
あまりにも無機質な顔 眼鏡の奥にあるであろう感情はまったく読み取れない
「どうしたのですか?」
心なしか 聞こえた声が冷たい
その姿からは 先程まで彼が見せていた強引さが見られない
あの 独占欲剥き出しの 身体を引き寄せられた時の強さを
アンジェリークは 自然と部屋の中へ後ずさった
「夕食になったら呼びに来ます」
エルンストは帰ろうとしていた
部屋のドアがゆっくりと閉まっていく
それを とっさに呼び止めた
「あの!」
ドアを支えて アンジェリークは飛び出した
「あの……」
体中が高揚する
前にもこんなことがあったと思いながら なんとか言葉を絞り出す
「えっと……お話があるんです」
エルンストの眉間がピクリと動いたのがわかった
それは嫌な感じではなく 彼は単に驚いているらしかった
ドアのノブを持ったまま エルンストが問う
「お話とはどのようなことですか?」
果たして何から聞けばいいのだろうか
アンジェリークはエルンストを見つめながら考える
(この戦いが終わったらあなたはどこへ行くの?)
(どういうつもりで私の側にいてくれるの?)
(この先、私と別れることについてどう思ってる?)
(私は別れたくない。エルンストさんは?)
(一緒にいてくれるっていうあの約束、覚えてますか……?)
どれもこれも いきなり口にするにはストレートすぎる
それに 今のエルンストには壁を感じた
こちらに入り込むまい そして入らせまいとする空気
彼は この部屋のドアを開けた時 その空気を瞬時に作り上げたのだ
「どうしましたか?」
いくぶん心配そうな声でエルンストが問いかけた
少しだけ緩む壁
しかし アンジェリークはひとことも話せなかった
下を向き エルンストの靴のつま先を見るともなしに見ていた
「アンジェリーク?」
エルンストの靴が近づいた
部屋のドアが音をたてて閉まり しんとした廊下に二人取り残された
アンジェリークの頭の上に エルンストの手が置かれ
その手はゆっくりと 頭頂部から後頭部へと撫でていく
優しい動作に導かれるように アンジェリークの頭がエルンストへと傾いた
その両手は胴へとまわされ ぎゅっとしがみつく
その心地よい拘束を エルンストは目をつぶって受け入れた
深く かつ 悟られぬように息を吐くと アンジェリークを抱きしめ返した
頬を擦り寄せ 耳元で囁く
「ここではなんですから、中に入りましょう」
アンジェリークの小さな頭が こくりと一度 うなずいた
部屋の中 エルンストは椅子に座り アンジェリークはベッドに腰掛けていた
「何から言えばいいのかわからないんです」
アンジェリークは俯いたまま ぽつりと言った
そのまま沈黙が流れる
「何でも……とにかく、思ったことをそのまま口にしてください」
促す声はどこまでも優しく だがその両手は固く組まれている
しばらくしてアンジェリークが顔を上げた
エルンストの胸元に視線を合わせ おずおずと口を開く
(あ……)
声は出なかった
唇は話そうと動いているが ためらいの表情の下に声は発するのを拒んでいた
眉が寄せられ ため息が漏れる
「アンジェリーク……」
エルンストは意を決して立ち上がった
ベッドまで歩き 驚くアンジェリークの目の前に跪く
「言ってごらんなさい」
優しく丁寧な口調でアンジェリークを説得する
「私……私……エルンストさんが好きです」
眉を寄せたままのアンジェリークの瞳は早くも潤みはじめ
そのことに胸を痛めながら エルンストは雫がこぼれる前にアンジェリークの頬に掌をあてた
「なぜ泣くのです?」
エルンストはアンジェリークの顔を下から覗き込んだ
アンジェリークがきゅっと目をつぶり 溢れた雫がエルンストの指を濡らした
「別れたく、ないから……」
搾り出すような声 同時に 嗚咽が流れた
エルンストは立ち上がり 両手でアンジェリークを包み込んだ
泣き声がぴたりと止まり 腕の中の体が震えた
そのまま横に腰掛け もう一度 しっかりと抱きしめなおす
アンジェリークの髪の香りを深く吸い込み ゆっくりと呼吸を整えた
「私はあなたと別れる気はありません」
途端に上げられた瞳は涙と驚きできらきらと光っていた
「あなたと一生を共にすると、あの日誓ったではありませんか。お忘れですか?」
そう言って できるだけ明るく笑い 額にくちづけた
「エルンストさん、でも……!」
夢のようなことを口にするエルンストに アンジェリークは大きく動揺した
エルンストの服を掴み 両手で揺すった
「エルンストさん、私は、私の宇宙に戻らなきゃいけないもの。
ずっとここにいるわけにはいかないもの。あそこに行ったらエルンストさんなんて
あっという間におじいちゃんだもの。ダメよ、ダメ! 絶対ダメ!!」
「アンジェリーク、聞いてください」
エルンストはアンジェリークの手を膝の上に降ろし ぎゅっと押し付けた
「それ以外に方法がないのです。まことに勝手ながら、あなたと再会したあの時に
私はもう決めていました。正直言って、あちらへ行ったら私は何年生きられるかわかりません。
それでも、私はあなたと離れたくないのです。離れてこの先、何十年も生きていくくらいなら……」
エルンストはアンジェリークの手を取り その甲にくちづけた
その手を離さぬまま 唇を触れさせたまま 手の持ち主を見上げた
「死んだ方がましです」
アンジェリークは 軽い恐怖を覚えた
未だかつてこんなに強く見つめられたことはなかった
エルンストに触れられている左手が 自分から切り離されたように感じる
大きな渦の中に落ちていってしまうような心地がした
「ダメよ! エルンストさん。そんなこと言っちゃ!!」
くらりとよろめきそうになるのを必死で抑えた
エルンストの頬を両手で挟み 強く訴えた
「だめですか?」
「ダメです!」
「ならば……」
今度はエルンストがアンジェリークの頬を挟みこんだ その後
二つの頬をつまんでひっぱった
「やはり貴方は、私に許可を下さらなくてはならない。
貴方の宇宙で、貴方と一緒に暮らす許可を……。よろしいですか?」
よろしいですかと言われても アンジェリークは
頬が痛くてあまりよく考えられなかった
「よろしいですか?」
「いたい……」
「はい、頷いてください。そうしたら放してあげます」
とにかく何度も首を縦に振ってみると つままれた頬は開放された
エルンストはこれ以上ないという位 楽しそうにしている
「さて、そうと決まったら、私はせいぜい長寿の薬でも開発することにして、
あなたは……そうですね。介護の仕方でも学んでいただきましょうか。
言いましたよね。私がおじいさんになってもきっと素敵だって。
せいぜいその素敵なおじいさんである私を優しく介護していただきたいものです」
エルンストがにやりと笑う
アンジェリークもつられて 頬が緩んだ
胸の真ん中がむずむずする
今の気持ちを表現したくてたまらなくなった だから
「エルンストさん、すごく、すっごく大好き!」
ありったけの力を込めて エルンストに抱きついた
状況は少しも変わっていない
先程 エルンストが向けてきた強い視線
あのような目をさせてしまう程 この先に待つ運命は厳しいものなのだ
それでも
それでも 前に進むしかない
もう動き出してしまったのだから
引き返せない あの目を見てしまった後は
勢いに押されて エルンストがベッドの上に倒れこむ
「私もあなたが大好きです」
少し頭髪の乱れたエルンストが下からアンジェリークを見つめ 告白の返事をした
その言葉が嬉しくて アンジェリークの方からエルンストの薄い唇にキスをした
思いもかけないアンジェリークの行動に エルンストは目を見開いた
伏せられた睫
鼻腔をくすぐる彼女の香り
心臓が高鳴る
エルンストはそっと 両腕を その体にまわした
エルンストは 去っていこうとするその唇を離さず愛撫する
そのままぐるりと体勢を変え アンジェリークの上に重なり 更に続けた
うっすらと開いたその唇を軽く挟み 柔らかさを味わう
愛しい人は目の前にいる
瞳を閉じて されるがままに受け止めている
どうしてこの人を手放すことができようか
一度は諦めた人
だが再び アンジェリークは目の前に現れてくれた
エルンストはキスを止め アンジェリークを見つめた
閉じられた睫が徐々に開く
綺麗な青緑色
エルンストにはその色をそう表現することしかできなかった
それでも アンジェリークの持つその青緑色の瞳は
世界で 宇宙で一番 エルンストの心を掴み取る色だった
どの星の輝きよりも胸をときめかせ いつまでもみつめていたい色だった
「アンジェリーク」
「はい」
愛している と口にしてしまいたかった
だが エルンストはそれをしなかった
言ってしまえば理性もなにもかも吹き飛んでしまう
この旅での彼女を支える役目というものを忘れ ただの男になってしまう
彼女の宇宙へ共に行くことが決まった今 その未来を現実のものにするために
やらなくてはならないことはたくさんあるはずだ
だが その時なぜか唐突に エルンストの脳裏にアリオスのことが浮かんだ
「エルンストさん……?」
名を呼ばれ 返事をしたものの その後何も言わず微動だにしないエルンストを見て アンジェリークは不思議に思い 声をかけた
「あ……すみません」
「どうしたんですか?」
「いえ、なんでもないのです」
何か様子がおかしいとアンジェリークは思った
しかし 原因となるものがまったく思い当たらない
視線が微妙に外されていることがこちらを不安にさせた
「エルンストさ……」
こちらを見て欲しくて 声をかけた
急にだった
もう一度エルンストの名を呼んだそのとき 彼は行動をおこした
アンジェリークは再び口づけられていた
それは 先ほどまでの優しいものではなく
力ずくで奪い取ろうとするような激しさを見せていた
舌を差し入れられ 絡め取られ 吸われ 蹂躙された
(どうしたの? どうして?)
それでも アンジェリークは逃げなかった
必死でエルンストの背中にしがみつき その動きにこたえようとしていた
長い口づけの後 エルンストは言った
「貴方を、私だけのものにしたい」
ぱらぱらと無造作にこぼれ落ちている前髪
眼鏡の奥からは熱をもったグリーンの瞳
アンジェリークが見ている目の前で 彼は
その高い鼻の上に乗る眼鏡を取り サイドボードに置いた
そして再び 強く睨むように向けてくる その視線にアンジェリークは
とろりと 心がとける思いがした
求められていることが嬉しかった
ずっとこれを望んでいたのだと 今になってわかった
アンジェリークは口に出して答えはしなかった
エルンストは再び唇を寄せた
その唇はそのまま耳へと向かい
耳たぶを挟み 噛んで そっと口中にふくんだ
そして アンジェリークは初めて エルンストの前で 声を上げた
エルンストがアンジェリークの部屋を出たのは それから2時間後だった
このリゾート地で 一行は休養をとり 明日への戦いに備えて英気を養った
途中で抜けたオリヴィエも 返ってきたときにはより一層ぴかぴかと輝いており
それがオスカーの気を逆なでてもいたが 当のオリヴィエは少しも気にならない様子だった
むしろ ”じゃれ”てくるオスカーを 楽しげに得意の話術で返り討ちにしていた
この地にいる間 不思議と敵が現れるようなことはなく
まるきり平和な 活気のある街で
それぞれがそれぞれに楽しく過ごしていた
ただ一人 アリオスを除いて
今が 嵐の前の静けさだと知っているのも 彼 ただ一人だった
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