どうしたらいいんだろう……
現実は小説の中のように甘くは無かった
まだ学校に通っていたあの頃 先に体験を済ませてしまった友達から聞いてはいたものの こんなにも辛かったんだと本当にびっくりして
わけもわからず 思い切り大声で叫んでしまった
「痛いっ! お願いっ、止めて……!!」
もうここに その時の友達はいない
聞くといったらレイチェルしかいなくって
そして彼女はちょっと驚いた顔をしてこう言った
「全然ヘーキだったヨ」
「大丈夫。そのうちなんとかなるって」
そのうちっていつのことなんだろう
今までいろんなことがあって 女王になってからはもっと色々あって
もうダメだと思ったことも一度や二度ではない
それをひとつひとつ解決していって それを繰り返すごと
レイチェルの言うとおり どんなことも「なんとかなる」と思えるようになってきていた
なのに今 どんなにがんばっても どんなに必死になっても
誰しもが越えられるこの壁をどうしても乗り越えられない
どうしてみんな「大丈夫」になっていくことができるんだろう
どうして私は だめなんだろう……
アンジェリークは悩んでいた
エルンストを愛しているということに関しては少しの揺るぎも無く自信を持って言える
なのに どうしても どうしても エルンストとひとつになることができないのだ
最近はそのエルンストからそれとなく誘いの雰囲気を持ち出されると
先回りして十中八九は断ってしまうようになっていた
いざその段になって やっぱりダメだと諦めて
自己嫌悪に苛まれるのも かすかにがっかりするエルンストの顔を見るのも
なにもかも 苦しかった
もちろん そんなことではいけないとわかっている
なにしろ 彼と過ごすことのできる時間はほんの少しなのだ
抱き合うことが全てではないと心の中で言い訳をしながら
それがなければ愛し合っているとは言えないと 自分を責め続けて日々を過ごしていた
今日はエルンストが主星から戻ってくる日
アンジェリークは壁にかけられたカレンダーの今日の日付
花丸が描かれた部分を指で撫でながら 喜びに自然と頬を緩ませる
こういう悩みを抱えていても 愛する人に会えるということは単純に嬉しかった
アンジェリークとエルンスト 二人の生活拠点は新宇宙にある
それは当然 アンジェリークが新宇宙の女王であるからなのだが
エルンストに関して言えば どちらかというと彼の生活の場は今でも主星にあると言えた
月の10日を新宇宙でアンジェリークと共に過ごし
残りの20日は主星に行ってそこの王立研究院に篭り研究を続ける
それが彼の生活サイクルとして定着しつつあった
最初の10日は アンジェリークとエルンスト 二人にとっての10日間
残りの20日は アンジェリークにとっての20日間
エルンストにとっては………………
エルンストはまとめた荷物を玄関先に置いて靴を履いていた
靴べらを手に持ち 右足 左足と順々に靴の中に差し入れて足を中に納める
振り返って所定の位置に靴べらをかけてから ぐるっとひととおり部屋の中を見渡した
なんの問題も無い
電気とガスと水道と 元栓を締めた記憶を頭の中で辿りつつ
荷物を持ち ドアを開けて外に出た
自然と笑みがこぼれた
久し振りに 愛する妻に会えるのだ
妻…………
そう思った後ふいに 友人のロキシーが
伴侶となる姉のルイーダに向かって言っていた言葉を思い出した
「マイスッウィ〜〜トッ、ハニーvvv」
ふざけてだったが それを聞いた姉が怒りながらも顔を赤くしていたのが印象的だった
もし これを自分が言ったらどうだろうか
アンジェリークはどんな顔をするだろうか
エルンストは手を口に持ってきて くすりと笑った
やればできないことはないだろうが 絶対に自分はしないだろう
やるとしたらよっぽどの非常事態だ
アンジェリークの反応が見たい気もするが
アンジェリーク
誰よりも 何よりも大切な人
しかし その大切な彼女がまだ 自分に体を許していないことをふと思う
もちろん 嫌がるのを無理やりにするつもりはない
無理強いをしたことなど一度も無い なのに
新宇宙で共に生活するようになってからというもの
急にその体に触れられるのを嫌がるようになってしまった
拒まれる度に暗い思いが自身を侵食していくのがわかる
焦る気持ちがじりじりと胸を焦がしてゆく
潔く身を引いた後 悶々と悩んでいることを彼女はきっと知らないだろう いや
知られるわけにはいかない 知られてはいけない
「お帰りなさい!」
20日ぶりに大好きな人の顔を見たアンジェリークは
嬉しくて嬉しくてたまらないといったようにぴょんと飛び跳ねてエルンストの腕に掴まった
それを見るエルンストもじんわりと会えた喜びに浸る
再会のシーンは完璧だった
なのに2時間後 アンジェリークの瞳には涙が滲み
エルンストはそれをどうすることもできずに それどころか 心持ちむすっとした様子で彼女から目をそらし 片膝を抱えて座ってるだけなのだった
二人がいるのは寝室のベッドの上
エルンストは抱えていた不安を払拭しようと 家に帰って落ち着いたところでアンジェリークを求め キスまではしたものの 例のごとくその先を拒まれて ひとこと言ってしまったのだ
「私のことが嫌いなのですかっ!?」
語調がかなりきつかった 表情も固かった
言ってからしまったと思ったが それを取り繕う余裕もなく
言い訳をしようとする唇を無視して 泣きそうな瞳から視線を逸らした
アンジェリークは エルンストの態度に深く傷ついていた
大きな声で怒鳴られて 冷たさが一瞬で腰から背中を駆け上がる
と同時に こんなにも彼を傷つけているのだという事実に 新たに自身の傷を深めていた
やはりエルンストは気にしていたのだ
気にしていないはずはないと思いながら 問題を先へ先へと伸ばしていたことが
現実問題として今 目の前にクローズアップされてしまった
なんとかしなくてはいけない でもどう言ったらいいのだろうか
沈黙はどれだけ続いただろうか
先に口をきったのはエルンストだった
「すみません…………こちらに……来ませんか? 何もしませんから」
少しためらって でもすぐに アンジェリークは動き出した
下を向いたまま 四つんばいの格好でエルンストに近づく
そして彼の胸にごんっと勢いよく頭をぶつけて抱きついた
衝撃を受けた方は思わず ぐっ と声を漏らす
子供じみたことを と思った瞬間 胸の中の人は泣き出した
「ごめんなさい…ごめんなさい……」
嗚咽を漏らして アンジェリークは全身を震わせていた
エルンストは一瞬動きを止めたものの 背中に腕をまわし
抱きしめたままゆっくりとした動作で髪を撫で 揺れる体がおさまるのを待った
そしてその揺れがおとなしくなったのを見計らって謝罪した
「……怒るなんて私はどうかしてました。本当にすみませんでした」
それを聞いて アンジェリークは腕の中で大きくかぶりを振る
「違う。謝んなきゃいけないのは私のほうです。エルンストさんがそんなに辛い思いをしてたなんて知らなくてごめんなさい。
なのに私…いざとなると怖くて、すごく怖くって、でも我慢しなきゃ、がんばらなきゃって思うんだけど、
思っても体は硬くなっちゃうし、どうしたらいかわかんなくて、エルンストさんに悪いって、
こんなに一生懸命やってくれてるのに、がっかりなんてさせたくないのに、エルンストさんを苦しませたくないのに、
悲しそうなのなんて見たくないのに、だけどそれが私のせいだなんて申し訳なくって、なのにやっぱりいざとなると痛くって怖くって…」
「あ、あの……アンジェ…アンジェリーク…?」
アンジェリークの訴えは止まる気配を見せない
エルンストは驚いていた
いつものしっかりとして落ち着いた彼女はどこへ行ってしまったんだろうかと
いや 違う
それは新宇宙の女王となってからのことだ
初めて会ったときのアンジェリークはいつもおろおろとしていて
頼りなげで 地に足が付いていなくて
手を差し伸べる自分の前で100%無防備な瞳を見せていたはずだ
アンジェリークはしゃべり続けている
といっても 本人は何を言っているかよくわかっていないのだろう
ただ思ったことを頭の中で整理することなくそのまま出しているようで
このまま黙っていると思考のループは3回目に突入しそうな雰囲気だった
「アンジェ……」
話しかけても 彼女の勢いは止まる気配を見せない
「いいから黙って…」
こういう時の一番の手立ては口を塞ぐこと
ようやくおとなしくなったアンジェリークを前にして
エルンストはぐるぐると反省していた
考えてみれば彼女はまだ17才で
そんなことを気づかせないほど 普段の彼女が大人びているとは言えども
こと こういうことに関しては10以上も年上の自分が気を使ってしかるべきことであり 間違っても泣かせるなど言語道断
アンジェリークは顔を上げられないでいて
そういえば 前にも一度泣かせてしまったことがあったとエルンストは思い出した
その時は もう二度と繰り返さないと誓ったはずなのに
エルンストは細く静かに息を吐いた
アンジェリークの肩をゆっくりと押し 一旦体から離した
よし と心の中で掛け声を掛けて 彼女に向かって正面 きっちりと正座をする
「アンジェリーク。仲直りしましょう。今日は貴方の言うことをなんでも聞きます。なんなりとおっしゃっていただけますか?」
せめてもの罪滅ぼしのつもりだった
彼女の言うとおりにすることによって まずはこの身に圧し掛かる後悔を少しでも軽くしたかった
「えっと……言って欲しい言葉があるんです」
「なんですか!?」
逡巡とたくさんの念押しの後に アンジェリークの願いはついに口に出された
ぱっと表情を明るくしたエルンストが勢い込んで聞くと
彼女は恥かしそうに俯いたまま上目使いに彼を見つめてこう言った
「………………ニーって……」
「よく聞こえませんよ。もう一度」
「マイスイートハニーって……言ってくれますか?」
「…………………………は?」
「マイスウィートハニーって言ってください」
エルンストの右頬がぴくぴくと反応した
よりによって……これですか…………
最初にこの言葉が発せられた時 エルンストの隣にアンジェリークも立っていた
ウェディングドレスを着たエルンストの姉 ルイーダがロキシーのその言葉に白い頬を紅く染め 同じく花嫁のアンジェリークが怒る義理の姉を見て笑い転げる
エルンストはその 人生最良の日を思い浮かべて穏やかな笑い顔をした後
はっと目の前の自分の”花嫁”に視線を移した
不安そうな顔 でも期待に満ちた眼差し
言わないわけにはいかないだろう…………
エルンストはごくりと唾を飲み込む
「マ………………………………」
言えない………………
だが アンジェリークの目がじいっと見ていた
肩を落とし ふうっと息を吐いて ついに言った
「まいすいーとはにー」
アンジェリークは不満そうだった
こほん
咳をひとつ エルンストはした
「マイ スウィート ハニー」
ひとつひとつ区切って しっかりと発音した
だがその目は自然と脇へ逸れてしまう
彼女は笑う寸前だ
もうどうなってもよい ぷちっと何かが切れた
「マイスッウィーーートッ、ハニィーーー!」
……コホッ
咳をもうひとつ 恥ずかしさのあまり 少し詰まり気味に
「………これでいいですか?」
失礼なことに アンジェリークはお腹を抱えて大笑いしている
リクエストされたから答えてあげたまでなのだ それなのに
「あがっ、あうっ、ごひぇんなひゃい!」
エルンストは 笑うアンジェリークの頬をつまんで両側に思い切り引っ張った
(1年ぶりに会ったというのに、まったく……)
アンジェリークにとっての20日は エルンストにとっての1年
それは 聖地でアンジェリークと共に生きるエルンストが
できるだけ”長く生きる”ことができるよう
二人で懸命に考えた末の苦肉の策だった
聖地ではほんの数年の命も 外界にいる限りは他の人と同様に
何十年かの生命活動を営むことが出来る
二人の関係で多くリスクを負うのはエルンスト
それを彼は喜ばしいことと感じていた
その分だけ考える時間があるから
永く 永く 彼女を愛することができるから
アンジェリークはおかしくておかしくて笑い続ける
笑うごとにエルンストが愛しくて愛しくて仕方が無くなる
つままれた際の頬の痛みですら 大切にしまっておきたいほど
怖いくらい エルンストが好きだ
アンジェリークは笑いをおさめ エルンストを見た
怒ったように口を曲げ でも 目がちょっとだけ笑っているその人
そっと近づいて 背に腕をまわし ぎゅっとしがみついた
アンジェリークの背中がベッドの上に押し付けられる
今度は拒まなかった
「マイスイートハニー……」
もう笑うことはできない
囁きが左の耳をくすぐり 首筋がゾクリと震え
左の腕が 左の太ももが 粟立った
愛してる 愛してる 愛してる
くちづけられた首筋を中心にして 断続的に痺れが体中に行き渡る
こんな気持ちにさせられたことが切なくて 気持ちよかった
更にぎゅっとしがみつかれたエルンストは 舌先を少し出して耳のふちを舐める
途端に上げられた声 びくびくと震える体
「今日はしませんから……安心して……私に体を預けてください……」
そして 一気に耳の中に舌を突き入れた
甘い泣き声を出しつつ それでも打ち振られようとする頭をしっかりと抱き込み
エルンストは続ける
少しずつ そう 少しずつ 私を受け入れてください
アンジェリーク
私のアンジェリーク
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