さよなら素子さん



「原さんがよその部隊に転属…?」
整備の手を休めた速水厚志は、思わず繰り返した。
「そ。言っとくけど、これはボクだけのマル秘情報だからね」
新井木勇美は得意げに胸をはった。
「あたらしい整備主任を欲しがってる部隊があるんだって。
だけどね、原さんが条件を出したから揉めちゃってるみたいよ」
「条件って?」
「『一緒に優秀なパイロットを連れて行けるなら』だって!
これって、ひょっとして…厚志くんのことじゃない?」
がしゃん、と金属を落とす音がした。
ふたりが見ると芝村舞があわてて工具を拾っている。
そのうち司令から呼ばれるかもね、と言って新井木は立ち去った。

ノックもなしに小隊司令室のドアが開けられた。
机に肘をつきシャーペンをくるくる回していた加藤祭は手を止めた。
「…ぼちぼち芝村はんが来る頃やと思とったわ」
にやにや笑う。舞は大股に近づくと言った。
「ならば話は早い。原の転属の件はまことか?」
「話自体はほんまやで、結論から言うとな。そやけど、まだ決定したちゅうわけやない」
「原の出した条件…とやらが障害となっているのであろか」
「条件? 細い話は司令同士が直でやりあってるんで、その辺はよう分からへんねん」
「…そうか。邪魔したな」踵を返す舞。
「ちょ、ちょいまち芝村はん! 今の情報料もろてないで!」

「よぉ、よぉ、速水スキーさんよぉ」
夜食のサンドイッチをほおばっていた厚志は、手を止めて振り向いた。
「なあに?」
脇に腰を降ろした滝川が続ける。
「転属の話。もし命令が出たら、どうするんだよ」
「どうするも…個人的には気が進まないけど、命令だったら仕方ないんじゃない?」
「あっさりしてんの。本当に、それでいいのか」
「何が?」もぐもぐと口を動かしながら厚志が訊いた。
「だから…芝村だよ。面白くないんじゃねえかな、と」
「舞も一緒に行けたらいいとは思ってるよ。もし出るならね」
「んなわけねーじゃん。原姐さんは、おまえを一本釣りしたいと思ってンだろ?」
「そうかなあ。そういう公私混同するひとだとは思えないけど」
滝川は呆れたようにため息をつくと、びしっと厚志を指差した。
「オンナってのは分からないぜ。ま、覚悟しておくんだな」

深更、厚志と舞は帰路についている。
「厚志よ」おもむろに舞が口を開いた。
「転属命令の話?」
「ぬ…」機先を制されて口ごもる舞。
「まだ何も言われていないから、なんとも言えない。でしょ?」
「それは、そうだが」
「けど、僕はこの5121小隊が好きだよ。だから転属はしたくない」
「原に指名されてもか?」
「うん…」厚志は舞を見つめた。
「今までの実績は舞とのコンビで達成したものだよ。僕ひとりなんてありえない」
「そうか」舞は顔をほころばせた。
「そなたがそう思っていること、嬉しく思う」

翌朝。2組は森精華の机を中心に騒然としていた。
「原さん、本当に転属しちゃうんでしょうか…」
田辺が悲しげに言うと、新井木が鼻息を荒くして反駁する。
「なに、ボクの情報を信じてないの?」
「でも、現実の話、そうなったら次の整備主任はどうなるんでしょうね」
遠坂が何気なく言うと、皆の視線がいっせいに精華に集まった。
いつものようにバンダナを巻いた彼女は、にわかに注目を浴びて真っ赤になってしまう。
「ちょ、そ、そんな、ウチ、先輩の代わりだなんて…」
「でもよォ、このクラスで他に誰がいるんだよ」
田代香織がニヤリとして指でくるくる円を描く。
「大丈夫デスよ。みんなで協力しまス」ヨーコ小杉が手を合わせてにっこり請合った。
「ああー、このカオスな雰囲気! スゴクイイィィ! 最高のギャグ!」
岩田がのけぞって叫ぶと、皆にぼこぼこに殴られた。

「フン、主任なんて誰がなっても同じだろ」
少し離れた席にいた茜が鼻を鳴らすと、中村が軽蔑の視線を送った。
「じゃあ、おまえ出来るのか?」
「それとこれとは別問題。少なくとも、僕の知ったことじゃないね」
「あのなあ」中村は腕組みをして指摘した。
「なんだかんだ言って、整備班をまとめてきたのは原さんの人望じゃなかと?」
「やっぱり…」遠坂が眉間を押さえてため息をついた。
「原さんが適任、ということでしょうか」

皆がしゅん、となってしまったそのとき。
「おはよう、みんな。…あら、朝から何の相談?」
原素子がさわやかな笑顔で現れた。
「先輩、転属なんかしないでください!」
「おいたちば見捨てないでくれもんそ!」
いっせいに詰め寄られた素子はびっくりして目をぱちくりさせた。
「ちょ、ちょっとみんな…。話が見えないんだけど?」

よく晴れた空の下、屋上にふたりの人影があった。
「どうやら噂が一人歩きしていたようだな」
舞が言うと、素子はフェンスによりかかって笑った。
「まったく笑っちゃう、本当に追い出されるかと思ったわ」
「事実としては『整備主任とエースパイロットが欲しい』という虫のいい話だったわけだ」
「で、善行が一蹴。たったそれだけの話よ」
「…原。そなたに問う」舞が表情を固くして告げた。
「仮にだ。仮に転属が実現した場合。厚志を連れて行く、という条件を出す気はあるか?」
「あら!」素子が微笑んだ。
「それもいいわね。寮も近くにとって。そしたら、芝村さんも応援してくださる?」
「たわけたことを」舞は胸を張って宣言した。
「芝村の全政治力を使ってでも、そんなことは絶対に阻止する。それを忘れるな」
「はいはい。あなた、その目つきが似合ってるわよ」
じゃあね、と余裕の笑顔で素子は立ち去った。
その後姿を見送りながら、こぶしを握って決意をあらたにする舞であった。





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