本日、未熟者。
「でね、傑作だったんだよ。そのときの舞ときたら…」
「5回目」
「え?」カフェのテーブルごしに、速水厚志は訊き返した。
原素子は紅茶をゆっくり飲むと、冷ややかな視線で彼を見つめた。
「芝村のお姫様の名前。約束したわよね。私とふたりのときは、その名前は言わないって」
厚志は、しまった、という顔になる。
「でも舞はパートナーだし、毎日ネタになることをやってくれるものだから、その…」
「はっきり言って不愉快だわ。今日はもう帰るわね」
バッグを手にすると、素子は席を立った。
「本日の作戦は包囲・殲滅戦です」
善行は指揮棒を空中で回した。
「1番機・2番機には先行して伏せてもらいます。
しかるのち3番機が友軍の支援を受けつつ敵の真ん中に大穴をあけてください。
敵は小型幻獣のみとの情報ですから、あわてて撤退するでしょう。
それを待ち伏せした1・2番機に叩いてもらいます。大規模な狩りになると思います」
質問は?との問いかけに挙手はなかった。
最近の優勢な状況での戦闘に、誰もが余裕の笑顔を浮かべていた。
ただひとり、速水厚志を除いては。
小雨は徐々に大きなものとなり、士魂号の装甲を水滴が叩くようになってきた。
ゴブリンをはじめとする小型幻獣が目前の廃墟の町にひしめいている。
3番機のコクピットに収まった舞は、厚志の見ているメインモニターが前線でなく側面を映していることに気が付いた。
士魂号の顔が振り向いているのだ。視線の先には配置についた補給車。
誰が乗っているか、舞の知らないことではなかった。
注意しようとした瞬間、通信が入ってきた。
「1番機、壬生屋、配置完了しました」
「2番機、OKだぜ!」
間髪を入れずに指揮車から瀬戸口の声が響く。
「ようし、準備は整った。3番機、いいな? イッツ・ショータイム!」
しかし。
厚志は何も聞こえていないのか動こうとしない。
舞は苛立って後席から彼の頭を蹴り飛ばした。
「たわけ、攻撃だ!」
「…え? あ、そ、そうか。どうするんだっけ」
「躍進射撃だ、ばか者」
3番機は不意に立ち上がった。念入りに施したはずの擬装がはがれていく。
士魂号はなかなか動こうとしない。舞は厚志に怒鳴った。
「着地点の特定はッ?」
「ご、ごめん。これから…」
廃墟の周りを這い回っていたゴブリンたちは、棒立ちになった3番機の姿に気付いた。
文字通りクモの子を散らすように左右に逃げ出し始めてしまう。
「おいおい、やつら逃げちまうぜ」滝川がマイクに叫ぶ。
「話が違います!」壬生屋も驚きの声を上げた。
舞は強引に操縦系を奪うと、ロケット・ブースターで士魂号を跳躍させた。
素早くロックオンしミサイルを発射する。
だが、ミサイルの攻撃範囲には少数の幻獣しか捕らえることはできなかった。
作戦失敗…
この四文字が皆の脳裏をよぎった。
雨が降り続いている。
善行は、プレハブ校舎前に小隊全員の集合を命じた。
整列した誰もが緊張の色を浮かべている。
ののみも不安な表情で瀬戸口の袖をぎゅっと握っていた。
善行は冷厳に告げた。
「速水十翼長。芝村十翼長。一歩前へ」
2名が進み出る。厚志はうつむいたまま、舞は胸を張ったまま。
善行は号令をかけた。
「若宮戦士」
「はっ。失礼します。目をつぶり、歯を食いしばってください」
平手打ちの音が2つ続いた。
舞は踏みとどまったが、厚志はよろけて泥の中に転がった。口の端が切れて出血している。
戻れ、と命じた善行は全員を見渡すと言った。
「ただいまの制裁の意味は分かっていますね?
私たちは遊びをやっているわけではありません。戦争をしています。
改めて言うことではありませんが、生命のやりとりです。
一人一人が、その認識を新たにしてください。…以上です、解散」
硬直した空気を破ったのは素子だった。両手をぱんと叩く。
「みんな、聞こえなかった? 整備班、ただちに配置にもどりなさい!」
立ち上がった厚志は舞にごめん、と小さく詫びた。
舞は一瞬にらみ返すと、何も言わずにハンガーへ向かって大股に歩いていった。
ドアがノックされると、善行は入室を許可した。
現れたのは原素子。
つかつかと歩み寄ると、司令の机をどんと叩いて詰め寄った。
「どういうつもり? 物理的制裁は軍規違反よ。副司令として正式に抗議します」
善行は眼鏡をはずすと布でぬぐった。
「はあ。そうですか」
素子は険しい表情を一変させると、ふっと息をついて微笑んだ。
「…これはタテマエ。よくやってくれたわね。個人的にはお礼を言わせてもらうわ。
最近、うちの子たちも気が緩んでいたから。いい薬になったと思うの」
「一罰百戒。だといいんですがね」善行はため息をついた。
「それにしても、今日の速水くんはいちじるしく集中力を欠いていたように思えます。
何か、心当たりはありませんか?」
素子は一瞬の間を置いて答えた。
「…ないわ」
舞の部屋では、ののみがかいがいしく彼女を介抱していた。
冷水でしぼったタオルを頬に当てては、熱くなるとまた水に浸すのを繰り返している。
「まいちゃん、かわいそう。いいんちょ、めーなのよ」
舞はののみの頭をやさしくなでた。
「自業自得だ。いや…厚志のな。だから、もう泣くな」
古い黒電話のベルが鳴った。
風呂上りの厚志はびっくりして受話器に走り寄る。
「はい、速水ですが」
「私よ」
パジャマ姿の厚志は息を飲んだ。
「も…素子さん。どうしたんですか?」
「声を聞きたいときもあるわ。今日はとんだとばっちりだったわね。大丈夫?」
「大丈夫です。唇の端が少し切れただけ。とばっちりは、どちらかといえば舞ですよ」
「善行には私からお灸を据えておいたから、安心して」
「すいません、本当に」
しばらく沈黙が続いた。
厚志はバスタオルで頭を拭きながら階段に腰を下ろした。
「ねえ。違っていたら悪いんだけど…」
「はい」
「このまえのデートで何となく気まずかったじゃない。もしかして、関係してる?」
「いえ、そんなことは…」
「違う?」
「あ、う、うん…少し」
「少し?」
「いいえ。いっぱい、です」
受話器の向こうで含み笑いが聞こえた。
「素直な子。だとしたら、今日の件は私にも責任があるわね」
「責任なんて、そんな…」
「でもね、これだけは分かって」
「はい」
「私はあなたのことを愛してる。だから、他の女に目を向けてほしくないの」
厚志の頬が痛みとは別に赤くなった。
「それから、戦闘のときは集中してね。そうでないと…死ぬわ」
「ですね」
「そんなの嫌よ。私はいつだってあなたを見てる。それだけは忘れないで」
「分かりました」
おやすみ、と挨拶を交わして電話を切った。
厚志はため息をつくと、もう一度受話器を見つめた。
このもやもやした気持ちは何だろう。
こんど瀬戸口くんに聞いてみよう。厚志はそう思った。