あなたの背中


アンジェリーク・リモージュと 地の守護聖ルヴァは茶のみ友達だ
今日も今日とてアンジェリークは ルヴァのところで緑茶をすすっていた
そしてルヴァもその隣で 湯呑みを大切そうに両手に包んでお茶をすすっている

「ずずず〜〜っ」
「ずずっず〜」

そんな二人を 同じくお友達のオリヴィエとリュミエールが眺めている

オリヴィエは思い余ってこう言った
「あんたたちね〜、いいんだけどさあ〜」

いいんだけど と言ったときは ちっともよくないのである

「なんって色気がないのっ、その姿、美的センスまるっきりなし!
特にアンジェ! なんなのそのだらしない呆け顔はっ。
だからその音、やめなさいったら。何度言ったらわかんのよ、アンタは」

美しくないものは基本的に許せないオリヴィエは 遠慮なく言い放つ
横でリュミエールがおろおろしているが お構いなしである

そんなオリヴィエに動じず アンジェリークとルヴァはただにこにこにこにこするばかり
なんでそんなこと言うの〜? ってな感じでオリヴィエを見ている


オリヴィエは脱力した 言っても無駄 なのだ この二人は
顔のつくりはまったく違うのに こうして二人並んでいると
同じ顔に見えてしまう しかもまるっきりアホ面で

これが天下の女王補佐官と 知識の象徴 地の守護聖だというのだから お笑いである
この顔のどこに 威厳と賢さがあるっているのだろう

「ああ〜もうっ、やってらんないったらないわよ。いつまでも二人で仲良くねっ! アタシ仕事いっぱい溜まってんの。リュミちゃん行くわよ、ほらほら」

なぜかとばっちりをくらうリュミエール
今日のオリヴィエは少しばかり機嫌が悪いらしい
平和の象徴のような二人を見て怒っているのだから
よっぽど山ほどやることが残っているのだろう
なら ここに来なければいいのだが 息抜きをせずにはいられない性質なのだ

リュミエールは そんなオリヴィエにひきずられながらも
残った二人に健気に手を振りながらいなくなった


「行っちゃいましたねぇ〜」
「そうですね〜」

テンポがまるきり同じのアンジェリークとルヴァ
こうして文字にすると どっちがどっちだかわからないほど
ちなみに 先行ルヴァで 後に続いたのがアンジェリークなのでした



アンジェリークは出会ったときからルヴァに心惹かれていた
いつでも穏やかな地の守護聖
話すスピードが同じ人など この聖地に来て初めて出会った

一方ルヴァは トロい 話が長いと言われ続けて10数年
皆 それで意地悪をするということではないので
傷つくほどではないにせよ それなりに気は遣ってきたのだ

よって二人は出会った瞬間に とっても仲良しになったのでした


アンジェリークが女王候補だったときも
女王になれそうもなく 身の振り方を考えていたときも
女王補佐官として聖地に留まることを決めたときも
そして 補佐官として聖地に暮らす現在も

常に側にいて 支え 励ましてくれたのはルヴァ
この友情はどちらかの力が尽きてもなお 永遠に続くと思われるほどだった

なのに そんな素晴らしい関係が一気に崩れるときが来るとは
アンジェリークもルヴァも その他の聖地の人々も 誰も
爪の先ほども思ってはいなかった

それは あまりにも平凡なきっかけだった





今日のルヴァはたいそうゴキゲンだ
前々から注文していた品がやっと届いたのだ
大きなダンボールに入ったそれを いそいそと開く

「カタログで見たとおりですねぇ〜」

ルヴァは それ を包む一切のものを取り払い
うれしそうに部屋の真ん中に立てて眺めた



「あら、自転車ですね。買ったんですか? ルヴァ様」

用事で執務室に訪れた補佐官姿のアンジェリークはにこやかにそう言った
補佐官の立場となった今でも 彼女はルヴァのことを様付けで呼ぶのだ
その手はそうっと 光る車体を撫でている

「そうなんですよ〜。これをご存じなんですね。アンジェリーク」

育った星での移動手段といえば主に「らくだ」だったため 自転車というものを見たことがなかったルヴァである
改めて アンジェリークが自転車を知っていたことに感心していた


その自転車は 前面に四角いかごのついた いたって普通のものだった
要するに”ママチャリ”である


「ルヴァ様はもう乗りました? これに」

アンジェリークは 右のハンドルに付いているベルを一回だけ チリン と鳴らしてみた
新しいからだろう いい音がする

「いえ〜、まだなんですよ。これから試乗してみようかと思っていましてね」

そう言うルヴァの顔全体が今のウキウキ気分を表している
そんなルヴァの姿はアンジェリークを楽しい気持ちにさせた

「なら、私がお手伝いします。最初はちょっと難しいんですよ。これ」
「そうですか〜。ではお願いしましょうかねぇ」

抱えた仕事を中断し 二人はすぐにルヴァの執務室を出た





昼下がりの公園は 人影もまばらで意外と静かだった
自転車の練習にはもってこいである
しかし その場に現れた正装した補佐官と地の守護聖の姿に 皆がわらわらと寄ってきて あっというまに二人の周りの人口密度が高くなってしまった


そのような状況にはだいぶ慣れてきていたアンジェリークは
寄せる人垣をものともせず すぐに練習に取りかかることにした

「ルヴァ様。自転車は習うより慣れろです。さっそく始めましょう!」

アンジェリークはルヴァの乗った自転車の後ろにある荷物置きの部分を両手で持った

「さあ、ルヴァ様。私が支えていますから、いつでも出発してください!」
「じゃ、じゃあ、行きますよおぉ〜」

いささか緊張気味に ルヴァがペダルを漕ぎ始めた


「ちょっ、ちょっと……だ、だ、大丈夫でしょうか〜、私はぁ〜」

などと言いながら 勢いよくひいていく人並みの間をふらふらしながらルヴァの乗った自転車が進んでいく
アンジェリークもぎゅっと力を込めて自転車の後ろを握りしめているが 長いスカートのせいで思ったように動きが取れない

「わっ! わっ! わわっ! ひぃ〜〜〜!!」

直後 ルヴァの叫びが公園中にこだました

経験のないあまりの不安定さに ルヴァの姿勢が大幅に崩れた
そして 後ろでつかんでいるアンジェリークの叫びと合唱しながら
気が付いたら二人仲良く地べたに這いつくばっていた


見物客にそれぞれ起こされて とりあえず 二人とも起き上がったが
どちらも散々な姿になってしまった

左腕にすり傷 ターバンが少しずれて間抜けな状態のルヴァ
一方アンジェリークは怪我こそしなかったものの
補佐官服のあちこちに汚れが付いてしまっていた





「本当にすみませんでした……アンジェリーク」

執務室で ルヴァはうなだれていた

こんなに難しい乗り物だとはまったく考えていなかった
そういえば ゼフェルが以前
「おっさんは運動神経が切れてっからよ!」
と言っていたのを思い出して 更に頭垂れてしまう

(はあ〜、ゼフェルの言ったとおりなんですねぇ、私って……)

しかもそのせいで アンジェリークを危ない目に遭わせてしまったのだ
ゼフェルが聞いたらなんと言うだろう

「おっさん、おっさん、何やってんだよ、おっさん!」

ゼフェルはアンジェリークのことを気に入っているのだ
おっさん を連呼するだけでなく もっと容赦ない言葉を浴びせられるに違いない 彼のセリフがオブラートに包まれた試しはないのだ
ルヴァは 更に更に落ち込んでいった



ルヴァはがっくりとうなだれているが アンジェリークは楽観していた
自転車などちゃんと練習すれば誰でも乗れるものだと 経験上知っていたから
それよりも とにかく怪我をしたところを手当しなければならない

「ルヴァ様、左腕出してくださいね。ちょっとしみますよ〜」

アンジェリークは ピンセットに綿を挟み 傷口をていねいに消毒した



消毒されている部分はけっこうしみて痛かったが
自分の腕を支え 手当をしてくれるアンジェリークを見ているうちに
ルヴァはなんだかほっこりとした暖かい気持ちになっていった

心の中で

(こういうのも悪くないものですねぇ)

などとぼんやり思いながら アンジェリークのふわふわとした金の髪を
いつまでも眺めていた





ルヴァの猛練習が始まった
もちろん自転車に乗るためにである

しかし 補助はマルセルに頼んだ
そして その練習は夜にすることに決めていた
なぜなら あの 自転車に乗った最初の日に
自分のみっともないところをおおいに見せてしまったアンジェリークを驚かせたかったからだ


ルヴァは今まで どんな些細なことでも彼女に隠し事をしたことはなく
また 内緒で何かをしようとしても 気が付いたらアンジェリークに話してしまっていた

ところが今回のルヴァはひと味違う
「もう練習はしないんですか?」
と聞くアンジェリークに「仕事が忙しくてなかなかねぇ」とかなんとか言ってごまかし続けているのだ
そしてそれは 5日経った今でも成功していた

共犯のマルセルも 案外内緒ごとを楽しむ余裕があるらしく
ルヴァが毎夜必死こいて 自転車の特訓をしていることを誰にも言わずにいてくれていた



「さあ! 今日もがんばりますよ〜っ」

練習を開始して5日目
ルヴァはたいそう元気である
これもひとえに アンジェリークのびっくりする顔が見たいため
そのときを想像すると なんだか体の中からむくむくとやる気がわいてくる
ルヴァであった

それを横で心配そうに見ているマルセル

「大丈夫ですか? ルヴァ様。もう、こんなに怪我してるのに」

衣服の下のルヴァの体には この5日間でいくつもの痣や すり傷ができていた
その多くは昨日 おとといにできたもので
マルセルに支えてもらうことなく 自力で運転をしようとして すっ転んで大量生産してしまったのだ
幸い 顔は綺麗なままだったので 誰にもバレはしなかったが

「大丈夫ですよ。マルセル。今日こそは乗りこなしてみせますからねぇ〜」


(もう、無茶なんだから……)

心配そうな顔の下で マルセルはこっそりあきれていた
でも 補助はいらないと言われた今も 放っておけなくて今日もここに来てしまった

(だってルヴァ様っておっちょこちょいなんだもん。いつ大怪我するかわかんないしさあ)

陰で先輩をおっちょこちょい呼ばわりしているマルセル
もちろんそんなことは誰にも言いはしない 賢い最年少守護聖マルちゃんなのである


「ルヴァ様。ちょっといいですか?」

このままでは 重ねる日数に比例してこさえる傷の数が増える と冷静に判断したマルセルは ルヴァに対してひとつの提案をした

「最初の内だけ僕が後ろを支えていていいですか?」
「えっ、でも……それじゃなかなか覚えませんしねぇ……」

ルヴァは躊躇していたが このやり方が一番いいとマルセルは思っていた
なにせ今日 アンジェリークから直々に教えてもらった方法なのだから
マルセル自身が乗りたくて聞いたと 彼女は思っているはずだ

「ちょっとだけですよ。すぐに離しますから」

そうなのだ たったこれだけの作戦なのである
軌道に乗ったら 黙って手を離して 後は適当な所まで走ってついていくだけ

「じゃあ、手を離すときは言ってくださいね〜」
「はーい。わかりましたあ!」

威勢のいい返事だが もちろん言うわけはない


「じゃあ、漕ぎますよぉ〜」

そう言ってルヴァが ぐんっ とペダルを踏むと 勢いよく自転車は走り出した
支えがあるという安心感か ふらつかずに快調に進んでいく

「ああ〜、いい感じですねぇ〜。マルセル〜、ちゃんと持ってますか〜?」
「はーい、大丈夫ですよう。ここにいますよーっ」

マルセルは両手をぶらぶらさせながら答えた 「ここにいる」と答えたのだから嘘は言っていない

ちょっとして ルヴァがまた聞いた

「マルセル〜、大丈夫ですよねえ〜?」
「ダイジョブですよー」

以下 このやりとりは何度も何度も続いた もうこれは 聖地を一周するかの勢いである
マルセルはおおいに疲れてしまったので ついに立ち止まり
ふらりと地面にへたりこんだ

遥か遠くで

「マルセル〜? マァルゥセェルゥ〜〜〜!!」

とルヴァの絶叫が聞こえたが 地べたに大の字になったマルセルには答える気力がまったく残されていなかった

「とにかく、これでお役ご免ってとこかな……ああー疲れた」

若いくせにルヴァのお陰で古い言い回しをよく知っているマルセルはそうつぶやいた





補佐官室に現れたルヴァは にっこりにこにこしていた
つられてアンジェリークも にっこりにこにこしてみる

「何かいいことありました? ルヴァ様」
「ええ、ええ、そりゃもう」

最近のルヴァは仕事が忙しい様子で 一緒にお茶を飲むのも遠慮していたアンジェリークだったが どうやら山は超えたらしい
少しだけさみしい思いをしていたので 自然と顔がほころんだ

「あっ、じゃあお茶を淹れましょうか。それでゆっくりとルヴァ様のいいことを聞かせてください」
「ええ、それもいいと思うんですけどね……。外に出ませんか? アンジェリーク」
「外……ですか?」

ルヴァがお茶の誘いを断るなど 珍しいことだったのでちょっと驚いたアンジェリークだったが すぐに応じて促されるまま外に出た





ルヴァに案内されて宮殿を出ると そこにはあの日一度だけ見たルヴァの自転車が置いてあった

「あ、あれはルヴァ様の……」

そう言ってからアンジェリークは ぽん と音をたてて手を打ち鳴らした

「わかった! これから自転車の練習をするんですね?」
「いいえ」

アンジェリークの予想通りの反応に にっこりと笑ったルヴァは首を横に振った

訳がわからないといったふうのアンジェリークをそのままにし ルヴァは自転車にまたがり 後ろの席を勧めた

「どうぞ。ここに乗ってください」
「え? え? ルヴァ様? ……乗れるようになったんですか?」

その質問に静かに笑って答えないルヴァは 更に後ろに座るように勧めた

「さあ、とにかく乗ってください。早くしないと行っちゃいますよ〜」

なにがなんだかわからないまでも とりあえず アンジェリークは後ろの荷台に横座りして 右手と左手それぞれ荷台の端っこをぎゅっとつかんだ

「じゃ、行きますよ〜。しっかりつかまっててくださいねぇ〜」

ルヴァは力を込めてペダルを踏んだ
最初は少しだけ重かったのが すぐに軽くなってすいすいと前に進んでいく


「わあ〜〜っ。ルヴァ様、すごい! いつの間に?」

アンジェリークが感嘆の声を上げる
すっかり得意になったルヴァはスピードを速めた

「昨日ちょっと練習したら……ね」

昨日だけじゃないし ちょっとでもないのだが なぜかそんなふうに言いたかったのだ
今回のことに関しては アンジェリークに嘘をついてばっかりのルヴァだった



自転車に乗って通り過ぎる景色は 二人の目にはまったく違って見えた
風の香りさえ いつもと趣が異なっているような 不思議な感覚だった

アンジェリークは目の前にあるルヴァの背中を見つめた
普段は隣に並んでいることが多いため 後ろ姿を目にすることはほとんどない
自転車に揺られて見るその姿は なんだか甘い衝動を呼び起こすような感じがして
それがいったいどこからくるのか確かめようとじっと目を凝らしたが よくわからなかった


そうしているうちに 二人の乗った自転車は公園を抜け 守護聖の私邸の前を通り 小さな小川を越えて 池の周りをぐるりとまわって 森へと向かった


やがて 森へ続く小路にさしかかった
その道は舗装されていず 自転車がガタガタ揺れる
にもかかわらず ルヴァはなかなか止まるそぶりがなく しかもスピードをゆるめることさえしない
振り落とされそうになって たまらずアンジェリークが叫んだ

「ル、ルヴァ様あ! 止まってくださーい!」

キキーッっとブレーキを踏む音

「はい〜? どうかしましたか?」

そしてのん気な声を出している

「ルヴァ様。このままだと私、落っこちそうなんです。ここは歩いて行きませんか?」

荷台から降りたアンジェリークがそう言うと ルヴァはあきらかにがっかりした様子を見せた

「そうですか? せっかくだからこのまま行きたかったんですけどねぇ……
あなたが言うなら仕方ないですねぇ」

がっくりと肩を落とすルヴァに アンジェリークはなんだか悪いことをしたような気になった

「あの、じゃあゆっくり行ってください。それだったらなんとかなるかも……」

途端に にぱ〜っと顔を輝かせるルヴァ

「そうですかぁ? じゃあ、ゆっくり行きましょうねぇ〜〜」

語尾にハートマークまで付きそうなほどに喜ばれて アンジェリークはくすぐったいような気持ちになる
こんなにも幸せそうな人の側にいられることをとてもうれしく思いながら もう一度ルヴァの後ろに座った

「アンジェリーク。落ちてはいけませんから、私にしっかりつかまってくださいね」

振り向いたルヴァはそう言って アンジェリークの右手をつかみ 掌を自分のお腹の辺りに持っていき

「ぎゅっとですよ、ぎゅっと」

アンジェリークの手をつかんだまま 自分の身体に押し付けた


前触れも無く突然 アンジェリークの心臓は高鳴った
そんな彼女を乗せて 自転車は再び走り始めた





確かにさっきよりはゆっくり走っているのだろう
だが でこぼこ道が変わるわけではないので 相変わらずアンジェリークはルヴァの後ろでがくんがくんと揺れていた

ルヴァのお腹の辺りの服を掌いっぱいにつかんで
そこ以外はできるだけ触れないように 左手にも力を入れて

この体勢なら自然にしていれば ルヴァの背中にもたれる形になるのだが
なぜかアンジェリークにはそれができなかった
さきほどから ルヴァを意識してしまっていて少々混乱していた


そんなアンジェリークをよそに 運転中のその人は鼻歌まじりでゴキゲンな様子

「ああ〜空気がサワヤカですねぇ〜。あ、ほら、森が見えてきましたよ〜」

アンジェリークが前方に目を向けると こんもりした緑のかたまりがそこにあった
馬車でもけっこうかかる場所なのに もうこんな所まで来てしまったのだ

「ほんとですね〜。ここまで来るのにけっこう早かったですね〜」


突然 車体が ガクン と大きく揺れた

「ひゃあ〜っ!」

アンジェリークは悲鳴をあげ とっさにルヴァにしがみついた

「わっ、わっ、わっっ」

ルヴァの声も言葉になっていない

がっくんがっくんがっくん と揺られる二人
どうやら更に道の状況が悪くなっているようだった
しかし ほどなくしてその箇所は通り過ぎ いきなりスムーズに通れるようになった

「大丈夫ですかぁ〜? アンジェリーク〜」
「はいぃ、なんとか……」


落ちそうな恐怖が去り 平常心に戻ると アンジェリークはひとつ困ったことに気が付いた

ぴったりと寄り添っているのだ ルヴァの背中に いつの間にか

だからといって今更まわした手を外すのもわざとらしい
押し付けた右頬を離すのさえ 逆に意識しすぎてできないのだ
気にすることはないとわかっているのに 気にせずにいられない
全身から汗が吹き出した


一方 ルヴァはもっと混乱の極みにいた

(む、む、むねが、胸が当たっています〜〜〜!)

最初 何か柔らかいものを背中に感じるなあと思っていただけのルヴァだったが
途中で はっとそのことに思い至ると 途端に心臓がばっくばくし始めた
全身がかーっと燃え上がり 掌から汗が大量に出て 気を抜くとハンドルがすっぽ抜けそうなほどだった

(ど、どうしましょう、どうしましょう、どうしましょう〜〜〜!!)


26のいい大人がこれしきのことで どうしましょう もなにもないもんだが


ルヴァは16から聖地にいて 恋愛などサクリアが衰えるまで考えるまいとしていた
アンジェリークのことも女性として見たことは 一度としてなかったのだ

自転車が揺れるたびに 背中に感じる弾力
忘れていた感情が 閉じた隙間からこぼれだした





森の中ほどにある湖のほとりに自転車を止め 二人は並んで静かな湖面を眺めていた
二人とも身動きひとつせずに黙っていたが 心中は大きな波に翻弄されていた

見ているのは目の前の景色なのに 全身で感じるのは互いの存在
どちらも突然襲って来た とろけるようなしびれるような感情で頭の中をいっぱいにして 心の目で相手を見ている
均衡を破ったのはルヴァだった

「アンジェリーク……」
「はい……」
「手を……つないでもいいですか?」

アンジェリークの心臓は大きく脈打った
それまで穏やかながら高揚した気分だったのが はっきりくっきりと心臓が高鳴る

「……はい」

答えると 右手にルヴァの手が触れ きゅっと包み込まれ
もう一度 大きく心臓が跳ねた


ややあって また ルヴァが口を開いた

「抱きしめてもいいですか?」

アンジェリークは考えることがすでにできなくなっていた
全身が鼓動 体全部が心臓になったかのようだった
だから ただ うなずいた

つないだ手を引き寄せられ ふわりと抱きしめられた


昨日までなんともなかったのに どうして今日 こんなにルヴァにどきどきさせられるのかアンジェリークはわからなかった
わからないけれども でも いつまでもこうしてルヴァに抱きしめられていたかった でも
ルヴァはまたも 願いを口にした

「キス……しても、いいですか?」

あきらかに動揺した
一瞬 思わず身震いしてしまったほど
それでも ルヴァはそんなアンジェリークの頬に手を添えて顔を上げさせた

間近で見るルヴァの顔は 言葉の優しさとはうって変わって真剣そのものだった
抵抗なんて できるわけはなかった


アンジェリークは瞳を閉じ ルヴァの唇を受け止めた





「おい、ルヴァ! 何だよ、昼間っからにやついてよお!」
「あ、す、すいません。私は今にやけてましたか?」
「あー、そうともさ。気っ色悪いったらねーぜ」

テラスでお子様たちとお茶を楽しんでいる最中 ルヴァはゼフェルにたしなめられてしまった
それを見てマルセルは意味ありげに にっと笑った

「ゼフェル、そんな言い方しちゃいけないよ。ねえ、ルヴァ様、何かいいことがあったんですか? 僕にだけこっそり教えてくれませんか?」
「んあ? なんだよ、マルセル! 『僕にだけ』ってよお!」
「おいおいおい、喧嘩しちゃだめだろ! ゼフェル、マルセルも」

同じくその場にいたランディは

(いつもは喧嘩の仲裁するのってマルセルの役目だったよなあ)

と思いながら二人の間に割って入った
しかし それがゼフェルの気を思いっきり逆なでてしまった

「てめえは生意気なんだよ! ランディ野郎!!」

いつもの決まり文句が炸裂すると ゼフェルはランディにつかみかかった

「やめてよう、二人ともー」

全ての原因は自分にあるのだが そんなことは知らんふりでとりあえず言ってみるマルセルだった


その時

「ルヴァさま〜〜!」

補佐官アンジェが手を振ってこちらに走ってきた
そして 喧嘩している人々に構わずに すっかりルヴァとアンジェ二人の世界に突入してしまった

「んだよ、そういうことかよ……」

ゼフェルはそんな二人を見て ランディに向かって今まさに振り下ろさんとしていた拳を緩め 力なくだらりとその場に座り込んだ

本日 オリヴィエが乗り移ったかのようにとっても意地悪なマルセルは
そんなゼフェルに追い討ちをかける

「残念だったねえ、ゼフェルぅ。アンジェは諦めた方がいいと思うよっ」
「んだとおおお! んなことはなあ、わかってんだよおー!!!」

歯を食いしばりながら吠えるゼフェルにマルセルは おお怖い とばかりに肩をすくめると

「ルヴァ様ー、アンジェリークー、僕はこれで失礼しまーす!」

こう言って 一目散に逃げていった

「待て! こら! マルセル!!」

そして その後をすごい形相で追いかけるゼフェル

取り残されたランディは消えた二人を見送ったが
振り返ると ルヴァとアンジェリークに仲良くにっこり微笑まれて
なんだか邪魔者の気分になり 挨拶をして早々にその場を立ち去った

「あーあ」

ランディもまた アンジェリークのことを密かに想っていた

(こんなことなら、もっと早くアンジェリークに言っておけば良かったな。
まさか、ルヴァ様とだなんて……)

「あーあ」

再度声に出してため息をつくと ランディはダッシュで駆けていった



そしてこちらは テラスに残ったルヴァとアンジェリーク

「みんな行っちゃいましたねぇ〜」
「そうですね〜」

ラヴラヴになっても 会話の内容はまったく変わりないのでした



その後 聖地中を自転車二人乗りでかっとばすルヴァとアンジェリークを見かけたオリヴィエは リュミエールにこう言った

「あの二人、どこまでいってると思う?」
「オリヴィエ!」

ビックリ仰天してリュミエールがたしなめると オリヴィエはぺろりと舌を出して謝った

「ごっめ〜ん。だってさ、このアタシにもゼンッゼンわかんないのよね。あの二人のこと。 ね、ね、こういうことに興味ないの? リュミちゃんは」
「……他の方のことをあれこれ詮索するなど、いけませんよオリヴィエ」
「ええ〜っ、だって気になるじゃな〜い。あっ、リュミちゃん、待ってよ〜」

すたすたと歩いていくリュミエールを追いかけるオリヴィエは 自転車が消えた方向をもう一度見た

「あ〜あ、アタシに春が来るのはいつのことかしらねェ」

オリヴィエがつぶやくと

「何か言いましたか?」

くるりと振り返ったリュミエールに「なんでもないよん」と言って腕を絡ませた
リュミエールは仕方ない というふうにオリヴィエを見て 今度は二人仲良く ゆっくりと歩き出したのでした





エル以外も万歳