すっぴん


「どうしても、どうしても見たいんです」


金の髪の女王候補 アンジェリーク・リモージュは
今日もくるくる巻き毛をふわふわさせ 両手を胸の前で組み合わせた必殺お願いポーズでオリヴィエを見つめる

「はぁ。アンタも大概しつこいわね」

オリヴィエはこのところ毎日のように執務室に来るアンジェリークに呆れ返っていた
いったいどうしてこんなにこだわるのか
いや こだわっているのは自分のほうだとわかっている
わかっているからこそ そう簡単に応じることができないのだ

「一度だけでいいんです。そしたらもう来ませんから」
「あら、ここに来なかったら夢のサクリアが送れないじゃない」

アンジェリークは「あっ そうだった」と言って頭を掻いている
オリヴィエはこっそりとため息をついた
ペロリと舌を出すその姿はとても可愛らしいけれども 女王候補としてはいささか心配だ
もう一人の女王候補 ロザリアと比べるとどうしても見劣りがしてしまう

藍の髪の女王候補ロザリアは受け答えもしっかりしていて育成も順調
その物腰も華麗で 今すぐに女王になってもおかしくないほどの力を この飛空都市で発揮していた


オリヴィエは 最初二人を見たときから そして試験が始まってからも
正直なところ 女王になるのはロザリアだろうと思っていた
こういうカンは外れない 今までの経験からしても確信を持っていた
だから これまで数回あった定期審査の折には 女王としてふさわしいのはロザリアだと言い続けている

しかしそれにしても不思議なのは 現女王がなぜ アンジェリークを女王候補にしたのかということだった
きっとこの少女には何かあるのだろう なのにそれがわからない


「オリヴィエ様?」

呼ばれて オリヴィエははっと我に返った

「あ、ごめん。アンタがあんまり可愛いから、つい見惚れちゃったよ」
「んもう、心にもないこと言って。意外とプレイボーイなんですね」
「アラ、バレた?」
「バレバレです」

アンジェリークのほっぺがぷくっとふくれた


女王試験ということを抜きにしたら
今現在 オリヴィエにとって好ましいのはアンジェリークの方だった
ロザリアとの気の利いたやり取りも楽しいが
こうして肩の力を抜いて 思いつくまま言葉を唇にのせることができる
今のような時間が オリヴィエにとってもっとも楽しいひとときとなっていた
アンジェリークの「お願い」さえなければ毎日でも毎時間でも歓迎するのだが……

「だからお願いです。オリヴィエ様の”すっぴん”見せてください!」
「なにが”だから”よ。アンタもわかんない子ね」



オリヴィエが素顔を見せないのには理由があった
数年前 まだ故郷にいた頃 突然やってきた聖地からの使者
彼はオリヴィエを夢の守護聖として連れて行くと言った

守護聖になること それがどんなに名誉なことだとしても
オリヴィエにとっては迷惑以外のなにものでもない

親族がここぞとばかりによってたかって崇め奉るのも気に食わなかった
サクリアが宿ったなどと 単なる入れ物でしかないものを
体のいい人身御供ではないか

強制的に連れ去られるなんてまっぴらごめんだ
自分の人生は自分で決める


オリヴィエは 聖地からの正式な迎えが来るより早く 家を出た
それから2年間 好きなことをしてやたらめったら楽しく過ごした

しかし心の中ではわかっていた
どんなに逃げようとも
名前を偽り 髪を染め 化粧をして顔を隠そうとも
聖地の人間はいつか必ず目の前に現れる


そして2年後 再び聖地からの使者が現れたとき
オリヴィエはあっさりと聖地行きを同意した

その時まとっていた華やかな衣装のまま 施した化粧もそのままにして
オリヴィエは聖地の門をくぐった


「立派な籠の鳥になってやろうじゃないの。 誰よりも派手で、誰よりも綺麗な、そう、極楽鳥のように」


それからずっと 人前では化粧をし続けた
この聖地にいる間は 美しさを司る夢の守護聖として装う
それが 思い通りに人生を選べなかったオリヴィエのプライドだった



「また明日来ますね」

アンジェリークは笑顔を残して夢の守護聖の執務室を後にした

(また来るんだ……はぁーっ。なにがそんなにあの子を駆り立てるのかね)

そう思いつつも オリヴィエの顔は緩む
ほぼ二週間 こうして毎日やってくるアンジェリーク
別にすっぴんのまま パレードをしてくれと言ってるわけでもなし
そんなに熱心に見たいといっているものを邪険にするのも気が引ける

(明日来たら、見せてやらないでもないか。あの子になら、ね)


「さーてと、仕事仕事っ」

声に出した後 オリヴィエは手を口元にあてた

(アララ、なにやる気出してんだか、アタシ)

人知れず ふっ……と微笑み オリヴィエは手元の書類にサインを入れはじめた





翌日 昼近くになってもアンジェリークはオリヴィエの元に現れなかった
「待ってると来ないんだから」
オリヴィエは頬杖をつく

そこへ オスカーがバタンと大きな音をたてて執務室に入ってきた
突然の炎の守護聖の乱入に オリヴィエは眉をひそめる

「いったいどうしたっていうのさ、ドアが壊れるじゃない」
「そんなこと言ってる場合じゃないぞ。エリューシオンが今大変なことになっている」
「大変ってどういうことさ!?」

エリューシオンとは アンジェリークが今現在育てている大陸名だ

「後で説明がある。とにかくそのことで守護聖全員、至急謁見の間に来るようにとのことだ。 悪いが後、ゼフェルとマルセルに伝えてくれ、よろしく頼む」

それだけ言うと オスカーは慌ただしく部屋を出て行った



謁見の間での ジュリアスからの説明によるとこうだった

飛空都市の時間で昨夜遅く エリューシオンに巨大な竜巻が発生
竜巻の通った場所は壊滅的な被害を受け
わずかながら発展していた村々も いくつかその犠牲になってしまったと……


エリューシオンの状況は深刻だった

大災害


この危機を アンジェリークはどう乗り切るのだろうか
オリヴィエはアンジェリークの方をちらりと見た

俯いているかと思いきや 丸く尖った顎は上をむいていて
エリューシオンの現在の状況を説明する首座の守護聖ジュリアスの方を毅然とした態度で見つめている
その瞳は少しも死んではいなかった

オリヴィエはどきりとした
今まで見たことのない顔 真摯な瞳
マシュマロのような笑顔は消え 冷たい 澄んだ水を思わせる表情
きっと今 彼女の心の中は酷い嵐に遭っているはずなのに

自らの育てた大陸は荒れ 愛する民達を失い
悲しみにくれ 涙しているのだろうと
内にあるはずの女王としての資質を疑い 希望の炎を消してしまっているだろうと

オリヴィエはそう思っていた
思い込んでいた

だが そんな自分の思考を即座に切り替えた
彼女の立場を憐れんだところで何も解決はしないのだ
彼女が望むのは この状況の打開 大陸の復興


美しいと思った
アンジェリークを 綺麗だと 思った



「アンジェリーク」

オリヴィエは 解散後 ジュリアスとの打ち合わせをし終えたアンジェリークに声をかけた

「ワタシで何かアンタの役に立てることはある?」

アンジェリークはその申し出に
今の彼女には精一杯なのであろうわずかな笑みを見せながら答える

「今はまだ、夢のサクリアは早いようですので、その時が来たらお願いに行きますね」
「ああ、違う違う」

オリヴィエは大仰に手を振った

「それも大事だけど、私が言ってるのはアンタ自身のことだよ」
「私自身、ですか?」
「そう。ワタシはアンジェの役に立ちたいんだ。何かワタシにして欲しいこと、ない?」


オリヴィエの目の前で少し考え込むアンジェリーク
こうして間近で見ると いつもツヤツヤとしていた肌がその輝きを失っている
瞳は赤く 懸命に冷やしてきたのであろうがまぶたの腫れがまだ残っているようだ

昨夜の出来事が彼女に与えた影響を オリヴィエは黙って見つめた

「そうですね……エリューシオンが無事、元の姿に戻ったら、私にお化粧をしてくれますか?」

オリヴィエは大抵のことならなんでもしてやるつもりでいたため かなり控えめなお願いに内心がっかりしたが 大きく頷いた

「オッケー。絶世の美女にしてあげる。アタシ好みのね」
「本当ですか……?」

バッチリウィンクをすると アンジェリークの顔全体に喜びの色が広がった
そして 今日初めて いつもの笑顔をオリヴィエに見せた

「楽しみにしてます! では、もう行きますね」
「行ってらっしゃい」


アンジェリークのスカートの裾がひらりと舞い その姿はドアのむこうに消えていった
そこで オリヴィエははたと気がつく

(アラ、そういえばあの子、すっぴんのこと言わなかったな。 今お願いされたらオーケーするつもりだったのに。まあ、その前からその気だったけど)

オリヴィエは髪をかき上げる

(がんばんなよ、アンジェリーク)

背筋を伸ばして オリヴィエもまた 謁見の間を出て行った





最初のうちは アンジェリークの頑張り 守護聖の協力で
エリューシオンは立ち直りかけていた

なぎ倒された木々が生い茂っていた跡には 新たな芽吹きが
荒れた大地には 新たな民が小さな集落を作り始めていた

エリューシオンの天使様(と その地の人々は呼んでいた)
であるアンジェリークの性質に似たのか 逆境をバネにして更なる発展を遂げようとする民達のパワーは その復興の経緯を知った飛空都市の人々を驚かせた

エリューシオンはもう大丈夫だろう
このまま順調にいけば ロザリアの育てるフェリシアをも凌ぐかもしれない
そんな期待を皆に抱かせた


しかし

しかしまた 災害は起きた

今度は嵐が エリューシオン全域を襲ったのだ



その日 まだその事実が観測される前
オリヴィエは エリューシオンの様子を聞こうと王立研究院を訪ねていた

研究院の中は いつも通りの小さなざわめきに満ちている
研究員達の表情も穏やかで 一時期のあの せっぱつまった様子はなく ゆったりした雰囲気が感じ取れた

責任者であるパスハにも同様のゆとりがあり 安心したオリヴィエが軽い冗談を言いながらその場を立ち去ろうとしたその時 奥から若い研究員がパスハの名前を呼びながら飛び出してきた

「緊急事態です! エリューシオンが……と、とにかく来ていただけますか?」



機械からはじきだされたデータは エリューシオンの降水量に異常があることを示していた

「うむ……オリヴィエ様、これはかなり危険な状態かもしれません」
「このままいけば……前よりもっと酷いことになるって訳か……」

そうとわかっても 二人にはもはやどうすることもできない
ただ黙って流れ出る数値を睨み 一刻も早く雨が止むことを祈るしかないのだ


「パスハさん」

声に 二人は振り返った
そこには そのあまりのまっすぐさに 見たものをたじろがせるような目をしたアンジェリークが立っていた
その様子に パスハが息を飲むのがオリヴィエにはわかった

「エリューシオンに、エリューシオンに何かあったのではないですか?」

アンジェリークの問いに パスハは姿勢を正した

「はい。現在、異常な量の雨量が観測されています。このままでは被害は免れないかと思われます」
「そう……やっぱり……」


オリヴィエは そのまま呆然と立ちすくむアンジェリークを見て
射抜かれたように動きを止めてしまった

いつもどんなときも 彼女には表情というものがあった
そしてそれは大抵 こちらが思わずつられてしまうような笑顔
そんなアンジェリークしか記憶に無いことに
オリヴィエは今更ながら気が付いた

今の彼女に 絶望と悲しみの色が見えた
どこまでも濃い藍色 限りなく黒に近いブルー
悲しんでも 怒っているようにも見えない ただ表情を無くしたその顔

だからこそ 彼女の衝撃の深さがオリヴィエに強く伝わった

きっと アンジェリークにはエリューシオンの声が聞こえている
植物や生き物の命が消える声を 彼女は確かにその身に感じている
それを確かめるためにここにやってきたのだ


オリヴィエにはわかった
アンジェリークの身には 確実に女王のサクリアが宿っている
そして それに耐えうる精神力もまた 彼女に備わっていたのだ

ただ それでも 起きてしまったことを防ぐことはできない

時の流れを自由に操ることができる女王ですら 過ぎた時間を戻すことだけはできないのだから


突然 アンジェリークがパスハの袖を掴んだ

「お願いします。私をエリューシオンに降ろしてください!」

パスハはぴたりと動きを止め 食い入るように自分を見つめているアンジェリークを見返した

「恐れながら……それはできかねます。そのようなことをしたら、あなたの身が危ない。大切な女王候補に万一のことなど、あってはならぬことです」


パスハとアンジェリークのやりとりで我に返ったオリヴィエは
そこで 自分のやるべきことを見つけ 口を挟んだ

「私が一緒に行くよ」
「オリヴィエ様、何を……!」

異議を唱えるパスハを無視したオリヴィエは アンジェリークの方を向いた

「アンタの気が済むまで見てきたらいい。きっとアンタにとってはその方がいいんだ」
「オリヴィエ様……ありがとうございます」
「じゃ、決まった。パスハ」

今度はパスハの方を向いた

「必ず、アンジェを連れて帰るから。ジュリアスには私がアンタを殴ってアンジェを連れ去ったとでも言っときな」
「そんなこと……! とにかく行かせるわけにはまいりません!」

オリヴィエよりはるかに身体の大きいパスハが二人の前に立ち塞がった
しかしオリヴィエはそれにまったく怯むことなくピシリと言い放った

「夢の守護聖、オリヴィエの命令だよ! さっさと路を開くんだ!!」



数分後 エリューシオンに降りた二人の目に写ったのは 一面の水

そこは かつては肥沃な大地だった
新しく出来た村のあった場所であった
この嵐で水かさが増し なにもかもを飲み込んで そこを淀んだ海に変えてしまった

「なんで…………」

絶句するアンジェリークの その濡れた身体を
オリヴィエもまたずぶ濡れになりながら 後ろから強く抱き締めた





「お二人とも……! びしょ濡れではないですか!!」


再び王立研究院に戻ってきた二人は 強い雨風にさらされて全身から大量に水を滴らせていた
ひたいや頬には髪の毛が 体には衣服がぴったりとはりついている

「すまないね、パスハ。心配かけて」

オリヴィエは右手で重たくなった髪の毛をかきあげ 小さくぶるっと左右に頭を振った
そして 左側にいるアンジェリークの顔を覗き込み はりついていた髪を後ろになでつける


アンジェリークはそれまでずっと無言のままだった
焦点をぼかしたままだったその視線がふと 眼の前のオリヴィエに止まり ここに戻ってきて初めて口を開いた

「オリヴィエ様……」

その縋るような瞳に オリヴィエの心臓が悲鳴をあげた

「大丈夫」とひとこと言って 軽く抱き締めればアンジェリークも落ち着くはず
そう思ったのに今 オリヴィエは見つめてくる緑の瞳に全身を鎖で縛られて まったく動くことができなかった


オリヴィエの上に止まった時間は 研究員の声で再び動き出した

「あの……オリヴィエ様……」

オリヴィエは振り返る
そこには タオルを持った研究員が二人 アンジェリークとオリヴィエの前に立っていた

「すいません、体をおふきいたします」

しかし タオルを差し出したその人物の手をオリヴィエは制した

「ありがと。後は私がやるからさ」

オリヴィエはタオルを2本とも受け取り そのうちの1本を自分の肩に掛け もう一本をアンジェリークの頭にふわりと乗せて ぽんぽんぽん と優しく労わるように体についた水分をふきとりはじめた

アンジェリークはまたもぼんやりとしていて 視線はどこに向かっているのかわからない
その様子に心配をしながらも オリヴィエは正直胸をそっと撫で下ろしていた
また 先程のように見つめられたら困ってしまう

(困る……?)

オリヴィエは自らが思った言葉を心の中で繰り返した
いったい何が困るというのだろうか なぜ自分が困るのか


そこでまた 今度はパスハが声をかけてきた

「オリヴィエ様、もっとタオルを持ってこさせましょうか?」
「え? ああ……いいよ。どうせすぐ帰るし」

オリヴィエはアンジェリークに掛けたタオルを取り去り パスハに渡しながらそう言った
そして自分の肩に掛けていたタオルをアンジェリークの肩に掛けなおす

「あの、申し訳ありません、オリヴィエ様。すぐにジュリアス様がここにいらっしゃると思いますのでお待ちになっていただけないでしょうか。 シャワーや、多少の着替えでしたら、こちらにもあることですし……」

そう言って パスハは二人をシャワールームに案内しようとした
しかしオリヴィエはそれを止める

「いや、やっぱり帰るよ。後で報告に行くからってジュリアスに言っといて。それから、アンジェも私の館に連れてくから、それもね」


「オリヴィエ様!」というパスハの非難の声も聞き流し
オリヴィエはアンジェリークの肩を抱き 開いた手をひらひらと振って 出口へむかおうとした
しかし そこでアンジェリークの歩みが止まる

「オリヴィエ様、あの、オリヴィエ様の館って……」

戸惑いを見せるその表情にオリヴィエは大げさにウィンクをしてみせる

「なあ〜に心配してんのよ。襲いやしないって」
「そんなこと……っ、そんなこと心配してません!」

むきになったアンジェリークの頬が赤くなる

「じゃあいいじゃない」

オリヴィエは間髪入れず言葉を返した

「でも……」
「黙ってついてきなさい」


オリヴィエはそのまま ずんずんと勢いをつけて歩き出した
側でもつれそうになりながら必死でついていくアンジェリーク

とにかく今は この子を元気付けてやりたい
このまま一人にはさせたくない
オリヴィエはアンジェリークを抱く腕にぐっと力を込めた





「さあ、ここなら気兼ねいらないから」

オリヴィエは私室の側にあるシャワールームにアンジェリークを案内した

「ちゃんと温まってくるんだよ」

そのときの アンジェリークのした返事ははっきりとしていたのだが


オリヴィエは別の場所にあるバスルームで身体を流した後 私室に戻ってアンジェリークが出てくるのを待っていた
しかしあれから一時間ほど経ったにもかかわらず 彼女は出てこない
オリヴィエは不審に思って シャワールームの側で声をかけた

「アンジェ、大丈夫!?」
「…………」

中から返事はない
オリヴィエは急速に襲い来る不安に締め付けられ ドアを叩き 更に大きな声を出した

「アンジェ! 聞こえてる!? アンジェ!!」
「あ……! ごめんなさい、聞こえてます」

割合としゃんとした声に とりあえずオリヴィエはほっとひと息つく

「焦ったよ、アンタが溺れちゃったのかと思ってさ」
「すみません。もう出ますから」
「そう? じゃあ待ってるから」


くるりと背を向け 歩き出そうとしたその時だった
シャワールームから ガタガタッ バシャーン!! という派手な音と共に悲鳴が聞こえてきた

「アンジェ! 入るよ!」

オリヴィエは急いで振り返り 急いた気持ちのまま ダン! とドアを開けた


アンジェリークは浴槽の中で仰向けになっていた
右手と左手が大の字になるような形で浴槽の淵をつかみ かろうじて顔は水面の上にある

「ちょっと、アンジェ、大丈夫!?」
「オリヴィエ様……」

アンジェリークは弱々しく視線を動かし しかしそれ以上話せない様子だった

オリヴィエは意を決して 浴槽の中に服のままザブリと入っていった
しゃがみこんで アンジェリークを抱き上げる

「や、やだ……」

アンジェリークがわずかに抗議の声を上げたが オリヴィエは聞き入れなかった
ザバーッと水音をさせて身体を持ち上げ 浴槽を出る

「ちょっとそこで待ってて」

そう言って一旦 アンジェリークを下に降ろし 外に出てバスタオルをつかんだ
戻ってきて とってきたタオルを広げてアンジェリークの身体の上にかけ 再び持ち上げる
そのまま ベッドルームまで運んでいった



1時間後 オリヴィエは自分のベッドで目覚めたアンジェリークに声をかけた

「どう、気分は?」
「はい……もうだいぶいいみたいです。……あの、これお借りしちゃって……」

そう言ってアンジェリークは身体を起こし 着ているオリヴィエのバスローブに手をかけたが オリヴィエはそれを止めた

「ワタシの前でハダカになる気?」
「あ……」

アンジェリークは下を向いてぎゅっと前をかき合せた
オリヴィエはくすりと笑う

「ったく、のぼせるまで入るなんて、バカなんだから。はい、これ飲みな」

オリヴィエはコップを差し出し

「なんならワタシが口移しで飲ませてもいいんだけど?」
「けっこうです!」

完全にからかわれていると思ったアンジェリークは素早くコップを受け取り ぐぐーっと一気に飲み干した
唇をきゅっと尖らせてオリヴィエに返す

「いい飲みっぷり……。はいはい、寝た寝た」

オリヴィエはその勢いにまたちょっと笑った後 そっとアンジェリークを押してシーツをかけなおし ぽんぽんとなだめるように肩を叩いた
一転 優しくされてアンジェリークは 相手をぼうっと見返す

「どした?」
「あの……あの、ありがとうございます。オリヴィエ様」
「ん。どういたしまして」

オリヴィエはアンジェリークの側に腰掛けてすっと手を伸ばし 美しい薔薇色に戻った頬に触れた

「アンタにいい知らせだよ」

アンジェリークが ぱっと目を見開く
期待をしつつ 少し不安そうな眼差し
オリヴィエは優しく笑んだ

「エリューシオンさ、思ったほど被害はなかったらしいよ。災害を見越して大部分の人たちはちゃんと非難していたんだって。 まあ、全員とは言い難いけど……あの村もめちゃくちゃだったっていうし……」

喜びに輝いた後 曇る瞳
オリヴィエはそんなアンジェリークの頬を 添えた右手の親指で撫でる

「でもね、もっと安全な別の場所に新しい村ができはじめてるって。そりゃあもう、すっごい速さでね。 アンタんとこの民は、後ろ向く暇なんてないんだね」

そこでオリヴィエはくくっと思い出し笑いをした

「……さっきジュリアスが来てさ、『わけのわからぬパワーがあるな』なんて変な顔して言ってたっけ」

「ジュリアス様がいらしたんですか!?」

アンジェリークは心底驚いて声を張り上げた

「そう。アンタの顔を見にね。ついでにエリューシオン視察の報告もしといたよ。寝ているアンタの前だったからお説教も短くてほ〜んと助かったよ」

オリヴィエは にっ と笑った

「オリヴィエ様ったら」

そう言いながらアンジェリークはオリヴィエの顔をまじまじと見つめる

「何?」
「オリヴィエ様……すっぴん……」
「アンタ、今頃気づいたの?」

あ〜あ とため息をついて オリヴィエは冷たい視線をアンジェリークに送った

「いや、いいんだけどさ、あんなに見たがってたのにそりゃないよね」
「ごめんなさい……」

オリヴィエはわざとアンジェリークに顔を近づけた
アンジェリークは目を見開いたまま 動けなくなっている


「で、どう? すっぴんのアタシは」
「……すごく、綺麗です」

頬を染めながらも アンジェリークははっきりと口にした
そのかわいらしい姿に オリヴィエの心はぐんと浮き立つ

「なんでコレを見たいと思ったのさ?」

知らず笑顔になったオリヴィエは 人差し指で自分の頬を軽く2,3度叩いた
アンジェリークは答える

「本当のオリヴィエ様が見たかったんです。少しでもオリヴィエ様に近づきたかった。私と話してても、いつもどっか他人行儀な気がしてて、だから、すっぴんを見ることができたら、きっとオリヴィエ様は私に心を開いてくれると思ったんです」

オリヴィエは眉をきゅっとひそめた
アンジェリークに対しては思ったことを口にしてきたつもりだった
他人行儀だと言われるとは思わなかった
あんなにこにこ笑顔の裏でこんなこと考えていただなんて


「心外だねぇ。私、これまでも充分アンタに心を開いてたと思うけど?」

不機嫌を露にし 棘のある言い方をした夢の守護聖に なぜかアンジェリークは目を輝かせる

「そう! それなんです、オリヴィエ様!」
「は?」

アンジェリークの人差し指がベッドの中から ぴん!と飛び出した

「私、オリヴィエ様に思ったままをどんどん!素直に!顔にも言葉にも表していただきたいんです」
「……ワタシが素直じゃないって、アンタそう言いたいんだ」
「そうなんです!」


アンジェリークは右のこぶしを振り上げてぐっと力を込めていた
そしてその直後 「あ」と口に出して そろそろと右腕をベッドの上に下ろした

「ごめんなさい……」

言い過ぎたと思ったらしい
オリヴィエは大きくため息をついた

こんなところはまだまだ子供だ
どう見ても私の守備範囲じゃない なのに……


オリヴィエはアンジェリークの右手を押さえた
彼女に向けてもう一度 身を乗り出す
ウェーブのかかった洗い立ての金髪が アンジェリークの顔の周りに壁を作った
 
「わかった。そういうことにしとくよ。でもさ、それだったら尚更、
ワタシのこの顔見てすぐに気がついてくれなきゃいけないんじゃないの?」

アンジェリークは黙り込む
オリヴィエは続けた

「ま、さっきアンタの素っ裸見ちゃったし、それでチャラってことに……
ぶっ!


アンジェリークの押さえてなかった方の手の平がオリヴィエの顔面にヒットしたのだ

「痛! ちょっとナニすんのよ〜。コラ!」

アンジェリークはシーツを頭の上までかぶっている

「アンジェリーク〜! 顔出しなさいよ、出しなさいってば」

オリヴィエがシーツ越しに肩を揺するがまったく反応がない
しばらく待ってみたが やはり出てくる気配が感じられなかった

「ア〜ンジェー!!」

待ちきれなくて 力任せにシーツを引っ張った


「え? あれ? アンジェ……」

アンジェリークは泣いていた
ぎゅっとつぶった両目から涙をこぼしていた

「ごめん……デリカシーの無いこと言って」
「違う、違うんです、オリヴィエ様。ほっとしたらなんだか急に嬉しくなってきちゃって、エリューシオンががんばってるって聞いてすごく嬉しくって……」

アンジェリークはぱちっと目を開け オリヴィエを見つめた
涙いっぱいの瞳で 眉根をたくさん寄せて
そしてその顔のまま ぐっと両腕をオリヴィエに向けて伸ばしてきた

オリヴィエも両腕を差し出し アンジェリークを抱き上げた
彼女の腕が首にしがみついてくる
それを正直嬉しいと 凄く嬉しいとオリヴィエは思った



この 胸の中にいる強くて優しい天使
その金色の巻き毛に覆われた小さな頭が小刻みに揺れるのを オリヴィエは掌で感じていた

(良かったね……)

抱き締めると 柔らかい体が心地よかった


胸の奥がきゅっと軋む
そして その痛む部分から溢れ出る想い
オリヴィエはその優しく満ちる甘い空気にうっとりと浸った

(ワタシってば、ひょっとして捕まっちゃったかな?)

自分と同じ香りのするその髪にキスをして
オリヴィエはもう一度 アンジェリークを
今度は強く 抱きしめた

(今すっごく言いたい気分なんだけどな。でも今日はいいか。今度……ね)

唇を 好きだよ の形に開き
オリヴィエはアンジェリークの頭に頬を寄せた





エル以外も万歳