その言葉だけで



「ふう」
速水厚志は額の汗をぬぐった。
故障中だった士魂号も、これで戦列に復帰できる。
時計をみると、すでに真夜中を過ぎた頃だった。眠たげな舞を帰してから数時間が経過している。
「厚志くん」
ハンガー1階からの階段から呼びかけられる。原素子だった。
「そろそろ上がるところなの。よかったら、一緒に帰らない?」
「賛成です。…よいしょっと」

薄暗い校舎裏をふたりは歩きだした。
素子はつないだ手をもてあそんでは、厚志の反応を楽しんでいるようにみえた。
「ねえ、このまえの遊園地のことだけど…」
「ああ、楽しかったですよ。舞ったら相変らずでしたけどね」
「ふふっ、そう」くすくすと素子は笑う。
「『この機械には何の意味があるのだ?』なんていちいち言ってさ」
「私ね」素子はにこやかに言った。
「誘ってほしかった。あなたに」
「えっ…」
厚志は意外そうな顔をする。
「あなたと一緒に遊園地に行きたかった。ふたりきりで、デートしたかったの」

素子はそう言うと、急に足を止めた。
厚志はなすすべもなく立ちすくんだ。
素子の目には涙が光っていた。鼻をすする。
「待っていたのよ。あなたが来てくれるのを」
「ちょ、ちょっと…素子さん?」
「莫迦みたいでしょ。でも、本当よ」
そう言うと、素子は手を回し厚志を抱きしめた。
「大好きなの。あなたが。好きなの。厚志くんが」
「素子さん…」
そこには、いつもの凛とした整備主任の姿はなかった。
ただ、恋する乙女のはかない様があった。

「…ごめん」
長い時間をかけて、厚志はそれだけを口にした。
両手を素子の背に回す。ほのかなぬくもりがふたりを包んだ。
「キスして」
「はい」
ゆっくりと、何度も、ふたりは唇を重ねた。

誰もいない校舎の裏で、厚志と素子は愛を交わしあった。
ときに激しく、ときに切なく。
素子は声を殺しながらも、厚志の要求に応えて身体を動かした。

厚志が果てるのと、素子が逝きつくのもほぼ同時だった。
乱れた制服を直しながら、素子は物憂げに微笑んだ。
「ごめんなさい。びっくりしたでしょ」
「えっ…?」
「みっともないでしょ。醜かったでしょ? これが本当のわたし」
ネクタイを結びなおしていた厚志は、照れ臭そうに応えた。
「ううん。あの…当たり前のことだから」
「うれしい」
にっこり笑うと、素子の歯が暗闇に白く光った。
素子は厚志とふたたび唇を交わした。
「…どうしてかしら。私ったら、いつも不安になっちゃうの」
「どんな?」
「好きな人が私から遠ざかってしまうんじゃないかって」
「大丈夫」
厚志は素子を抱きしめた。
「ぼくは、ここにいます。ここが、僕の居場所です」
「ありがとう。嬉しいわ」
素子は礼を言うと、厚志のネクタイを直した。
厚志は背筋を伸ばして、されるがままになっていた。

そして、ふたたび手を取り合うと、ふたりは校門への道を歩き始めていた。
円い月だけが、ふたりを見下ろしていた。






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