冷たい温もり


このところ毎日 俺は夢でうなされる
黒いマントがひるがえり
魔方陣らしきものが視界をよぎる

…………様 と 幾人もの男から声をかけられて
夢の中で 俺は 平然とそれに答えている

俺は 誰だ

忘れていたわけじゃない
俺が大切な何かを過去に置き去りにしてきたこと
それを忘れていたわけじゃない


腹の底が重い

目が覚めると 首や胸や背中に吹き出た汗が俺のTシャツを濡らしていた



アンジェリークは相変わらず バカみたいな満面の笑みで俺のところにやってくる
一日に一回 必ず俺に会いにくる

それを 俺は かわいいと 思う
こいつをかわいいと 正直 思ってしまう
だが……

あの笑顔の下で あいつが俺の何を心配しているのか
あいつはあれで隠してるつもりだろうが
俺にはわかる
俺を見る目がときおり不安げに揺れている
俺はそれを見ると胸が苦しくなる
こいつにこんな顔をさせたくない

そんな顔を見るたびに 話しちまえば楽になれるんじゃねぇかと思う
何を心配してるんだか知らねぇが
どんな過去があったにせよ 俺がここにいることは変わりない
あいつのそばにいることに変わりはない


……いや 本当は知りたいんだ
俺が何者か知らないまま これから先を生きていくのは我慢ならないんだ



ある日 些細なことでアンジェリークと喧嘩をした
あまりにくだらなすぎて 原因など忘れてしまった

「強情だな。可愛げのねぇ……」
俺のその言葉にカチンときたんだろう あいつが口をすべらせた

「エリスさんと私は違うもん」

言った瞬間 間抜けなあいつは目を見開いたまま硬直していた
俺はそれを放ったまま 己の中に問いかける


エリス……エリス……
喉の奥がつまるような感覚を覚えた
固まったままのあいつの肩を強く揺すって 俺は問いかける

「教えてくれ! エリスってのは俺のなんなんだ?」

アンジェリークはガクガクと 俺の乱暴な動きに流されていたが
その口は固く閉ざされている
俺は苛立った

「教えろ! お前は知っているんだろ! 俺の過去を。俺の全てを」

アンジェリークは俺の目を見ながらぼろぼろと涙を零した
それでも 口を開かなかった
俺はそれを許さなかった
今朝の夢見の悪さが身の内によみがえり 凶暴な感情に翻弄されていた

「今、ここで言わないなら……俺はお前とは二度と会わねぇ」


俺はずるかった
アンジェリークが何を一番心配しているのか わかっていてそう言った
必要とされる喜びを
愛する人に愛される奇跡を 俺はこの瞬間踏みにじろうとした
暗い未来を予感しながら それでも 俺は知りたかったのだ

「レヴィアス……よ……」

暫くして 俺の目を真っ直ぐ見据えてアンジェリークが言った

「レヴィアス・ラグナ・アルヴィース。それがあなたの本当の名前」


視界が はじけた



俺はアンジェリークを部屋から追い出した
この世界の女王 アンジェリーク・コレットを
俺が過去に その心と身体を傷つけた彼女を

記憶が洪水のようになだれ込んでくる
俺を生み 正当なる者 などと卑屈な名を付けた両親
そいつらのせいで そして俺のせいで自殺した 恋人だったエリス
復讐を誓い 世界を我がものにしようと共に戦った部下たち

それらが浮かんでは消え また浮かぶ
発端は俺という存在だった なのに
俺以外 全て 死んでしまった

ならば なぜ俺は生きているのだ
そうだ 俺は一度 自らの存在をこの手で消滅させたはずなのだ

なぜだ
俺がここで存在しているのは なぜなんだ


今なら あいつが アンジェリークが泣いたわけがわかる
出会った頃に一度 あいつは涙を見せた

「アンジェリーク……」

俺はつぶやいた
この暖かな温もりを 当時の俺も狂おしいほど欲していた
そして今も どれだけこの手に彼女を抱きたいと思っているか

そして気づく
今 側にいて欲しいのは アンジェリークだ
エリスではない
その生き生きとした輝きを求める俺がここにいる

エリスは こんな俺をどう思うだろうか
やはり あの優しかった笑みで全てを許すのだろうか


しかし それもほどなく知れるであろう
あの頃の力を失ったこの身なら 命を失うこともたやすいはずだ
俺に 生きている理由は無い
俺には アンジェリークをこの腕に抱きしめる資格などない



気がついたら 空が白み始めていた
鳥が鳴いている
今日も平和な一日が始まろうとしている

俺は ためらわなかった
今度こそ 俺は…………

決意をし 玄関のドアを開け……ようとした


ドアが 動かなかった
壊れたのかと思い 力任せにぐっと押した

そこには……地面にうずくまったアンジェリークがいた

「あ……おはよ……」

顔を手でごしごしとふきながら のん気にそうのたまった

「な……にやってんだお前?」

俺の声はかなり間の抜けたものになっていた

「ん……アリオスが逃げないように見張ってた」
「見張ってたって……じゃあ、あれからずっとここにいたのか?」
「うん。ちょっと寝ちゃったけど」


俺は呆れて口が塞がらなかった いや
その時は自分がそんな間抜け面になっていたことに気がついていなかった

「バ、バカ野郎!! 風邪ひくじゃねぇか! さっさと中に入れ! このコンコンチキ!」

間抜け面どころか 口走ったセリフも間抜けだった
だが そんなことに構っている場合じゃなく
寝ぼけたアンジェリークを部屋に入れ ベッドに押し込んだ

「バカだバカだと思ってたが、本当にバカだったんだな! お前は!!」
「うん」

アンジェリークはひどく嬉しそうに笑った
俺は胸を衝かれ どうしていいかわからないまま自分の顔が歪むのがわかった


「寒い……」

感情を整理しようとしていたとき アンジェリークがベッドの中からつぶやいた
よく見ると 唇が紫色になって震えている

「今、なんか上から掛けられるもん探してくるから待ってろ」
「行かないで!」

ベッドの中から伸びた手が 俺の袖をつかんでいた
その泣きそうな真剣な目と つかまれた力の強さに 俺は負けを自覚した

「行かねぇよ……」

俺はアンジェリークの隣に潜りこんだ

「どこにも行かねぇから」

唇にキスをすると あまりの冷たさにぞっとした
こいつはこんなになるまで俺のことを待って…………

「アリオス……」
「いいから黙ってろ」

俺はアンジェリークの首の下に腕をまわし そっと抱き締めた
体中が冷たい
暖めてやりたくて ぐっと引き寄せた

顔を上げると 一瞬たりとも見逃すまいとしているかのように
俺の顔をじっと見つめてくる

「目ぇ閉じてろ、バカ」

大人しくおろされた瞼に口付けた
更に 冷たい頬に手をあて 親指で唇をなぞると
あいつは突然俺にしがみついてきた

「心配させて悪かった……」

けなげにも首を横に振る気配
俺はそのまま強引に唇を奪った
俺の中にあるこいつへの気持ちを全て込めて

そういうことは口に出せばいいのかもしれない
だが 俺だって言葉にできるようだったらとっくにしていた

……これからの俺なら許されるだろうか
こいつに「一生守る」と言っても構わないだろうか
「ずっと俺の側にいてくれ」と 願ってもいいだろうか

「アンジェリーク」
「…………?」
「……いや、なんでもねぇ」

思っていたより俺はチキン野郎だ
これが皇帝と名乗って宇宙を侵略しようとした男だろうか

俺はもう あの頃の力を持っちゃいない
ただの人間になっちまった
そんな俺がどうやってこいつを守ろうというんだ
俺が今持っているのは こいつが好きだという気持ちだけだ
それだけは 誰にも負けないが


ふと気付くと すーすーという音が聞こえてきた
なんだ? と思ったらアンジェリークの寝息だった
こいつは俺の煩悶をよそにしっかり寝くさってやがった

(こいつ笑いながら寝てやがる)

いや これは幸せそうな顔というのだろう
俺もつられて顔がほころんでいた


手離せない
こんな なにもかも放っぽりだしてやってくるこいつを

他の奴になんて守らせるものか
俺は 俺にできるやり方でこいつを愛する
今 そう決めた


きっと今頃 行方不明の女王陛下を捜して”聖地”の奴らは大騒ぎだ

(だが、もう少し借りるぜ)

俺はアンジェリークの首筋に顔を埋めた
肌をそっと食み

俺は間もなく眠りに落ちた



その日 あの忌まわしいと思っていた夢が再び俺を襲った
だが もう既に 俺にとってのそれは 悪夢 ではなかった
懐かしい仲間との再会に他ならなかった

(今まで忘れていて悪かったな)

俺は夢の中でそうつぶやく
こいつらが確かに生きていたことを 俺は覚えている

(俺はお前らを忘れない。もう二度と、忘れはしない)

あいつらの前で 無言のまま そう誓った
そして そこにいないエリスにも

(俺は生きる。しかるべき時が過ぎた後、再び会おう)


そこで 奴らの姿は霧に紛れて消えていった
そして二度と 夢の中に現れることはなかった





エル以外も万歳